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2009-06-14

[]続々《日本のWebは「残念」》について梅田氏の原点・日米の違い・二人の提言


【追記】『5.』で、匿名中心の日本のウェブが、なぜネガティブな方向に行きがちなのかについて、私が前に書いた見解からの補足を書き込んだ。


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  [<ここ>に刺激を受けて載せられたアテネの学堂のイメージ<ここ>より]


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  1.はじめに「一番盛り上がったところ」だけでも読んでください

  2.梅田氏の原点知的生産性向上と「裏切り」

  3.日米の気質の違い一般人・専門家・研究者

  4.3つの論点サブカルチャー・知識人・実名か匿名か

  5.なぜネガティブに傾いてしまうのか

              …平等主義・仲間意識・相互不信

  6.知的な討議のための提言「動線」の整理とコミュニティ意識

  7.《はてなマガジン(仮)計画》

    …梅田氏の「文系のオープンソース」にも通じる興味深い提案

  8.急速に進みすぎた日本のウェブいろんなものを置き去りに?

  9.ウェブの「残念度」を下げるための提言前向きに行きましょう

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1.はじめに「一番盛り上がったところ」だけでも読んでください


今回は、三石氏の「とても自由な発言」について紹介する予定だった。しかし、梅田望夫氏の《日本のWebは「残念」》についての、《本編:炎上をまねく匿名文化が「世の中を良くする」ことを邪魔していないか?》と、《続編:専門家の側も残念》について、付け加えたくなった。

それは、まず、そもそも梅田氏がブログを読み出した原点、そして日米の文化の違いについてである。そして、次に、梅田氏の「提起」を受けての改善策を提案している方々がいるので、それらを紹介したい。いずれも引用が中心であるが、記録をしておきたいという意味もある。

ちょこちょこ意見は挟んだのだが、あまりオリジナリティがない記事だといえるのかもしれない。ただ、『7.』で、ある「提案」への評価や提言と、それを梅田氏が以前述べていたことを並べて比較したのは、私のオリジナルなのかもしれない。気分的にも、一番盛り上がったところなので、そこだけでも見ていただければ嬉しく思う。


2.梅田氏の原点知的生産性向上と「裏切り」


まずは、《続編:専門家の側も残念》に書いた専門家の発言のことに関連する話である。ブログが興隆する日本では、「面白いブログ」が一番の人気を集めているようなのだが、梅田氏がブログを読み出した原点について、《Blog論2005年 バージョン2》で次のように述べていた。

僕自身が2002年から2003年にかけてBlogという現象に強い関心を抱いたのは、実は「面白いものを読みたい」ということを求めてのことではなかった。

それは、次のようなことである。まずは、アメリカのブログからの成果である。

Blogの登場とともに驚愕重要な人たちの大切な言葉が無償でインターネットに、ずるずるずるずる、これでもかこれでもかと溢れてくるではありませんか。これは本当に驚いた。その驚きと感動みたいなものが、僕のバイアスしたBlog観のベースになっている。

皮膚感覚として言えば、5年前に週の半分くらいを費やして得られた勉強成果を、今は毎朝30分の勉強で得られる。そこから先は、勉強の質のさらなる向上か自由時間の増大の選択となる。僕にとってのBlog登場の意味は、恐ろしいほどの「知的生産性向上」だったのだ。Blogを書く時間だって、この「知的生産性向上」によって生まれた余剰時間ゆえに捻出できることだ。

ところが、日本のブログには、期待を裏切られたという。

大組織に属する超一流の技術者や経営者が本気でBlogを書くということも、どうも日本では起こりそうもない。・・・・ 日本のBlogは、そちらに向かっては進化していないように思える。残念ながら今のところ、僕の期待は裏切られたのだな、というのが正直な感想なのである。

