ウィリアム・バトラー・イェイツ作「円環(ガイヤー)」

円環也、円環也、神さびし石の御顔よ照覧あれ、
ながき思索を経たる事柄もはや思索に得耐えざり、
美は美のゆゑに、価値はこれ価値のゆゑにぞ滅びゆき、
いにしへの輪郭といふ輪郭は塗りつぶされたるを。

没条理的なる血のたばしりが大地を汚せば、
哲人エムペドクレスは一切有を散擲し、
勇士ヘクトール身まかりて、都城トロイアに烽火のあり、
観ずるわれら、悲劇的歓喜の内にただ哄ふのみ。


事かはある、いまや鈍なる夢魘頭上を跨拠し、
神経過敏の肉体が血と泥に汚さるとても。
事かはある、嘆くをやめよ、泪こぼす勿れ、
より偉なる、より優渥なる時代は過ぎて帰らざれば、
いにしへの墳墓なる像や化粧函の彩色美に
一たび嘆息せしわれも、またとはせざれば、
事かはある、洞窟の奥より声音響きいづ、
その知るところはただ一語、「歓喜あれ」とのみ。


行状も成果も粗劣になりまさり、魂もまた粗劣なれ、
事かはある、石の御顔に好情を抱かるる者ら、
馬を愛するの徒、また婦女子を愛するの徒は、
あるひは毀たれし大理石の霊廟より、
あるひは鼬と梟とのあはひなる暗黒より、
あるひはいづれにまれ、豊饒なる黒洞々の空無より、
工人、貴人、聖人を発掘すべければ、またも一切有は、
かの非時代的なる円環上をめぐり巡らふ次第也。



THE GYRES by William Butler Yeats
http://www.csun.edu/~hceng029/yeats/yeatspoems/TheGyres

                                • -

sent from W-ZERO3

玖羽(Kuhane)さん訳「伊比紱(Ibid)」の件

 玖羽さん訳「伊比紱(Ibid)」(2011-12-12 01:04:12)→ http://t.co/wlrMCn1Y
 sbiacoさん訳「イビッド」(2010-09-21)→ http://t.co/x7nFSlKe
 SerpentiNaga訳「イビッド」(2010-09-21 20:50)→ http://t.co/ihufPPPm
 "Ibid" by H. P. Lovecraft → http://t.co/u6GhXUY8


(玖羽さん訳)將伊比紱誤認為《詩人列傳》(Lives of the Poets)的作者,可算是一個廣為流傳的錯誤。就連很多有教養的人也抱持著這種錯誤觀點,所以我認為有必要在這裡做一下澄清。順便說一句,本文中的一切常識性錯誤均由Cf.,即康弗(Confer)負責。另一面,伊比紱的傑作,就是那著名的《前揭書》(Op. Cit.),這本書將湧動在希臘−羅馬式表達法中的意義深刻的暗流作了歸納性的總結,所表現出的敏銳值得欽珮,攷慮到作者在撰寫這部著作時已是垂垂老矣,這種敏銳就更加令人驚訝。


(SerpentiNaga訳)イビッド Ibid をかの『詩人列伝 Lives of the Poets 』の著者と考える錯誤は、これに逢着することあまりに屡々にして、ひとかどの教養を積んだ、とうそぶく人びとの間にも多々見うけらるるほどのものなれば、ここに正しておくに値しよう。一般常識の問題として弁えてしかるべきである、この作品の文責は Cf. ことコンファー Confer に帰す、などというがごときは。さて一方イビッドのものした傑作とはなにかと申せば、これ即ち世に隠れもない『前掲書 Op. Cit. 』 にほかならず、同書においてグレコ=ローマン的措辞の意味ぶかい暗流が、ただ一度きりの明確なるかたちを結んでさらけ出されたのであり――しかも、賛嘆措くあたわざる鋭さを帯びているにもかかわらず、イビッドの書いたものとしては驚くほど後期の作なのであった。


(原文)The erroneous idea that Ibid is the author of the Lives is so frequently met with, even among those pretending to a degree of culture, that it is worth correcting. It should be a matter of general knowledge that Cf. is responsible for this work. Ibid’s masterpiece, on the other hand, was the famous Op. Cit. wherein all the significant undercurrents of Graeco-Roman expression were crystallised once for all—and with admirable acuteness, notwithstanding the surprisingly late date at which Ibid wrote.

