旅人の手記 二冊目 - 蝉海夏人のブログ -

2015-03-15

『ずるさ』のあるズレたコード――『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』

ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート (MF文庫J)

ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート (MF文庫J)

 ありがちなようで不思議な物語を読んだ。或いは、全てのコードがちょっとずつズレている。しかし、間違いなく面白い。どれだけエクリチュールを重ねても妥当とはいえないが、その中でまず伝えたい本書の初読の感想はこんなところだと思う。
 本作は一体、どのようなジャンルの小説といえるのだろう。青春もの、音楽もの、ホラー、ミステリー、恋愛、バトル・ロワイヤルサヴァイヴ)もの……それぞれの定番の要素はきちんと踏まえている。けれども、それらが少しずつズレていきながら、この奇妙な物語は綴られるのだ。音楽の用語で言うならば「ミクスチャー」や「オルタナティヴ」という表現がふさわしいように思える。

 勿体ぶってないで、物語の概要に軽く触れることにしよう。
 舞台は現代日本。しかし作中の世界では、普通の人間の中に二つの異界の存在が紛れ込んでいる。一つは、死ぬとこの世から存在した形跡が抹消されるが、死体は腐らず数年後に復活する「イケニエビト」。二つ目は、彼らを殺して記憶を奪う能力を持つ「タマシイビト」。けれども、イケニエビトの存在の抹消には例外があって、そのイケニエビトがかに殺された場合、その加害者だけが彼・彼女のことを憶えているという。
 本編では、栄原実祈(さかえばらみのり)というイケニエビトの女の子を主軸として、左女牛明海(さめうしあけみ)と神野真国(こうのまくに)という、三人の恋愛とも友情ともとれない関係がメインに描かれていく。物語の始まりは、高校生の明海が同学年の真国にある日、「中学のとき、一緒にバンドを組んでいた女の子を殺したことがある」と告白されたところから始まる。すると明海のほうも「自分も小学校のときに同じ子を殺した」と打ち明けたのだ。そして彼らは、実祈が埋まっている場所へ掘り出しにいくのだが……。

 以下、本編の内容を踏まえながら、思弁的な考察を綴っていきたいと思う。


・ コードのズレが激しくも淡々と進む「プロローグ〜一章」

ひとつ、イケニエビトは殺した人だけがそのことを覚えてる。
ふたつ、イケニエビトは殺してもたったの数年でよみがえる。
みっつ、タマシイビトは人の記憶をむしゃむしゃ食べる。
よっつ、タマシイビトはイケニエビトを好んで食べる。
いつつ、イケニエビトの歌は遠い国からやってくる
むっつ、イケニエビトは自然とこの世に紛れ込む。
ななつ、タマシイビトは歌声聞いてやってくる。

森田季節ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』(以下同)

 本作は「プロローグ+本編四章+エピローグ」という構成になっており、この文句はプロローグの前に付記されたものである。何も分からない状況でこうしたルーリングが唐突に叙述されているところから、一瞬「バトル・ロワイヤルもの+ホラー」ではないかと錯覚させられる。しかし、そのような先読みは一章目のエピソードで完全に粉砕される。
 最初に述べたように、本作では様々なジャンルのコード(共通認識要素)を横断しながら物語が展開されていく。イケニエビト・タマシイビトという奇怪な存在はホラー、またそれらの謎に迫っていくのはミステリー、その設定の下地にあるものはバトル・ロワイヤルものとの親和性があり、日常描写におけるバンド活動や恋愛感情は青春もの、といった風にだ。そして、この触れ幅は一番デカいのが一章である。
 まず最初に出てくる、視点主人公の明海の言葉が意味深だ。

