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2010-07-16 モーニング・ダルシャン ☆ 後半☆

モーニング・ダルシャン ☆ 後半☆

| 22:51 | モーニング・ダルシャン ☆ 後半☆ - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS を含むブックマーク モーニング・ダルシャン ☆ 後半☆ - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS のブックマークコメント



スワミに対してこういう話題を取り上げるのも失礼な気がするけど、サイ・ババは、客寄せパンダのように参拝者に対して「物質化」を披露し、大衆の気を惹いて、信者を増やそうとお思いだろうか?

もし奇跡現象によって信者集めを望まれるのであれば、サイババは、人々に倫理道徳を説いて天啓聖典であるヴェーダの復興を促したり、子どもたちが理想的な市民となるように、小学校から高等教育までの一貫教育を無料で提供したり、診察費無料の病院を建てたりされただろうか?

もし、不思議な力を「売り」にされているのであれば、そういった慈善事業よりもむしろ、奇跡現象に惹かれて集まってきた人々から謁見料金を徴収し、受講料を集めて「マジシャン養成学校」や、「ヒーラー養成塾」、もしくは「解脱ヨーガ道場」みたいな機関を世界中に設立された方が、富や名声を得る上で、よほど手っ取り早いような気がする。

しかしサイババは、そういったこととは、無縁…。

私の人生が、私のメッセージです」と宣言するサイ・ババ。

教育指導者、社会奉仕者、人道的活動家、霊的指導者、アヴァターラといった数々の異名で呼ばれるサイ・ババにとって「物質化」は、自らの神性を証明するためではなく、愛の証、信じて頼る人々への祝福、励まし、そして慰めの一つとして人々にお与えになるのだと思う。

そもそも、霊性に対する審美眼というのは、生まれながらにして備わっているか、日々の精神修養によって培われるものであり、そういった「審美眼」がある人々は、こういった現象に対して「議論」や「証明」を必要としない。わざわざ証明されなくとも、「わかる」ものだから。

そしてこれは、頭脳や感情による理解を超えたハートの奥で、ひっそりと感じ取られるものだと思う。よって、聖人が起こす「奇跡現象」が科学的に証明されなくては信じられない、というもっぱら「霊的不感症」な人々は、その観点に立ち続ける限り、はじめからお呼びでないのかもしれない・・・。あ、だからサイ・ババは、繰り返し、「静寂」の大切さを説かれるのかも・・・。


閑話休題。


この時期に起こった、「ご褒美」には決して見えない、一連の物質化・・・。

初めて参拝する方々は、『何度も質疑を繰り返した末、最後にやっと物質化が出てくる』やり取りを見て、「あの信者、祈った甲斐があってやっと物質化してもらえたねぇ」と思われるかもしれない。

しかし第三ブロックに座る人々が、「何かを物質化してください」、と必死で祈るとは思えない・・・そうすると、毎朝繰り返されるあの物質化の理由は何?

その謎が解けたのは、今年卒業して、本来であれば「卒業生席」に座っているはずの彼の後輩が、「在学生席」の第三ブロックに座って、切羽詰った眼差しで祈りながらサイババに手紙を出していたのを目撃した朝。

ダルシャン後、彼に電話すると、「あぁ、あの子は選考試験に落ちちゃったんだけどサイ大学の別枠の編入試験を受けて、今、判定待ちなんだよ」。

「そうだったんだ。ひょっとして、他の人たちも?最近、スワミは毎日のようにネックレスとかビブーティを物質化されてるけど・・・。」

「そうだねぇ、他の子達も同じ状況か、中には4年制の大学卒業して、修士や博士課程への進学を希望している子達もいると思う。彼らも同じく、判定待ち・・・。みんな人生がかかってるから、必死なんだよね。」

なるほど…。

毎朝毎朝、傍から見れば、手が痺れてくるんじゃないかと思うほど、微動だもせずに手紙を挟みながら合掌し、壇上に座るサイババを見つめて一心に祈り続けている生徒たち。サイババが物質化をされる前に、何度も質問をしたり、時には多少呆れながら(?)男の先生のように、生徒の頬や肩をポンポンッと叩いて頑張りなさい、というシーンの理由は、「進路指導」だったんだ…。

サイババは、サティヤサイ大学の、学長

学業的に、インドの中でもエリート校の部類に入るサティヤサイ大学の入学試験は学力重視で、他校からの編入希望者が何百人と応募する狭き門。副学長が入れ替わった今年は、昨今と判定基準が変わって、多少のサプライズもあったのかもしれない。(彼も実際、同じ理由で絶対に合格間違いなし、と太鼓判を押されていた試験に不合格となり、一年間の社会人経験を経て修士課程に再入学した。)

卒業後、プッタパルティに継続滞在してサイババの側で生活する学生、外の世界に出て行って世の中で活躍する道が用意されている学生・・・人生の岐路に立つ生徒たちを励ますために、学長であるサイ・ババは、それぞれに見合った道を一人ひとりに指導されたという。時には、空中から取り出すネックレスやビブーティといった愛ある餞別を添えながら…。

そして過去・現在・未来を掌握なさるサイババが下す判定は、サイババの神性を重々承知している生徒たちにとっては、「絶対命令」に近いらしい。

かくいう彼も、サイババの示唆によって、大きく運命が変わった生徒の一人。過去を振り返ってみると、「サイババの御教えに従わなければ、私と出会うことは絶対になかった」と断言する彼・・・。聖人の示唆が、どのように交差して人々の運命を変えていくのか・・・そのテーマについてはまた別の機会に触れてみたいと思います。


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2010-07-15 モーニング・ダルシャン ☆ 前半☆

モーニング・ダルシャン ☆ 前半☆

| 23:34 | モーニング・ダルシャン ☆ 前半☆ - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS を含むブックマーク モーニング・ダルシャン ☆ 前半☆ - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS のブックマークコメント