(玖羽さん訳)當維提吉斯(Vitiges)篡奪了東哥特王位的時候,伊比都斯也遭到貶黜,一時身陷囹圄;但隨著貝利撒留(Belisarius)率東羅馬軍隊入城(12),他很快就得到了恢復自由和榮譽的機會。在哥特軍隊圍睏羅馬期間,他一直英勇地協助守城,其後又跟著貝利撒留的鷹幟,前往阿爾巴(Alba)、波爾多(Porto),甚至肯圖切拉(Centumcellae)。


(SerpentiNaga訳)ヴィティゲス Vitiges による東ゴート王位簒奪のさい、イビドゥスは貶黜せられて一時囹圄の身となるも、ベリサリウス Belisarius ひきいる東ローマ帝国軍の入城(12)で程なくおのが自由と栄誉とをとり戻す機がえられた。ゴート軍の、一年あまりにおよぶローマ囲攻期間をかれは防衛軍のため勇猛果敢に戦いぬき、さてそののちはベリサリウスの鷹の旗じるしに従ってアルバ Alba やポルト Porto 、はたまたケントゥムケラエ Centumcellae へと赴いた。


(原文)Upon the usurpation of Vitiges, Ibidus fell into disgrace and was for a time imprisoned; but the coming of the Byzantine-Roman army under Belisarius soon restored him to liberty and honours. Throughout the siege of Rome he served bravely in the army of the defenders, and afterward followed the eagles of Belisarius to Alba, Porto, and Centumcellae.

(玖羽さん訳)提貝浬烏斯(Tiberius)和莫浬斯(Maurice)兩位皇帝則對他的高齡和不朽貢獻深表敬意,——特別是莫浬斯,伊比都斯把他的傢譜上溯到古代羅馬,儘管他實際上生于卡帕多奇亞(Cappadocia)的阿拉比蘇斯(Arabissus)。在詩人101歲的時候,莫浬斯為了表彰他的貢獻,指定他的著作為帝國脩辭學校的標準教材,這一榮譽讓老脩辭學傢的心胸無法承受,他很快就在靠近聖索菲亞教堂的私邸中平靜地去世了。時為公元587年,九月的卡倫戴日(Kalends)的前六日(14),享年102歲。


(sbiacoさん訳)ティベリウスおよびマウリキウス両皇帝は彼の非常な高齢に敬意を表し、彼の名が不滅のものになるよう大いに取り計らった──ことにマウリキウスにしてみれば、イビドゥスの祖先を古代ローマの出自とするのが喜びであったが、じっさいのところイビドゥスの生れたのはカッパドキアのアラビスクスなのである。いまや齢百一に達した詩人の功をねぎらうべく、彼の作品を帝国内の学院の教科書に採用すると確言したのはマウリキウスだったが、この栄誉は高齢の弁論家の心臓には刺激の強すぎる負担だったらしい。はたしてイビドゥスは紀元587年9月1日の六日前に、聖ソフィア寺院の近くの自宅で安らかに息を引きとった。享年百二。


(SerpentiNaga訳)ティベリウス帝 Tiberius およびマウリキウス帝 Mauricius はイビドゥスの大齢に懇ろなる敬意をあらわし、「最後の生粋のローマ人」の名を不滅ならしむるにあたって貢献するところ大にして――とくにマウリキウス帝の貢献度たるや斜めならず、それはこの皇帝がおのれの族譜を上代ローマまで辿りうるをこそ喜びとしていたがゆえ、とは申せ自らはカッパドキア Cappadocia のアラビッスス Arabissus うまれであったが。イビドゥス百一歳の年その詩魂ある作品が、帝国内諸学堂の教本に採用確定せられたのもマウリキウス帝の計らいなれど、齢たけた修辞学者の心胸には過負荷のほまれとなったと見え、聖ソフィア寺院 Hagia Sophia にちかい自宅にて大往生をとげたのは、九月のカレンズ Kalends すなわち朔日まであと六日という日(14)のこと、年は五八七年かれ百二歳のときであった。


(原文)The Emperors Tiberius and Maurice did kindly honour to his old age, and contributed much to his immortality—especially Maurice, whose delight it was to trace his ancestry to old Rome notwithstanding his birth at Arabiscus, in Cappadocia. It was Maurice who, in the poet’s 101st year, secured the adoption of his work as a textbook in the schools of the empire, an honour which proved a fatal tax on the aged rhetorician’s emotions, since he passed away peacefully at his home near the church of St. Sophia on the sixth day before the Kalends of September, A.D. 587, in the 102nd year of his age.