3.日米の気質の違い一般人・専門家・研究者


梅田望夫氏は、日米のブログの進化の仕方について、それぞれの気質の違いとともに次のように述べる。

日本のBlogは明らかに米国のそれとは異質な方向へと進化しているのではないかという気がした。アメリカ実名Blogが多く、日本は匿名(ペンネーム)Blogが多いというのもよく言われていることだが、それとも関連するのかもしれない。アメリカに住んでいて思うのは、アメリカ自己主張の強さ、「人と違うことをする」ことに対する強迫観念の存在である。彼等は「オレはこういう人間だ、私はこう思う」ということを言い続けてナンボの世界で生きているから、Blogというツールもそのための道具として使われる。日本はそうシンプルではない。「楽しんでいただけましたか?」的なサービス精神旺盛で面白さを追求しているのが、日本の人気Blogの特徴のようにも思える。自己主張よりも読み手に楽しんでもらえるかどうかのほうが重要-->だからペンネームでいい、という感じ。それがPage Viewの多いBlogの日米での違いになっているような気がする。

そのような違いをもたらした気質の違いは、専門家における日米の気質の違いにも繋がっているようだ。

日米の専門家を比較して思うのは、日本の専門家はおそろしく物知りで、その代わりアウトプットが少ない。もう公知のことだから自分が語るまでもなかろうという自制が働く。米国の専門家はあんまりモノを知らないが、どんどんアウトプットを出してくる。玉石混交だがどんどんボールを投げてくる。そんな対比をすごく感じる。

研究者でもそういう違いがある、と科学者の友人に聞いたことがある。日本の研究者は、自分の研究領域の周辺でどんな研究がなされているのか恐ろしくよく知っている。米国の研究者はあんまり知識はないが、考えたことをどんどん突き進めて行く。モノを知らないから、ずいぶん研究したところで、それに気づくみたいな無駄があるが、大切なのは自分の頭で考えて研究するプロセス自身にあるのだから、確率的にブレークスルーが出やすい。そんな話だったかと思うが、何だか相通ずるところがある。

このような背景があり、梅田氏は、日本のブログに「裏切られた」のだが、一方で次のような期待も述べていたのである。

モノを書くことは恥をかくことである。恥をかきたくなければ何も発表せず、読むだけ読んで人のことを「バカだなぁ」とうそぶいていればいい。

ただインターネットが少しずつ変えていく新しい常識、そしてインターネットを当たり前の存在として育った若い世代がだんだんと影響力を持っていく新しい世界は、既得権益に守られたそんな似非専門家を少しずつ駆逐するプロセスなのだと、僕は信じたいのである。

ところが、4年前のこの期待が、若い世代にも裏切られつつあると感じたため、梅田氏は「残念」と言ったのかもしれない。

私は、《続編》で日本の状況も、徐々に変わりつつあるのではないかということを書いた。ITの分野のように進化が早くて若者が活躍する場では、発言権も持ちやすいのではないだろうか。《本編》の最後には、次のように書いた。

自分がホンモノという自信があるのなら、恐れなくてもいいのではないかと思う。

しかし、そのような分野ばかりではないのだろう。表面的には、改革をしているようでも、一皮はぐと、旧態然とした部分が幅を効かせている分野も多いのかもしれない。そのような場所にいる方は、取りあえず自由な発言は抑えるにしても、『大切なのは自分の頭で考えて研究するプロセス自身にある』ということは、忘れないでいただきたいと思う。


4.3つの論点

        …サブカルチャー・知識人・実名か匿名か


次に、梅田氏の「提起」を受けての改善策を紹介したい。ただし、梅田氏は、直接特に何らかの議論などを「提起」をしているわけではない。しかし、せっかく(?)「炎上」したのに、燃え跡に何も残らないというのは寂しい話であるし、そうなることは梅田氏の本意ではないと思う。

2人のブログからの提言を紹介したい。まず、《本編》でも、その論点をまとめなどを引用させていただいた、《Al2O3》のfujikumo氏の梅田望夫さんのインタビューにゆっくり反応してみる』シリーズからである。fujikumo氏が、《梅田望夫さんのインタビューにゆっくり反応(4)-1》で、提起する論点は次の3つである。

  1. 日本のwebの利用がサブカルチャーに偏っている、それは残念?それとも、という話。
  2. 日本のwebには、知的に高度な層の参加が、英語圏に比べて少ない。それってどうなの、問題なの?という話。
  3. webが現実のインフラとして機能していないこと。それと密接に関係して、匿名中心のネットの利用と実名を使うネットの比較

これらについて、fujikumo氏の見解と私の意見をまとめておきたい。

『1』の論点について、梅田氏がけっしてサブカルチャーを軽視しているわけではないことは、《本編》で引用もして述べたが、そもそもfujikumo氏は、次のように書いていた<ここ>。