「焼いたフルーツってずるい味がする」

 上記のセリフは、焼きパイナップルを食べる明海が同級の男子に言った感想である。この一文は、作品全体の雰囲気を体現しているといってよい。明海は「要領を得ていない表現」と本文中で述べているが、そのような「要領を得ていないこと自体」を、「計算高く(ずるく)」本作は構成だてられているのである。
 まず「ずるい」という言葉だが、これは「狡猾」(計算性)とも「不正」(ズレ)という意味とも両方取れる。そして「焼いたフルーツ」が「『死』のメタファー」であることは、プロローグ及びその前のイケニエビトのルーリングを読むに、ほとんどの読者が気付くであろう。だが、それ自体にこのセンテンスの「ずるさ」がある。焼かれることが「死」なら、生のまま食される果物は、果たして「生のメタファー」と単純にいえるのか。これは、衛生学的な条件でないことは言うまでもなく、想像力の問題である。この「生と死が矛盾し合い、両義性を提起するもの」としての「フルーツ」というメタファーは、本作全体における「計算された矛盾」や「ズレるジャンルのコード」を暗喩しているのではないかと、私は考える。
 私情を挟むと、私はこの一文を読んで直感的に「この作品は確かに受賞作だ」と閃くものがあった。そしてその直感は、最後まで読んで確信に変わった。「小説は冒頭によって、その出来の良さが左右される」という話はよく耳にするが、著者がそれを計算した上でこのような一文を冒頭に持ってきたのだとすれば、まさに「ずるく」そして心憎いセンテンスであるといえよう。

 話を本編に戻す。この「ズレ」としての「ずるさ」が最も露骨に表れているのが、一章なのである。このズレは、明海と真国が実祈を掘り出す場面で頂点に達する。普通、こうしたオカルティックな設定の作品ならば、序盤に「埋めてあった場所に死体がない」などといった、大きな事件起こす(「起」から「承」へつなげる第一の山場)ものだ。しかし本作では、そのイケニエビトの少女はごく普通に起き上がるのだ。そして、真国も淡々と反応する。

 神野君は無言で汚れた頬に手をあてた。それを合図にするように実祈の目がぱちっとひらいた。
 実祈の第一声は「ふわ〜あ」ちいうあくびだった。
「烏子*1、久しぶり。三年ぶりだね」
 神野君は割と冷静に言葉をかけた。そこには見知った者同士の心
安さがあった。

まるで、友人をうたたねから起こしたとでもいわんばかりの会話だ。一応この場面の前に、明海の「涙腺がゆるみかけ」たという独白はあるのだが、実祈の起きたときの印象が強烈過ぎて、薄れてしまっている。この圧倒的な「脱構築的構造性」に、私はここまで読んで次の展開が予想できなくなった。次はどう「ズラされるのか」と。


・ ズレの修正と再振幅「二章〜三章」

 けれども、ここまでの強烈な振り幅は二章で一旦収まることになる。
 二章では、明海の実祈との出会いと別れが回想されるのだが、そこでは「日常のなかに飛び込んできた非日常と冒険し、また日常に変える小さな少女」という至って正統派のジュブナイルが描かれる。夏の学校で引き起こされる陰湿なイジメのシーンや、転じてタマシイビトが作り出した誰も居ない結界の街で明海と実祈が遊びまくるエピソードなども、この手のジュブナイルでは定番の描写だ。
 その後、二章〜三章の前半で描かれる明海と実祈のやり取りや、真国を交えた学校生活や趣味の音楽の描写も、「青春モノ+ちょっと不思議」の範疇を出ていない。唐突に挿入される「藤原君」の怪談(後述)を除いて。これはまるで、一章の揺さぶりを鎮めて、読者を安心させるかのような構成である。

 そしてこのような、少しおかしくも楽しい日常は三章の後半で再び揺さぶられることになる。「藤原君」の生まれ変わりが真国で、彼はイケニエビトだったという真相の発覚。そして、真国に迫る二人のタマシイビトの存在。直後、この世から生きた証が抹殺され、明海の記憶から真国の存在が完全に消される(ここでプロローグとつながる)という、怒涛の展開が待ち受ける。
 しかし、ここでそれまでの「イケニエビトの死」の描写とは明らかに違う現象が起こる。実祈だけは、真国のことをおぼろげに憶えていたのだ。そして、手元に残された「コウノマクニ」と名前が入ったライブチケット。これらの情報から明海は、真国の死を「タマシイビトの仕業」と直感し、真国が存在したという実感が湧かないまま、タマシイビトに対する怒りだけが高まっていくのであった。
 そして明海と実祈は真国の仇を取るため、タマシイビトへの復讐を計画するのである。「コウノマクニ」という存在を都市伝説として流布し、彼のことを歌った楽曲を阿弥陀峰の中腹で演奏して。


・ ズレが意志によって収斂される「四章」と再びズレ始めて終わる「エピローグ」

 そしておびき寄せたタマシイビトを殺して復讐を達成した二人は、「コウノマクニ」のライブチケットを埋葬することにした。けれどもそのとき、チケットの入った封筒に手紙があることに実祈は気付き、それを読み上げた。明海は未だに真国のことが思い出せないのだが、手紙を読み上げる実祈を見て、何故か涙が溢れてきた。

