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2012-04-18 インドで子育て(都会と田舎)

インドで子育て(都会と田舎)

| 20:25 | インドで子育て(都会と田舎) - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS を含むブックマーク インドで子育て(都会と田舎) - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS のブックマークコメント



インドで子育てをして、早1年ちょっとになります。

出産後、ベイビーが2ヵ月半でインドに来た時は、戦々恐々の思いでしたが、なんとまぁ、住めば都。定期的に母から届くケアパッケージに助けられながら、よい日々を送っています。


それに、インドには、日本にはない予想外のオドロキや嬉しい習慣がたっぷり!

私が知る国の中で、インドは最もチャイルドフレンドリーな国の一つかもしれません。


その理由の一つは、子どもの人口が多いこと。

インド人口、12億人の半分は24歳以下という統計も出ていましたが、「人口が多い→需要が多い→ベイビーグッズが豊富」という図式もでき上がります。

つい数年前は、オンラインショップと言えばebay だけ・・・という感覚でしたが、最近は、First Cry 、 HushbabiesBabyoye 、など、ママが助かる通販サイトも数多く出店しています。


またショッピングモールに行けば、大型ベイビー用品店が少なくとも2−3件、そのほかにも知育用品店、おもちゃ屋さんに洋服専門店などが点在しています。

少子化が進む日本より、インドの方がだんぜん品揃えが多く、手軽に高品質の知育用品などが手に入るのにも感心します。


・・・というのは都会に住む限られた階層の人たちの話で、田舎に住む子どもの教育レベルと、都会に住む子どもの教育レベルに壁のような隔たりが生じている、というのが現代インドの課題だそうです。



現在インドでは、総人口の20%が先進国レベルの教育を受けることができ、残りの80%は、その恩恵を被ることができません。


f:id:SaiLaksmi:20120418205432j:image:medium:leftたとえば、都会に住む小学6年生は、地方(山岳・農村地帯)に住む高校1年生よりも学力が上、という格差が生じているそうです。


そのギャップを緩和するため、全ての人にEHVの要素が合わさったカリキュラムを提供できる教育ソフト、「Vidya Vahini Project(ヴィッディヤ・ヴァヒニ・プロジェクト)」が去年の6月17日に始動しました。

(EHV:Education in Human Values = 人間的価値の教育 = 人格形成教育)


ソフトウェアの提供は、ラタン・タタ氏率いる、TCS


タタ氏は、知る人ぞ知るセヴァ(奉仕)の巨人です。


インドの巨大財閥、タタ・グループの去年の純資産は、約9億7000万USドルですが、FORBESマガジンの億万長者リストや、インド長者リストに、タタ氏の名前があがることはありません。


なぜでしょう? 


・・・という記事をネット上でもよく見かけますが、タタ氏は、全収益の65%を、グループが運営する様々な奉仕企業への慈善信託として寄付にあてているからだそうです。(本人の懐に入るのは、1%・・・もし過去に寄付した総額を全て受け取っていたならば、億万長者のウォーレンバフェットやビルゲイツよりも純資産は上、だと言われています。)


D


このソフトがあれば、ちゃんとした教育を受けなかった田舎の教師でも、指導要綱に沿って一定以上の水準を保つ授業を行うことが出来るそうです。


End of education is character 

教育の最終目的は人格形成にあり。


ヴィッディヤ・ヴァヒニは、詰め込み暗記だけではなく、思考力、人間性を育むカリキュラムが備わっているそうです。サイババへの信仰を深めるような内容ではなく、純粋な教育ツールだと聞きますので、日本にあるインド人学校にも普及したらいいですねぇ。




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2010-10-22 地域貢献 - グラマセヴァ

地域貢献 - グラマセヴァ

| 11:13 | 地域貢献 - グラマセヴァ  - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS を含むブックマーク 地域貢献 - グラマセヴァ  - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS のブックマークコメント


今週の日曜日に、最終日(Poornahuthi)を迎えたダサラー祭


f:id:SaiLaksmi:20101022111136j:image:right女神を讃えるこの10日間に及ぶ祭事期間中、プッタパルティでは、サティヤ・サイ・スクールによる近隣の村落地区に物資配給を行う「グラマセヴァ(村への奉仕 Grama Seva)」が、毎年恒例となっています。