インタビューの記事を読むかぎり、梅田さんは、ただの<サブカルチャーであるネット文化の重要性を評価し損ねているように見えた。
  ・・・・
なぜ、ただのサブカルチャーであるネット文化がそんなにも重要だと思うのか。

それは、文化がある集団のアイデンティティの核になりうるから。文化が求心力を持つことによって、ばらばらの個を、意志を持って動き回る1つの集団にまとめ上げることを可能にするから。

これについては、《本編》に付け加えた「注」に書いたが、世代的なことも関係しているかもしれない。ただし、fujikumo氏も次のように言う。

これはまだ可能性の話で、現実はまだそこまでは至っていない。でも、そういう兆候は見える。

梅田氏と同世代の私には、そこのところはよくわからないのだが、その兆候が見えるとすればいいことなのだと思う。


『2』については、fujikumo氏の見解も引用して、《本編》で述べた。そこでは、世の中を変えていくのは、知的に高度な人々よりも、むしろ普通の人たちだというfujikumo氏の意見に対して、私は次のように述べた。

fujikumo氏の言うこともはもっともな気もするが、fujikumo氏自身、「普通の人たち」が「世界をよりよい場所にしていく」ことについて方向性は述べるが、見通しきれているわけではない。私自身は、もちろん、世の中が変わるためには「普通の人たち」が動く必要があると思うが、それにはやはり、「知的に一流の人」達が論議を引っ張る必要があるのではないかと思う。

『3』については、「日本のwebにもいいところがあるよ」というそれまでの立場とは逆の立場で書いたという《(4)-1》で、fujikumo氏は次のように書く。

英語圏実名を使用のSNS、facebookの利用の仕方が興味深い。
  ・・・・
「この人はどういう人なんだろう」という未知の人の信頼性の値踏みが、SNSである程度、見当をつけられるので、コミュニケーションの効率性、コストが大幅に下がっていると。

このことは、次の様な場合に役に立つという。

今まで会ったことのない未知の人がいて、その人の大まかな信頼性を、限られた時間の中で値踏みしなければいけない、とか。あるいは、逆に、ある特定の目的があって、誰でもいいけれど、その目的に沿って、そこそこ信頼できる人を探したい

このことは、例えば求人・求職の効率化には随分役に立つだろうということを挙げている。このようなことは梅田氏も書いていたと思うが、私もそのとおりだと思う。一方日本では、匿名が多くて現実の世界とは切り離されてしまっていて、その機能が果たしにくい(*1)。その理由の考察が次に述べられる。


5.なぜネガティブに傾いてしまうのか

        …平等主義・仲間意識・相互不信


日本で、匿名、あるいは「2ちゃんねるで言う名無しさん」が多い理由として、《(4)-2》でfujikumo氏は次のように書き進める。

会社や組織のしがらみが、個人の情報発信を抑圧する、その結果、発言するとしても、名無しでの発言にならざるをえない。そういう話は、現場をよく知っていて、自分よりも語るのに向いている人がいるだろうから、そちらへ。

ここで書いておきたいのは、日本の社会が匿名を好む、もう少し一般的な事情。背景にある、文化的、社会的な心情みたいなものです。

そして、次のように述べる。

webを全体的に見て思うのだけど、1.webの匿名利用と、2.現実の世界からの遊離、それと3.ネガティブに傾きがちな心性、というのは三者で手を組む微妙な共犯関係にあると思う。
・・・・・
匿名でwebを利用するから、現実の世界から遊離しがち、あるいは、現実の世界のしがらみからは解放されて、匿名なので、他人の悪口を言っても大丈夫。もしくは、逆に、ネット空間では、陰口をたたかれやすいので、現実の素性を隠す、とか。
  ・・・・
この3つの要素が結託して、敷居が低く、気軽で自由でいいんだけど、ちょっと目立ったりすると批判が飛んでくる、という微妙な、日本的なネット空間ができあがる、と言っても過言ではない。

この分析には、なるほどと思わされた。fujikumo氏は、次のように進める。

言うまでもなく、最大の問題は、3点目。日本のネット空間が何か言うと、すぐに批判されるような、ネガティブに傾きがちな傾向があること。おそらくこれは、日本のweb文化のもっている最大の欠点であると思う。

