“自由人狂詩曲”

Forsan et haec olim meminisse iuvabit.
いつかこれらのことを思い出すことも、喜びとなるだろう。─ウェルギリウス

どちらかというと記憶の底の方

2011-05-26

[オレン・ユクシナイネン・マトゥカーヤ]四国一周ソロツーリング・三日目・パートA(2011/5/4)

高知城〜桂浜

朝、妙に愛想のよいループラザスタッフの兄さんに、足を叩かれて起きる。7:30に起こしてもらうように頼んであったのだ。

前日にあれだけ雨に降られていたが、レインウェアのお陰で体調は万全だった。朝になってもループラザの休憩室内には日光が挿さないようにしてあるらしく、夜とほとんど雰囲気が変わらない。が、一歩外に出ると、前日とは打って変わって、さわやかな太陽光が降り注いでいた。

早速出発し、まずは高知城に向かう。駐車場がどこに在るのか分からないのでウロウロしていると、高知県庁北庁舎の警備のおじさんが手招きをしてくれ、中の駐車場に停めてもよいといってくれた。

高知城では、アイスクリンと呼ばれる地元の名物のアイスクリームの親戚を食べながら、城内を散策し、天守閣から街の風景を見物した。アイスクリンは、今時ではコンビニでもなかなかお目にかかれないような、シャリシャリとした味が爽やかな、素朴な一品だった。

高知城の散策を終えてバイクのもとに戻り、次は桂浜に行こうかと考えながら、ふと何気なく持ってきていたipod nanoで地元のラジオを付けてみた。すると、その桂浜方面が渋滞しているという情報が耳に飛び込んできた。一抹の不安を覚えながら桂浜に向かうと、土佐湾に面する黒潮ラインの長い直線に、長く長く続く気が遠くなりそうな渋滞が伸びていた。これも龍馬伝のなせる技らしい。

結局、桂浜の駐車場にたどり着くまでにたっぷり1時間近くもかかり、着いた頃には昼間になってしまっていた。龍馬の像を簡単に見物し、昼食を食べつつ、わざわざ桂浜まで来たのは間違いだったかなと思った。当初の予定では、今頃は海に沿って土佐東街道を進み、室戸岬に向かっているはずだったのだ。それが、何をするわけでもなく、まだ高知市内で昼飯を食べている。

(まあ、予定通りにならないのはいつものことだ…)

気を取り直して、桂浜を出発した。

桂浜付近

桂浜を出て、国道32号線に戻るため浦戸大橋を渡り、北に進む。高知港に面した工業地帯は、道が入り組んでいて分かりにくい。道を確認するためにフォルツァを停めてロードマップを見ていると、近所に住んでいるらしいオジさんとオバさんが現れて、何事かを俺に叫んでいる。何ですか、と聞き返すと、「この先で取り締まりをやってるから気をつけろ」という。

ありがたい。早速スピードをできるだけ抑えて先に進んだが、ここで道を間違えて、オジさんに声をかけられた場所まで舞い戻ってしまった。先ほどの道をもう一度進み、道を間違えた地点にもどると、正しい道へと進む。

どうやら、オジさんの言っていた取締りも居ないようだ…。

場所を変えたのか、取り締まりの姿はない。そう思って、ややスピードをあげようとしたその時だった。高知港のくびれと、大畑山に挟まれたゆるやかなカーブに、取り締まりのパトカーが獲物を求めて睨みを効かせていたのだ。

しまったと思った時には、もう近すぎた。年配の警官が、笛を鳴らしながら、止まれというような合図をする。人生初のねずみ取り遭遇であった。

やってしまったか? 今、何キロ出ていただろうか。こんなところで、いきなり点数を減らすことになるのか──そう思いながらも停まろうとした時、その警官は突然カッと目を見開き、俺の後ろに向かって強く笛を吹くと、俺の後ろに向かって止まれという合図をした。

どうやら、俺の背後に居た哀れな車が、スピードを上げすぎていたらしい。すぐ先にもう一人のスーツ姿の警察官らしい男性が居たので指示を仰ごうとすると、彼は行って良いというので、俺は構わず先に進むことにした。後ろの車には申し訳ないが、助かったとしかいいようがない。警察官の二人は何も言わなかったので結局分からずじまいだったが、本来なら俺が捕まるはずだったのかもしれないのだ。

公道を走り始めてから、他の車の勢いに流されて制限速度を超えすぎていることがあったが、今後は控えることにしようと思った。俺は別にスピードが出したいわけでもなんでもないし、日本の法定速度の建前加減にはうんざりだ。追い越したければ勝手に追い越すがいい…。

