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Secondguess

2008-04-27 ファック・オフ、アメリカ!

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http://www.flickr.com/photos/jedentagberlin/2397708806/より引用、Danke!そのほかの写真はここから。えげつないが。)

最近、といっても、旅行の前なんで、もう3週間ほど前の話になるのだけれど、ベルリンはローザ・ルクセンブルク広場Rosa-Luxemburg-PlatzのフォルクスビューネVolksbuehneで、Fuck off, Amerikaエドゥアルド・リモーノフEduard Limonowが1979年に書いた自伝Fuck off, Amerika、原題«Это я, Эдичка エタ、ヤー。エジーチカ。»をもとにフランク・カストルフFrank Castorfが演出)をみたのだが、今日はこの演劇についてのお話。昨日書いた故郷へのノスタルジーという話の少し続きになるのだけれど、この演劇にまつわるある種のノスタルジアのほうが、小生の感傷などばかげているほど、根が深い(ちなみに、邦題は、「俺じゃ、エディーじゃあ」にしておこう、ちなみに小生の尊敬するロシア文学者のひとりである沼野充義御大は「おれはエージチカ」と訳しておいででしたが・・・作品の詳細は沼野御大の解説を御覧あれ)。

この演劇がネタにするのは、当時のソ連で、人民の敵扱いされ、半ば追放される形で、自由の国アメリカにきた、かなり自意識過剰な「俺様」のお話、つまり、リモーノフの、おそらくフィクションも多分に混ざった半自伝。自由の国「あめーりか」にやってきたものの、ここのものはなにからなにまで自分にあわないし、ろくな仕事はないし、故郷ではちょいとアングラなシーンで有名になりかけて女の子にももてもてだった新進作家でも、自由の国「あめーりか」では全くの無名で誰にも興味もはらってもらえず、敵国ソ連から野良犬のようにやってきたただの一亡命者でしかなく、アメリカでは誰も文学なんか読みやしない現実にとほほなありさまで、一方で、当地のロシアコミュニティーの中でも、なんじゃあいつは、と際物変人扱いで、亡命して自由を満喫する予定だったのだけれど、結局、現実は全くの逆で、故郷にもかえれず、亡命したアメリカを故郷とみなすことなんか到底できっこなく、どんづまりの状況でしかなくて、やっぱり、英語もろくずっぽ話せないで、似たような境遇の他の亡命者たちと、真昼間から酔っ払うしかなく、そんでもって、故郷からつれてきた美人の嫁さんにも逃げられるわ、やけになって、黒人の野郎と寝てしまう、てな感じで、全くベルリンでもどこでも移民亡命者にありがちでよく見かけるパターン。

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めっちゃパンクなおっさんやねんけど(Wikipediaより引用)


20世紀は、特に、戦間期から第二次大戦後にかけて、かつてなかったほどの地球的な規模で、人、物、政治、文化をめぐるあらゆる状況がシャッフルされて、その中で、大量の移民の波や亡命者の群れを生んでいった世紀だった。この大量の移民亡命者の群れの中から、当然のごとく、亡命文学、というジャンル付けされるほど(ていうかそんな定義はあるのか?)の多くの、亡命者たちによる文学がうみだされてきたが、ソ連からも、例に漏れず、政治的理由で祖国を追われた作家たちが、数々の作品が生残している。そのようなソ連を追われたロシア人作家のうちにリモーノフももちろん数えられるのだが、そんな作家の中にもやっぱりいろいろいる。その中で有名なのは、たとえば、ノーベル賞を受賞したソルジェニーチンやブロツキーだろうけれど、リモーノフはこの二人ともやはり違う。

前者は、彼らが亡命に追い込まれる前に、すでにソ連でも指折りの作家であり教養人として扱われていた。だからこそ、後にノーベル賞を受賞するほど、亡命後、国際的な名声を得ることができたのだけれど、後者、リモーノフは、亡命する前は、やはりそういう「作家先生」ではなかった。彼が明らかにしているとおり、リモーノフは本当の無産階級(いつの言葉だ?)出身で、餓鬼んちょのころは盗みや空き巣を繰り返して生きていたとかで、繰り返し豚箱ぶち込まれて出てはの繰り返してから、作家活動を開始したとかで、作家になるまでの過程だけをみるなら、まったくジャン・ジュネのようなのだけれど、当時のソ連は、そういうろくでなしに対して、寛容な場所なわけもなく、半ば追放されるようにアメリカへの亡命に追い込まれるのだが、こうしてアメリカにやってきた直後は、彼が書いた半自伝にあるとおり、相当自堕落な生活をおくっていたらしい。

