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サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-10-22 地域貢献 - グラマセヴァ

地域貢献 - グラマセヴァ

| 11:13 | 地域貢献 - グラマセヴァ を含むブックマーク 地域貢献 - グラマセヴァ のブックマークコメント


今週の日曜日に、最終日(Poornahuthi)を迎えたダサラー祭


f:id:SaiLaksmi:20101022111136j:image:right女神を讃えるこの10日間に及ぶ祭事期間中、プッタパルティでは、サティヤ・サイ・スクールによる近隣の村落地区に物資配給を行う「グラマセヴァ(村への奉仕 Grama Seva)」が、毎年恒例となっています。



今年は170もの村々に、物資配給の奉仕を行ったそうで、この時期には“Swami's Students”と呼ばれるスワミの生徒たち・・・ハイヤーセカンダリースクールの学生、アナンタプール校の女子大学生、そしてサティヤサイ大学の男子生徒と教授陣が一丸となって年に一度の大規模な奉仕活動に従事するそうです。





物資の内容は、毎年ほぼ決まっていて、衣類や食べ物、筆記用具などが配られます:f:id:SaiLaksmi:20101014101208j:image:left

1. サリー (南インドの女性の正装)

2. ドーティー (南インドの男性の正装)

3. プリホラ米  (タマリンドライス ・ Pulihara rice) 一家族につき 4〜5個のパック

4. ラドゥー (インドのお菓子 ・ Laddu)  一家族につき 5〜6個

5. 子どもには筆記用具 (ペン、鉛筆、ノート)


何日間も続く大規模な奉仕ということで、梱包、仕分け、配布の作業は昼夜に分かれて行われるとのこと・・・。


例えば、夜には、アナンタプールの女学生が、プリホラ米というタマリンドライスを新聞紙に梱包しているあいだ、別の建物では、低学年のハイヤーセカンダリースクールの生徒がラドゥーというインドのお菓子を梱包しています。

そして朝になると、サティヤサイ大学の男子生徒が5時に起床、準備を整えて7時過ぎには、サイクルワントホールのダルシャン会場に集合。ホール内の中央にあるマンディールの建物を祭壇と見立ててプラダクシナ(神殿の周りを巡回する行)を行った後、トラックに乗って、村へと移動します。

f:id:SaiLaksmi:20101106220817j:image

左の写真 中央の写真 右の写真
物資に囲まれて待機中 物資の梱包中 出発前にラーマ神にお祈り
十数台のトラックで一斉移動 到着後、ガーランドにて歓迎 一先ず待機中
先ず初めにバジャン唱歌 - 子どもたちもついてくる 村の塔門前 ナガラ・サンキールタン

そして、どの村落に着いても、先ず初めに行うことは、神々を讃える讃歌(バジャン唱歌)で村一帯を清めること。

トラックで到着した後、村の端から端まで、30−40人ぐらいのグループに分かれ、村の各方角から中心部に向かってナガラ・サンキールタン形式(隊列を組んでバジャンを歌いながら歩くこと)で楽器を演奏し、バジャンを歌い歩きます。

村の子どもたちは、サンタクロースを待つように、毎年恒例のグラマセヴァを楽しみに待っているそうで、生徒たちが到着すると、ナガラ・サンキールタン隊の後に(時には、前に!)くっついてきて、生徒たちと一緒に神々を讃える歌を合唱します。


昼食には、サイ・ババの指示で基本的に村の人々に配るものと同じもの、プリホラ・ライスとラドゥーを食します。ただ、飲み物は、脱水症状にならないように、栄養たっぷりのバターミルクが配られます。



f:id:SaiLaksmi:20101106220838j:image:left

村の人々に物資を手渡す際、学生たちは「僕たちが持ってきました」とは言わず、 「スワミからのプラサードです」と伝えるそう・・・。




学生たちはサイババの言葉に沿うように人々と愛を分かち合い、村の衛生状態が悪ければ、物資配給だけでなく、村をきれいに掃除をしてから村落を後にします。


そして全ての作業が終了すると、再びプッタパルティに戻り、ダルシャンホールで待機しながら最後のトラックが戻るまで、仲間の帰りを皆で待ちます。



左の写真 右の写真
各家庭への配布 昼食を子供たちに手渡し
トランシーバーで連携 しばし、待機
村に祀られた祭壇 子どもたちと記念撮影

サイババは、学生達、特に若者達に向かって頻繁に、「セヴァ・バーヴァ(奉仕精神、奉仕する姿勢)」を養いなさいと、伝えるそうです。

欧米では、学校が学業の一環として「コミュニティーサービス」という名称で、学生達を地域貢献に従事させるプログラムを組んでいます。そういった地盤があるせいか、日本と比べ、海外の奉仕活動は地域社会への貢献、「必要を察してサッと手を伸ばす行為」が自然と成り立っているように思えます。