サンスクリット語で、「見ること、見解、哲学」を指す、ダルシャン(Darshana)。

インドでは、神や聖者、そしてグル(霊性の師)を謁見する言葉として広く使われています。


世界中に遍満していて、(通常)プッタパルティにしか存在しないもの、それは「サイ・ババの身体」。

各界の見識者達から「人間の身をまとって降臨した神」と称えられるサイババの身体からは、常に強烈な神聖なエネルギーが流れていて、様々な奇跡が起こっている・・・。


これは、ダルシャンに関してのサイ・ババの言葉。

「私が貴方達の間を歩くときに生じる変化を過小評価してはなりません。私が目にするものは全て、変容・変質を遂げます。(中略)私が視線を注ぐ全対象が、確実に活性化され、改良されるのです。

私があなた方の間を歩き回ることは、最高位の天界に住む神々が、その恩恵に浴することを切望したほどの幸運なのです。あなた方はその恩恵を、毎日ここで受けているのです。その幸運に感謝しなさい。このようにしてあなた方が受けている様々な祝福は、それぞれ完全なタイミングで現れます。

しかし、それと同時に、多くを与えられた人々からは多くのものが要求される、ということも忘れてはなりません。」 Let Me Show Love, Pg 101


六月後半から復活した朝ダルシャンは最近も続いていて、その中でも特に、七月上旬までの二週間は、ほぼ毎朝8時台からサイババが入場され、存分にダルシャンを満喫することができた。

通常、朝ダルシャンは7時30分に入場する列の順番を決めるくじ引き(トークン)が始まることになっていて、トークンが開始する一分でも後に行くと、「レートライン(遅延組)」という、最後列が入場し終わった後にやっと入れる列に待機することになる。

あまり歓迎されないレートライン…。この列に入ると、サイババの身体が「親指の爪の先」程度にポツンと見えるぐらいの後部席に座ることになり、もはやわざわざ会場の中に入らずとも男性側から柵越しにサイババを眺めるのとあまり、変わらなくなる…。


サイババの身体の近くに行きたいか、全体の雰囲気を味わいたいか −これは人によって「趣向」が違うのでなんとも言えないけれど、サイババは帰依者たちに、アシュラムで過ごす心得の一つとして、こう語っている。


「ダルシャンで並んだ列が何番目のラインになるかに注意しなさい。

あなたの健康と身体の状態、あなたがどのように感じ、洗濯をし、食事をするかに気をつけなさい。

また、あなたがどのように周囲を見るか、誰に、どのように出会うかに気をつけなさい。

特に、様々な状況に対する自分の反応を観察しなさい。

ちょうど学校と同じで、教訓を与えてくれる人もいれば、試験をして、皆さんの進歩状況を教えてくれる人もいます。

すべての体験とそれらに対する自分の反応を、静かな平常心で受け入れることが出来るかどうか見てご覧なさい。」


「ダルシャンに並んだ列が何番目になるか」というのは、おそらく、多くの参拝者にとって、信愛のバロメーターになるような気がする。

もう何年もプッタパルティに住み続けているある帰依者は、ものすごく高い確率で一番のトークンを引き続けているけど、これは本当に凄いなぁと感心する。

世界中に存在して、パルティにしかないもの・・・、それは、「サイババの身体」。

長年にわたって怠惰に陥いずに「サイババ・ダルシャン」に一極集中するその姿勢は、どれほど多くの言葉を列挙するよりもサーダナ(霊性修行)の本質を語っていると思う。 

私もつい先日、彼から「パルティにいる間は、何があってもスワミのダルシャンを優先順位のトップに置くこと!」と言われたところだし、「ダルシャンは夕方だけ」なんて決めつけてる場合じゃなかったわ・・・(冷汗)。

それはさておき、朝ダルシャンの良い点は「とにかく参拝者が少ないこと」。この一言に尽きるような気がする。

年を追うごとに増え続けていく関係者席・・・。私の「お気に入りスポット」は、朝の間だけ一般参拝者に解放される参拝エリアで、ここも午後にはサイスクールの教諭や病院のセヴァスタッフやその家族で満杯になってしまう...。ダルシャン会場広し、と言えども玉座近くのエリアで一般帰依者が座れる場所は限られていて、午後ダルシャンには、まさに「鶴のように」首を伸ばしてスワミの肉体を一目見る、という状況も珍しくはない。

それに比べて朝ダルシャンは、午後には入れない場所に座れて、授業終了後に続々と登場するサティヤサイ大学の学生達もいないので、目の前に広がる視界 − 障害物ナシの清々しい空間の向こうにサイババの御姿をじっくりと、目にすることができる。朝ダルシャンは一般参拝者にとっては正に、至宝の時間。


さて、「サイババの愛と不確実性に溢れた朝ダルシャン」とは、奇跡現象の一つである物質化が繰り広げられた毎日。

でも、何故いきなり物質化がこんなに頻繁に・・・?

私は、ちょうどアメリカグループが滞在し始めた時期と重なっていたので、そういった(奇跡とか物質的なものを重んじる)人種へのパフォーマンスだろうか?と思ったものの、すぐにその考えを取り消した。もし、サイババが誰かに対して恩寵を与えたいとお思いになるのであれば、間接的にではなく、その人に対して直接何か啓示をお与えになるはず・・・。

実際、物質化の「受け取り主」は、第三ブロックと呼ばれているダルシャンエリア − 会場の中央に広がる、白い大理石が敷かれた場所に座る男性参拝者のみで、普段ここは、ヴェーダ吟唱隊やバジャン歌唱隊といった、サイスクールやサティヤサイ大学の関係者だけが座れる特等席。そして文化祭が開催されるダルシャンの間だけ、「舞台エリア」として一般参拝者にも開放される。

