旅人の手記 二冊目 - 蝉海夏人のブログ -

2014-11-02

作品における作者の自意識の発露と読者の共感について悶々

(前略)たとえば、ある作品を見て、「この作家は子どものときに傷ついている」などといわれてしまうのは駄目な作品だと思うんです。じゃあ何がいい作品なのかをいうのは難しいですが、向こうを、遠くを見せる作品と言うか、カント的にいえば「星を見つめさせる」作品ではないでしょうか。難しくいうなら、アルケオロジック(始原論的)ではなく、エスカトロジック終末論的)な、ということですが。

谷川渥『書物のエロティックス』右文書院 P277
(美学者塚原史氏との対談においての発言)

この谷川先生の発言の前後には具体例が無いので、
「『この作家は子どものときに傷ついている』と分かってしまう作品」というのが、
どういう作品のことを指しているのかが、いま一つ分かりません。
ただ、その手がかりとなるんじゃないかという箇所はあって、
それは、本書の前のページにおける諏訪哲史氏との対談の一部分です。

 日常生活をちょっと切り取ってうまく書けているとか、そういうリアリズムというのかな、感慨とか心情とかがうまくかけているとか、そういう小説はもう読みたくないんです。

谷川渥『書物のエロティックス』右文書院 P216
小説家諏訪哲史氏との対談においての発言)

ようするに、こういうことじゃないかと私は思います。
「作者が、作者の自意識が、『分かってくれよ』という声が透けてみえてしまう」
というような作品というのは拙い、と。

ただ、多くの人に受け入れられるような作品って、
映画でもアニメでも小説でも音楽でもマンガでも、
ユーザーの「共感」を呼ぶような作品じゃないかと思うんです。
私がこのところずっと「カゲロウプロジェクト」なんて、
まさしく「自意識と共感」によって成り立っているムーブメントといえます。
勿論そうであるがゆえに、
そうした大衆娯楽は文学・藝術足りえないともいえますが……。

また、そもそも自意識を剥き出しにすることだって突き詰めれば、
太宰治などの新戯作派を例に取り上げるまでもなく、
立派に文藝足りえるものなのではないでしょうか。

全くまとまらないままですが、そんな、
我ながら未熟で拙劣な思弁を延々とめぐらしている今日この頃であります。

では、季節の変わり目に体調を崩されぬよう。

書物のエロティックス

書物のエロティックス



(BGM:上原あずみ『無色』)

あ 2014/11/07 22:11 いわゆる構ってちゃんな人は拙い人であるという認識を持たれ、嫌われることが一般的です。
構ってちゃんとは「構ってくれ」「分かってくれ」という自意識が発露しまくりな人です。幼稚で露骨な自己主張を延々と続ける人ですね。
谷川さんは文学から感慨や心情が透けて見えると、私たちがウザったい構ってちゃんと対面した時と同じような印象を受けるのではないでしょうか。
まあ、ここに書いたのはただの思いつきでこの本も読んでないし谷川さんのことも何も知らないんですが。「アルケオロジック(始原論的)ではなく、エスカトロジック(終末論的)な」なんてよくわかりませんでしたし。
私は共感できる作品は好きです。自意識の発露はプラス方向にもマイナス方向にも働くと思います。自意識の発露にも格があるというかなんというか。
私がコメントを書いたのもこのブログの文章に共感したのが理由です。思ったことをコメントで表現して共感を伝えたかったというかなんというか。

SemiuNatsuhitoSemiuNatsuhito 2014/11/09 20:36 あさん>

コメントありがとうございます!

谷川先生の言いたいことですが、
正直短すぎるのと具体例がないので、本当のところは何ともいえません。
ただ、創作における自意識と共感の問題について、
こうは考えられるんじゃないかと思ったので、
少しつらつらと綴ってみたくなったのです。

私としては、ようは「表現の仕方」次第ではないかと思うんですよ。
そのためには、

「どういう人に読んで(観て)ほしいか」
「読んで(観て)もらうためには、どう描けばいいか」

この二点を意識することが大事なのではないかと私は考えています。
「自意識の発露はプラス方向にもマイナス方向にも働く」
とおっしゃっていますが、これについては全く同意します。
読んで(観て)もらう他者のことを慮りながら創られた作品ならば、
そこに宿る「自意識」はプラス方向に働くのではないでしょうか。

答えになっているかどうか分かりませんが、
私にいまいえることは、そんな感じです。

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