「抵抗勢力」はどこだ。ここにいるw

無能な人間が保身に走った時が「抵抗勢力」と化すのは定理だが、その見苦しい例を間近に見ることができるとは思わなかった。利己主義者が一般論を糊塗しても心には響かない。昨日は会議の前日だというのに「役員が心配している」とご大層な話を持ち出すのはいいが、自分の身が心配なだけだろう。そういう見透かされる言動を取るからますます信頼を失うのだろうが。

やはり発表当日は緊張するものだ。

余計なプレッシャーがかかると力は出ないので、まずは喫茶店で気分を落ち着けて「いざ逝かん」という覚悟を決めて出社。しかし前日につまらない話を持ちだした割には当日になったら何も言ってこないのはどういうことだ。上が心配しているのは自分の発表内容ではない、むしろアンタのほうだろうよ。
会議はどうにか終了したが、主催者が引き合いに出したのは「落合野球」。この段階で恐ろしさを感じたのだが、関係部署の全発表を聞いてその思いを新たにした。データ量に押し潰されない人材をダース単位でかき集められるのだろうかと帰宅間際に憂鬱になるが、帰宅後家人と話をして少し落ち着いた。自分一人で全てできるわけではないのだから、総員結集で手がければいいだけのことなのだ。

内側から「放出するもの」。

中国製鉄業関係の論文名称を思い出せず、電車の中で読み直す。宝山製鉄所と延払の件だがそれを中国蒸機の話に援用するというのだから正気を疑う。帰宅後に満州港湾関係の資料を読み込んで少し書きなおしてみたが、結びの部分はまだきちんとまとめられない。もう少し自分の中から「放出するもの」を待たねばなるまい。帰宅後「葫蘆島築港方策」の発行年(1936)を確認する。正式には「第17編第1巻続第2」なのだが(国会図書館で閲覧可能な原本はこっちで、それ以外はデジタル化)、それ以外の差がよくわからない。満洲事変時に違約金を払ってまで捨てかけた港湾を1935年に仮開港させた動機はわからないでもないのだが、結果論からすれば引揚港としてしか役立たなかったという皮肉な結論に達する。