(玖羽さん訳)斯塔佈斯在1661年送他的兒子塞魯巴別爾(Zerubbabel)去新英格蘭尋找時運(因為他認為王政復闢時期的氣氛對一個虔誠的年輕自由民不利),就在這時,他把“聖伊比紱”——不,厭惡天主教的斯塔佈斯更願依清教徒的說法稱他為“伊比紱兄弟”——的頭蓋骨給了兒子,當成一種驅邪的護符。在塞勒姆(Salem)登陸的塞魯巴別爾找了一個靠近鎮上水泵的地方,建了一間不大不小的房子,併把它放在挨著煙囪的碗櫃裡。他的夫人不僅對“每家碗櫃裡都有一個骷髏”這句俗語安之若素,甚至還把每晚跟頭骨接吻當成了一種義務。


(SerpentiNaga訳)さてスタッブズは、おのが息子ゼルバベル Zerubbabel を一六六一年、ニューイングランドにてひと旗揚げしむべく送りだした(と申すのも蓋し、王政復古の空気は敬虔なる自由民 yeoman のわこうどにとりて悪しきものと考えたゆえであったが)そのさい、この「聖者イビッド上人 St. Ibid 」の――いな、一切のカトリック的なるものを嫌忌した清教徒スタッブズの呼びかたでは「信徒イビッド大兄 Brother Ibid 」の――頭蓋骨をば、闢邪の宝具として息子にあたえたのであった。セイレム Salem へ上陸したゼルバベルがこれを安置たてまつったのは暖炉わきの戸棚のなか、町の揚水場ちかくに大きからず小さからぬ家を構えてのことであったが、「家ごとの戸棚に秘めた曝れこうべ Every family has its skeleton in the cupboard. 」という慣用句のもととなったかの一見無憂なる夫人のごとく、毎夜頭蓋骨への接吻を義務づけられていたかまでは詳らかにせぬ。


(原文)Stubbs, upon sending forth his son Zerubbabel to seek his fortune in New England in 1661 (for he thought ill of the Restoration atmosphere for a pious young yeoman), gave him St. Ibid’s—or rather Brother Ibid’s, for he abhorred all that was Popish—skull as a talisman. Upon landing in Salem Zerubbabel set it up in his cupboard beside the chimney, he having built a modest house near the town pump.

(玖羽さん訳)這頭蓋骨被藏在迪剋斯特的家裡,就是地處普羅維登斯北部,座落在現在的北主街(North Main Street)和奧爾尼街(Olney Street)交扠處的那幢宅子(18);然而在白人殖民者和印第安原住民的戰爭、即所謂“腓力王戰爭”(King Philip's War)中,納拉干西特人(Narragansetts)的酋長卡諾切特(Canonchet)于1676年3月30日襲擊了這幢宅邸。這精明的酋長一眼就看出頭蓋骨那莊嚴而高貴的特質,于是立即把它贈給了住在康涅狄格州,正在和他商談結盟的珮科特人(Pequots),以表誠意。4月4日,殖民者們抓住了卡諾切特併迅速將其處死,可伊比紱那質樸的頭蓋骨卻從此開始了輾轉流浪。


(SerpentiNaga訳)かくて貴き頭蓋はデクスター邸、プロヴィデンスの北部、現在の北メイン街 North Main Street とオルニー街 Olney Street との交叉部ちかくの家(18)の所蔵となっていたが、白人入植者とアメリカ先住民 American Indians との争い、いわゆるフィリップ王戦争 King Philip’s War のおりから、一六七六年三月三〇日同邸はナラガンセット族 the Narragansetts の酋長カノンチェット Canonchet の奇襲をうけ、目ざときカノンチェットは一見、この頭蓋の稀世にして森厳きわだかなるを認むるや、ただちにこれを同盟締結の交渉中であった相手、コネティカット Connecticut 在のピクォート族 the Pequots の一派に誠意のしるしとして贈った。四月四日、入植者らにカノンチェットが捕えられ速やかに処刑せられたのちも、なおイビッドの綾にかしこき顱骨は転々流浪をつづけるのであった。


(原文)It was in the house of Dexter, in the northern part of the town near the present intersection of North Main and Olney Streets, on the occasion of Canonchet’s raid of March 30, 1676, during King Philip’s War; and the astute sachem, recognising it at once as a thing of singular venerableness and dignity, sent it as a symbol of alliance to a faction of the Pequots in Connecticut with whom he was negotiating. On April 4 he was captured by the colonists and soon after executed, but the austere head of Ibid continued on its wanderings.