 私は泣いていた。悲しくもなんともないのに泣いていた。神野君の顔も思い出せないんだから。涙は無責任に私の頬を垂れて、土にしみこむ。
 私は魔性の女だな。
 悲しくもないのに泣くなんて。
 悲しくもないのに泣くなんて。
 悲しくなくたって泣いてやろう。神野君のために。

ここでも「ズレ」は機能している。憶えてない人物のために、悲しみも覚えられないのに泣く明海という描写と、その後の独白からは「意志の脱境界性」が読み取れる。根拠・事実の「ある・なし」に関わらず、感情ではなく意志が明海の肉体を動かすのだ。意志はそれ自体が根拠となる。この場面はそれまで描かれてきたコードのズレが、収斂されているようだ。コードがズレても、物語は奏でられると主張せんばかりに。

 だが、終結部(コーダ)を迎えたように思えるこの物語は、最後に思わぬポスト・コーダが加わり、読者は再び揺さぶられ、宙に浮かされるのだ……。タマシイビトの復活と、明海に対する予想外の謝罪によって。そして、明海と実祈の日常はこれからも続くことを暗示し、この物語は終わる。


・ 総括になっていない総括

 本編の構造的なズレを追ってきたが、やはり本作は捉えどころのなさを感じずにはいられない。あらゆるジャンルの定番要素を詰めておきながら、それらが全て少しずつ「ずる」く「ズレ」ていくために、どうまとめていいかわからない。しかし、最初にも述べたように明らかにこの作品は面白く、そして極めて精緻な文章がその魅力を支えている。これもまた、「耐久度のあるテクスト」を湛えた作品の一種であろう。
 本作におけるズレは、「ジャンル論争」という外部の自称に対しても、オルタナティブ効用を発するのではないかと私は考えている。この物語のアンチジャンル性は「『ただのラノベ』ではない」という分かっているようでまるで具体性のない凡庸な雑感も、それに反応して「テンプレ」の押し売りをする自称批評家、その両者にアイロニックな返答をしているように、私は考える。
 プログレ的な転調を繰り返す上質なミクスチャー、或いはオルタナティブ・ロックを聴いているような一冊だったように、私は振り返らずにはいられない。

(BGM:ベネズエラ・ビター『イケニエビト』)

*1:実祈が神野と出逢ったときに使った別名。

2014-08-31

秘密基地に集まって 「楽しいね」って単純な

どうも、こんばんは。蝉海です。

ええと、twitterblogを見てもらえると分かるように、
最近『カゲロウプロジェクト』にどっぷりハマっています。
MVは全部観たし、アニメも視聴済み。小説・マンガも既刊は全部読みました。
今では毎日のように、公式MVや「歌ってみた」を聴いています。
さらにはpixivを巡って、ファンアートを観回るのが日課となりつつあります。
昨日もおざ研という場所で、こんな講義(↓)を勝手にする始末。



どうしてこんなにハマったのでしょうか?
正直、楽曲を聴いただけではそこまで引かれるものは感じませんでした。
「聴き易いけれど、よくあるロキノン系っぽいなあ」と。
けれども今となっては、ED曲の『サマータイムレコード』とか、
聴くと胸が苦しくなって、うかつに聴けません(笑)

それは当然、私の琴線に引っかかるものがあったからでしょう。
箇条書きにしてみると、こんな感じですかね。

ジュブナイル
・濃厚な「夏」のガジェット
秘密基地子どもたちが集まって何かする
・邪眼
・理解と拒絶とすれ違い
・複雑な関係性
・フラットな血縁関係と擬似家族
・中性的なキャラデザ
etc...

