通園のお供そのほか

0730に目覚めてゴミを出しに行くがなかなか取りにこないので、無事回収されるのかと不安になるがなんとか0830前に取りに来てくれた。あとは子供を連れて幼稚園に送り出し、口座残もなんとか無事に決済されていることを確認する。とはいえ、資金繰りは綱渡りなんだけどな。こういう事情もあって、4〜5月の時期はおとなしくせざるを得ない (去年のLTS6は例外で、さすがに文フリは出ている余力がない) さらに先月は調子こいて謄本ガチャやらかしたもんでますますカネがなく、せっかく平日だから何かやろうと思ったのだが、それどころではなく預金をかき集めなければ即死する。さらに幼稚園は午前中だけなので、午後は買い物、休む間もなく保護者会へ

新所沢パルコの歴史を考える

「翔んで埼玉」購入特典の付箋とポストカードをもらうために、わざわざ保護者会後に出かけてきたわけだが、よく見ればかなり特徴的な建物である。1980年代の出店だから、今となってはだいぶ古びたというか狭い印象もあるのだけど (駅前立地だから駐車場も完備はされていない) 狭い中で空間を活用している印象。


ちょうど、上武鉄道セゾングループ解体史を調べていたらこちらの記事を見つけた。「翔んで埼玉」とは何の関係もないのだが、都市論・商業論を考える上で1970〜80年代に堤・増田両氏が遺した役割は今の時代になって再検証されるべきなのかもしれない。
http://10plus1.jp/monthly/2010/10/2.php

交通論学徒の成れの果て、都市論を弁ず

http://10plus1.jp/monthly/2010/09/1.php
http://10plus1.jp/monthly/2010/11/9-3.php
「東・北田対談も研究とは言い難い放談」と切り捨てられていて、社会学の無能さをdisっていて笑うほかないのだが、バブル崩壊を経てショッピングモールに収斂した均一化した状況をどう論じるかが今後の課題であろう。

これは当初、交通論のゼミに参加して最初に読まされたのが「土地の神話」なもんで、田園都市計画と東急との関わりのさわり程度しかやらなかったし、今迄このあたりは学界の徒が多く取り組んできたから今更感があったのだが、死んだ鉄道会社の財務諸表をいじり倒しているうちに上武鉄道にたどりつき、同社を扱う以上はセゾングループの盛衰に触れなければならなくなってきたから、まさに先祖帰りしたかの如く、都市論・流通論にまで立ち返ることになりそうである。そのきっかけが「翔んで埼玉」の中吊り広告だとしても

しかし、その検証のためにわざわざ吉祥寺とかにぷらっと行くわけにもいかんしねえ。週末に一人の時間を持つことは極めて困難なのだ。ちょっと外出すれば、時間が遅いの、無駄遣いするなと詰られるのだから、論考する余裕など金銭的にも時間的にもありゃしねえ