(注:文化祭終了後のこの写真の中では、いろんなことが起こっています。)

f:id:SaiLaksmi:20090413065229j:image

1.劇終了後、出演者が第三ブロックの中央に座り、右側に座っているヴェーダ隊&バジャン隊によりアルティの曲が奏でられ、

2.メインの司祭氏(オレンジ色の袈裟)と、劇を担当した地域の代表らが、アルティ(献火)を捧げているあいだ

3.一人の学生がサイババに呼ばれて手紙を読んでもらっていて、

4.その奥では、帰依者たちにプラサードが配られている。


通常、私たちがよく目にする「物質化(Materialization)」は、文化祭の出演者やバジャンのリードシンガーに「ご褒美(?)」として授けられる装飾品・・・。いつもなら行事終了後、参加者の一人を壇上に呼び、サイババが手をグルグルグルッと三回廻すと、空中からチェーンや指輪が出現する。

しかし、この二週間に起こった「物質化」は、いつもと多少、様子が違っていた。

なんというか・・・「ご褒美」というよりも、「励まし」のような物質化。

ヴェーダバジャンが会場に響き渡る中、サイババは第三ブロックの最前列に座る生徒たちの中から一人を選び、壇上の上に呼び寄せる。そして先ず、生徒たちが差し出す手紙をお読みなり、しばらくの間、宙を向いて何かを考えた後、金の柵にもたれ掛かって必死で祈っている生徒に対して何かを質問をする。そしてまた何かを考えてから、生徒と会話する・・・。それを何度か繰り返した後、最後にやっと物質化が起こる、という日々が続いた。

時には、一回のダルシャンで二人の生徒たちに同じような問答が繰り返され、こうも毎日、空中からネックレスやらビブーティが出てくるシーンを目にしていると、以前マスコミを騒がせた「サイババの物質化はインチキか、本物か」といった議論は、暇人たちが繰り広げる「空虚な戯言」のように思えてくるから不思議…。

それにしても、果たしてサイババは、客寄せパンダのように参拝者に対して「物質化」を披露し、それによって気を惹いて、信者を増やそうとお思いだろうか? 何をいまさらそんな質問・・・と思ったものの、時間もたっぷりあることだし、あえて私は自問自答することにしてみた...。


モーニング・ダルシャン 〜 後半に続く・・・


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2010-07-13 サイババの不確実性

サイ・ババの不確実性

| 16:06 | サイ・ババの不確実性 - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS を含むブックマーク サイ・ババの不確実性 - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS のブックマークコメント



パルティに着いた直後から、約何ヶ月ぶりかに朝・夕、二回ののダルシャンが再開した。

これは、ここ一年を振り返っても、とっても珍しいことである。


朝ダルシャンにはきっとスワミは来られないだろう・・・と思いながらゆっくりと準備をしていたら、ダルシャン終了を意味するアールティの鐘がいつもとは違う時間に鳴り響いていた。

「あ、スワミ、来られたんだ・・・。珍しい。」

プッタパルティの生活は、チェンナイの日々より圧倒的に移動距離や待ち時間が多く、かなりの体力を消耗する...。翌日もゆっくりと朝の時間を過ごしていたら、またもやアールティの鐘が早めに終わった。

「え、また・・・!スワミが朝ダルシャンに来られたんだ・・・。二日も続けて来られるなんて、珍しい。」


そして三日目・・・。

「や、やばい・・・。スワミ、毎日来られてる。スワミのダルシャンが恋しい!って彼にお願いしてプッタパルティに残っているのに、これじゃ、一足先にチェンナイへ戻った彼に顔向けできない・・・。」

そして案の定、昼前には彼から、「ダルシャン、どうだった?」という問い合わせの電話。

彼はサティヤ・サイ大学の卒業生専用メールを受信しているため、時には現地にいる私よりも早く、ダルシャンの様子やスワミに関する内部情報を入手している。


恐るおそる、「ダルシャン、出なかった・・・」と答える私に対して彼は、

「もぉー、せっかくスワミのダルシャンを授かりたいっていう希望を汲んで、一人寂しくこっちで過ごしてるのに、ダルシャンに出なかったら、本末転倒だよ…。パルティにいる間は、何があってもスワミのダルシャンを優先順位のトップに置くこと。スワミが来られても来られなくっても、これはサーダナ(霊性修行)だと思ってダルシャン会場にいなきゃダメだよ。」

何の言い訳もできない正論・・・。 

「はーい。」 子どものようにしょんぼりしてそう答え、翌日からダルシャンのトークン(くじ引き)に間に合うよう、久しぶりに超(?)早起きを、再開した。


それにしても、サイババが繰り広げる不確実性は、誰にも予測不可能。

ほんの数日前にアシュラムから「最近、スワミがダルシャンに起こしになるのは夕方に限定されているため、図書館とショッピングセンターの開館時間を変更します」と、公式メッセージが発表されたばかり。

すっかりダルシャンは午後だけ、と思っていたのに意表をつくこの展開・・・。


これについて彼が、2008年に起こったあるエピソードを語ってくれた。

この年、83回目の降誕祭に1000回目の満月を迎えたサイババ。アヴァターラが肉体をもって1000回目の満月を迎えるというのは非常に珍しいらしく、インドを代表する著名な聖者や二百名近い司祭氏達が集まって、「Sahasra Poorna Chandra Darshana Santhi Mahotsavam」と題した壮大な祝祭、そしてヤグニャ(儀式)が開催された。

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この儀式の数ヶ月前から、ダルシャン会場では暴風神(シヴァ神の別名)を称えるヴェーダ、「ルッドラム」の練習セッションが開催されていた。そしてその間、サイババはサティヤサイ大学の学生達がヴェーダの練習に集中するように、と、男性の生徒側を避け、女性側のみを通って会場に入場することが通例となっていた。

そんなある日、彼がクラスメートと一緒に、「スワミは今日も男性側に来られないに決まってるさ」と冗談を言い合っていたところ...その日に限って、サイババは男性側に来られ、冗談を言っていた生徒たちの前を笑顔で通り過ぎていった...。まるで聖なる母が、戒めではなく愛という形をもって「私の行動を予測して断定するのは止しなさい」と、たしなめている感じ・・・。


そして、儀式最終日の映像に出てくる「黄金の御車」にも、知る人ぞ知る秘話が・・・。

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儀式の前日、黄金の御車を完成させたセヴァダル(ボランティアスタッフ)たちが、アシュラムから約一キロ離れたヒルビュー・スタジアムに移動させようとしたときの出来事…。数十人のセヴァダルたちが一丸となって手押しで運ぼうと出発した矢先...門に対して御車が大きすぎて、どれだけ違う角度を試しても、アシュラムの外に出すことができない!