う〜ん、こうして改めてみると、
思った以上にかなり私好みな作風なのですね。
エニックス系のマンガや創作ファンタジーによくある、
中性的でリリカルな雰囲気というか、
ジュブナイル寄りな作風が好きでしたので、
そうしたところと意外に親和性があるのかもしれません。
あと、性衝動を前出しにしない心理主義描写も、
藤野もやむさん(桑佳あささん)とかに通じるところがあるかも。

さて。恐らく他のファンの方々もそうだと思うのですが、
私はこの『カゲプロ』に感じている最大の魅力は、
キャラクター同士の「関係」にあると思うのです。
「メカクシ団」というゆるいコミュニティを舞台に、
様々な出自、年齢、性別の人間たちが集まって描かれる、
優しく、複雑に絡み合って、少し歪な人間関係
それが様々なメディアで断片的に描かれることで、
それら断片を自分なりに集積して、
おのおのの世界像=キャラクターの関係世界を構築する。
そこにこの作品の面白さと魅力があるように考えています。

それもカップリング人気も高い本作ですが、
あくまでメカクシ団というコミュニティ
前提に据えて妄想する人が多いように思います。
だからなのか、余り激しいカップリング妄想の抗争を、
このジャンルでは見かけることが少ないように感じますね。

このメカクシ団の「関係性」については
以前の記事でも多少述べましたが、
また今後とももっと深く突き詰めていきたいと思います。

それでは、今日はこの辺で。

(BGM:じん(自然の敵P)『サマータイムレコード』)

2013-08-19

蕨市立図書館でアニメ映画『虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜』を鑑賞

昨日ですが、蕨市立図書館で夏休み特別企画として
アニメ映画『虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜』の上映会がありました。
入場は無料であり蕨市民でなくても参加できるとのことで、鑑賞してきました。



予告ポスターが数週間前から張り出されていて、
それを見る限りではケレン味のないジュブナイルのような感じでした。
(観てみると、実際そうだったのですが)
なので、「これは子どもの客は来ないんじゃないかな」とか思っていたのですが、
意外にも客の大半が小学生の子どもでした。
子どもたちだけで来ているグループもあれば、
親子や家族連れで来ている人たちも多かったです。
大人が一人で来ているなんて、私ぐらいじゃないかというくらい、
子どもやファミリー層が多かったですね。
まあ、これがこの手の映画が本来対象としている客層なのだから、
よくよく考えれば別に不思議でもなんでもないですね。
それとお客さん自体も結構多かったですね。
ごく普通の大部屋で上映し、
三十席くらいの椅子とやわらかいパルプの床敷きが用意されていたのですが、
それらの半分以上が埋まっていました。
無料というのに、引かれた人(特にこづかいが少ない子どもたち)も多そうです。

それで肝心の映画ですが、ポスターで受けた印象と違わぬ内容で、
ノスタルジックな雰囲気いっぱいのオーソドックスなジュブナイルSFでした。
こうした作風が好みの私としては、それなりに楽しめる内容でしたね。
1977年のとある村にタイムスリップしてしまった現代の小学生の男の子が、
現地の人々や美しい自然との出逢いを通じて「生きていくことの大切さ」
を知るというストーリーであり、まあ王道ですね。

原作はオンライン小説です。

「虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜 TOP」
(作者公式サイト「@エンヂェルのプライベートビーチ」内)

ネット小説というとどうしても、
玄人好みのRPGパロディや最強主人公系、
またはケータイ小説にあるような恋愛物や生き残りゲーム系とか、
そうしたケレン味があるか過激な内容の作風の作品が目立ちがちであります。
けれども、そうした潮流の中でこうした朴訥な世界観をした作品も、
しっかりと存在し評価されているということ、
そうした事実を改めて知らされました。



映画の話に戻ります。
作画や演出ですが、
とにかく全体通じてノスタルジーを描きたてられる様な描写が多く、
鄙びた田舎町や美しい自然の情景は極上でした。
木漏れ日溢れる山の中、はじける川の水、強い日差し、静謐な暗闇で光る蛍の群れ、
背景描写は誰もが美しいと感じるようなクォリティと言い切れます。
ただ問題なのは、キャラクターデザイン。
筆ペンで描いたような強弱が激しい描線を基調としており、
これは極めて独特に感ぜられました。
この手の一般層向けアニメ(ジブリや、細田守作品、原恵一作品など)
でもほとんど見受けられない技法であります。
このアニメに使われている全てのカットは、一切CGを使わず手描きでかかれていて、
本作がロードショーされた時にはそれを売りの一つとしていたようです。
そうした「手製」感を醸し出したくてこういう表現にしたのかと思いますが、
人を選ぶ画風であることは違いないでしょう。
私としては、変にリアルに描かれているよりも、
ずっとデフォルメが効いていていいかなと思いました。