なぜネガティブに傾いてしまうのかということについて、仮説を述べる。それには、3つの理由があるという。

1.参加者に平等主義的な心性が強い。
   ・・・・
図抜けてすごい人がいる、ということを認められなかったり、妥当な理由のない文脈で個人の名前が浮上すると、その人に対してねたみ・そねみを抱きやすい。
2.参加者のうちに、なんだかんだと、コミュニティの秩序維持を優先させる傾向がある。いわゆる「和」というやつ。
  ・・・・
こういう種類の「和」の精神は、異物と身内の裏切りに対して攻撃的になる代わりに、構成メンバーに対しては、気遣い利他の精神でのぞむ。うまくこの傾向を使えれば、だれも中心となって管理する人がいないのに、整然と話が進む2ちゃんねるのスレのようになる。

これら二つは、密接にからみあっていると思われる。そして、これらのことは99.9%文化を共有している日本人同士でやっているからこのようになるでのであろう。《本編》に書いたことだが、英語の世界だと次のようになるのではないだろうか。

当然いろいろな文化の人が入り交じっている。そうすると、すごく違和感のあるものがあっても、「そこでは、こういう発信、反応をするのが普通なのかな。まあそれはそれでもしょうがないか」ということになるのではないだろうか。

日本語の世界にもどると、fujikumo氏は、『1』『2』のことが、長所背中合わせになっているという。

なので、システムを上手に設計すれば、そういう傾向のいいとこ取りができるかもしれない。

具体策は、後で述べられる。

私自身は、「コミュニティー」に属するような形でやりとりした経験があまりないので、それほど実感はないのだが、そのような場所にうっかり足を踏み込んでひどい目に会ったという経験は持っている<参照>。

fujikumo氏は、次の3つめの問題が一番根が深いだろうという。

3.相互不信。
  ・・・・
なんだかんだいって、日本のwebに参加している普通の人は、まだ個人ベースの議論になれていないと思う。

自分個人の経験を振り返っても、学校や職場で、議論の仕方を教えてもらったことがない。webに来て、初めて、本格的に個人で議論したり、自分の考えを大勢の人の前で発表する、という人も少なくないと思う。

個人の責任で発言する経験が少ない分、臆病、というか恐がりな人が多いと思う。その結果、馬鹿にされる前に馬鹿にしてしまえ、冷笑してしまえ、というふうに攻撃的になる人がいる。
  ・・・・
こういう相互不信はじっくりと時間をかけて過剰な防壁を取り除くように誘導していくしかないと思う。

それに対することも含めて、次には具体的な対策が述べられる。


6.知的な討議のための提言

        …「動線」の整理とコミュニティ意識と


《(4)-3》で、次のことが述べられる。

どうすれば、ネガティブな心性に押し流されることなく、webで継続的に、知的な討議ができるようになるのか、について。

ただし、web全体のことは規模が大きすぎるとして、はてなのサービスとそのユーザーについて述べられる

妙な話だと思うかもしれませんが、部分的に2ちゃんねるのシステムを参考にしながら、はてなのサービスを構築し直すと、かなり知的な議論がしやすいwebサービスになるのではないかと思います。
  ・・・・
2ちゃんねる、というと、混沌とカオスの巣窟、というイメージがあるかもしれない。しかし、数年前まで(たぶん今でも?)2ちゃんねるの、特に専門板では、知的な議論がけっこう行われていた。
  ・・・・
平等主義的な心性や、いい意味でも悪い意味でも、群れたがる心性。そういったものは、日本のwebユーザの多くが抱えている。そういう心性は、場合によっては議論の足を引っ張りがちだけど、2ちゃんねる型掲示板はいい面を引き出すことに(部分的ながら)成功していた

ということで、「2ちゃんねる」のシステムの長所が述べられる(私自身、「2チャンネル」の専門板の一部を、授業用のプリントに使ったことがある)。そして、その長所をはてなでどう取り入れるかということが述べられる。具体的中身は略すが、次のような利点があるという。