「あーぁ…」。

ここまで聞くと、インドっぽい話・・・と溜息をつきそうである。日本人ならきっと事前に、通過する門のサイズを測ってそれよりも小さめに作ったか、組み立て式に御車をデザインしたに違いない。

三日間の盛大なイベントのフィナーレを飾る「御車による入場」。これが不可能になれば、大失態、間違いなし。何度も試した挙句、セヴァダルの代表が勇気を持ってサイババの許に行き、事情を説明した。

果たしてサイババは、どのような対応をされたか・・・。

Don’t worry, try again. (心配しなくてよろしい。もう一度、試してごらんなさい。)」

そう言って、セヴァダルを優しく見送った。

現場に戻ったセヴァダルは、サイババの言葉を仲間に伝え、もう一度、試してみることにした。

そうすると何が起こったか・・・。

さっきまでの奮闘は嘘のように、今度はすんなりと門を通過した。あんなに苦戦したのに、今回はどこの角にも閊えることなく通り過ぎた。一体何が起こったのか・・・!?現代科学では解明できない摩訶不思議な出来事・・・。なんと門が少しだけ、縦に長く、横に広くなっていた…のである。

サイババの不確実性は、何も予測不可能なスケジュールに関してだけではなく、我々の観点では解明不可能な「奇跡現象」にも及ぶ…。

この話を聞いて、ある人は、「でっち上げ」だとか、「きっと集団催眠にかかっていたに違いない」、と思うかもしれない。何故ならヒトは、あらゆる事象を自分の管理下に置きたいという根本的な欲求 − 物知り顔でコトを語りたいという評論家的な側面をもっているわけだし、「わからない状態」を知的エゴが許さないから…。それに、「解らない事象・不可解なもの」は、なんとも生理的に、気持ちが悪い…。

だけどここで、「知的エゴ」や、未知なるモノへの「恐怖心」、「(自分より)優れていたり目立っている存在に対するやっかみ」をグッと抑えて「頭脳による情報処理には限界がある」ことを受け入れられないと、生涯、とっても苦しむことになる。そして幾世も、また幾世も、その道をひたすら歩み続けて自らをゴールから遠ざけることに・・・。

猜疑心に囚われた人々の中には、聖人が起こすこういった事象の裏を暴こうと騒ぎを起こしたり、時には(画像を合成してトリックに見せたり)する面々が出てきたり、一見信仰深いと思われる人々の中にも、善行に身を捧げる人々の行為に潜む「愛や純粋性」を理解できない人たちによって、「あれは売名行為、とか、ズルくて姑息」といった誹謗中傷を広める試みがなされるものの、そういった人々が神に近付けるかというと、おそらく答えは、否・・・ である。

これは私個人のきわめて狭量な私見に過ぎないけれど、「行為」に潜む「動機」は、それこそ各自の中で永遠に息吹く『良心』のみが識っていて、いつか返ってくる結果のみが、その「真偽」を示すのだと思う…。


あ、なんか話題が逸れちゃった。。。


ということで、チェンナイに戻ってきましたので、次回は、サイババの愛と不確実性に包まれた朝ダルシャンの様子をアップしたいと思います。


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2010-06-10 ミニ晩餐会

ミニ晩餐会

| 05:05 | ミニ晩餐会 - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS を含むブックマーク ミニ晩餐会 - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS のブックマークコメント


最近出ているインド関連の書籍には、「インド人を接待するときは、高価な料亭よりも、インド料理店」という常套句が挙げられているけど、先日パルティで、ほんとにそれを実感する出来事が・・・。

ジャズの巨匠、デューク・エリントンが作曲した楽曲の中に、「It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing) − スイングしなけりゃ意味ないね」という曲目があるけれど、インド料理の場合、正に 「It Don't Taste a Thing (If It Ain't Got That Spice) スパイスなけりゃないね」・・・という言葉が当てはまる。

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こちらは、エラ・フィッツジェラルドの、「スイングしなけりゃ意味ないね」。格好いいので、趣味で載せてしまいました・・・。Mack The Knife なんかを聞いていると、ウマすぎて思わず笑ってしまうぐらい、まるで管楽器が人間に化けたような声の持ち主の、レディー・エラ。天才と呼ばれている反面、実際、彼女の卓越したスキャットアドリブは、ライブによってブレがなく、修練を重ねて完成した努力の賜物だと言われている。


さて、ここから本題に・・・。

結婚祝いが延び延びになっていたため、今回、急遽、夏季休暇をサイババの側で過ごしていた彼の後輩たちとミニ晩餐会をすることに・・・。

場所の候補は、知る人ぞ知る、穴場の北インド料理店(美味しいけど10席しかない、超インドっぽい安食堂)か、ちょっと豪華な雰囲気の西洋人御用達、ハヌマーン・ヒルロック・カフェ。迷った末、お祝いだから・・・ということで、今回はインドにしては豪華なハヌマーンカフェに決定した。

メンバーは、ミルプリ音楽大学でインドの打楽器、タブラを学んでいる学生二人、ホワイトフィールドにあるブリンダーヴァン校から休暇を過ごしにパルティに滞在している学生一人、そしてハイヤーセカンダリースクールを卒業して今年から大学一年生、という学生一人に私たち夫婦。


f:id:SaiLaksmi:20100610213904j:image:leftこの日のランチに夫を通して、「インド人はスパイシーなインド風トマトスープはOKだけど、淡白な欧風ミネストローネスープはNG」という事実を初めて知った私(焦…)。生粋のインド人でも食べられるように・・・と現地のウエイターと相談してオーダーしたのは、下記の5品。。。


★ クリーム・オブ・カリフラワー・スープ(カリフラワー、生クリーム、バターをミキサーで混ぜたクリームスープ)


