「2012年の反日デモ」定点観測(1)

本件は敢えて議論に入らずどういう流れで動いているかと点を読むことに努めた。尖閣諸島国有化決定から急速な動きを示したのは、おそらく中国側の国内事情が糸を引いていたようだが、その背後には前回のような「学生」「民工」すら入る余地もなく、完全に「プロ」の手だったのは何を意味しているのか。
天漢日乗さんが指摘していた http://t.co/iyzsMUE3 このとおりだとすれば案外話が早くて、つまりは「重慶の御仁」の復権運動ということになるのだろうか。重慶といえば「重慶単軌(モノレール)」、当然それに連なる企業人、それを仲介した元「友好商社」の創業者をググってみるだけでもうお腹いっぱいw
http://t.co/WeMlDVt1 ← 本丸はむしろこっちよ。「釣魚島」と「釣魚台」の連関。

三連休は何もしない。

何もしようがない(できない)。草稿の下書きはだいぶ進めて、あとは「蘇嘉線」関係のまとめと「港湾」関係文章の小修正くらいなのだが、今日は前日21時半から12時過ぎまで爆睡が続き、午後もPC奪取され横になったりで月曜日は元々調子が上がらないものだと理解する。問題は明日なのだが。仕事を投げる気満々の馬鹿と一緒に仕事をするのが(以下略
そもそもそれ以前に家人が連れ立って出かけるときは自分が家に抑留されるという罠。家人子供不在の隙を縫ってスキャナードライバーなどの対策に時間は取られたものの、どうにか取り込み作業は終えた。しかし今度は資料破壊対策に頭を悩ませている。速攻でしりょうをどこかにやらないと

「2012年の反日デモ」定点観測(2)

流れる情報はわかりきっているので、敢えて一切の時事報道を見ずに、事実を積み上げて類推する。
そもそもこの2012年現在において、中国が世界の工場というのはどれだけ認識が遅れているのだ。リーマン・ショック前の2008年時点で台湾系企業は成都重慶などの内陸部に足を伸ばし、さらにはベトナムその他に転換を図っている。中国は「市場」であってももはや「工場」ではない、という認識を自分は持っている。7年前なら、2泊3日を硬座で揺られて沿海部にやってくる民工はいたが、今や希少種。民工が集まらないというジレンマはここ数年悪化しており、台湾系が内地に入り込んだのはそれが要因。
だから、今回は「学生」「民工」がさほど流入せず、また最初からそういう「筋」の人間が流れ込んでいたことにもつながる。この事件をきっかけに中国から外資が撤退する分水嶺となるかもしれない。ただし、簡単に外資に撤退されても困る事情もあるわけで(完成品の組立ならできるが部品産業そのものを興す力はない)このあたりをどう考えるべきか。明日と19日以後のデモがどう収束するかが見所ではある。
【参考】

2005年5月1日 遼寧省瀋陽火車站前にて。