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Tanglefoot Bag - さるしんごのD&D関連雑記 Twitter

2015-08-06

[][] カラ・トゥア(Kara-Tur) ― 東の地 ―

フェイルーンの東にはカラトゥア(Kara-Tur)と呼ばれる土地があります。広さはおおよそフェイルーン全体と変わらないくらいあり、北の氷原から南のジャングルまで多様な地形・気候がみられます。そこには4つの帝国を含む国々が独自の文化を発展させています。

カラ・トゥアに住んでいる人々は、主に Human でショウ人(Shou)と呼ばれます。地域により若干の違いはありますが、黒髪で茶色い瞳を持つ人々です。この他には Korobokuru、Hengeyokai、Spirit Folk などの種族が文明社会を築いています。

フェイルーンとカラ・トゥアの人々の間には長い交流の歴史があります。セスク(Thesk)より東に延びる金路(The Golden Way)はカラ・トゥア一番の大国であるショウ・ルン(Shou Lung)との交易路です。ショウ人は落星海(Sea of Fallen Stars)沿岸のいくつか都市にショウ人街(Shou District)を作っていますし、第4版の時代(1479DR)にはナスラン(Nathlan)という植民地もドラゴン・コースト(Dragon Coast)にあります。

フェイルーンの東方に関する特に大きな事件としては、「災厄の時(Time of Troubles)(1358DR)」の直後にトゥイガン(Tuigans)の王ヤマン・カハン(Yamun Khahan)がホード(Horde)を率いてサーイを侵略しています。フェイルーン諸国はトゥイガンの西進を食い止めるために聖戦を起こし、これを撃退しています。東のカラ・トゥアでもホードを押しとどめるために激しい戦いがありました。

Kara-Tur は Oriental Adventures(1985年。 AD&D 1st 対応)に数ページの概要が紹介されたのを皮切りに、数点のアドベンチャー・モジュールで国々のより詳細な設定が示されました。これらをとりまとめ情報を足す形で Kara-Tur: The Eastern Realms(1988年)というボックスセットが製品化されました。時期的には AD&D 1st の末期、AD&D 2nd の初期にあたりますので、載っている情報は災厄の時よりも前のものです。ボックスセットの後に AD&D 2版 対応のモジュール数点が出ています。その後カラ・トゥアは、上に述べたホードによる侵攻を扱ったボックスセット The Horde や、フェイルーン東方地域を扱った Unapproachable East で断片的・間接的に言及されるにとどまっています。

今回はカラ・トゥアの国々から、特に重要な4つの帝国について概要を紹介したいと思います。Oriental Adventures の "An Overview of Kara-Tur" の章、及び Dragon 315号の記事 "Kara-Tur Ancestor Feats and Martial Arts Styles" を参考にしました。

http://www.oak.dti.ne.jp/~singo/img/Kara-Tur_Regions.jpg

ショウ・ルン(Shou Lung)

ショウ・ルンは大河の周囲に広がる平野を中心に、複数の王国が統一された広範かつ強大な帝国です。1200年前から皇帝が治めている最古の帝国です。かつての王国は14の州(Provinces)となっています。

ショウ・ルンでは官僚制が発達しており、才能と努力次第で官僚として出世できます。州は長官により治められ、その下の役人たちが徴税や問題解決に当たります。また公共事業も盛んです。郵便制度があり、ダムや運河の建設も国主導で進められています。貨幣だけでなく紙幣も作られています。

フェイルーンでショウ人と言うとショウ・ルンの出身者を指すようです。ショウ人はコスモポリタンで積極的に海外交易を進めています。ショウ人は名誉を重んじますが個人の名誉よりも氏族の名誉を重んじます。また、失った名誉を取り戻すために長い企みをめぐらすことがあります。

トゥ・ルン(T'u Lung)

ショウ・ルンの南に広がる帝国です。ショウ・ルンを追われた皇族が1066DRに建国しました。その後200年にわたりショウ・ルンとトゥ・ルンは絶え間ない戦争を続けました。そのためトゥ・ルンの国土は荒廃し山賊やモンスターがうろついています。

トゥ・ルンの官僚制はショウ・ルンのものを真似ていますが、健全に機能してはいません。建国時に皇帝に従った貴族達の力が強く、その血縁や近親者で要職は固められています。腐敗が長く横行し、賄賂や暗殺が政治的手段として常用されています。民衆は官吏に抑圧されており、法は曲げられるか無視されがちです。

トゥ・ルンに住む人々の特徴はショウ・ルンと同じです。

ショウ・ルンおよびトゥ・ルンのモデルとなったのは歴史上の中国と思われます。

ワ(Wa)

東の海に浮かぶ島々にはショウ・ルンとは異なる文化が発展しています。大きな島ツキシマ(Tsukishima)を中心にした幾つかの島がワの国です。長い戦乱の後にショーグン(Shogun)によって国土が統一され、今は平和が保たれています。ショーグンは代々ヒデトミ(Hidetomi)の一族から選ばれています。地方についてはダイミョー(Daimyo)達がそれぞれ封建領土=藩をショーグンから授かり治めています。

ワの国では反乱を抑止するために抑圧的な社会が作られています。厳格な身分制度がありサムライがそのトップです。藩の間だけでなく都市の街区間の移動でさえ制限されています。信仰についても禁教が定められています。外国との交流は出島での貿易だけが許されています。

ワのモデルは江戸時代、それも幕府の統治体制がしっかりと固まった頃の日本と思われます。

コザクラ(Kozakura)

ワの東にあるシンコク(Shinkoku)等の島々をゆるやかにまとめる連合国家がコザクラです。ワと同様の文化を持ちますが、力の強い中央政府が無く、地方でそれぞれの統治が行われています。名目上の皇帝は居ますが実権はありません。力のあるダイミョーがショーグンの座を巡って常に争いを続けています。

コザクラの社会はワに比べて緩いものです。一般人がダイミョーまで成り上がる余地が未だに残されています。

コザクラのモデルは鎌倉時代から戦国時代までの日本と思われます。災厄の時の時点では、豊臣秀吉が天下を取る少し前あたり、という感じでしょうか(この後も際限なく戦国時代が続くと思われますけど)。

ワとコザクラに住む人々は、ショウ人に比べ、やや背が低く体重が重いとされています。その性格は個人の名誉を特に重んじ、性急に不名誉を挽回しようとする傾向があります。