「資産再評価法」と「寿都鉄道」。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO110.html
資産再評価法」というものがある。
1990年代後半の「時価会計制度」導入への流れの中で見直されて、現在では土地の時価評価制度として生きているのだが、この制度を活用して固定資産をおおっぴらに水増しした会社が存在する。
その名も「寿都鉄道」。

[官報 1953.06.15 第7931号 P.296]
1953.03.31(第61期)の財務諸表「剰余金」の部に「再評価積立金 9,613,738.42」という表記が見られる。これがその証左で、これに対応して固定資産、特に「鉄道業固定資産」「乗合事業者業固定資産」の金額が突出していることが目につく。貸方科目に「減価償却引当金」があるにせよ微々たるもので、ここまで派手に固定資産を嵩上げした会社というのも寡聞だ。
それ以外にも「精算連絡運賃 12,792,868.00」とか長短借入金以上の額が残高に計上されており、おそらくは運転資金捻出のために「国鉄連絡運賃」までも踏み倒そうとしていたという常軌を逸する会計。これはまだ序の口で、戦前製の蒸機と内燃車程度しかないのに、固定資産評価額だけは年々うなぎのぼりで上昇していき、その会計テクニックは「磐梯急行電鉄」をも凌ぐ無双ぶり。
http://homepage3.nifty.com/minami-siribesi/contents/suttu_tetudousaigo.htm

その後の寿都鉄道株式会社
元社員のKさん、Sさんによると、1971(昭和46)年か1972(昭和47)年頃に会社が全焼し、資料類が灰燼と化してしまった。そして、1972(昭和47)年5月1日に、寿都鉄道株式会社は営業を廃止した(『寿都鉄道』)。しかし、会社は社長一人だけの組織としてその後も存続し、1985(昭和60)年6月頃に解散となったようである。同年6月6日のNHKニュースでは「まぼろしの西海岸鉄道」という特集が組まれ、最後の社長(鉄道休業時の専務)がインタビューされている。

寿都鉄道の最後」にあるとおり、会社が全焼したということだが、実際はこうした証拠隠滅のために会社を焼いた可能性も拭えない。ちなみに、会社自体は解散したとはいえ、正式な解散公告すら存在せず、弁護士経由で第三者破産を申請する費用のほうが高く付くので今なお宙ぶらりんになっている、そんな会社は雲霞の如く存在する。*1

*1:例としては、若松車輌の兄弟会社である今村製作所。代表者が死亡して久しく、任意整理で債務のみ若松車輌に継承し、若松車輌が消滅した現在となっては、会計帳簿もなにもないので潰すに潰せない状況になっている。

「水間鉄道」の抱えていた不発弾。


[官報 1974.05.20 第14214号 P.31]
グルメ杵屋の傘下に成り果てた水間鉄道の破綻の原因はバブル崩壊が定説だが*1、実はそれ以前から「不発弾」を長期にわたって抱えていたのが、わたしの見立て。
1974.03.31(第92期)の財務諸表を例に取ると、固定資産の総資産に占める割合が20%弱しかなくて、ほとんどが流動資産(科目は開示していないが「販売用不動産」と見るのが正しい)。さらにこの時点で負債額は総資産の90%を越えており、いくら黒字とはいえ自己資本額たるや微々たるもので、固定負債/資産比率は約5.0倍と常軌を逸した数値である。固定負債が固定資産の額を上回る借入というのは常識的にありえない。「流動資産が担保力を有する」「ただしその回収期間が長期化している」からこそ、返済条件の繰延などの措置を受けていなければこういう数値は出てこない。
たしかに、1980年代後半に流動資産額が急増し、1990年代半ばにそれを大幅に処分して債務超過に転落した後に倒産に至ったのだが、そもそもの遠因として「紀泉鉄道」の合併と、それに伴う免許維持のための土地保有が重荷になっていたことを誰も指摘していないように思えたので書いてみた。
http://www.suitetsu.com/ir/koukoku/index.html
会社更生手続終結後の財務諸表はこちらから。債務超過の状態ではあるものの重荷となっていた販売用不動産を完全に切り離し、2011.03.31に固定資産の減損処理を実施しさらに身軽にはなっている。親会社がどのような決算対策を取っているかここで判断することは困難ではあるが。