今年は170もの村々に、物資配給の奉仕を行ったそうで、この時期には“Swami's Students”と呼ばれるスワミの生徒たち・・・ハイヤーセカンダリースクールの学生、アナンタプール校の女子大学生、そしてサティヤサイ大学の男子生徒と教授陣が一丸となって年に一度の大規模な奉仕活動に従事するそうです。





物資の内容は、毎年ほぼ決まっていて、衣類や食べ物、筆記用具などが配られます:f:id:SaiLaksmi:20101014101208j:image:left

1. サリー (南インドの女性の正装)

2. ドーティー (南インドの男性の正装)

3. プリホラ米  (タマリンドライス ・ Pulihara rice) 一家族につき 4〜5個のパック

4. ラドゥー (インドのお菓子 ・ Laddu)  一家族につき 5〜6個

5. 子どもには筆記用具 (ペン、鉛筆、ノート)


何日間も続く大規模な奉仕ということで、梱包、仕分け、配布の作業は昼夜に分かれて行われるとのこと・・・。


例えば、夜には、アナンタプールの女学生が、プリホラ米というタマリンドライスを新聞紙に梱包しているあいだ、別の建物では、低学年のハイヤーセカンダリースクールの生徒がラドゥーというインドのお菓子を梱包しています。

そして朝になると、サティヤサイ大学の男子生徒が5時に起床、準備を整えて7時過ぎには、サイクルワントホールのダルシャン会場に集合。ホール内の中央にあるマンディールの建物を祭壇と見立ててプラダクシナ(神殿の周りを巡回する行)を行った後、トラックに乗って、村へと移動します。

f:id:SaiLaksmi:20101106220817j:image

左の写真 中央の写真 右の写真
物資に囲まれて待機中 物資の梱包中 出発前にラーマ神にお祈り
十数台のトラックで一斉移動 到着後、ガーランドにて歓迎 一先ず待機中
先ず初めにバジャン唱歌 - 子どもたちもついてくる 村の塔門前 ナガラ・サンキールタン

そして、どの村落に着いても、先ず初めに行うことは、神々を讃える讃歌(バジャン唱歌)で村一帯を清めること。

トラックで到着した後、村の端から端まで、30−40人ぐらいのグループに分かれ、村の各方角から中心部に向かってナガラ・サンキールタン形式(隊列を組んでバジャンを歌いながら歩くこと)で楽器を演奏し、バジャンを歌い歩きます。

村の子どもたちは、サンタクロースを待つように、毎年恒例のグラマセヴァを楽しみに待っているそうで、生徒たちが到着すると、ナガラ・サンキールタン隊の後に(時には、前に!)くっついてきて、生徒たちと一緒に神々を讃える歌を合唱します。


昼食には、サイ・ババの指示で基本的に村の人々に配るものと同じもの、プリホラ・ライスとラドゥーを食します。ただ、飲み物は、脱水症状にならないように、栄養たっぷりのバターミルクが配られます。



f:id:SaiLaksmi:20101106220838j:image:left

村の人々に物資を手渡す際、学生たちは「僕たちが持ってきました」とは言わず、 「スワミからのプラサードです」と伝えるそう・・・。




学生たちはサイババの言葉に沿うように人々と愛を分かち合い、村の衛生状態が悪ければ、物資配給だけでなく、村をきれいに掃除をしてから村落を後にします。


そして全ての作業が終了すると、再びプッタパルティに戻り、ダルシャンホールで待機しながら最後のトラックが戻るまで、仲間の帰りを皆で待ちます。



左の写真 右の写真
各家庭への配布 昼食を子供たちに手渡し
トランシーバーで連携 しばし、待機
村に祀られた祭壇 子どもたちと記念撮影

サイババは、学生達、特に若者達に向かって頻繁に、「セヴァ・バーヴァ(奉仕精神、奉仕する姿勢)」を養いなさいと、伝えるそうです。

欧米では、学校が学業の一環として「コミュニティーサービス」という名称で、学生達を地域貢献に従事させるプログラムを組んでいます。そういった地盤があるせいか、日本と比べ、海外の奉仕活動は地域社会への貢献、「必要を察してサッと手を伸ばす行為」が自然と成り立っているように思えます。