★ ロシアンサラダ(野菜を角切りにしてマヨネーズで和えたサラダ)


★ ペスト・ペンネ(バジルペーストに、チーズ、オリーブオイルを加えたショートパスタ)


★ トマト・ペンネ(トマトソースのショートパスタ)


★ ミックス・ベジタブルピザ(季節の野菜がのったピザ)


・・・と写真からもお察しのように、日本人からするとかなり濃い目のメニューばかり。指で食すのがテーブルマナーのインド。スプーンフォークを使い慣れていないから、という理由でロングパスタはパスしてあえてショートパスタをオーダーした。



そしてこれだけしっかり味が付いていれば、きっとみんな美味しいと思うに違いない!と思っていた、が、しかし・・・。



日々、香辛料を多用するインド料理しか食べていない彼らは、一口食べるごとに、微妙〜な表情・・・。要は、味がしないらしい。

彼が、「自己紹介の代わりに、スワミとの体験を一人ずつシェアしようよ」と提案すると、遠慮しながらも、目を輝かせて愛おしそうに、スワミとの個人的な体験を意気揚々と話し始める面々・・・。それとは打って変わり、新たな一品が運ばれるに連れて、手を伸ばす速度が遅くなり・・・、タバスコを用意してみても、辛すぎるといって、全く受け付けない。そうして、会話の流れで誰かが「パニール・バター・マサラ」と口にした途端、別の子が「あー、お願いだから今それ言わないで!」と懇願するように顔をくしゃくしゃにして苦笑いする始末・・・。

うーん…。

軽く見積もっても2−3倍はコストがかかるハヌマーンカフェよりもインド料理の方が良かったなんて・・・(撃沈)。やっぱ、まずかったかな?雰囲気は落ちても、北インド料理を出す食堂のほうがよかったみたいね・・・と呟く私達夫婦…。軽くなった財布を見つめながら、私は改めて「インド人の味覚の奥深さ」に感嘆せざるを得なかった。

唯一好反応を示してくれたのは、インターナショナルな味は食べなれている・・・というお祖母さんがベトナム人という学生で、そういえば私の夫も、婚前は「インド料理一色」、の人生を送ってきた生粋のインド人の一人。

彼にとって初めての外国は、新婚旅行で向かった、日本。初めて和食を口にした彼はその淡白さに仰天し、「これからの人生、一体どうなるんだろう?スワミ、どうかお願いします!」と心の中で祈ったらしい。 そう思うと、彼も色々と苦労してるもんだわ・・・。今日は美味しい北インド料理を、作ろうっと。


さて、ミニ晩餐会のメインディッシュを飾る「体験談」で特に心に残ったのは、「サイババに近付くには・・・」というテーマの話。

f:id:SaiLaksmi:20100611015753j:image:leftサイ・クルワント・ホールのダルシャン会場の中央には、ヴェランダと呼ばれる男性のVIP席があり、そこには、世界各国の世話人やサイババの機関に従事する重鎮たちが座っている。中にはそういった重鎮に混ざって学生風の年若い男の子も座っていて、(肉体的には)明らかに他の若年層の帰依者より恵まれた環境にいる。そして、このお話をしてくれた彼も、その一人...。



若くして母を亡くした彼にとって母とは、サイババのみであった。そしてサイババを、この上なく慕っていた。ある日彼は、サイ・ババに質問した。「スワミ、どうして僕は、(付き人として)あなたの車椅子を押せないのでしょう?僕と彼らの違いは何なのですか?」


数日後、スワミが夢に現れた。


両手に持った、同じ形をした水の入ったグラスに目配せしながら、スワミは彼にこう告げた。

「このグラスは、君のグラス」。 「そして、こっちの方は、彼らのグラス」。

「彼」のグラスは水が半分ぐらいまであり、「彼ら」のグラスの方を見ると、水が溢れかえっていた。

そうしてサイババはこう続けた。

君の水は減っていく一方、彼らの水は、グラスから溢れ出ている。この水を満たしているのは、「祈り」です。君は私の側に座ったことによって、祈ることをやめてしまったね。水が溢れかえったとき、その恩寵は流れます。ですから、祈りなさい。いかに肉体が近くなっても、祈り続けるのです・・・。


私は、ある方が語った、一つの言葉を思い返した。

「帰依心は、生物(なまもの)です。」

霊性においては、「昔取った杵柄」は何の意味もなさず、「今」どのような状態であるかが、一番大切・・・。渡印前に聞いたこの言葉は、まさにサーダナの核心を突く至言だと思い、数日間、脳裏から離れなかった。


「祈りは、心の奥深くから湧いてきて、内なる神性と対話するものでなくてはなりません。」と説くサイババは、「愛と真摯な祈りは、人生に成功をもたらします」という講話の中で、祈りに関して次のように語っている。


『どんな大きな仕事でも、祈りによって成し遂げることができます。ですから、心の中で神に祈りなさい。ちっぽけな欲望を満たすために祈ってはなりません。すべての欲望を手放して、愛を込めて心から神に祈りなさい。そうすれば必ず人生は満たされたものになります。愛を通 して初めて、神を理解し、神を経験することができます。中には、「スワミ、私たちが絶えず祈り続けても神は助けに来てくれません」と文句を言う人があります。私は彼らに「間違っているのは神ではなく、あなたの祈りです」と言います。あなたの祈りが誠実なものであれば、その祈りは必ずかなえられます。神には、できないことは何もありません。』


お料理は不評だったけど(泣)、ミニ晩餐会、開催できてよかったです・・・。






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2010-06-06 神様からの贈り物、プラサード

神様からの贈り物、プラサード

| 01:38 | 神様からの贈り物、プラサード - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS を含むブックマーク 神様からの贈り物、プラサード - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS のブックマークコメント