それから後の道程では、かなりの台数の車に追い越されるようになった。

2011-05-10

[オレン・ユクシナイネン・マトゥカーヤ]四国一周ソロツーリング・二日目(2011/5/3)

松山市街から三坂峠付近

朝起きると、いきなり9時前という遅い時間。持参してきたスパロボz2を夜中までプレイしていたせいだが、おかげで朝食の時間も逃してしまった。

やむなく用意をすませて、ホテルを出立。天気は曇り。早速高知を目指したいところだったが、その前に「ヒマラヤ」というスポーツ用品店に開店一番に飛び込んだ。その目的は寝袋であるうまい具合に毎日宿を見つけられればいいが、GW期間中ということもあって宿が見つからず、やむなくキャンプ場などで野宿する羽目になるかもしれないと思ったのだ。適当に見繕った安い寝袋とマットを買い求めると、今度こそ高知に向けて、南下を始めた。

勇んで南下を始めた私にまず立ちはだかった障害は、さっそくの渋滞だった。国道33号線(砥部道路)に乗った頃から異常に道が混み始め、全く進まなくなってしまったのだ。後から知ったことだが、この先の郊外にとべ動物園などのレジャー施設があったらしい。しかしそんな渋滞も、いよいよ風景が郊外の色を深めるとすっかり消え去り、快適な道路事情に変わった。

三坂峠の急な上り坂とスリリングなカーブを一気に駆け抜けて、三坂峠を超えた辺りで昼過ぎになり、たまたま見つけた食堂『八代生食堂』で鍋焼きうどんを食べる。食堂の店主は気さくなおばちゃんで、テレビには韓国ドラマの『ホン・グギョン』が写っていた。飼っている犬の写真を見せてくれたり、とりとめのない雑談をしたりして、のんびり休憩した。

店を出た頃、雨が降り始めたので、あわててレインウェアのスボンを着用して出発。ここから、レインウェアを用意していて本当によかったと心底思うような天気に変わる。

三坂峠から中津渓谷

やや強い雨が振り続く。レインウェアが雨を完全にガードしてくれたので、ツーリングを続けることが出来たが、この後一日中降り続いていたので、もしレインウェアなしでツーリングを始めていたとしたら、人気の少ない山中で進むも地獄、戻るも地獄という悪夢のような展開が待ち構えていたことになる。おそらく体調を崩し、リタイアしていてもおかしくなかっただろう。レインウェアを用意しておくという事がいか重要なのか、はっきりと思い知らされた。

途中の湖のほとりのPAでは、話好きなオジさんに、寝袋があるならこの先にあるキャンプ地で一緒にキャンプしないか、と誘われた。そこでしばらく走ってその中津渓谷の入口に行ってみると、非常に景色のいい渓谷が目の前に広がった。後からオジさんもやってきて、「この山を登ったさらに先にキャンプ地があるから、来てみるといい」と言って走り去っていった。

どうしようかとしばらく悩んだものの、結局は行かず、33号線に戻って旅を続けることにした。まだまだ高知も先で、暗くなる時間もまだしばらく後だった。自分がどれくらい走れるかも分からないのだから、少しでも先に進んで高知まで出ておいたほうが、後々の行程が楽になるのではないかと思ったのだ。せっかく誘ってくれたオジさんには悪いなと思いながらも、まだまだ先は長かった。

中津渓谷から高知

またしばらく走って仁淀川の近くで休憩。携帯で高知の宿を探したが、なぜか全く見つからない。仕方が無いので、高知駅まで走って行って、観光案内所で「今日どこか泊まれるところはありませんか?」と聞くと、応対の物腰の柔らかそうなおばさんが言うには「高知はどこもいっぱいで、部屋が取れるような宿は一切ありません。取るとすれば、車で2時間行ったところになりますが、よろしいでしょうか」との事。なんという事だろう。いきなり野宿だろうか。しかしおばさんは一枚のパンフレット差し出し、「どうしてもということでしたら、男性用サウナの仮眠室しかございません」という。

そのメンズサウナループラザ」は、高知市内の繁華街のど真ん中という立地だった。鬱陶しい酔客に、男性用サウナに、何十人ものドミトリー状態の仮眠室である。しかも、一度入ると朝まで出られない、出たらもう一度同じ料金で入店し直さなければならないシステムだった。