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ドイツ語版「エタ、ヤー。エジーチカ。」Eduard Limonow: Fuck off, Amerika; Kiepenheuer & Witsch


ところが、79年にアメリカで出版されたこのЭто я, Эдичка(「俺じゃ、エディーじゃあ」、ドイツ語では「Fuck off, Amerika」で出版されている)がヒットすると、世界中で瞬く間に翻訳されて、彼自身世界的に有名になる。ちなみに、日本語ではいまだにリモーノフの作品は出版されていないのだが、沼野御大が「徹夜の塊 亡命文学論」(作品社)でリモーノフの作品をふくめたその時代のロシア人の亡命文学について詳細に書いておられるので、興味のあるかたは当書を御覧あれ。

ところが、リモーノフは、ペレストロイカの後、ソ連が崩壊すると、とっととモスクワに帰ってしまう。そこで彼は国家ボリシェビキ党Национал-большевистская партияなる、という要するにソ連ネオナチ組織をつくって、「毎日が冒険の現実へ御招待」みたいなことをほざいて、極右のかなりパンクな作家先生として名をはせることに。しかも、爆発物違法所持みないな容疑で、最近まで3年近く刑務所にほうりこまれていたらしいのだが、でてきてもやはりあいかわらずだとか。

まあ、彼の原作を読めばわかるのだけれど、作品には、そんな状況をわらいとばすほど自らを戯画化して自伝にしてしまう滑稽さと奇妙さが同居している。しかし、リモーノフのこの作品に特有なのは、ただ故郷へのノスタルジアを哀愁をこめて語るという手段にはうったえず、ロシアアメリカもどっちもくそったれだ、といういってはばからないところだ。そうして、自らを意図的に袋小路へと、「日常」の淵へと、追い詰める。そうすことによって、作品自らに唯一無二の強度を付与しようとするのだが、同時にそこに垣間見るのは、そう書かざるをえなかった、リモーノフ、作家自身のどうしようもない弱さである。社会の袋小路にぎりぎりに追い込まれた自らを道化とみなして戯画化することで、逆説的に文学作品としての強度を作品自体に与えることはこうして可能になるけれど、同時に自らを道化とみなすことそのこと自体についてふれるということ、このことは、自らのどうしようもなさ、弱さ、そして、この作品にあるのは、故郷ロシアを遠くはなれて、希望を抱いてやってきた「自由の国あみぇーりか」でのくそったれた生活の中では、いくばくかましであったはずの、かつての故郷での時間、も遥か彼方のことであって、もうほとんど取り返しのつかないという状態にあるという、どうしようもない底なしの悲しみと、時には、絶望と隣り合わせであるということ以外にはやはりありえない。

とはいえ、帰国後のパンク極右と化したリモーノフをみていると、また、カストルフによって、そんなノスタルジーなど表面的には感じさせないほど異化されまくった舞台をみていると、僕がいっていること自体が少しあほらしくなったりもするんやが、ところが、僕がフォルクスビューネで見たカストルフ演出の演劇の最後のシーンをみて、少し笑えなくなってしまった。その最後のシーン。宇宙船らしきカプセル、昔ドラゴンボールにでてきたようなタイムマシーンのようなカプセルに主人公が無理やり乗せられて、ピカピカ光るカプセル宇宙船のような物体の中で、うぎゃー、と絶叫して舞台に幕、それで、暗転した舞台の中で、カプセルがピカピカ光ってて、こちらは思わず大爆笑してしまった。とはいえ、これは後から思ったのだけれど、実際にはまったく笑えない話だ。というのは、こうやって、宇宙以外にこんなちっぽけなカプセルに乗せられて飛んでいく以外にいくところが俺にはねええんだ、といってるようなもんで、これは究極の自己戯画、イロニーの極地。

そういう意味では、昨今のロシアでのリモーノフも、こういう滑稽さを超越して、こうやって、どこかへとんでいきかねない過激さは相変わらずなのだろう。よくよく考えれば、冷戦後の、特に90年代のロシアという場所は、特にソヴィエト崩壊後のあの混乱の中では、僕ら西側世界の人間にとってみれば、ソ連時代にまして、かなりくそったれた世界だったわけで、仮にアメリカがリモーノフにとって、Fuck offといいたくなるような場所であったとしても、作家として名を成した今や、望めば安堵としていられたはずのアメリカという「パラダイス」をあえて飛び出していくということは、フォルクスビューネのカストルフの演出の中の最後のシーンのように、それこそ漆黒の宇宙ヘ、「毎日が冒険」であるような世界へ飛び出していくこと、一方で、再び毎日がくそったれた世界への帰還以外にやはりありえないはずなのだ。実際、90年代のロシアが、そして現在のロシアがどういうところかということを、僕ら、西側世界の側から想像すれば、さもありなん、リモーノフ自身も、アメリカロシアも似たり寄ったりのくそったれた場所だ、ということを自伝の中でも繰り返している。