日本には、供物(仏教)、神饌(神道)として伝わっているプラサード。

御本家インドでは、ヒンディー語Prasad)で恵み深い施し物という意味で通常、お供え物のお下がりを指します。と、同時にサンスクリット語(Prasāda)では神々や聖者が有する寛容・寛大な精神状態を表し、神聖化された食べ物、慈悲、助力、援助、親切、光輝、明瞭など、様々な日本語に翻訳されています。(プッタパルティのアシュラムがあるテルグ語圏では、プラサーダム。。。)他にも、男の子の名前(ギフト、恩寵、神への捧げもの)にもなります。・・・そういえばインド人の元同僚に、プラサードさんという方がいました。


前回のブログで、彼から何度も「プラサードをもらったら一口だけでも絶対にその場(ダルシャン会場)で食べるようにね」、と言われていた・・・という話を挙げたので、今日はそれにまつわるエピソードを・・・。彼曰く、この言葉の背景には長時間座っていてお腹が空いてるだろうから・・・とかの気遣いではなく(笑)、れっきとした霊的な理由があるとのこと。 


それは、サティヤサイ大学のとある数学科の授業中の出来事。

教授がふと授業を中断し、こんなことを話し始めたそう・・・。


゜・*:.。. .。.:*・゜テーマは、プラサードのいただきかた ゜・*:.。. .。.:*・゜

プラサードが配られたときは、それが良きにせよ悪しきにせよ、美味しくとも不味くとも、頂かなければなりません。

プラサードをいただく際はそっと目を閉じて、こう祈るのです。「スワミ、これはあなたからの贈り物(プラサード)です。これによって、私の肉体的、精神的、霊的な病が癒されますように」

そして、スワミがダルシャン会場にいらっしゃるその場で、口に運びなさい。何故なら、プラサードを頂く際、スワミから流れ出る神聖なエネルギーも食べ物と一緒に体内に摂取することができるからです。

When we receive the Prasad, whether it’s good or bad, tasty or untasty, we should partake of Prasad.

When we take Prasad, just close your eyes, pray to Swami that, “Swami, it’s your Prasad, it will cure my physical, mental, and spiritual disease” then we should partake of it.

We should partake of the Prasad, then and there itself in mandir because when we intake, we also intake the divine energy that flow out from Swami.

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【この教授は、インド最難関の理工系エリート、インド工科大学-IITにて教授を務めた後、サイ・ババへの帰依心からプッタパルティに移り住み、以後20年以上にわたって主にサティヤサイ大学の大学院生を対象に教鞭を執っていたという御年90超歳の女性教授。男子校のプラシャーンティニラヤムキャンパスで女性が教授に就任するのはとても珍しく、極めて難易度の高い分野を担当なさる方で、確固たる帰依心を持ち備えている人材のみが選出されるそう。最近は引退されてアシュラム内のアパートに住み、日々ダルシャンに参列されています。】

余談ですが、同教授に結婚のご報告に伺った際、なかなか婚姻届が出せない状況をお伝えすると、御自身の経験を交えながら鋭い目線でインドの現状をお話くださいました. . .いや、 「若いうちにインドの実情に晒されて、それも少額の被害で済んで良かった・・・」と諭された、と言ったほうが近いかもしれません(苦笑)。


さて、プラサードといえば通常、寺院等で儀式(礼拝)前かその間に食べ物をお供えし、神様の祝福や聖なる波動を受けたお下がりを、参拝者がいただきます。プラサードは、神様に捧げて神聖化されたお供え物・・・。プッタパルティのアシュラムにあるガーヤトリー女神を祭るテンプルでは、このルールを遵守していて、プージャ(神への儀礼式)終了後、アールティ(献火)に差し掛かった時に参拝者がガーランド(花輪)とか、お供え物を持ってきても、きっちりにっこりと、「明日にしてね」、と断られます。

そういったシーンを目にすると、こういった“宗教儀礼”に慣れていない日本人の私は、「おぉーやっぱ、形だけじゃないんだ・・・」と妙に感心します。。。


f:id:SaiLaksmi:20100607141549j:image:leftパルティのダルシャン会場では、プラサードの用意を希望する帰依者がサイババの許可を得てから各自(インド各地・世界各国から)用意するため、それこそ色んな食べ物が出てきます。

(食べ物以外にも、時には聖者にまつわる小冊子やお数珠も!)

f:id:SaiLaksmi:20100606233421j:image:leftそしてバジャン終了後、スワミに祝福して頂いてから、サティヤサイ大学の学生...人手がいないときは卒業生(男子)、黄色いスカーフをしたセキュリティの卒業生(女子)、お祭りの際には主催国・主催地のセヴァスタッフによって、参拝者に配られます。(←これはお祭りの際の写真。スワミの学生さんでお髭を蓄える方は、ほぼ皆無だそうです。)



尚、24時間ぶっ通しでバジャンを歌い続けるアカンダバジャンマハーシヴァラートリーなど、特別な祭事期に配られる食事以外は、プラサードをアシュラムのキャンティーン等で用意することはないそうで、腐ったものや、痛んだ食べ物は、普通出てきません・・・(苦笑)。

f:id:SaiLaksmi:20100606233214j:image

というのも、ある参拝者が「痛んだプラサードが時々出る・・・」といっていたのを聞いて、在学中、プラサードの配布係をしていた彼に、このことについて一度聞いたことがあります。彼曰く、遠地で用意して何日も経って痛んだ食べ物がお供え物として用意されたことはあるけど、そういったものはサイババがプラサードとして配る許可を下ろさない、とのことです。(実際、プラサードが裏で用意されていても、スワミが許可しなかったので配布されなかったことも何度かあるそうです。ま、灼熱のインドですから日本とは状況がちがうっちゃあ、違いますね。 うっかり、そんなものなのか…と、根拠のない悪評の流布を信じてしまうところでした(笑)...確認して、よかった。)

f:id:SaiLaksmi:20100606233128j:image:leftしかし、10月のダサラ祭の期間中に2週間弱に渡って盛大に行われるグラマセヴァ(村落の村人へ衣類や食物を配給する奉仕活動)の最終日に、パルティの参拝者に配られるラドゥー(Laddu)は、サウスキャンティーンの二階で何百人というセヴァスタッフ(外国人も参加可)が、何万個も作り続けるので、ひょっとして第一弾に作っていたものが後のほうに混ざっている・・・かもしれません。

