旅人の手記 三冊目 ‐ 蝉海のブログ -

日常のよしなし事や、マンガ・アニメ・ライトノベルなどのポップ・カルチャーに関する文章をつらつらと述べるブログ。その他の話題もたまに。とっても不定期に更新中。

教育現場の問題と、創作物について

こんばんは、蝉海夏人です。

突然ですが、学校教育の現場における実情ってどうなのでしょう。

今日、ある学校のコミュニティを少し見てみたのですが、
少し眉を顰めるような記述がありました。
特に先生が行なう指導に関する話題が気になります。
中には明らかに指導の範疇を超えているか、
その指導自体に道義的な問題があるものも見受けられました。

私の場合は、小・中・高と良い先生に恵まれて、そのようなことはありませんでした。
少なくとも体罰などは無かったため、
このような話に今一つ実感を覚えることができません。
しかし、このような教育現場の問題や不満を多数聞くことがあり、
そしてこういった情報を聞くたびに、
「もしかするとこの様な問題が、当時の学校の多くを占めていたのではないか。そしてそれは、今でも続いているところもあるのではないか。」
と倦んでしまいます。
また、そのような道義的に問題がある指導を
「厳しかった」「あの時はムカついた」「軍隊的」「体育会系」
などという即物的な雑感で適当に流す人は多々見受けられますが、
正直なところ、それでいいものなのか疑問に思えます。
例えその発言が誇張であったり虚偽であったりしても、
そこに行き着くには、その発言者が経験してきた学校教育に、
何らかの歪みはあったのでは、と考えられないでしょうか。

そしてその歪みは、創作物にも表れているのではないか。
例えば漫画などでは、学生が主要登場人物であったり、
学校が舞台であったりすることは多いですよね。
主観的で過剰な体罰や、
生徒間のイジメなどに対して自己責任論を押し付けるなど、道義的に問題のある指導。
もしくは生徒の起こす問題に対して、保身に甘んじて利己的な対応をするなど、
思慮に欠けた教員が描写されることも、時々目にしてきました。
そして生徒達や親も、そのような状態を
「仕方が無い」「きれいごとだけではやってられない」として、
テンプレートに沿うように、アウトサイダー的性質を持つものを疎外する……。

学校とは、誰しもが一度は通る道です。

そのため、作者は「学校」をモチーフにして作品を作る場合、
自身の体験に拠るところが大きいのです。
このような表現がされるのは、
学校教育の現場が何らかの問題を抱えているからではないか。
そして学園ラブコメなど、読者と作者にとって都合の良い学園生活を描くのも、
そうした現状の裏返しではないか。

「教育」とは、人間の支柱たる「学門」を身に付けさせる道標にして礎。
誰もが必ず通る門。だからこそそれぞれが皆、真剣に考えるべき問題である。
私はそう、切に思います。

やや取り留めの無い文章になりましたが、
このことは、これからもじっくりと考えていきたいです。