銭湯気分で入って帰るならともかくも、こんなところに泊まらなければならないのか。これなら中津渓谷の大自然の中で、あのオジさんと楽しくメシを囲っていたほうが断然よかったのではと気落ちしながらも、他にどうという手段もとりようがなく、結局風呂に入り、サウナに入り、仮眠室でむさくるしい男達と一夜を共にすることにした。

男臭いサウナや仮眠室といえば、言うまでもなくガチホモ的なイメージがまとわりついて離れないところだが、この日は別になんということもなく、普段どおりに眠ることが出来た。

2011-05-08

[オレン・ユクシナイネン・マトゥカーヤ]四国一周ソロツーリング・記録(2011/5/2)

2011/5/2から2011/5/7までの期間に、オートバイを用いて四国を一周するソロツーリングを実行に移した。これは、将来的に行うつもりである超長距離のオートバイ旅行に備えて、単独でロングツーリングを行っても問題ないかを確かめるため、いわば予行演習のつもりだった。

むろん、自分が想定している将来の超ロングツーリングとは日数・距離・場所等の様々な条件はまったく比べ物にならないが、全く何の経験もない状態で実行に移すよりも、少しでも走行経験を得てからの方が後々有利になることは言うまでもないことと思う。

以下は旅行中の単なる記録で、オートバイとは全然関係ないことも書かれているが、後々何かの役に立つこともあろうかと思うので記録する。

2011/5/2 松山

この日の札幌はやや曇り。前の日は旅行の準備や、飛行機に寝過ごすことを心配して一睡もせず、まんじりともせず朝を迎えた。新千歳空港から、昼過ぎの直行便松山に向かった。

松山は気候も北海道とは比べ物にならないほど暖かく、北海道に居る時に着ていたジャンパーなどを持たず、敢えて薄着にしてきたのは正解だった。換えの衣類・下着類がやや嵩んでおり、荷物が重たかった。将来の旅行ではどのような衣類を着、持ち歩くことを想定すればよいのだろうか。

松山空港からリムジンバス松山駅、市電松山市駅、松山市駅から鷹ノ子駅と乗り継ぎ、バイクを手配した駅近くの「ベストBike松山坊ちゃん店」に直行して、今回の旅行相棒となるフォルツァXを受領した。

フォルツァXは想像よりも大きな図体のビッグスクーターで、初めて乗るタイプだったが、乗りやすく、荷物も沢山詰めたので、印象はとてもよかった。ただ、こうしたビッグスクーターは、ちょっとした故障の時、自分メンテナンスするのはMT車より難しいのではないかと思える。実際はどうなのだろう。

2011/5/2 繁華街にて

フォルツァXとともに「ホテルアビス松山」に投宿後、徒歩で夕食を探しに出かけた。

しばらく繁華街をぶらぶらしたあとで、なんとなく目についた「とり泉」という鶏肉料理の店を発見し、入ることにした。ところが、店に入ろうとした瞬間、どういうわけか店の暖簾が自分の頭目がけて落下し、直撃してきた。

海原雄山あたりなら、このあたりで怒り狂って踵を返すのかもしれないが、一般庶民にはそこまでの勇気はない。不穏な気配を感じつつも店に入ると、カウンター席に案内された。早速何か食べるものをと思いメニューを見てみたが、飲み物のメニューばかりで食べ物のメニューが見当たらない。よく見てみると、カウンターキッチンを隔てる横木にお品書きが貼り出されていたが、いやに食べ物のメニューが少ない。15品ほどしかなく、しかもどれも妙に強気価格設定だった。鶏肉のタタキ1,800円(ハーフ900円)、鶏肉の餃子1,600円(ハーフ800円)、鶏飯1,600円(二人前)、親子丼1,800円(二人前)…。

思わず店員に本当にメニューはこれしかないのかと確かめると、これだけだという。まずいところに入ってしまったようだとうすうす感じつつ、どうするかと考えあぐねていると、店員は「何かおすすめのメニューを選んで3,000円以内でお出ししましょうか」という。3,000円もかけて晩飯を食べるつもりは全くなかったが、せっかくの店員さんの申し出だし、3,000円も払えばうまい鶏肉料理にご飯ものなども付いてくるだろう、旅の一日目だし景気付けにぱぁっと食べるか、と考え直してそれを頼むことにした。

しばらく待っていると、初めに鶏肉のタタキが出てきた。上にネギたっぷりとのり、ポン酢がかけ回してあって、美味しい。次に鶏肉の餃子。これもまあ美味しい。そして次に鶏肉の炭火焼が出てきて、鳥づくしとなった。

