S「ミリアム」トルーマン・カポーティ

「夜の樹」収録 川本三郎訳 新潮文庫

 

M様の「こまどり」を読んで、少年が出てくる話をいくつか思い出しました。

ヘッセの「デミアン」とか、コクトーの「恐るべき子供達」とか。

でも最後の所でカポーティの名前が出てきて、一気にカポーティに心を持って行かれました。

 

10歳位の子供が出てくるので、少女ですが「ミリアム」を。

忘れているので再読してみたら、こんなに怖かったかなと驚きました。もう完全にホラー。

 

主人公のミセス・ミラーは一人暮らしの老婆だと思っていたけど、六十一歳だったのも驚き!

きれいに片付いた部屋で人付き合いもなく、静かにカナリアと暮らしている。

その生活にするりと入り込んでくる少女がミリアムで、服装も言動もどう考えても魔物。

 

話の途中で、それまでミリアムが一緒に暮らしていた「貧乏なお爺さん」らしき人がちらりと出てきて、奇妙な挨拶をして去って行く。

その後ミリアムは大きな箱と人形を持ってやってきて、ミセス・ミラーの部屋に入り込む。

抗えない力があるところや、世話をする人間を必要としているのは映画「ぼくのエリ 200歳の少女」を思わせる。人ではないもの。怖い。

 

ミリアムのことは10代で読んだ時も怖かった。

でも今回さらに胸に迫るのは、ミセス・ミラーの不安と孤独でした。

ささやかでも満ち足りて暮らしていたはずの人が、精神の危機を迎えて頼るものがない。よるべない。

現実と妄想の境目があいまいになる。自分は現実だと思っているのに、誰も信じてくれない。

身近に認知症の人がいるので、その戸惑いにもリアリティがあります。

 

いきなり足下に何もなくなって、ぼんやりしてしまう感じ。

どこにいるのかわからなくなる感じが本当に上手なカポーティ

すごく嫌な気持ちなのに、魅力的なのが不思議。久々に読んでもやっぱり好き。

 

そのカポーティがライバル視した「こまどり」のヴィダールも、とても気になります。

スズメからこまどりの美しい鳥つながりだったけれど、意外と暗くて妖しい所に来てしまったかも。

M「こまどり」ゴア・ヴィダール

「新・幻想と怪奇」仁賀克雄編所収

Hayakawa pocket mystery books

 


S様の「ある小さなスズメの記録」の『小鳥』『ウォルター・デ・ラ・メア』で思い浮かんだのがこの作品。
幻想怪奇のアンソロジーに載っていた短編ですが、
怖いというよりは心痛む感じです。

 

「九歳のときのぼくは、いまよりはるかにタフだった」で始まるこの掌編。
そのタフさが、交通事故や覗きからくり、安雑誌の拷問場面に興奮する、というのが可愛い。
某マンガ*1に少年がクラスメートの女子をギタギタに切る想像をするコマがあるのですが、この作品でも、厳しい女教師を“自分の世界で発明したさまざまな拷問”でやっつけるのを想像する場面が出てきて、『思春期あるあるなんだな…』と感じて微笑ましかったです。

 

タイトル「こまどり」が登場するのは後半5分の4を過ぎてから。
それまでは、ジョージ王朝風のカントリーハウスの小学校や隣接した森で過ごした少年の日々が綴られています。
それがとっても繊細で透明で美しい。
ラストは少年たちの残酷な純粋さに、胸が締め付けられました。
「同時代の作家トルーマン・カポーティが彼をライバル視した」というのも納得の一篇です。

 

 

 

*1:「僕の心のヤバイやつ」という漫画です。お気に入り

S「ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯」

文春文庫

 

 

Mさんの「砂嵐の追跡」の野鳥愛好家から連想したのは、共に暮らしたスズメの一生を記したクレア・キップスのこの本。

 

挿画は酒井駒子でカバーや帯の色までも美しい文庫本。

訳者が梨木香歩、解説が小川洋子

さらに豪華なことには、キップスに執筆を薦めたのが怪奇幻想小説のウォルター・デ・ラ・メア

 

第二次世界大戦中に実在した、あるスズメについて書かれた本です。

巣から落ちていた所を救われた雛を12年間育て、最期の日まで見届けた稀有な記録。

ピアニストであるキップス夫人が弾く伴奏に合わせて日々歌い、戦時下には芸をして人々を慰めた偉大なスズメのお話です。

 

繊細な感性と観察眼、そして文章が端正でウェットじゃない所がとても良い。

事実を正しく伝えようと淡々と書いているのが、かえってとても叙情的で詩的な作品に仕上げている。

人語を話さない生き物と暮らせるのは、特別に幸運な時間なのだなと思う。

 

今回数年ぶりに書棚から出してきて読んだら、その年数分だけ自分が歳を取ったせいか、クラレンスが愛しくてたまらなくなった。

ここに登場するスズメもロンドンの人達も、今はもう誰もいないのだけど、本の中で存在している。

本の間にたまたま昨年枯らしてしまったうちのベランダのブルーベリーの紅葉した葉が挟まっていて、それもまた過去の時間を思わせる。

 