(玖羽さん訳)珮科特人業已在先前的戰爭中變得衰弱,因此無法給予正在遭受打擊的納拉干西特人任何支援。1680年,他們以兩盾的價格把這傑出的頭蓋骨賤賣給了奧爾巴尼的荷蘭毛皮商珮特魯斯·範·斯恰剋(Petrus van Schaack),這荷蘭人能讀懂頭骨上差不多被磨平的倫巴底小寫體(Lombardic minuscules)題詞,遂認定了它的價值(他對古文書學竟有如此高深的造詣,這或許可以從一個側面解釋新尼紱蘭毛皮商在十七世紀執北美牛耳的原因)。那幾不可見的、宛如尺蠖一般扭曲的文字,寫的正是“Ibidus rhetor romanus”(羅馬脩辭學家伊比都斯)。


(SerpentiNaga訳)ピクォート族は先のひと戦さで弱体化していたがゆえに、いまや酋長を失うの大打撃をこうむったナラガンセット族に対しなんらの支援もなしあたわず、畢竟意味のなかった進物品のその後はと申せば、一六八〇年、オランダ植民地ニューネザーランド New-Netherland はオールバニー Albany の毛皮商人、ペトルス・ファン・シャアク Petrus van Schaack の僅々二ギルダー two guilders 、すなわち二百セントばかりの出費にて確保するところとなったのであり、ファン・シャアクはこの著しくかたち秀でた顱骨に記されていた、ランゴバルド王国時代のミナスキュール草書体 Lombardic minuscules の銘文により価値のほどを認めたのであった(古文書学については蓋し、十七世紀ニューネザーランドの毛皮商人にとって欠くべからざる教養のひとつであった、と説明すれば宜しかろうか)。宛然尺蠖虫の這いうねるがごときその文字列は、薄れ消えかけていながらも次のとおり読みとられた――“Ibidus rhetor romanus (羅馬ノ修辞学者いびどぅす)”と。


(原文)The Pequots, enfeebled by a previous war, could give the now stricken Narragansetts no assistance; and in 1680 a Dutch fur-trader of Albany, Petrus van Schaack, secured the distinguished cranium for the modest sum of two guilders, he having recognised its value from the half-effaced inscription carved in Lombardic minuscules (palaeography, it might be explained, was one of the leading accomplishments of New-Netherland fur-traders of the seventeenth century).

(玖羽さん訳)最後,在一個命運之夜,一件非比尋常的大事發生了。玄妙的自然因靈魂的迷醉而震顫,它就像在這個“容器”所盛的飲料中攪起泡沫一樣,把高貴者貶落塵埃,將低賤者抬上高位——呵,看哪!當玫瑰色的黎明降臨、密爾沃基的市民們起床的時候,發現過去的草原已經變成了高地!整片廣闊的地區都被高高地抬起,經年埋藏在地下的奧祕終于重見光明。就在那裡,就在斷陷的車道之中,那通體純白、平穩地鎮座著的東西——那神聖的、有如執政官一般莊嚴的東西,正是伊比紱的頭蓋骨的穹頂啊!


(SerpentiNaga訳)かにかくてついに運命のある夜、尋常ならざる一大事件が発生した。玄妙なる自然が霊的恍惚にうち震え、従前かの「器」を満たせしこともある飲料の弾ける泡のはたらきのごとく、高貴なるものはこれをひき倒し低からしめ、下賤なるものはこれをひき上げうず高くならしめて――しかしてご覧ぜよ! 薔薇の指さすあかつきにミルウォーキー市民らが起きいでてみれば、なんと、草野原であったはずのあたりは高地と変じているではないか! 広漠として遥けくつづくその隆起のおぎろなさよ。いく年ものあいだ隠されてきた地底のアルカナ arcana 、極秘密がいまや明るみにさらされてあった。蓋し申すにやおよぶ、そこもとの裂けた車道のうちに全容をあらわしていたのである、白じろとして鎮もり、聖者然としておおどかにまた執政官らしく厳かに、壮観あたかも大伽藍のごときイビッドの頭蓋骨が!


(原文)and at last one fateful night a titan thing occurred. Subtle Nature, convulsed with a spiritual ecstasy, like the froth of that region’s quondam beverage, laid low the lofty and heaved high the humble—and behold! In the roseal dawn the burghers of Milwaukee rose to find a former prairie turned to a highland! Vast and far-reaching was the great upheaval. Subterrene arcana, hidden for years, came at last to the light. For there, full in the rifted roadway, lay bleached and tranquil in bland, saintly, and consular pomp the dome-like skull of Ibid!