さすがにこの時期ばかりは、食前の祈りをきっちり唱えてから頂いた方が良さそうです。(彼曰く、もし痛んだプラサードが手元に届いたときは、妄信的に食べてしまわず、識別心を効かせて傷んだ部分を取り除き、大丈夫なところを頂く、というのが良いそうです。)


また、違う形のプラサードとして、一昔前の映像を見ると、誕生日の学生がお菓子を入れたお皿を持って立っていて、サイババがそのお菓子を掴んで参拝者に投げる・・・というシーンがありましたが、近年これは、「誕生日トレイ」というものに変わったそうです。


f:id:SaiLaksmi:20100606205323j:image:leftサイスクールの寮には予め、誕生日を迎える生徒のために何個もこの「お菓子の詰め合わせ?プレート」が用意されていて、誕生日の学生はそれを持って、ダルシャン会場でスワミに祝福を受けるそうです。

そしてダルシャン終了後、仲間や知人に分け与えて神様からの祝福を共有するそうです。

何度か私もおこぼれを頂く機会がありましたが、誕生日にスワミに祝福された人・・・というのはどことなくキラキラとして雰囲気が違い、「あー、恩寵流れてるなぁー」というのがなんだか分かるような気がします。


ちなみに、食物や健康に関するサイババの教えをまとめた書籍、プラサードのリンクはこちら。数ある講話の中から、食物や健康に関する言葉を選び出してまとめたもので、食が人々に与える影響、菜食の必要性、健康を保つ秘訣など、食に関する真実がわかりやすく書いてあります。


ところで、プラサードといえば寺院で頂くお下がりを指すことが多いけど、ある学生はとてもユニークな形でこのプラサードをスワミから頂いています。


オリッサ州出身のある生徒が、サウス・インディアン・キャンティーンで食事を摂った後のこと。

サウスキャンティーンといえば、ものすごくスパイシーな南インド料理を出すアシュラム内の食堂。支払いはクーポン式になっていて、あまりの辛さに、極力利用を控える生徒たちもいるそうです。

その日、お金が全くなかった彼のポケットの中に入っていたのは、クーポン6枚だけ。育ち盛りの彼は、クーポンをすべて食事に使い切ってしまった後、辛さで口の中が火を吹いている状態で、必死でスワミに祈ったそうです。

「スワミ、辛くて辛くて仕方がありません。どうか、ラドゥーを一つ、僕にください。お願いします、スワミ。辛いです。ただ、どのような形になろうとも僕はそれをスワミからのプラサードとして受け取ります。」

彼は必至に祈った。

・・・しかし、クーポンが突如現れることもなく、仕方なしにキャンティーンを後にし、ゴ―プラムゲートの前に祀ってあるラーマ神像に礼拝をしてから、部屋に戻ろうとした。

と、するとちょうどそこに別の学生が通りがかり、彼に声をかけてきた。両手には、山積みになった15個のラドゥーを抱えている・・・。「持ちにくくて仕方がないから、このラドゥーを鞄の中に入れて!」

彼はそれに応えるよう、ラドゥーを鞄の中に入れようとした。だけど、どんなに入れようとしても、入っていかない。

何度か試した後、その学生が、こう言った。「ごめん、時間がないんだ。今から直ぐに家に帰らないといけないから、このラドゥー、全部キミにあげるよ。」

「え? 全部!?」彼は心の中で呟いた。「これはスワミからの恩寵かもしれない・・・それにしても、15個も・・・!」

しばらく経った後、インタビューに呼ばれた彼は、サイババからこう告げられたそうな。

「あの時、君はラドゥーを一つだけ欲しいと願っただろう?その祈りに答え、私は、余分に14個、あげたんだよ。」


また、この学生さんはある時期、身体を壊していて、ほとんど食事を摂らない日々を過ごしていた。その際、サイババに、こう説かれたそう。

「しっかりと、食事を摂りなさい。ダルシャンでは、強烈な霊的エネルギーが、私から君達に注がれます。しかし、君の体が弱っていて、肉体的にそのエネルギーを受け止められなければ、すべてそれが、私に戻ってくるのです。だから、しっかりと食事を摂り、体力をつけなさい。」

それから彼は、どんなに病気をしても、食事を抜くことはやめ、必ず何かを口にする習慣がついた・・・とのこと。


プラサードは、何も寺院で礼拝の後に頂くお供え物に限らず、(常により良いものを目指しながら)人生における全ての出来事がスワミからのプラサード、神様からの贈り物として受け取っている学生は、本当に多い。この最高にバランスのとれた全托の精神というか揺るぎのない帰依心・・・もしかしてそれが、スワミの学生と帰依者の違いなのかも・・・と痛感する今日この頃です。



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2010-01-27 プッタパルティ巡礼

プッタパルティ巡礼

| 04:56 | プッタパルティ巡礼 - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS を含むブックマーク プッタパルティ巡礼 - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS のブックマークコメント

先週末は、プッタパルティ巡礼。

金曜日の深夜に到着し、月曜日の早朝、チェンナイに出発するというタイトスケジュール。

結婚後、彼は大学の後輩から幾度となく、『ぜひ、結婚祝いのご馳走を!』とリクエストされていた。日本では、知りあいにおめでたい出来事があれば、仲間がお金を出し合ってその人の伸展を祝う。インドはその逆で、祝われるべき当人が周りのみんなにお菓子やご馳走ふるまう習慣がある。「神からの祝福を仲間と分かち合う」といった意味がこめられているというのが、インドっぽくてなんだか微笑ましい。

それに加え、寮生活を送っているせいか、サイ大学の先輩と後輩の絆はとても強く、卒業していった先輩は、就職活動を迎える後輩たちに、参考書や就活に役立つ情報などをプレゼントするしきたりがある。出発前、私たちはチェンナイのお菓子屋さんと本屋さんをはしごすることになった。