またこの作品、キャストやスタッフがとても豪華。
メインキャラクターである子どもたちは、
基本的に子役の役者さんたちで固められているのですが、
大人のキャラクターを担当するのは非常に著名なベテラン声優ばかりです。
櫻井孝宏さん、能登麻美子さん、中井和哉さん、大塚周夫さん、
石田太郎さん、堀内賢雄さん、岡村明美さんと、
アニメにそこまで深く知らなくても名前を聞いたことあるような人たちばかりです。
それと何より、音楽プロデューサーの松任谷正隆さんと
シンガーソングライターの松任谷由美さんの松任谷夫妻による音楽は、
さすがに素晴らしかったです。
松任谷正隆さんの作曲した劇中音楽は、全て生音を使用しているんですね。
これが、CGを一切使わないやわらかな作画、作品の世界観によく合っている。

このように作画・役者・音楽と、
映画を構成するそれぞれの諸要素が全編に渡りクォリティを引き上げてくれて、
演出面ではクライマックスの一部(後述)を除き、
文句なしの出来栄えだったといえるでしょう。

ここから、ネタバレありの感想です。


さすがにストーリー自体には、これといった矛盾点や破綻したところもなく、
精緻に紡がれた優良なプロットであったと思います。
ストーリー展開にも一ひねりが加えられていて、見ごたえがありました。
タイムスリップして最初に出会い、1977年の子だと思っていたさえ子が、
実はユウタと同じく現代から来た子だったという事実が明かされた時は、
さすがに驚きました。
ユウタが蛍じいの手によって
「この時代に溶け込めるよう人間関係を操作された」のと同様、
さえ子も同じような処置を施されていたという展開は、上手いなと。
こういう別の世界に主人公が言ってしまう場合、
やっぱりヒロインって大抵は別の世界の人間であり、
その世界とマレビトである自分の仲介役であるものですからね。
当初はさえ子もそうした役回りとして描かれるのですが、
不自然にならないレベルで徐々にその綻びが見え始め、
さえ子というキャラクターの正体が明かされていくプロット。
この構成には、なかなか舌を巻くものがありました。

そして現代に戻り、
互いの記憶と1977年でのできごとに関する記憶を失ったのにも関わらず、
「ホタル狩り」を催していた村で偶然また再会する終盤。
そして、村に伝わる伝説の「虹色ほたる」が一斉に飛び回るラスト。
お約束な展開ではあるけれど、やっぱり引き込まれましたね。
このシーンを観て鳥肌が軽く立った時、本作を観て良かったと思いました。

ただ、クライマックスでのユウタがさえ子の手を引っ張って、
灯篭の道を走り抜けるシーン。
画風が劇画調へと変わる演出は、いらなかったのではないかと思います。
こういう表現方法も前例がないわけではないのですが、
やはりそれまでの絵柄で楽しみたかったかな、と。

2013-01-13

藤野もやむさんの新作『蒼きユピテル』連載開始!

一昨昨日、マッグガーデンのオンラインマンガ雑誌「Beat's」にて、
『ナイトメア☆チルドレン』『はこぶね白書』で知られる
藤野もやむさんの新作が連載開始されました。
題名は『蒼きユピテル』
私も早速第1話を読了しましたので、その概要と感想について述べたいと思います。

主人公高倉美琴は6歳の頃、
外国語で唄われた不思議な楽曲のデータを父から貰い受ける。
それから8年後、両親が離婚し美琴は母親に引き取られることになった。
しばらくして父が、
会社の金を持ち逃げしたという疑いがかけられたまま失踪してしまう。
母の計らいにより、美琴は一人父の田舎へ転校することになる。
だが噂はそこでも広がっており、
美琴は父のくれた曲を心の拠り所にしながら孤独な日々を過ごしていた。
ある日美琴は下校途中、神社を見つけ立ち寄った。
そこで彼女は、猫のような化け物に遭遇する。
逃げる美琴と追いかける化け物。だがそこに、雷が彼女目がけて落ちてきた……。

ひなびた田舎町という舞台設定といい、
メランコリックな女の子のモノローグといい、
王道的なジュブナイル・ファンタジーという感じでした。
ただそれ以外に目立った展開もなく、まだまだ評価に困るといったところですね。

さて。この1話を読んでまず気になったのが、タイトルの「ユピテル」
その意味については説明するまでもないと思いますが、一応触れておきます。
ユピテルとは、
ギリシア神話のゼウスと同一視されるローマ神話の天空神のことです。
この神様は、英語で木星を意味する「Jupiter」の由来となっており、
「ユピテル」というのはそのラテン語読みであります。
(古代ローマではラテン語が公用語とされたため)