そんななかで、ナショナルボルシェビキなるネオナチまがいの時代錯誤な行うこと自体は、もちろん、僕らの目には破格にうつるけれど、それは「毎日が冒険」であるようなソヴィエト連邦崩壊直後のロシアという「日常」ならぬ「非日常」ような場所を生き抜くためのごく自然な知恵であり戦略のひとつであったはずなのだ。

でも、今のロシアが行き着こうとする状況を目をやれば、プーチンあるいは形だけのポストプーチン体制の現在のロシアには、やはり、そこで彼らの彼らなりの破格さを永久永劫保障してくれる「非日常」などはやはりない。それどころか、クソだといいつつも、長い間恋焦がれて、やっとのことで帰り着いた祖国で、よりによってかつてのソ連時代のような半鎖国状態へと逆戻りしつつあるようなロシアで、三度際物扱いされるどころか、反社会的反国家的として非合法化(リモーノフの国家ボリシェヴィキ党はロシアでももちろん非合法)されてしまう現実が、彼らの破格さ、今にも世界の外へと飛び出していきかねない過激さとそして、どこの現実と日常にも属することのできない根無し草な様、を逆説的に語ることになる。リモーノフが逆説的に焦がれるような「非日常」なるパラダイスなんてものは、やはり、どこにもない。

自らを滑稽な道化として表現することは、時には、どうすることもできない哀愁さをおびるし、やはり、自らがどこに属することのできないという悲しみやどこかへ自らが帰り行けるような場所への憧憬をどこかにちらつかせることになるのだけれど、どこへいっても、アウトサイダー扱いされてしまうというこの現実、しかし、平凡な「日常」を生き延びる上で、アウトサイダーたることを戦略的に選び取ろうとすることは、究極の選択肢としては存在する。僕らは時に、その平凡な「日常」に我慢ならないときもあるわけだから。だが、そこで根無し草であろうとすること、あるいは、アウトサイダーたることを戦略的に選び取って、社会から際物の烙印を押されることになる現実に耐えうるには相当の強度が自らに要求されることになることを忘れてはいけない。そんなことは誰にでもできるというものではない。むしろ、そんなことを選び取っても無為にすぎるような「世界」にいるし、そうした「日常」から逃れるすべなどはほとんどないに等しいのだ。それについて語ろうとした文学作品はいくらでもある、サドにはじまって、ロートレアモンセリーヌ、ゴンブロービッチ、ヘンリー・ミラー、ジュネ、バロウズ、トーマス・ベルンハルトなどなど。しかし、そんなことを現実に試せるわけではない。彼らの語る事柄は、やはりフィクションであり、文学作品なのだ。

それでも、それは、いままで語ってきたような本来自らが所属すべき共同体や社会に対するノスタルジーなる感情を、そして、さらにそれを乗り越えるための自己戯画とそこに現れる弱さなるものを逆説的にさらに乗り越えていこうとするような力業なのだろう、それは、この「世界」を生き延びる上でのひとつの究極的な戦略であるともいえるだろう。ヴィトゲンシュタインが、「論理哲学論考」執筆後の長きにわたる沈黙を破って、1928年のケンブリッチでの倫理学講義で語ったような、この僕らの日常を支配する倫理や言語、すなわち、世界の限界である「壁に限りなくぶつかり続けること」、比較しえるような、むしろ、ヴィトゲンシュタインがいうよりもよりラディカルな様なのかもしれない(ヴィトゲンシュタインは、むしろ、そこでは、常にその壁の前でためらっているようにもみえる)。こうしてみずからを道化として振舞わせるさまやFuck offとわめき散らす様は一見軽そうに滑稽にうつる。しかし、それは、見かけとは逆にとてつもなく重いのだ、その個々人の、常に「壁」に跳ね返されてしまうような存在の軽さと比較して。それは、「存在の耐えられない軽さ」を語る、あのフランス亡命したチェコ人の作家の身振りとは、語られる内容とは別にではあるけど、比較の仕様がないほどとてつもなく重い。