知らぬうちに育まれるボランティア精神・・・。

インドと先進国では文化背景や必要とされている奉仕の内容は違うものの、奉仕精神が体内に浸み込み、血肉となった人々と、それとは対照的に、「奉仕」を「サーダナ(霊性修行)」の一環として心の祭壇に奉り上げ、頭の中で色々と霊的教義との比較対象をして識別を介さずには身体を動かせない人々を見ていると、若いうちに、「セヴァ・バーヴァ(奉仕精神、奉仕する姿勢)」を培うことが如何に大切かを実感します・・・。 


『私の愛するバクタ(神を愛する人。帰依者)たちよ、私の仕事に従事しなさい。あなたの息吹は天国に咲く花々の香りを運びます。あなたの示す手本は、天使たちが示す手本となるでしょう。あなたの歓びが私の歓びとなるのです。』



うーん、わたしも彼らを見習って、少しでも前者に近付けますように... (拝)。



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2010-10-16 結婚記念日

結婚記念日

| 13:23 | 結婚記念日を含むブックマーク 結婚記念日のブックマークコメント

今日は、一周年目のウェディングアニバーサリー。

去年の今頃、サイ・ババにお伺いを立て、ディーワリーの日に急遽、結婚式の式日が決まったことを想うとなんだか感慨深い・・・というよりも、むしろまだ「自分の人生に何が起こっているか」を頭の中で整理し切れていない自分が存在するというのが正直なところ。

それに、挙式日と入籍日も半年ぐらい開いてるし... (笑)。

「ひとたび神に身を委ねれば、時間の概念や社会通念など吹っ飛ばして様々なことが起こる」という話を聞いてはいたものの、実際にその道を歩んでいくとなると、心(マインド)が望むものと魂(ハート)が命じる事柄とのギャップに躓いて驚き(笑)、内面的な調整に、けっこうな時間を要する様な気がします。皆さんもご存じのとおり、この二つは決して、絶えず一致するとは限りませんから。

そう、言うは易し、行うは難し...で、なんだか 『運転手:スワミ。乗客:サイラクシュミー。行き先:寸前まで未定の未知なる世界』に突入した... みたいな。 そして、ある程度スワミの教えを学んだ身としては、不都合が生じたらなんでもスワミの責任にしたり、私には特別な使命がある・・・という、生き方を曲げずに都合良く自己肯定をするための思い込みに走ったりするわけにもいきませんし...(笑)。


整理しきれていないことを色々と書くのもなんですし、今日は、はじめてこの御言葉を目にした時、感動に胸を打ち震わせたスワミからのメッセージを皆さんとシェアしたいと思います。

そしてこれは、お読みになる全ての方々へのメッセージでもあるかと思います... (おそらく)。


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題名: 『あなたの使命は始まりました − Your mission has begun 』


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あなたの使命は始まりました。

これは、私の帰依者である皆さんに与える、私の言葉です。

皆さん方一人ひとりが、この人生において果たすべき、ユニークで価値ある役割を持っています。

私が呼んだ人々のみが、私に仕えることができるのです。




私の使命は今、皆さん方一人ひとりがなすべき仕事を持つ段階に入りました。この惑星は、それが置かれている大いなる銀河系の中で、一つの目的を持っています。その目的が今、皆さんの見ている前で展開され、開示されていきます。私は皆さん方一人ひとりに、内なるバクティ(神への愛)を放射するようにと呼びかけます。それによって、バクティの目に見えない力が、あなたに近づくすべての人を包み込むようにするのです。あなたの役割をうまく果たすことができるように、常に意識の中心を私に向けていなさい。あなたの内にあるハートの純粋さが、すべての人間と、すべての生き物に伝わるようにしなさい。そして、あなたの仕事の成果を求めずにいなさい。