パルティ滞在期間中の主なイベントは、夕方のダルシャン2回と、その他諸々。到着翌日、とりあえず甘いものを配りに・・・という彼に連れられて、サティヤサイ大学の構内に向かった。

プッタパルティのメイン通りからは、大学の壁に飾られた学問の神、サラスワティー女神弁財天)や、中庭に祀られたガネ―シャ神を目にすることができるけれど、構内に足を踏み入れるのはこれが初めて。

駐車場を兼ねた前庭を過ぎて建物の中に一歩入ると、まるで見えないベールを通過したように、ガラッと波動が一変する。アシュラムの中に漂うような甘いまどろみは一切なく、身体の惰性が針のむしろの上で突き刺されるような、張りつめた神聖さ。塵ひとつ落ちていない芝生の上にクリスタルのような陽光が降り注ぎ、敷地内に漂う槍のような神聖さを照らし返している。

サリーを掴む指に力が入って背筋が伸びた。思わず息を飲み、ここは完全に神の支配下にある場所だということを直感する。そして、この雰囲気を鋭く感じるということは、私の状態がアーユルヴェーダ的にタマシック(不活発)にあるということも薄々と直感...(撃沈)。背筋が伸びるような神聖さとは逆に、通り過ぎる教授陣の瞳の奥に例えようもない神聖な甘さが宿っていたのがとても対照的だった。

ハリーポッターに出てくるようなおとぎ話のようだけど、実際、パルティには様々な神が歩いていて、見える人には見えるらしい。特に、ガネ―シャ神。音楽大学に通っていたある学生は、冬の期間、毎朝起きるとガネ―シャ神が寮の部屋に来ていて、「セヴァダルが冷水でアビシェーカ(聖水を灌ぐ儀礼)して寒いから、温かいシャワーを浴びさせて・・・」というガネ―シャ神の御神体を沐浴するお世話をしていた。また、数年前、ダルシャン中のスワミの付き人(フォームボーイ)をしていた別の学生は、ある期間中、寮の門前で毎日ガネ―シャ神が待っていて、学校までの道のりを一緒に歩いて送っていたらしい。学校に着くと、ガネ―シャ神が、「じゃ、また午後に」といって去る。さらには、別の学生が夜遅くに構内を歩いていた時、ハヌマーン神が歩いて見回っているのを目撃し、この学校は猿神ハヌマーンによって守られていることを識ったらしい。いずれも、私たちが人間を見て対話するように、ごく普通に神を見て対話していたというから驚き。他にも、教授や学生の間でしか語り継がれていない門外不出の逸話が財宝のように埋もれているらしく、とても興味深い。

サティヤサイ大学サイババが学長なだけに、一般的に、宗教や霊性のことだけを学んでいると思われがち。しかし実のところ、インドのNAAC(国立アセスメント認定評議会)の認定を受けた他、州内54校中、トップ10入りしてA++をマークする程、学業レベルは高い。そしてその生徒たちが、口を揃えて狂言に興じているとは思い難い。

学生寮を建設した際、サイババは、「イーヴィルスピリットが降りてこないように」と寮の屋上に蓮の花のモチーフを飾ることを命じた。私は、各国の聖者や博識者達から『万物の神』と囁かれているサイババでさえ、『魔よけ』を施すよう指示なさることを意外に感じた。「サイババを信じていたら絶対大丈夫」と信じてひたすら待ち続けるよりも、魔よけや礼拝といったことにおいても、識別心を生かして自ら行動を起こすことも大切なんだろうなぁと思った。ま、数十万円の石を用意されたら、さすがに引くけど・・・。

「試験を控えているから御馳走会は延期」ということで挨拶だけ済ませてフラットに戻り、ダルシャンに出る支度を始めた。久しぶりに巡礼すると、何時に列のくじ引きが行われるかわからないので早めに出発することにした。もうすぐシヴァラートリーが近づいているせいか、アシュラムはとても混雑している。日本の常識からすると奇想天外に聞こえるかもしれないけれど、シヴァ神の化身として降臨されたサイババは、シヴァラートリーの夜、身体の中からいくつものシヴァリンガムを吐き出すため、朝方には喉を傷めて声がかれていることが多いという。

はじめてその話を聞いた時、信じられない思いだったけれど、自然の摂理なんだろうなぁということで納得。女性なら理詰めで説き伏せられようとしなくとも、「あ、なるほど...」とすんなり受け入れられる事実なのかも。

アールティ終了後、サイババはダブルブレス(両手をあげて祝福する仕草)で参拝者を数回祝福なさったあと、いつものように直ぐには移動せず、中央の定位置でしばらくの間、寛ぎながら静止されていた。特定の参拝者に意識を注がれている様子はなく、なんだか「もっと私を見て味わっていきなさい」と仰らんばかりの雰囲気。一説では、ダブルブレスを授かるということは、シヴァ神とパールヴァティ女神の祝福を一挙に受けることを意味するらしい。ダルシャンで享受する至福感のせいか、一日目の夜には、すでに数日間も滞在しているような錯覚を起こす。

今週末は数のせいか、数量限定プラサードが配布された。

土曜日に配られたのは、白胡麻(White Til)をまぶした北インドのスナック菓子、『Rewari(Revadi:レーヴァディ)』。日本の生姜せんべいに白胡麻をまぶした感じでとっても美味しい。インドにこんな...、激甘でも激辛でもないお菓子があるなんて、嬉しい発見。「これ、食べられるんだ(インド人の味覚からでも美味しく感じるの)?」と彼に聞くと、ローリー(パンジャブ州の収穫祭)に出されるお菓子で、とっても有名だよ、という答えが返ってきた。いつもは不評の和菓子の手土産....次回、彼の家族へのお土産は、これにしようと思った。

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日曜日に配られたのは、サイババ自らが語られたシルディサイババにまつわる逸話を編纂した小冊子、『Shirdi Katha』。

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礼拝の方法やシルディ・サイに捧げるガヤトリーマントラの他、アルティや聖火についての説明が掲載されていた。


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