病気のときに読む本といえば。

コクトーの「存在困難」と決まっている。10年以上前に買ったもので、ブックカバーもすりきれつつあるが、今までこの本だけは売らずにそのまま持ち続けてきた。著述当時、著者も体調を崩して静養していたという事情があったにせよ、妙な親近感を持つ著作であり、決して捨てる気にはならぬ。

「読者」と「著者」の時空を越えた邂逅。

「存在困難」で個人的に好きな文章は、文章の持つ力を端的に現したくだりである。荘子の「薪火伝う」に通じる思想性が、またなんとも。

「さて、あなたはポケットからこの本を取り出す。読む。そして、あなたがもうぼくを書いたもの以外何ものにも気を取られなくなるまでになると、あなたは、内部に少しずつぼくが宿り、あなたがぼくを生き返らせているのを感じ取るようになるだろう。あるいは、突然ぼくにそっくりの動作や目つきをしてしまうかも知れない。当然のことだが、ぼくは、ぼくの肉体も骨も何もかもなくなり、ぼくの血も、ぼくのインクと結びついていない時代の若者たちに話しかけている。」
(「存在困難」責任について)

結局のところは「存在困難」な人生なわけで。

「存在困難」な人生を歩んだつもりではないが、でも結局は「あらゆる教義の間を滑りぬける」人生を歩むことになるのか、よくわからない。

「勇敢で愚かなお前。お前も仲間入りすべきだったのだ。そうすれば存在することの難しさにも限界が生まれる。なぜなら、一つの教義を信奉する人々には、その教義以外なにものも存在しないのだから。だが教義という教義がお前に請願を提出している。お前はそのどれにも自分を奪われまいとした。お前はあらゆる教義の間を滑りぬけてお前の橇を通すことを望んだのだ。さあ、巧みに切り抜けるがいい。
勇敢なる者よ。勇敢にして愚かなる者よ。前進せよ。最後の最後まで存在することの危うさに賭けるのだ。*1

*1:「存在困難」あとがき