私の使命のこの部分は、まったくの静寂の内に行われます。皆さんは私の道具であり、私の愛が皆さんからあふれ出るのです。あなたが自分にエゴを許した瞬間に私の仕事が止まることを、いつも意識していなさい。あなたが否定的な不注意の状態を克服したとき、再びあなたは私の愛の源泉となるのです。


私の愛が増殖されるのが世界中で感じられるようになります。私はこの仕事のために、数々の生まれ変わりを通じて、皆さん方を準備してきました。私は皆さんを引き付け、それらの生まれ変わりの間に、私の使命を大きく前進させてきました。私の仕事は止むことがなく、ですから皆さんの仕事もまた、終わることがありません。


私があなたの内にも外にもいることを知りなさい。何の違いもありません。金輪際、些細な事柄を心の中から取り除いてしまいなさい。あなたは今私であり、私は今あなたなのです。何の違いもありません。私のダルシャン(霊的祝福)が、私からあなたへ、そしてあなたを通じて注がれることでしょう。あなたは絶えずこのようなことが行われていることに気付いていないかもしれません。常にハートと魂を清らかにしていなさい。そうすれば、あなたが生きている間、人類はあなたのユニークな特質によって恩恵を得ることでしょう。


他の人々もまた、私が彼らを私のもとに引き付ければ、私と一つになって、この使命に加わることでしょう。全人類が調和の内に生きる時が近づいています。その時は、人々が予測するよりも早く到来します。そのときが来るまでに、すべての生き物に、存在の真の目的を明らかにするのに必要とされることのために、準備を整えておきなさい。


それは生きている人が想像できることではありません。それは誰かがそれを目指して努力できるようなものではありません。それはあらゆる理解を超えています。その美しさは、あらゆる夢を超越した素晴らしさであると言うことができます。そして、皆さん方一人ひとりが静寂の内に仕事を行うにしたがって、私はあなたを私のハートに抱きしめることでしょう。それによって皆さんの魂は高められ、あなたの瞳は、内在の私を明らかに示す光を帯びるようになります。


 私は、すべての宇宙が一つになっている神の山頂から、私のすべての帰依者たちに、次のように言います。


私の愛するバクタ(神を愛する人。帰依者)たちよ、私の仕事に従事しなさい。あなたの息吹は天国に咲く花々の香りを運びます。あなたの示す手本は、天使たちが示す手本となるでしょう。あなたの歓びが私の歓びとなるのです。


バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ


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English Version: Your mission has begun

From: My Beloved. The Love and Teaching of Bhagavan Sri Sathya Sai Baba, Penn, C., Prasanthi Nilayam, Sri Sathya Sai Baba Books and Publications Trust, [1981], Page 96-97


訳者:あいにく和訳をされた方の名前が不明でして、掲載不可となります。翻訳者の方には、この場を借りて感謝致します。





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2010-10-07 映画鑑賞

映画鑑賞

| 17:49 | 映画鑑賞を含むブックマーク 映画鑑賞のブックマークコメント


チェンナイの街角にはタミル語ヒンディー語に輸入モノの英語といった様々な言語の映画を上映する映画館が点在し、新聞の映画欄は週末になると、最新作映画の告知や女優のインタビュー記事で一杯に・・・。各地域の映画産業に対する愛称も、ボンベイ(旧ムンバイ)で制作されている北インド映画、“ボリウッド・フィルム”、インド映画の色々な要素を混ぜた“マサラ・ムービー”と呼ばれている他、テルグ映画には、“ Tollywood ”タミル映画は、“ Kollywood ”といった通称が付いていて、それぞれ、確固たるアイデンティティを誇っている。


ある日、車で映画館の前を通りかかった時、彼に「映画館に行ったりするの?」と聞いたら、「良家(グッドファミリー)出身の人は、映画館には足を運ばないんだよ…」というそっけない答えが返ってきて、「へーっ」と思ったことがある。良家といっても何も彼は名門出身とかではなく、農村地帯が広がるパンジャーブ州の地主の息子。義父も義母もとっても素朴な田舎のいい人達である。従って、おそらく彼の言う“グッドファミリー”というのは、道徳的な教えを説く家庭という意味を指す。