自らのあるべき生の空間からの追放劇、それこそが、20世紀という時代に何度も繰り返された悲劇なのだ。そのこと自体は、とてつもなく重い、そして、その中にある「生」は、そのあるひとつの「生」の場所から追い出された事実に比して、とてつもなく軽過ぎ、些細なものとして扱われない。リモーノフがこの世界にぶちまけた呪詛の念といま自身のいる「生」の彼方を思うこと心は、何千数万といたはずの、無名のリモーノフたちの存在ゆえに、とてつもなく重く現れる。そこで現れるノスタルジアという、あるべき自分の「生」の場所への、そしてその場所で幸せであったはずの過去、そしてそれより過ぎ去った時間、それに対する情念が、ここではコレクティヴなものとして現れる。リモーノフの自伝は、その何千何万とあったはずのひとつの例なのだ。

だからこそ、それは、僕らにとってはやはり破格なのだ。なによりも、誰も口にしない現実の核心をつくからこそ。誰も彼もがリモーノフのように振舞ったのではないし、振舞うわけではない。むしろ、そう振舞うことは、それはひとつの社会的な、自らの属する「日常」においては不可能に近いし、その「日常」でのひとつの生の放棄に比肩すべきことがらに他ならない。そんなことは不可能なのだ、誰もできない。そのことは、僕らの生そのものが、そう振舞うように決められた一定の枠内以外にあることは、到底ままならないという事実を如実にかたっている。文学作品がかたる破格な生とは、僕らが生を営むところとはまた別のどこか別の場所にあるひとつの生なのだ。それを模倣したところで、ただの茶番に過ぎない。むしろ、そう振舞わざるを得ない現実に僕らの生はあるということ。そこ以外に僕らの生が向かうところはないし、それ以上に行き場はないということなのだ。無論、あるひとつの生の中にとどまることができるということは本来幸せなことなのだろう。それゆえ、ここでの僕の語り口とは、やはり自らの生が今いる場所において、幸福であるということのひとつの証差であるともいえるのだが・・・。

ところで、いままで語ってきたテーマとは直接は関係はないのだけれど、リモーノフのみならず戦間期から戦後にかけて中東欧からアメリカにわたってきた大量の移民亡命者の中には、アメリカ宇宙開発に携わった科学者の中もたくさん含まれていたわけで、その中には、リモーノフがアメリカにやってきたときのようなシチュエーションに追い込まれたりした人たちもいたのだろうな、そして、もはや宇宙以外にめざすところがない、というような・・・、ということをふと思ったりもした。それは、確かに、深読みが過ぎるのかもしれない。だが、いまいったような移民亡命者の群れこそが、戦後のアメリカという場所、古い世界であるヨーロッパに対する強力な磁場を発する場所を形成していくことなった決定的要因のひとつなのは疑うべくもなく、そんなことは、みなが口にしていることなのだけれど、このFuck off, Amerikaの最後のシーンをみながら、戦後の科学の進歩がなぜアメリカを中心にして、しかも、そこへやってきた亡命者や移民者たちによってもたらされていったのか(もちろん、アメリカとはそういう国なのだが)、特にいまいった宇宙開発ということが、冷戦アメリカの政治的動機はさておき、個々人の動機において、そのここの亡命者をめぐる状況がどのように左右していたのか、その視点から、この亡命者や移民を中心とした冷戦アメリカ科学者の系譜と精神とはどのようなものだったのか、とも、また、ふとおもったりもしたのだが・・・。これはいささか飛躍がすぎましたな。

最近カストルフは最近セリーヌの「」に続いて、奇抜な、しかも、かなり右な、作家の作品を演出するようになりましたな、次回はなんでしょうね。よくよく考えれば、デーブリン(ベルリンアレクサンダー広場)もいまや20世紀の古典作家だけれど、彼が登場した当時はかなり際物あつかいされていたのだし、やはり、一貫しているともいえる。セリーヌも今回のリモーノフもテーマ的に僕にはかなりピンとくるものがあって、かなりよかったと思うので、また次回作が楽しみですわ。

それではまた自戒。次回はルーマニア話でもしますか。乞御期待!

参考;

ベルリンフォルクスビューネホームページ; http://www.volksbuehne-berlin.de/

沼野充義:仮死と再生−亡命ロシア人作家の見たアメリカ: http://src-home.slav.hokudai.ac.jp/sympo/Proceed97/numano.html

北大スラブ研究センター 現代ロシア文学 REFERENCE GUIDE-ON-LINE:

http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/limonov.html

その他:http://de.wikipedia.org/wiki/Eduard_Limonow

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