この作品を書くように薦めてくれたデ・ラ・メア卿にお礼を伝えたい。

M「砂嵐の追跡」ウェンディ・ホーンズビー

Hayakawa pocket mystery books

 

 

 

Sさまの「ザリガニの鳴くところ」を読んで思い出したこの作品。
こちらは「ベスト・アメリカン・ミステリ2006」所収の短編です。

 

主人公の女性は、峡谷の雛を辛抱強く見守る野鳥愛好家です。
砂漠で一晩すごすために、さまざまなキットを準備し設営するのですが
その手順が知らないことばかりで読んでて楽しい。
自然と親しみそれと共存しているところが少しだけカイアを連想させました。

 

しかし似ている?のはそこまで。
彼女は実はデルタフォースの指導教官!さらに陸軍中尉!さらにさらにトライアスロンの優勝者!
砂漠で偶然遭遇した街の悪党をなんなく手玉にとってきりきり舞いさせます。タフ。
そんなツワモノなのに、いいなと思った男性にアプローチする時には、
「ひとりで過ごすなんて怖いわ」とばかりに、か弱いふりをするのもタフ(笑)

 

肉体的にも精神的にもたくましい女性の短編でした。

 

 

 

S 「ザリガニの鳴くところ」ディーリア・オーエンズ 

早川書房

 



【ネタバレご注意ください】

 

これから読まれるご予定で、何も知りたくない方はここまでで。

読み終えてから、また帰ってきて下さると嬉しいです。

✴︎ ✴︎ ✴︎

 

ノースカロライナ州の湿地で青年の死体が見つかり、湿地に暮らす女性が疑われる話。

 

予備知識はそれだけで読み始めた。読後しばらく放心する位に良かったのに、感想ノートに内容をほとんど書いてなかったので、今回再読した。

 

メインストーリーは殺人事件として展開して行くけれど、湿地の自然が大きなテーマでもあり、差別や偏見、1人の少女の成長、善悪について、といくつものストーリーや考察が重なり合っている。

初回は自然描写の鮮やかさと筋書きの先行きにばかり気を取られていた。2回目は意外と恋愛心理が丁寧に描かれていることに気づいた。

湿地の美しさ、地の文の優雅さは変わりなく突出していると思う。

 

 

私は独学の人がとても好きだ。

この主人公はその中でも生きること自体がセルフビルドだ。

湿地でひとり暮らすカイアは、ホワイトトラッシュと呼ばれ、地域社会から弾き出されている。

親も兄弟もひとりずつ出て行き、学校にも行けず、湿地の奥の小屋で6歳からひとりで暮らし、ほぼ人との関わりを絶ったまま大人になって行く。

 

彼女は学校に1日しか行っていないので文字が読めないが、家を出て行った兄の友人テイトに読み書きを習い、羽根や貝の標本を集め、分類し、壁に飾り、絵を描く。

そしてそれは、湿地の研究者として何冊もの本を出版するまでの貴重な学問となる。

膨大なリサーチと経験から、一定の法則とか分類が浮かび上がってくる瞬間。

その喜びは、おそらくほとんどの人が経験できないものだ。

 

 

この作品の一番好きな所は、散りばめられているリリカルな自然描写。

舞い降りてくるカモメ達、落ち葉の舞う様子、釣り上げられた魚の目、湿地の泥。

光の中を埃がキラキラと舞い、影に入ると消える様子が特に鮮やか。

子供の頃に同じような光景に目を奪われた者は、誰もが目の前にありありと見えるよう思える描写。

作者の見つめる人間と野生の間の世界の美しいこと。

 

 

自然の中で暮らすカイアは、普通の暮らしにあるものを持っていない。

あらかじめ失われている、その後で得る(得たと思う)、そしてまた失う。

自然の中では一つのことが終わっても、それは別のことの始まりでもある。

終わりと始まりは繰り返すので、物事は終わるけれど、終わりの終わりが来る訳ではない。

始まり続けるとも言える。

人はサイクル全体が見えないから、終わりを恐れる。

 

 

事件の真相については、最後の最後で読者もテイトも知ることになる。

それも意外な方法で(それはさすがに書かないでおこう)。

極端な孤独の中で暮らしてきた為に、人を信用することが困難なカイア。

愛するテイトにも心の奥底を打ち明けることはできなかった。

それに気づいたテイトの心境はどうだったのだろう。それを何度も考えてしまう。

 

私たちはおしゃべりして愚痴を言ったり、ちょっとだけ毒を吐いたり、分かってもらったりすることで、心に溜まる澱を浄化することがある。

でも、本当に大切なことは言えないものなのかもしれない。

そして、相手の為にも自分の為にも、言わない方が良いのなのではないか、とも思った。

 