日本や欧米では、休日の過ごし方やデートスポットの上位に挙がる「映画鑑賞」。

映画産業が盛んなインドで、「映画館に足を運ぶ」ことに対するマイナスイメージはどこから?という疑問が浮かぶけど、これは単に、衛生観念から来ているのでは?とかってに推測する私。


暗いから世間の目を盗んでデートできる・・・という若者に受ける理由は横に置いておくとして(笑)、暗〜くて太陽の当たらない映画館を、インド人の運営者がこまめに清掃管理したり、新鮮な空気を循環させる配慮をしているとは思えない。座席も、プラスティックとか金属性のサッと掃除ができるものではなく、抗菌不可能な布地のソファーなんかにすると、バイ菌の宝庫・・・。「そんな座イスに座って長時間、映画鑑賞するのは、ご免被りたい」、というのが本音なのでは?と思う。

チェンナイ国際空港(只今リニューアル工事中)にある展望台のソファーシートも、汗やジュースのシミが付着し、所々穴があいていて目も当てられないほど不潔で、願わくば腰を下ろしたくない・・・と生理的に拒否してしまうような代物・・・。照明が当たらない映画館の中は一体どうなっているのやら…!? と、想像すると卒倒寸前に・・・。うーん、でも、こんな細かいことに思いを馳せる自分を思うと、つくづく私は、インド生活に向いていないんだなぁと、深〜い溜息をつかざるを得ません(笑)。


もとい。

では、映画館に足を運ばない人は、映画鑑賞とは無縁?と思いきや、都市部に住んでいれば、インドでも自宅にいながら気軽に映画鑑賞を楽しめる『DVD宅配レンタルサービス』を提供する会社が存在する。ま、三回に一度は約束の日に集荷に来ないとか、配達されていないなんてことはあるけれど、そこはご愛嬌。色々と不便なインドでこんなサービスがあるなんて・・・とちょっと驚いてしまう、インドにしては(?)革新的なサービスだと思う。


映画のラインアップは、アカデミー賞を受賞したハリウッド映画からメイド・イン・インディアの映画

サブタイトルの言語を選べるので、どの言葉を話していても、文字さえ読めれば誰でも映画を愉しめる。ジャンルも、アクション、コメディー、スピリチャル、愛国心にまつわるものまで、非常に豊富で、テレビ無しの生活を送っている私達夫婦には、とっても手軽な娯楽となっている。

ところで、同じくテレビ無しの生活を送っているサティヤサイ大学の寮生たちは、毎週土曜日の夜を「ムービー・ナイト」と称して、一般的な映画を観賞する夜を設けている。そして上映する映画は・・・というと、さすがアヴァターが学長を務める学校…。

学業に支障をきたす内容、不道徳な内容・・・主に暴力的なものや性的なシーンは、上級生が先にスクリーニングを行い、そういったシーンをカットしてから生徒達に上映する、というのがお決まりになっている。

この作業を、教授陣が行うのではなく、生徒が自主的に行っているという所が、民主的でいいなぁと思うものの、イザ、世俗的な映画に慣れ親しんできた私が、無菌状態で美しいものだけを見て過ごした彼と一緒に映画鑑賞をする場合、多少のギャップを覚えることは否めない事実…。


以前書いたブログで、「サイババの学生の妻として」世俗的な人生を謳歌してきた一個人が、いきなり、厳格な寮生活の中で霊的な日々を過ごしてきたスワミの学生のようにふるまうことはできるのかしら?という疑問を挙げたけれど、こういった小さな日常的も、「うーん・・・」、と少し頭を悩ます要素。

というのも、インド人夫である彼はとってもよい人で、「なんでも妻と相談して一緒に決める」という姿勢が根付いている。(これがインド人夫の気質かは他の家庭を知らないので一概には言えませんが、ある程度教育を受けた男性というのは、巷にあふれている“暴君”とか、“男尊女卑”とか“亭主関白”といったイメージとは反し、妻をとっても大切にするらしい)。そして、特にこういった「何を見たい」とか、「何を食べたい」とか些細な(笑)チョイスは、自分の主張を言わずに私の希望を優先させようとするから、「もぉー、かってに決めてよ」、とは言えず、彼の優しさに答え、真摯に対応することが望まれる為、何を選んでよいか決め兼ねることが多い(苦笑)。