鶏肉が3連続で続いたので、そろそろ鶏飯か、はたまた親子丼の小さいのが出てくるのか、と待っていると、先ほどの店員さんが、コースメニューはこれで全てですが、まだ注文されますか、と訊いてきた。

そんな、脂っこい鶏肉ばかりでそろそろご飯か何か別のものが食べられると思っていたのに、これで終わりだというのか。「孤独のグルメ」じゃないが、いくらなんでも尻切れトンボではあるまいか。鶏肉ばかりで途中から飽きてきた上に量も大して多くなかったのでお腹が満たされていなかったのだ。しかし、それからさらにご飯ものを1,800円も払って食べる気には到底なれず、勘定をすませて足早に店を出ることにした。代金はビール一杯と鶏肉料理3皿で、2,500円だった。

つまるところ、この店は一人向きの店ではなかったのだ。飲み会などで大勢で押しかけて割り勘で話をしながら飲み食いする。そうすれば、酒で気の大きくなったグループの中の偉い人が、勘定をどんと受け持ってくれて、得をした気分にもなれる。そういう使い方をすべき店だったのだろう。そういえばなんだか、店員さん達が「こいつは一人でこんな店に何をしに来たのだろう」と困惑の眼差しを向けているような気さえしてくる。

結局、高い勘定のわりには物足りなさを拭えず、コンビニでおにぎりやお菓子を買って部屋でまた食べる始末だった。飲み屋街の飲食店ではこういうことがあるので、事前に調べていない場合、外から雰囲気が分からない店だと、入るのはちょっとしたギャンブルにならざるを得ないようだ。

2011-01-16

[] Kindle3 修理依頼顛末

Amazonで購入したKindle3を購入してしばらくしたところ電子ペーパーが割れたため、無償交換を行ったのだが、その時の対応メモ

修理の際に、考慮しなければならないのは、Kindle3の修理or無償交換をするためにはamazon.comカスタマーサポートセンター電話を掛けなければならないということ。英語でのサポートしかしていないので、英語オペレーターに説明する必要がある。どういうわけかメールでは対応してくれない。英語ダメなら友達に頼めと返事が返ってくるだけで時間無駄

というわけで自力でなんとかするために幾つかのサイトで修理の際のレポートを挙げているサイトを調べた結果、以下の準備をしておくとよいことが分った。

  1. amazonに登録したメールアドレス電話番号、住所、郵便番号を用意しておく。
  2. 故障の状況、壊れた原因を原稿に纏めておく。

 

これらを纏めたなら、Skypeを立ち上げて、アマゾンの「アメリカの」サポートセンター電話を掛ける(アメリカ以外向けのサポートセンターではなく)。この場合電話代金が一切掛からない。英語が不慣れなら電話時間もかかる(+後述するが電話口でかなり待たされたりするかも)ので、普通電話サポートセンターに掛けると金が掛かりすぎて修理の意味がなくなるので要注意。

サポートセンターに繋がったら、「3」をダイヤルして故障・修理の窓口につなぐ。オペレーターが出たら次のように対応

  1. 用意しておいたメールアドレスを述べる。オペレーターはそれを元に自分アカウント情報を調べるはず。
  2. セキュリティのために住所、電話番号、郵便番号を述べろと言うはず。それを述べる。
  3. それが済んだら故障の状況を言えというはず。原稿故障の状況・壊れた原因を述べる。
  4. 状況さえ分れば、オペレーターは交換に応じるか否かボスに確かめてくれる。きっと「Kindle3壊れたーとか日本から電話かかってきましてん、相手英語わかっとらんみたいですけどどないしましょ」「ええわ、交換したれ」などというやりとりがあるのだろう。かなり待たされるかもしれない。ちなみに自分10分くらい待たされた。切らずに待つ。
  5. オペレータさんが何事か言うので、とにかく「確認します、私は壊れたものをあなたに送る、あなたは新しいKindle3を私に送る、OK?」と確認する。Exactlyなどと言われたらほぼOK。
  6. オペレータさんは更に何事か言うので、「確認します、最初お金が私の口座から差し引かれるが、その後お金が戻ってくる、OK?」などと言う。基本的にそういう流れ。
  7. とりあえずこちらが自分の言っている事が分かっているようだと分れば、オペレータさんもあれこれ言わないはず。とりあえずもう話すことがなさそうなら、「メール待ってます、ありがとう」とでも言って電話を切る。
  8. しばらくするとアマゾンからメールが来る。更に数日すると新しいKindleが届く。アマゾンからメールに、UPS(ユナイテッドパーセルサービス)用の返送用ラベルインボイス(輸出用の送り状)の印刷ページがあるのでそれを印刷する。
  9. 近所のUPSの窓口に行ってKindleとラベルインボイスを渡して送り返してもらう。UPSがなければヤマトに頼む。
  10. 完了。