しかし第1話においてその概念は「蒼い雷」(雷はユピテルのシンボル)と、
キー・アイテムとなるであろう謎の歌の歌詞にしか、たしかめられません。
また、本編に搭乗する宗教的なシンボルは他にも
異界の象徴のように描写される「鳥居」と、
そしてそれを守護するかのような「包帯を巻いた妖獣」が出てきますが、
これらも
「ユピテル=ゼウス=デウス(全能なる神)
 ―ローマ神話・ギリシア神話・西洋的宗教観」
といった概念とはまるでつながりません。
「鳥居」は明らかに神道のシンボルですし、
「妖獣」も日本古来の民俗伝承を思わせるような風体をしています。
多神教つながりということなのでしょうか?

それと引っかかるのは、作中で出てくる謎の歌の歌詞。

「えびーすふんひ めいきってーる ういめー
れいべーん ゆーぴーてーる…」
(本編11ページ目より引用)


美琴が「魔法の呪文」と呼ぶこの歌詞については、
本編においてまだ何も情報が出ておりません。
「ゆーぴーてーる=ユピテル」が jupiter のラテン語読みである以上、
この歌詞もラテン語なのでしょうか?
ラテン語は大学の授業で1年間習ったことがありますし、
いくつかの単語は知っておりますが、その程度の知識では判断不可能でした(笑)


こうした多くの謎を序盤に多数提示させるとともに、
めまいがするような心理描写を紡いでいくという、
読者を足下がおぼつかないような感覚に陥らせるという手法は、
何とも藤野さんらしい出だしだなと思いました。

個人的な心情を申し上げますと、
私は最近まで、前作『忘却のクレイドル』の失望とこのところの著者の発言から、
この作家とは距離を置くようにしておりました。
けれども、このようにいざ新作が公開されると、
やはり読み込んでしまい、あれこれと考えたくなってしまいましたね。
今後の展開に、期待したく思います。


「マッグガーデン コミックオンライン」―「Webコミック Beat's」
―「蒼きユピテル」
http://comic.mag-garden.co.jp/beats/2800.html
「蒼きユピテル公式アカウント」
http://twipple.jp/user/aoki_yupiteru

2013-01-05

平成四半世紀!


あけましておめでとうございます、蝉海夏人です。
昨年度は創作活動や趣味の分野において、様々な方からご厚意を受けて参りました。
この場をお借りして、厚くお礼を申し上げます。
それでは以下、毎年恒例の去年の振り返り及び今年の抱負に入りたいと思います。


一昨年に経済的な理由で大学を辞め、派遣を通じ働くようになった私は、
これまで続けてきた創作活動をより将来を見据えた形に移そうと考え、
ネットの活動を停止し、出版社へ作品を投稿するようになりました。
応募したのは、長編小説二本。
それぞれ二社に送ったのですが、その成果は残念ながら実りませんでした。

まず、一昨年の春から一年かけて書き上げたSFファンタジーを昨年4月末、
「第4回スクウェア・エニックス ライトノベル大賞」に応募しました。
結果は、以前Twitterでお伝えしたように落選。
しかも賞自体が不振だったためか、今回を以って休止となってしまいました。
評価シートの送付どころか選考の連絡・途中発表もなく、
正直余りに手応えがなくて、かなり落胆してしまいました。

それからしばらくして11月、
3ヶ月ほどで「赤マント」をモティーフにした伝奇ジュブナイルを書き上げて、
文芸社の応募企画に参加しました。
電話での連絡と評価シートは頂いたものの、これも出版には至らず。
投稿生活の一年目は、ほとんど進展することなく終わりました。

それとかねてより考案していた同人活動も、
経済上の理由からサークル参加に踏み出すことができませんでした。
この分でいくと、来年も恐らく無理でしょう。

ただこのように停滞した一年ではありましたが、
活動の方に致命的な支障をきたすようなこともありませんでした。
オフラインでの生活が苦しいこともありましたが、
社会に出てから一年乗り切っただけでも、上々であったと思います。

また成果は出なかったものの、
これまで書き上げられなかった長編小説を二本拵えたというだけで、
自分にしてみれば大きな前進です。
これを足がかりにして、今後一層頑張ることにしましょう。