そしてその理由は・・・、私が好きなジャンルがラブコメディーや、ドラマ等のハリウッド映画だから。

爆破シーンとか、過激なものは見ないものの、幼少時から慣れ親しんだハリウッド映画には、ストーリー設定の中に、離婚、浮気、家族の不仲、道徳的にNGなブラックジョーク・・・などが、ごく自然な社会設定として描写されている。


例えば、この前観たのは、ロビン・ウィリアムス主演の、『ミセス・ダウト』。

「父性愛を描いた、心が温まるとっても素敵な映画なのよねー」と言って映画を見始めた私達夫婦。

「そう、じゃ、よい内容だったら、後輩たちにこの映画をプレゼントしよう」という彼。


しかし結果は、選択ミス。


夫婦喧嘩を繰り返した揚句、離婚した男女。その後に描かれる子どもに対する夫の父性愛を描いた(欧米ではありがちな)設定は、どうも頂けなかったようである。

途中で彼がボソッと呟いた一言・・・「家族がこんな境遇になるなんて、欧米社会はなんて腐敗しているんだ・・・。」口調から、不遇な家族を想って傷ついている様子も伺える。

「うーん、この映画はムービー・ナイトには寄贈できないよねぇ」と、自らダメだしする私。

そしてこういった会話を何度も繰り返すと、私が了とする殆どの映画に、今まで物ともしなかった、「西洋文化にはびこる道徳的NG」が散りばめられていることに気付くに至る・・・。


では、インド映画は素晴らしいかというと、今度は「インドのカースト差別の在り方」について、私が傷つく番。

日本に住んでいれば、多くの人が、かつて福沢諭吉が世に残した名言、「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」を信じ、それに沿うように行動する(と思う)。「保守的」と言われる北米に住んでいても、明らかな差別は「野蛮」という意識が、社会全体に浸透しているように思える。

一方で、「差別は、社会を潤滑に運営する区別である」という意識が強いインドでは、日本人が抱くそういった常識は、ほとんど通じない。

ある日、「これ、大ヒットした面白いコメディーだよ」と言われて見た映画は、大富豪に雇われた使用人二人(両方とも有名なコメディー俳優)の一人が、もう一人を面白おかしく騙して散々仕事をさせて、本人は美味しい食事や悠々自適のフリータイムを満喫する、といった内容。

吉本新喜劇のボケと突っ込みに慣れている関西人の私も、「人をこき使ってそのサマを笑うなんて、可哀そう・・・」と、不平等な主人公の境遇に心が痛み、笑うどころではなかった・・・。

うーん、ひょっとして、インド人とは、笑いのツボが違うのかもしれない。場面転換でいきなり人が踊りだす設定も、未だに何故そうなるのか、よくわからないし・・・(笑)。


さて、そんな中で、あ、これ巧い設定だなぁと思ったのが My Name is Khan(私の名はカーン)』。

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内容は、アメリカの同時多発テロの後、イスラム教徒である、『カーン』という姓を持った男性とその家族が背負う運命を描いた社会派ドラマ。主演は、キングオブバリウッドと呼ばれている「シャー・ルク・カーン」で、実際、本人も、『カーン』という名前から米国の入国検査官にテロリストと間違われ、拘束され、丸裸にされて取り調べを受けた…という差別を体験した人物。難しい内容を曲げずに、ヒーロー物語に仕上げたこの映画は、久々のヒットでした・・・。


また、結婚当初、彼が行く先々で「良い映画だから観るといいよ」と、勧められた映画がありまして・・・、その名はズバリ、The Japanese Wife・日本人の妻』。

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ベンガル出身の女流映画監督・兼女優、Aparna Senが手掛けた映画で、果てしなくプラトニックな夫婦が繰り広げる夫婦愛の物語(2010年4月公開)。

文通(ペンパル)を通して知り合った後に国際結婚し、結局、一度も会うことなく夫を失った日本人妻が、病気で夫が他界したことを機に長い髪の毛を剃髪、初めてインドの地を踏んで夫の生まれ育った故郷を訪れる・・・という設定。

この映画に対する個人的な感想ですが・・・。

日本人女性が持つ一途さとその美徳が描写されていて、このようなイメージがインド人に浸透するというのは日本人妻として、非常に有り難いのですが・・・うーん、それにしても、この内容。もう少しハッピーエンドでも良かったのでは?と思ってしまった私です。

どこかで上映されているかもしれませんので、気になる方はぜひチェック下さい。




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