 

こちらに英語ヒアリング能力がない場合、とにかく先回りして相手の知りたいことを伝えることが必要。逆に相手にあれこれと聴かれてしまうとなす術がない。後は度胸でなんとかすること。

2010-11-27 床屋とヤクザ

[] 床屋とヤクザ

「そういえば、川崎仕事で行っていた時、駅からホテルに行く最中にでかいヤクザの事務所があって、前を通るのが怖かったんですよ…」

散髪に行った床屋オヤジさんと、ふとヤクザの話題になった。

いわく、すぐそこの近所にヤクザが住んでいて、その人の奥さんはススキノにバーを構えているのだが、そのバーに他の組のヤクザが飲みに行ってカラオケを歌わせる歌わせないで揉めた挙句、その人の家に8発も銃弾を撃ち込んでいった、云々。

オヤジさんは豪快を絵に描いたような人だ。戦国時代なら間違いなく武将だったに違いあるまい。

「実はね、このへんでも昔ヤクザが事務所を作ろうとした事があったんだよ」

「本当ですか?」

「ああ。昔、山口組が北海道に進出するって話になって、他のヤクザと揉めてたことがあったんだよ。この通りのすぐそこに駐車場みたいなところがあるだろ。あそこに、前は新聞配達所みたいなのがあったんだけど、その建物に北見の花田組ってのが来て事務所を作って、若いのをそこに詰めさせてたんだ*1

なんてこった。それはうちの隣じゃないか。こんな住宅地の一角でそんな事が行われていたとは。

「警察の機動隊も来て、バスで乗り付けて24時間目の前で見張ってたよ。そんで、ヤクザの若い方も青い戦闘服みたいなの着てたねえ。だけど、こっちの事務所は実は警察の目をそらすための偽物で、本当の事務所は平岸のほうに作ろうとしてたんだな。ま、そっちの事務所も今は無くなって、オレの友達が建物買い取って寿司屋やってんだけどね、ハハハ」

この人の話はいちいちオチが付いていて面白い

「で、そこに事務所があった時なんだけど、ヤクザの若けぇ衆がやってきてさ、パンチパーマやってねえかって聞くんだよね。やってないし、ヤクザの相手するのも嫌だったから断ったんだけどさ」

ヤクザにパンチパーマとは、何ともテンプレート通りのヤクザもあったものである

「その後になって、今度は普通のおじさんがやってきたんだ。別にどこも変わったところのないおじさんだったから普通に相手してたんだけどさ、そうしたらヤクザの若いのが入ってきて、『親分、お客人が見えてます。顔出してやってください』と言うのよ。このおじさんってのが、ヤクザの親分だったわけだよな」

それはまた…。

それからさ、その親分はオレの事気に入っちゃったらしくてさあ。ホテルに泊まって、事務所に来る前に毎朝ココに来て洗顔と髭剃りやってくようになっちゃってさあ。どうしたもんかと思ったよねぇ」

ヤクザに気に入られた床屋。この戦国武将みたいなオヤジさんにはピッタリのキャッチフレーズだ。

「ということは、その親分はここで?」

「そうそう」

俺は今自分が座っている椅子を指して言った。そうか、ここにその親分が横になって、毎朝髭剃りしてもらっていたのか…。

「だけどねえ、結局ココの事務所は引き払う事になって、その親分は北見に戻ったんだけど、後でその親分は北見で殺されちゃった。こっちにも組の若頭が居たんだけど、その人は釧路で殺されたそうだよ*2

ゴッド・ファーザーの末路。

こんな住宅地の片隅の小さな床屋に、日本のヤクザ史の一ページが隠されていたのだ。

きっと、コンビニで売られている実話系ヤクザ雑誌スタッフが聞いたら、喜ぶかもしれない。

それにしても、床屋という人種は、とにかく話にオチを付けなければ気が済まないらしい。


Wikipedia:北見抗争

*1花田組は一和会の傘下だったようなので、一和会のことか?

*2花田組の若頭で二代目という人は居るが、その人はススキノで射殺されている。この人のことか不明