(玖羽さん訳)S.T.約西(S.T.Joshi)的註解,譯自《洛伕剋拉伕特未收錄詩文集第二卷》(H.P.Lovecraft Uncollected Prose and Poetry II),死靈之書出版社(Necronomicon Press)出版,1980年


(SerpentiNaga訳)[S・T・ジョシ S.T.Joshi 註](S・T・ジョシおよびマーク・A・ミショー Marc A.Michaud 編『ラヴクラフト未収録詩文集第二巻 H.P.Lovecraft Uncollected Prose and Poetry II』(ネクロノミコン・プレス Necronomicon Press 、一九八〇年)より)

(玖羽さん訳)(10):486年,剋洛維率領法蘭剋族攻殺了“西羅馬帝國高盧行省”的最後一位統治者錫亞格浬烏斯(Syagrius)。


(SerpentiNaga訳)(10)四八六年にクローヴィス麾下のフランク族は、「西ローマ」帝国の属州ガリアの最後の支配者、シアグリウス Syagrius をうち破って殺した。


(原文)10. In 486 the Franks under Clovis defeated and killed Syagrius, the last ruler of "Roman" Gaul.

(玖羽さん訳)(18):“(約瑟伕·庫爾溫)……在奧爾尼街上買了一座屋邸,因此獲得了普羅維登斯的自由民資格。這座屋邸位于格浬高利·迪剋斯特(Gregory Dexter)家北鄰,就建在奧爾尼巷(Olney Court)——當時叫城鎮街(Town Street)[即主街]——以西的斯坦帕斯崗(Stampers' Hill)上。1761年,在此新建了更大的邸宅,該建築至今尚存。”——摘自洛伕剋拉伕特,《查爾斯·迪剋斯特·瓦紱事件》,第二部,第一章。


(SerpentiNaga訳)(18)「(註・ジョゼフ・カーウィンは)オルニー・コートの崖下にあたるグレゴリー・デクスターの家の北隣に地所を買い入れることで、プロヴィデンスの自由民の資格を取得した。住所は、現在のオルニー・コート、当時の名称でいえばタウン街(註・すなわちメイン街)の西、スタンバーズ・ヒルの上に建てた。一七六一年にいたって、おなじ敷地に、より大きな邸宅を建て直して、これがいまだに存在しているのだった。」(ラヴクラフト「チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件」(宇野利泰訳)、第二部第一章より)


(原文)18. Joseph Curwen's house was "at about the foot of Olney Street . . . on Stampers' Hill west of the Town Street [i.e. Main Street], in what later became Olney Court"; cf. The Case of Charles Dexter Ward, Part II, sec. 1.

(翻訳テクニックの一つに、訳注を割注や脚注の形でなく訳文自体にとけ込ませるという手段があります。因みに都筑道夫先生のお嫌いだったやり方ですがそれはさて措き、これの行われているのに気づかず「どうせ同じ原文なんだから」と、他人の訳文を自分の訳文にそのまま流用してしまったら大変、飛んだトラップを踏む羽目になるというわけ。ご用心ご用心。)

ウィリアム・バトラー・イェイツ作「再臨」

めぐりまためぐり、広がりゆく螺旋を描きつつ、
鷹は聴きとれない、鷹匠の声を。
物象七花八裂し、中心は中心たりえず、
まったき無秩序放たれて世をたち覆えば、
血で濁った潮流があふれ出し、
いたるところで、清浄無垢の典礼を呑みこむ。
最良のともがらが一切の確信を欠く一方で、
最悪のやからは熱情的なるつよさに満ちる。


確かにま近に迫っている、ある黙示が、
確かにま近に迫っているのだ、〈再臨〉が。
〈再臨〉! そう口にするかしないかのうち、
〈宇宙霊魂〉によりひとつの巨像が結ばれ、
わが視界を遮る。いずこかの不毛の砂地を、
獅躯人頭の一つのかたち、空白にして無情なること
日輪のごとき凝視もてのし歩くそのめぐり、
憤然として群れはばたく砂漠の鳥の影。


闇ふたたび落ちるも、いまや知る、
世紀を経ること二十回におよぶ石のねむりが、
揺籃に魘されて悪夢を得たのだと。
さてはいかなる粗暴の獣、その時ついに到ればこそ、
ベツレヘムを向いて身がまえ、生誕しようとしているのか?



