武蔵野読書生活

2010-08-01

[]日本空襲、模擬原爆は全国各地に投下されていた(追補版)

※こちらのミスで8/2版記事に付加されていたものを戻しました。

 米軍が原爆投下に備えて模擬原爆を用いていた事実をご存じだろうか。この模擬原爆長崎原爆「ファットマン」と同一形状で橙黄色に塗装されていたことから「パンプキン」と呼ばれ、1945年7月20日から終戦の詔勅が発せられる前日8月14日までの間に49発も福島・新潟以南の日本各地に投下されている。模擬と言っても炸薬2300kgの通常爆弾であり、投下に際して多くの犠牲者が出ている。地方では富山市いわき(平)、宇部四日市東京周辺では保谷八重洲練馬や武蔵野市などの住宅地や工場が目標となっている。結果的にこの時期にB29少数機編隊による日本本土侵入と爆弾投下という攻撃パターンが多発することで、広島長崎原爆投下時の防空、避難態勢が不十分になった可能性もあるのだろう。

 『写真が語る日本空襲』は、パンプキンを始めとして、米軍の日本空襲を米軍の側から記録した写真集だ。米軍側からの記録なので、通りにうずたかく積まれた焼死体も焼き尽くされた街路の光景などは1枚も掲載されていない。その代わり、如何に効率的に生産力を持つ都市や工場を焼き払うか、海洋国家日本の通商路を断つにはどうしたらいいかを考え抜かれた様々な装置、兵器が随所で紹介されている。加えて国民を動揺させるための心理作戦に用いられた各種ビラにも誌面を割いている。ページをめくると、冷静な筆致と写真から「国家総力戦を効率的に近代兵器で戦う」ということがどういうことかがじわじわと伝わってくる。

 大戦末期、筆者の実家も空襲を受けた。空母艦載機による機銃掃射と小型爆弾の投下だが、幸い実家には命中弾はなかったが、つい数年前まで灯火管制で白い土壁を黒く塗った跡が残されていた。戦争経験者の我が家の父母は健在だが、戦後60年以上を経て戦争について語る人も少なくなってきた。本書は米軍側から見た第二次世界大戦日本空襲の実相を知る有効な手がかりとなるだろう。

※追記

◎パンプキン投下都市一覧

パンプキンによる攻撃が実施された国内の都市名は次の通り。

都道府県 投下数 投下都市名(カッコ内数字は当該都市への投下数)

合計 49

原爆投下目標決定の流れ

※『日本大空襲』第7章 広島長崎への原爆投下命令、および『カラー写真で見る「原爆」秘録』より

 1945年5月2日、米国ワシントンDCで開催されたマンハッタン計画『暫定委員会』は、原爆投下都市として以下の4つを候補に挙げた。

  • 1 小倉(小倉陸軍造兵廠)
  • 2 広島(海軍造兵廠、宇品港)
  • 3 新潟(各種工場、港湾機能)
  • 4 京都(工業都市、旧首都、原爆の破壊力を試すのに都市規模が適切)

 席上、スチムソン陸軍長官は、フィリピン総督時代に京都を訪問した経験から「京都は日本古代の首都で、日本人にとって偉大な宗教的重要性を持った都市である」として投下に反対した。一方、原爆開発総指揮官グローブス少将は京都を投下第一候補として考え、会議は紛糾しそのまま散会した。グローブスは、京都は空襲の被害が少なく人口も100万人を超え、大学が多いので原爆を投下した場合、その意味を理解するだろうと考えていた。

 同年7月24日、ワシントンDCで開催された投下目標の選定委員会は、スチムソンの工作により、京都をリストから外し代わりに長崎を加えることを決定した。同25日、正式に原爆投下命令が下された。なお、翌26日のポツダム宣言発表前に指令は発せられていたことになる。

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