何より、同人イベントやオフ会など
これまでのオンラインで紡いできた人たちとの交流を深め、
より強固なものとしていったことは、
私にとってかけがえのない経験となったといえます。
特にオフ会の方では、拙作に対して相談やアドバイスをしてもらえるなど、
今後の活動に際して参考になる貴重なご意見を頂きました。
このように支えて下さる方々がいるから、私は頑張っていけるのでしょう。
誠に、ありがたく思います。
皆様のご厚意や激励を背に、
蝉海は本年も自分の信じた道を邁進していきたく思います。


さて。以上を昨年の振り返りとして、来年の抱負に話を移すことに致します。

最初に、何より懸念であるオフラインでの生活について。
昨年から働き始めたアルバイトが今年も継続できることで、
今後は経済的にも安定した暮らしができそうです。
そうすれば大学に復帰する見通しがはっきりとし、
また創作活動にもっと打ち込めるようになるでしょう。

それでは肝心の創作・文筆活動について、
今年度の方針について述べたいと思います。

昨年いっぱいお休みしていたオンラインでの活動に関して。
去年は今後の見通しが分からず精神的にも弱り、
定期的に活動するというのが難しい状況でした。
けれども今年は、
昨一年の経験からある程度先行きを見積もることができそうですので、
思い切って再開することに致します。

まず、私が開いている三つのブログに関しては、
全て移転・再開するつもりです。

一つ目は、
学生時代にメインの活動拠点としていた論説系ブログ「旅人の手記」
これはライブドアブログを脱退して、別の会社のブログへと移転するつもりです。
理由は、ライブドアブログが余りにも使い勝手が悪いからです。
一番問題なのは、
フォントの表示が使用するブラウザによってまるで安定しないことですね。
いくらエディタをいじっても、テンプレートを変えてもこの問題は解決せず、
定期更新していた時には本当に悩みの種でした。
そしてエディタが非常に重い!
これは私のPCのスペックに問題があるとは思うのですが、
作業していてひどく辛かったです。
どうも有料プランだとかなり快適になるそうですが、
それならいっそのこと、
無料でもっとパフォーマンスが優れたところで新しく作った方がいいと思ったので、
移転することに決めました。
新ブログですが、
とりあえず旧ブログの中からいくつか記事を選んでそのまま掲載します。
更新日は月の最終週の日曜日で、月一更新を予定しております。
これは、できる限り早く実行したいと思います。

二つ目は、mixiの日記のアーカイブである「旅人の戯言」
これは「はてな」のままでいきたいと思います。
今年はmixiの方も復帰する予定なので(後述)更新頻度は去年より上がるでしょう。

三つ目は、二年以上も更新を止めている小説ブログの「旅人の物語」
これもライブドアブログなのですが、
やっぱり前述のような問題が起こってしまうのと、
通常のブログのテンプレートだと小説の掲載に適さないという事情から、
やっぱり移転することに致します。
移転後の見通しについてですが、
今年は大賞の応募だけでなくオンラインでの小説の掲載も
pixivなどでしていきたく考えていますので、
それらと並行する形でこちらも運営していきたく思います。

またSNSなど、その他の媒体について。
まずはmixiですが、これも再開するつもりです。
とりあえず、手始めとして日記の定期更新を再開します。
これは毎週日曜日を予定しております。
次に、写真のアップロードも偶数週の日曜更新予定で、再開しようと思います。

次にpixiv。先に述べたように、
小説のアップロードに重点を置こうと考えております。
また今後の見通しが定まったら、追ってお伝え致します。

他、Twitter、interviews、facebookですが、これらは昨年と変わらずです。
世間でも下火になっていて私も余り活用していないinterviews、facebookは、
恐らく今年も放置(笑)
Twitterの方ですが、余裕があればあらかじめ週末一回と予定を立てて、
テーマに沿った連ツイートでもしようかな、とも考えましたが、
差し当たり今のところはこのペースを変えるつもりはありません。

続きまして、オフラインでの活動について。
まず小説の投稿ですが、今年は去年以上に励む所存であります。
去年が2社しか応募していないので、
今年は少なくとも3つ以上の賞に投稿しようと思います。
本年もまた、
お知り合いの皆様には御力添えのお願いをすることがあると思いますが、
そのときはどうかよろしくお願いします。


長々と述べて参りましたが、
以上を以って昨年の振り返りと今年の抱負とさせて頂きます。
繰り返しになりますが、皆様昨年は本当にお世話になりました。
2013年も、蝉海夏人の活動にご期待頂ければと存じます。