知らぬうちに育まれるボランティア精神・・・。

インドと先進国では文化背景や必要とされている奉仕の内容は違うものの、奉仕精神が体内に浸み込み、血肉となった人々と、それとは対照的に、「奉仕」を「サーダナ(霊性修行)」の一環として心の祭壇に奉り上げ、頭の中で色々と霊的教義との比較対象をして識別を介さずには身体を動かせない人々を見ていると、若いうちに、「セヴァ・バーヴァ(奉仕精神、奉仕する姿勢)」を培うことが如何に大切かを実感します・・・。 


『私の愛するバクタ(神を愛する人。帰依者)たちよ、私の仕事に従事しなさい。あなたの息吹は天国に咲く花々の香りを運びます。あなたの示す手本は、天使たちが示す手本となるでしょう。あなたの歓びが私の歓びとなるのです。』



うーん、わたしも彼らを見習って、少しでも前者に近付けますように... (拝)。



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2009-05-01 ナーラーヤナセヴァ

ナーラーヤナセヴァ

| 03:37 | ナーラーヤナセヴァ - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS を含むブックマーク ナーラーヤナセヴァ - サイババ紀行 - JOURNEY TO WELLNESS のブックマークコメント

午前中はナーラヤナセヴァがあった。

ナーラヤナセヴァは、困窮している人たちへの食事の提供の奉仕として世界各地で行われている。

私も過去に、ボランティアグループでホームレスの方におにぎりを配ったり炊き出しをしたり・・・というのに何度か参加したことがあった。コンビニで買ったおにぎりを配ったり、一汁一菜を配るといった簡単な食事が多い。どちらかというと質より量で、何日も食事をしていない人に食べ物を配布することや、きれいな心でホームレスの方々と接すること自体に意義を置いている。

以前、それを想定して東京センターのナーラーヤナセヴァに参加し、弁当の豪華さに驚いて質問したことがある。デパートで売れば軽く800円ぐらいはするんじゃないかという豊富な内容の菜食弁当を無料で配り、同じものをセンターのお弁当として500円で販売して、それを原価回収にして、奉仕にあてている。

敬意を表しつつも、何もそんなに豪華にしなくても、質より量でいいんじゃないかといった内容の疑問を呈したら、この奉仕は、愛や慈愛の心を培うといった目的と同時に、神への礼拝として行っていて、各人の肉体に内在するナラヤナ神(維持を司るヴィシュヌ神の別名)に充分に満足して頂くために行っているため、食数は少なくても、充分に喜んで頂ける内容の弁当を作ることになった、との経緯を教えてもらった。

なんでも、完全に人を満足させるのは容易ではなく、たとえば他のもの・・・物や金銭やポジションといったモノを差し上げても、満足する前に直ぐ、「もっと欲しい」「他のがよい」といった思いが湧き起こり、一瞬たりとも、内在神が満足するまでには至らないそう。変わって食べ物の場合、食事を終え、満腹感を覚えて食欲が完全に満たされるとき、たとえそれが一瞬であっても、心の奥に内在する神にも完全に満足して頂くことができる。礼拝としての奉仕。インドで始まったこの奉仕が、世界各国で、たとえば 世界の端のFar East - 極東と云われている日本においても趣旨から脱線せずに行われていることに確固たる愛や理念の影響力を感じた。

コダイカナルでは、いつも女性がダルシャンラインに並ぶ広場にてにて、およそ15000人の現地の人たちに食事とお水、そして衣服が配られた。一般参拝者にも、プラサードとして、同じものが配られている。私たちは充分食が足りているから私たちの分も低所得者層の方々に配ればよいのに・・・っと思ったけど今生で私たちが裕福でも貧困でも、神様にとってはみんな自分の子供だから、一緒ないんだなぁと、ふと思った。

一般の参拝者がスカーフをしたセヴァダルに混ざって、プラサードのお皿をたらい流ししている。私はもともとセヴァ好き。他の人が忙しくしているのを見ると、自分がじっとしているのが申し訳ないような居心地の悪さを感じて無性に何か手伝いたくなる。居心地の悪さを持て余すぐらいなら、一緒に身体を動かしていた方が、楽。これは、奉仕というより、私の欲求に近いような気がする。一般参加者がどんどん参加していっている様子を見て、わたしも参加したかったけど、何のために参加するのか?とちょっと思ってみた。アシュラムでは、自問自答する時間が、たっぷりと用意されている。