William Butler Yeats (1865-1939)
THE SECOND COMING
http://www.potw.org/archive/potw351.html

                                • -

sent from W-ZERO3

あたし自身の歌(SOS団団長が歌う)

 (ずっと前に、sbiacoさんの翻訳文書館の“ホイットマン「市の死体置場」(ガーリッシュ版)” http://blog.goo.ne.jp/sbiaco/e/abd0c76fe368f2da4c2b416eb14a626e に触発されてTwitter上で披露したネタのサルヴェージなんで新鮮味に欠けるけど)

あたしは讃えるあたし自身を、あたしは歌うあたし自身を、
そしてあたしが身につけるものは、きっとあんたにもよく似合うはず、
だって、あたしに属してるどの原子も、あんたに属してるのと変わりゃしないじゃない全然?


あたしはそこらをぶらつき回る、おいで、あたしの魂、
うーんと伸びをして、悠々とぶらつきながら観察する、夏草のとんがった若葉を。


あたしの舌、あたしの血のなかの原子の一つひとつがこの土壌から、この大気からつくられた、
親から生まれた子がまた親となって子を生み、またその子が親となって子を生んでくれたから、あたしはいまここにいる、
当年とって十七歳、申しぶんのない健康体でおっ始めてやるわ、
希いはただ、走りつづけて死ぬまで絶対止まんないことよ!


信条だの党派だのはさて措いといて、
ひとまずよしとして退っても決して忘れちゃうわけじゃなくて、
いいものも悪いものも来るをこばまず、どんなヤバい時だって自由に語らせてやるんだから、
なまのエネルギーを失ってない検閲ぬきの本性にねっ!

 ……原詩はコレ(笑)。

 I celebrate myself, and sing myself by Walt Whitman


I celebrate myself, and sing myself,
And what I assume you shall assume,
For every atom belonging to me as good belongs to you.


I loafe and invite my soul,
I lean and loafe at my ease observing a spear of summer grass.


My tongue, every atom of my blood, form’d from this soil, this air,
Born here of parents born here from parents the same, and their parents the same,
I, now thirty-seven years old in perfect health begin,
Hoping to cease not till death.


Creeds and schools in abeyance,
Retiring back a while sufficed at what they are, but never forgotten,
I harbor for good or bad, I permit to speak at every hazard,
Nature without check with original energy.

 年齢のとこ以外ほとんど弄ってませんよ? 口調を変えただけのガチな翻訳。
 以上、「ウォルト・ホイットマンの“Song of Myself”をティーンの女の子っぽい口調で訳すと涼宮ハルヒになる」でした!



The Melancholy of Haruhi Suzumiya
Nagaru Tanigawa
Little, Brown Books for Young Readers
売り上げランキング: 134


The Melancholy of Haruhi Suzumiya, Vol. 1 (Manga)
Nagaru Tanigawa
Yen Press
売り上げランキング: 17990


『涼宮ハルヒの憂鬱』で英単語が面白いほど身につく本[上巻]
谷川 流 [原作テキスト] 出雲 博樹 [単語解説]
中経出版
売り上げランキング: 7596



ハワード・フィリップス・ラヴクラフト作『ユゴスよりの黴』 ソネット第五番

帰 郷


邪霊ダイモーンの曰く われを家郷へつれ行くと

蒼じろく陰影かげさはなる地 わが記憶になかば残る地へ

憶ひおこせば 階梯と露台とを備へし高みは

天風のくしけづ大理石なめいしの欄杆に囲まれ

たや いくマイルもの下 堂塔伽藍の重なりの

迷図を織りなす傍ら わだつのうち広ごれりき

さらに邪霊ダイモーンの語らく その年ふるきたか

魅入られしわれを佇ませ 泡だつ海をとほかしめむ と


かく一切をうけあひし邪霊ダイモーンに拉しさられ

落日の門を抜け さざ波ゆる湖水と 何やらむ
逼迫的なる運命におびえて叫喚さけぶ無名神らの

純金玉座とを過ぎて至るは 潮さはぐ夜の黒き海湾

邪霊ダイモーンあざけりて曰く 「これなむなれが家郷なりける
そのまなこに視力の宿りてありしみぎりは!」


H.P. Lovecraft "Fungi from Yuggoth"
sonnet V. "Homecoming"


http://www.psy-q.ch/lovecraft/html/fungi.htm

アナベル・リー再現

ナシカナ      アルバートフレデリック・ウィリー(H・P・ラヴクラフト&アルフレッド・ギャルピン)