こういうふうに、まじめに議論したい人と、反射的に思ったことをちょっと書き込んでみたい人をうまく動線で分けてやるだけで、かなり見やすくなるはず。

このような利点も述べられる。

たとえば、ブログが炎上したときでも、ブログ主個人がその炎上に立ち向かわなければいけないわけで、これは心理的に負担が重い。2ちゃんねる型のスレッドであれば、スレを荒らすやつが出てくれば、参加者が一丸となって荒らしを追い出す、という道がある。

コミュニティ意識は個人を束縛する面もあってうっとうしいものではあるけれど、上手に利用すれば、混沌を減らすうまい手助けになってくれると思う。

なるほどと思わされることがいくつか述べられていた。しかし、私自身は、「はてな」のサービスをいくつか使っているが、「はてな」だけで「コミュニティ」を育てるということには、それほど関心がない。・・・・ と書いていたところ、fujikumo氏のこのシリーズの最終記事に気づいた。


7.《はてなマガジン(仮)計画》

  …梅田氏の「文系のオープンソース」にも通じる興味深い提案


fujikumo氏《はてなマガジン(仮)計画》という記事が、なかなか興味深い提案であるので、中身の骨子を引用したい。そして、私自身の評価や梅田氏の書いていたこととの比較などを述べてみたい。まず、次のように述べられる。

伝統的な紙メディアが担ってきた、世論形成の先触れとなる役割、世論形成をリードする機能の一部をwebメディアももつべきだと思う。

そして、マガジンの立ち上げを提案する。

ユーザの中で、自分と同じ考えをもった人たちがグループを作る。左派の人たちは、左派の人で集まって、マガジンを立ち上げればいいし、経済系のブロガーがグループを組んで、経済問題に特化した雑誌を作ってもいい。

マガジンの中身は、主に次の3つだという。

  1. 特集記事として、お題を設定して、その表題の元にブロガーから記事を募る、書き下ろしの記事
  2. 普段から編集、更新される記事マガジンを運営しているグループによる、共同編集のtumblr(*2)みたいなもの。そのマガジンの編集方針に沿って、重要な記事だなと思うものをtumblrのようにクリップして表示する欄
  3. マガジンの読者と、マガジンを運営している人、いわば編集委員とが交流する掲示板

これを作ろうという、最大の動機は次のものであるという。

webの世論が社会全体に及ぼす影響力というのは非常に弱い。皆無ではないにせよ、すごく弱い。それはなぜかと言えば、影響力のあるブロガーのほとんどが一匹狼で、web全体の世論のあり方、というのが見えづらかったせいだと思う。

なんだかんだいって、コミュニティを作り、これだけの人が集まって議論した結果、出た結論がこれです、というふうにwebの世論を集約した形で社会に示せたら、それなりに影響力は強まるのではないか。

私も、世間一般の世論と、ネット上の世論(のようななもの?)が乖離していることを常々感じていた。一般のの世論の形成は、大手マスコミにかなり誘導されているという気がして、もう少し、ネットで語られているようなことが一般の方にも届かないものかということを思っていた。

ウェブを利用している方は、多いのだろうが、あるテーマについて、広くいろいろと検索して読み比べてみるというようなことは、時間もかかるし、なかなか手軽にはできない。そんなとき、取りあえず拾い読みができるようなマガジンがいくつかあれば、とてもいいとも思う。それぞれの「マガジン」の“吊り広告”を並べたサイトもあるといいであろう。

ところで、fujikumo氏の提言を読んで、読んで私の頭に浮かんだのは、ウィキペディアであり、梅田氏のウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)にあった「文系のオープンソースの道具」であり、梅田氏と斉藤孝氏の対談私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)「私塾」であった。前の二つは、ネット上で皆で作り上げるということからである。「私塾」については、その本では、傑出した一人が中心となるイメージだったが、こちらは、グループでつくる「学校」とその機関誌という感じもあるのではないかということである。


      ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)    私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)