私もナーラーヤナセヴァに参加した、という満足感が得たいのか、手が必要だから身体を差し出すのか・・・

いつもは、前から1−3列目に座っているのに、その日に限って最後列に座っていた。参加するためには何人もの参拝者の間を足を踏まないよう謝りながら通っていかなければならない。この場において、参加するのは多分前者だと思えた。座っている人達の間をくぐって前に出てセヴァをしにいくのはエゴのように思えてあえて参加しなかった。



広場に集まった人たちに、サイババ自身がナーラヤナセヴァを行い、その後、イーシュワランマの像がSAI SRUTHIの前の湖畔の広場に東方に向けて設置された。東向けに設置された理由は太陽神が、聖母のダルシャンを毎朝受けられるように、とのことだった。



サイババが戻ってくるのを待っている間、最後列に座っていたことが好をなして思わぬ方とお会いした。

「日本の方ですか」?流暢な日本語を聞いて、思わず辺りを見回すと、上品な眼差しのインド人女性が微笑んでいた。

「はい、そうです」英語で答え、コダイカナルには、今年、男女合わせて40名ほどの日本人が来訪しているため、グループ席を頂いていることをお伝えした。その方は、日本でお世話になった方のお姉様にあたるとのことで、自然と日本の話に移る。久しぶりに日本に思いを馳せて懐かしい思いが込み上げた。



スワミがダルシャン会場に戻ってこられ、プラサードのお皿が依然として配られている間、私はそのまま座ってバジャンを楽しんだ。目の前でセヴァをしている人を見つめながら、悠長にバジャンを歌っていることに多少の居心地の悪さを感じながら、少し祈った。「今でなくても、きっとスワミは私にセヴァをする機会をあたえてくださるはず。」心の中で、欲求を満たしたいという思いを祈りに変えた。

アーラティー後、最後列までプラサードが回ってきた。食べずに帰ろうかと思ったら、誤ってダルシャンラインに紛れ込んだナーラーヤナセヴァ対象のインド人が現地語で何か言って私に横に座るようにジェスチャーしてる。

左手で食べてる。インドでは、左手は不浄なので食事中は、皿に触れないようにするのが慣わしと教わっていた。あ、右手を怪我してるんだ。促されるように横に座ったら、膝の上に置いた紙皿を持って、食べ物がこぼれないよう水平に支えるように訴えている。言葉がわからなくっても、心を無にして相手を観察すると何をしてほしいのかよくわかる。

コトの流れが解らないままにもナーマスマラナを繰り返しながら言われた通りにしていると、ある思いが浮かんだ。

「あ、ババだ。奉仕をしたいという祈りに応えてくださったんだ。」

こんな他愛もない祈りにも答えてくださるなんて…私は涙ぐみそうになりながら、食べ物に感情が入らないようナーマスマラナを続けながら水を勧めたり手を拭いたりと世話を続けた。

給仕後、プラサードは食べた方が良いと強く勧められ、結局私もいただいた。帰りがけ、同じ方向のホテルに滞在しているこということで先ほど出会った方のタクシーに同乗させて頂くことになった。その方は、靴をよく無くされるということで、靴をクロークに預けているそう。私は昨日から、クロークに並ぶ長蛇の列に嫌気がさし、クロークの脇に置くコツを覚えて待ち時間から免れている。「靴をなくすのはカルマ落としとして良いらしいですよ」・・・と言っていたら、なんと、私の靴が無くなっていた。

なんてありきたりな展開…。自分の身に起こって初めて人の気持ちがわかる。他人の不運に対してそんな簡単に、発想の転換を呈するような言葉を言うもんじゃない・・・と少し反省した。結局、ホテルまでお送り頂き、ご厚意により使わなくなったという靴をお譲り頂いて難無きを得た上に夕食をご一緒させて頂き、素晴らしい時間を過ごさせて頂いた。

この先回りをした用意周到な展開…。私たちには理解できなくっても、神様は常に最善を用意してくださっているのだから…という言葉を思い出した。一日が終わる頃には、最後列に座る羽目になった時点で抱いた落胆は、すっかりと消え去っていた。。。というかとっても素晴らしい一日に感謝した。

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