蒼白きザイスの庭院にはにありし日のこと
屍衣しえのごと狭霧まとへるザイスの庭院よ
しろなるネファロットじゆはなを披きて
うまし香りに深更よふけを先触れするところ
微睡まどろむあるは寂として波たたぬ玻璃のあはうみ
はたや亦 さゐもなく流るる細水をがは
昏夕たそがれ神霊かみだち籠りて沈思なすカソスの洞々ゆ
ころろきもなくながれる細水
これらうみ細水かはとのうへに架れるは
けうらなる雪花石膏アラバストルの橋のかずかず
その何れも妖精鬼魅のかたちを巧みに
りきざみたるましろなる橋
ここ くすしくも太陽と遊星と幾多耀かぐよひ
くすしや 新月なるバナピス
常春藤きづたがらみの塁壁の彼方
宵闇の深まさりゆくあたりに沈み
ここ 白じろと降るよヤボンの靄
思惟おもひまで糢糊たらしむるヤボンの靄
しかしてここ 靄のうづ巻くさなかにして
われは遇見であひぬ 神容のけだか処女をとめナシカナに
花冠はなかむりせる白皙の夭姣をとめナシカナ
楚腰なよごしあえか 黰髪くろかみ嬢子をとめナシカナ
野李樹りんぼくの実のごとく くちびるあか阿嬌をとめナシカナ
銀声のほがら澄音すみね少艾をとめナシカナ
はしけやし 蒼白き長袍ローブ女児をとめナシカナに
さても 彼女かぬなはいつもわが眷恋人こひびとたりき
時てふものの未だ成らざる太古より
星も非在あらざり 在るはただ
ヤボンのみなりし遙昔より
さても 両人ふたりはいついつもともに過ぐしてき
われらザイスのぜんなる童男をぐな童女めらは
うらやすらけく こみちに はたや亭子あづまや
つむりには神聖きよきネファロットのかむりも白く
ふたりしていかに繁くは游歩もとほりしよ
しづの花アスタルソンのきおほひたる
昏夕たそがれどきの牧 片丘を
しづにはあれど可憐しをらしきアスタルソンの
ひとつらに白皣々はくえふえふ開花きたる中を
ああ ふたりいかに繁くはゆめみしよ
アイデンよりも美はしき夢 現境うつつよりなほ
真実まことしき的皪てきれきの夢に成れる世界に!
さばかり夢み さばかりに愛しみあひて幾世経にけむ
やがてつひに ザニンの咒ひの季節ときこそぬれ
ザニンのまが魔障まじくりのときの到ぬれば
太陽は 遊星は赤く莩きいで
新月のバナピス赤くちらめきて
ヤボンの靄の降るも亦 あかあかとのみ
斯くては 花葩はなばなもいさら細水をがは
あはうみも赤らかに染み それらが上の
しづかなる雪花石膏アラバストルの架橋さへ
肉色のおぞき反映に照りかがやきぬ
刻まれし妖精鬼魅のことごとく
くらき陰より赤眼せきがん邪睨にらまへるよとみゆるまで
さておのが夢見ヴイジヨンの変じはてて われ
密々たる赤気のとばり透視すきみせんとは努めしかば
仄めきぬ 処女をとめナシカナのけだか神容すがた
けうらなる 常住いつも白面あえかなる青娥をとめナシカナ
はしけやしかはらざる嫈嫇をとめナシカナの
さはあれど 狂気の渦また渦に呑まれて
いたはしやわれが夢見ヴイジヨン晦冥くらみにき
目に新たなる一世界をつくり成したる
いまはしや赤変のわれが夢見は
赤色と闇黒とよりなる新世界 これぞ
「生活」と呼ばるるも実はおそるべき昏睡なりし
かくて今 「生活」といふ名の昏睡のなか
わがながむるは絢爛きらきらしき美のまぼろしども
ザニンの凶悪まがをことごとく蔽ひ隠さふ
ここだくの虚妄空幻の美のすがた
われは瞰む かぎりもあらぬ渇慕あくがれもて
余りにそれら媚子わぎもこかよひてみゆれば
しかすがに 何れも双眸まみ凶悪まがしさの
酷薄無情の凶悪しさのかがやきづるこそしけこしけれ
艶なるをよそへるもそれに倍して禍なる
タフロンやラトゴスを超ゆる凶悪しさ也
さてはただ 夜半よは目蕩まどろみの裡にのみ
あらはるるよ 失はれたる春娃をとめナシカナ
白面あえかのけうらなる処女をとめナシカナ
けんしゃの一瞥すれば没影きえさりゆくも
かへす返すわれは彼女かぬなもと
プラソティスをしたたか服しつづくるにより
嫦娥アスタルテ果酒ワインに混じ 長の哀哭なげき
涙くはへて効力の増せるプラソティスを
回復とりかへさばや 懐かしきザイスの庭院には
うるはしの 喪はれたるザイスの庭院
しろなるネファロットじゆはなを披きて
うまし香りに深更よふけを先触れするところを
方今いま われは最後はての効ある一服を調じつつあり
かの妖精鬼魅らのよろこぶ一服
赤色を 「生活」とひとの呼びなす昏睡を
逐ひくるべき一服なり
無何ほどなくして 調合に誤りなくば不久ほどなくして
赤色はえ 狂気は失せて
屍蛆うじむらがれる深闇ぬちにこの身をば
縛め来たる賎金属しづがねの鎖はちむ
けながくも苛まれたるわが夢見ヴイジヨンの上
再来一次いまひとたび 白じろとザイスの庭院にはを現ぜしむべし
しかせばそこ ヤボンの靄の渦まくさなか
ちこそいでめ 神容のけだか処女をとめナシカナは
不死不滅なる 回復とりかへされし妞々をとめナシカナ
「生活」に於てはつひぞまみえざりにし絶類たぐひなきもの