前者の本の『「文系のオープンソースの道具」が欲しい』の所(p.164)を少し読み返してみると、次のようなことが書かれている。

コミュニティの成果物が「構造化された知(文章や音声や解説映像など)」(作品)であるときに使える「文系のオープンソースの道具」期待したい。
そのコミュニティ上には、志向性を同じくする人が集まり、リーダーが書くだけでなく、常連の人たちもそのテーマについてたくさんの知的貢献をし、結果として多くの叡智がたまり、それが最終的には学習のための教材に発展していく。
ブログ、SNS、ウィキのような共同文書作成ツールチャットサービスがうまく融合したコミュニティ・ツールになるのかもしれないが、それを駆使して積極的な「学習」「教育」「研究」「社会貢献」の感覚を共有した創造的なバーチャル・コミュニティが、リーダーを中心として生まれる。
若者たちがSNSを利用して、何か問題に直面すればネット上での「つながった脳」(他者の脳)にその解決策を尋ねるように、この「志向性の共同体」もそんな協力を常に行える。人ひとりのうしろに志向性を同じくする「群衆の叡智」が控えているような感覚で、個がエンパワーされる。

こちらは、どちらかというと「学習」「教育」に重点が置かれているのだが、根底の考え方には、共通するものがあるのではないだろうか。fujikumo氏の提案は、「コミュニティの成果物」を世の中に発信していくところに重点が置かれているということだと思う。活動の先に、このような目的があるほうが、盛り上がるという気もする。

fujikumo氏は、「まあこれは自分の妄想だけど」という。私には、実現性の評価はしづらいが、もし実現したら、すごくいいと思える提案だという気がする。ただ、提案の趣旨には大いに賛成するのだが、その具体的中身の妥当性については、改善の余地があるのかもしれない。ぜひはてな」のスタッフやユーザーの方々は検討してほしい。梅田も、サバティカルがいつまでかは知らないのだが、知恵を貸していただければと思う。

さて、次の記事では、日本のウェブ世界についての仮説が語られ、ブログの世界に限られるのだが、一般的な改善提言がなされている。


8.急速に進みすぎた日本のウェブ

        …いろんなものを置き去りに?


アルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれから (NT2X)

《本編》で引用したアルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれから (NT2X)の編者の一人で、現在もAMNという会社で「日本のネットやブログをもっと面白くすべき立場の仕事をしている」という徳力基彦氏の《tokuriki.com》に次のような記事があった。

f:id:SeaMount:20090613133703j:image

《日本のウェブは遅れているのではなく、急速に進みすぎたのではないかという仮説》


この仮説は、なかなか興味深く、説得力もある気がした。まず、ポイントが3つにまとめられる。


■1.日本はやっぱりブログ(日記)を書いている人が明らかに多い?


f:id:SeaMount:20090613160334p:image

       [日本語ブログは全体の3分の1もあるという<ここ>より]


これは、有名な話だとも思うが、ある記事を取りあげて次のように述べる。

米国で、主婦がブログを書くことが増えているという記事なのですが、これって日本だとmixi日記や楽天広場などを中心に、形は違えど長らく当たり前の話のような気がします。

そして、2年ぐらい前の、

シリコンバレーですら、奥さんがブログを書くという文脈は驚きをもって迎えられていた、という話

を紹介して、次のように述べる。

主婦学生などの一般人がブログを書くという文脈では、実は日本は英語圏に先行していたと考えることもできるわけです。

■2.芸能人によるネット活用は、日本の方が進んでいる?


これは、次のようにまとめられる。

芸能人のようなテレビに出ている人たちがブログのようなネットの情報発信ツールを活用するという文脈でも、日本は英語圏に先行していると見ることができる気がしてきます。

■3.英語圏も、衆愚化が進み始めているらしい?


これは、 digg(*3)という「集合知」を活用しているという米国のニュースサイトでも、「衆愚化」が進んでいるという記事を取りあげて次のように述べる。

diggは最初一部のテクノロジー系の人たちのニュースサイトとして機能していたものが、徐々に扱うテーマが広がってきていますから、それによって様々な人がサイトに入ってきているわけで、普通にやっていれば多数決でワイドショー化していくのはある意味メディアの宿命ということはできるかもしれません。

これら3つのポイントを合わせて、「日本のウェブは遅れているのではなく、急速に進みすぎたのではないか」という仮説が生まれたという。

その変化があまりにも早すぎたために、英語圏に見られるような知識人中心のネットが見えづらくなってしまっているのではないかと思えてくるのです。

一方、英語圏は次のようだったという。

英語圏というのは、英語を母国語とする国以外から、英語でコミュニケーションをすることができるエリート層が集まってくるわけで、アメリカのネット環境も案外ナローバンドから徐々に進展していたとか、ブロードバンド環境は結構高いとか、いろんなものを考えると、英語圏では日本人が思っているより、一部のエリート層とかギーク層から順々に、徐々にネットが普及しているという面が強いのではないかと思えてきます。