動物も昆虫も自分のことなど何も言わない。人の知らない所で生きて、そっと退場して行く。

そんな風に生きるのは現代の人間には、とても厳しいこと。

その厳しさも含めて少し憧れる。

 

Sです

知らぬ間に10年が過ぎていました。

 

Mさんも書いてくれていましたが、久しぶりのランチで最近読んだ本の話をしていました。

この場所のことを思い出し、そういえばあのサイトまだあるのかな、と調べたらありました。

こんなに喋ってるんだから書きましょう、と再開を決めました。

でもよくよく読み返してみると、10年前のその前も随分空いてたんですね。

 

子供の頃からずっと本が好きです。

この10年は仕事に関する本とか、学びのための本を読むことが多かった気がします。

紙の本が好きなので、何を読んでいても満たされるものがあります。

ですが、本当に好きなのは物語です。

少しずつまた好きな種類の本に戻ってきているので、ゆるやかに更新して行きたいなと考えています。

 

フォントの大きさとか、画像の貼り方とか、まるで覚えていないので笑ってしまいました。

あと過去の自分が書いたものが、まるで知らない人の書いたものみたい。記憶にない。

書くことで内側にあるものがリセットされるのかもしれません。

 

ではでは、今後ともよろしくお願いいたします。

M「われら闇より天を見る」クリス・ウィタカー

早川書房

 

 

ゴールド・ダガー賞受賞というだけで期待が高まる単純な私。
そして期待に違わず、冒頭2ページでぐっと引き込まれます。
短い描写でその土地がどんなところか、彼らの関係性はどうなのか、さらっと伝えてくるのがうまいし、少女ダッチェスと警察官ウォークの二組の描写を交互に描くことで飽きさせません。しっとり描写する部分と落とすタイミングが絶妙ですし、後半は一気呵成、ラストもシンプルだけど感動的です。

 

私が面白いなと思ったのはその人物造形です。
登場人物の、軽重はあれど犯罪率の高さといったら!
ダッチェスは放火、ダッチェスの母スターは育児放棄、ダッチェスの祖父ハルは犯罪教唆、ヴィンセントはひき逃げ、警察官ウォークは偽証、肉屋のミルトンは盗視、地上げ屋ダークは暴行。ワーオ。
犯罪とまではいかなくても、車自慢のブランドンはしょっちゅう騒音騒ぎを起こしているし、ダッチェスとロビンを一時受け入れた家族は食事に差をつけ悪口を言い触らしたり、どの人物も欠点あり。

 

作中「悪に程度などないのかもな」とあるように、これは作者は意図してやってるんだと思います。
実際、欠点のない人間なんていませんもんね。
なぜその行為に至ったか、は(ヴィンセントのひき逃げ以外)きちんと描写されているので、理解も出来るしリアリティがあって、人物造形に深みを出しているんですが、読んでてまあまあ辛い気持ちにもなりました。

 

中でも私が一番心惹かれたのはヴィンセント・キング。
過失致死なのに成人刑務所で10年って重すぎじゃない????未成年なのに???
その上30年死んだように生きて刑務所内で自分を傷つけて、自分が父親だと隠して子供を守るために罪を引き受けようとする…。
作中だと私はヴィンセントに一番幸せになって欲しいと思いました。
なのに最後は投身自殺。ううう~~~~!!!
身を投げる前の言葉「自分のしなくちゃいけないことはわかってる。裁きだよ。復讐だよ。まかせといて」が、あまりにも辛くて哀しくてなのに詩的で、一番心に残りました。

 

種々な人物が登場しますが、犯罪を犯した人間はおおむねその報いを受けています。
特に少女ダッチェス。彼女は直情的で抑えがきかず短絡なので、母が殴られて帰ってきた時ダークのせいだと思い込み、ダークの持つクラブを放火しますが、それが発端となり、母は死に、馴染みはじめ穏やかに成長できそうだった祖父ハルとの暮らしを奪われ、何よりも大事にし依存していた最大の宝物である弟ロビンとも別れざるを得なくなります。

 

そんだけのことしちゃったから、といえばそうなんですが、
13歳で母は頼りにならず周囲は敵ばかりと感じる彼女にとって、「あたしは無法者のダッチェス・デイ・ラドリー」と言い放ち、相手に「舐めた真似をさせない」ことが、彼女の唯一生きる術だったことを思うと、なんとも哀しくなります。

 

間違いを犯さない人間なんていない。
そして、やってしまったことを、時を戻してなかったことには出来ない。

 

自分の行いの報いを受けるダッチェスですが、
直情的だった彼女も、弟ロビンがなついた夫婦に養子に迎えてもらうために激情を抑えようと努力し、それに失敗すると断腸の思いでロビンから離れることを決意します。
この、長い時間をかけて少しずつですが、彼女が変わっていこうとする姿はしみじみします。

 

原題は「We Begin at The End」
自分ではどうしようもない現実に打ちのめされ、抗おうとして闇に堕ち、それでもまた立ち上がる、「終わりからまた始める」人々の物語。
闘う少女ダッチェスの物語でした。