目が見えないということ
カルルンが、目が見えなくなって、ほぼ1年がたちます。
そして、
カルルンの目が見えなくなって、本当に、いろんなことを考えました。
深刻に・・・ではありません。
むしろ、その反対。
もしも、わたしの目が見えなくなったら、私は、きっと絶望して、どうやって生きて行ってよいのか、それこそ、文字通り 目の前真っ暗 になると思います。
だけど、カルルンは…
方角が分からなくて、「???」
いろんなものにぶつかって、「???」
あれここどこ「???」
そんな毎日ですが、懸命に、けなげに、ときに強情に、元気に生きています。
犬だから・・・そりゃぁ、絶望しないのは当たり前だけど、
でも、カルルンを見ていると、
「そうかぁ・・・生きてるって、すごいなぁ・・・。生きてるだけですごく重要なことなんだ!」
と、あらためて、感動します。
お散歩で会った人に、カルルンの目が見えないことを言うと
「かわいそうねぇ・・・」
と言われるのですが、カルルンは、ちっともかわいそうじゃないんです。
ちょっと不便だけど、自分のこと「かわいそう」とは思ってない、でしょう。
前にも書いたけれど、私は、カルルンの「盲導人」
一日中、そばについているわけではないから、不安なときや困ることはあるでしょうが、
毎日、カルルンのテンポに合わせてお散歩して、年のせいでおしっこが近いから、夜中や早朝におしっこをさせ、ごはんを作って与えて、いっしょにねんねして…
我ながら、よくやるなぁ、犬バカねぇ・・・と思います。
私が、年とったとき、こんなに面倒見てくれる人がいるかしら?
って、カルルンのことがうらやましくなることもあります。
カルルンは、来年の2月10日で、13歳。
カルルンとフランとの日々が、一日でも長く続くことを祈っています。