この記事は、次のようにまとめられる。

あえて、こうやって考えてみると、日本のネットとかブログとか、言論の世界とか、コミュニケーションの世界って、英語圏に比べると、実はいろんなものを置き去りにして数年で急速に進化してしまっているわけで。まだまだ、日本のウェブって、私たちができるはずのこととか、やるべきなのに見落としていることはたくさんあるのではないかと思う、今日この頃です。

そして、次のような提言がされる。


9.ウェブの「残念度」を下げるための提言

                …前向きに行きましょう


《日本のウェブの残念度を下げるために、私たちができそうな7つのこと+α》で、次の7つの提言がされる。


  1.自分が考えていることをネット上にアウトプットする

  2.参考になった他の人の記事や意見にはリアクションをする

  3.参考になった議論の経過をまとめる

  4.参考になった他の人の意見を紹介する

  5.もっと褒める

  6.周りの人と助け合う

  7.日本のウェブの良い面の魅力を理解してくれる仲間を増やす


詳細は略すが、それぞれ実行されたらいいことだと思う。私自身、『1』から『5』については、ある程度心がけてきたつもりである(*4)。『6』『7』については、ほとんどできていないが。

そして、徳力氏も「上記の項目に関連して、自分が個人的に&AMNを通じてチャレンジしたいと思っていることを開示しておきます」として、それぞれについて具体的に述べている。そして、次の様にまとめられる。

まぁ、こちらの7つはあくまでAMNで働く私のポジショントークであり、妄想的な今年の目標なので、正直やって意義のあるものになるのかどうかは、全く分かりませんが。もし、どれかの項目と同じようなことを考えていたよという方とか、そんな活動に興味があるという方は是非ご連絡下さい。

せっかくこの刺激的な時代に生きているわけなので、日本のウェブ可能性を諦めずに、みんなで一緒にいろいろチャレンジできればなーと思います。

「ポジショントーク」というが、読んでいて少し気持が明るくなる記事であった。また、《はてなマガジン(仮)計画》からも、希望のようなものを与えられた。批判を読むことも「楽しい」場合があるのだが、やはり、前向きなものを読みたいし、自分でも考えていきたいと思うのである。


f:id:SeaMount:20090613152703g:image

           [AMNのキャッチフレーズ(?)<ここ>より]

*1:ただし、必要に応じて自分はあれを書いていますと明かせるのなら、求人担当者にそれを知らせれば、自分をわかってもらうための一助とすることができる。私自身は、同僚や友人、あるいは教えている生徒には、これを書いていることを知ってもらいたいと思って知らせたりしている。ただし、対外的なことを考えると、迷惑をかけることもありうるかもしれないので匿名にしている。したがって、今の職場を辞めたら実名をオープンにしてもいいのではないかと思っている。ただし、家族は反対するかもしれない(^_^;)

*2tumblrとは、『ネット上のコンテンツをクリップすることに特化したブログサービス』ということで、『その最大の特徴は、とにかく引用機能が充実しているところ。ネット上で見つけた文章、画像、音楽、動画などをWeb上のスクラップブックとして手軽に投稿できるところにあります』ということである<参照>。“ IT用語辞典バイナリ”の解説は<ここ

*3diggとは、『2004年12月にKevin Rose氏らが始めた、閲覧者から投稿された情報を掲載する参加型ニュースサイト。ユーザは登録を行うことによって自分が見つけたニュースへのリンクを自由に投稿することができる』ということで、『diggでは登録ユーザなら誰でもニュースを投稿することができる。ユーザ自身が投票によってニュースの価値を決定するという点もdiggの大きな特徴である。また一般ユーザが自由に投稿できることから、非常に速報性が高いニュースサイトであるといえる』というものである<参照>。

*4:まだ、ブログを始める前、アルファブロガー』を読んだりして、「よしオレはアルファコメンテイター”をめざそう」と妄想したことがあった(^_^;)

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