Nathicana
by H.P. Lovecraft and Alfred Galpin
http://en.wikisource.org/wiki/Nathicana

ハワード・フィリップス・ラヴクラフト作「洞窟のなかの獣」

 怖ろしい結論が次第々々にしりぞけ難いものと化して、混乱したかたくなな頭脳で考えても、いまやひとつの確定的事実であることに懍然となった。道を失ってしまったのだ、完璧に、絶望的にわたしは、長大にして迷宮のごときマンモス洞窟の奥処でただしい道を。ひき返したくとも、目を凝らすかぎりいずかたにまれ、出入口へとみちびく路標の役を務めてくれるようなものは一切捕捉できない。またとふたたび白日のひかりの恵みに浴することも、外界の丘や谷間の美観をうれしむことも叶うまいという判断は、理性によって最小の疑義をさし挟む余地もなかった。希望は飛びさっていた。とはいえ有識の人でわたしはあり、けだし哲学を研究する生活のしからしめたところにして、自分の動じなさ加減に少なからぬ満足感をおぼえたのだが、それも似たような状況に陥った人間が、いかに血迷って狂気じみた真似をするものか予てよりの読書でよく知っており、過去こうした実体験は皆無にも関わらず、道に迷ったとはっきり自覚するや平静を保つべくつとめたからだった。
 あるいは一般の探索行の限度を超えた、最奥最深部へとさまよい込んでしまったのではと考えても、心のゆとりを手放したりなどしなかった。死は免れぬものとすれば、とわが身を顧みて、この恐懼すべくも荘厳なる岩屋は、いかなる教会墓地の空きを宛てがわれるにもおとらず好もしい奥津城となろう、そう思うにおよんで浮かぶ概念とて、絶望よりもむしろ安らぎで多くいろどられていた。
 飢えこそわが運命を決するだろう、これは確かだった。人によっては、わたしの知るところ、かかる状況下で発狂した者もいるそうだが、それは自分のむかえる結末ではないような気がした。わが災難は畢竟おのれの咎に他ならず、ガイドに悟られることなく一般観光客の列をはなれ、洞窟の禁じられた経路を一時間以上さまよったあげく、気づけば一行と別れてから辿ってきた、紆余曲折を逆に辿りかえすのが不可能になっていたのである。
 すでにして松明は燃えつきはじめており、ほどなくわたしは大地のはらわたの、ほとんど触知できそうな如法の闇に包まれきるはずだった。佇むこと火あかりの衰えつつ頼りなくゆらめくなかにして、もの憂く自らに問うた、確実にわが身の終わりがくるというこの状況について。憶いだすのは肺病患者たちの生活集団に関する風聞、かれらはこのおぎろないグロット内で、からだに良いとされる地下世界の空気に恢復のよすがを求めて群生活をいとなみ、一定不変の気温と清澄な空気、そして平穏な静寂とのもと得られたのは、あに図らんや奇怪かつ悽愴なすがたと化しての死であった由。かれらの手になる造りつたない茅舍のなごりを、わたしは観光客の一団とともに横目に通りすぎたのだったが、そのおり自問したのは、全体いかなる尋常ならぬ影響をこの深さ静けさのおびただしい洞窟での長期滞在により、健康にして元気旺盛な人間、例えばわたしのごとき者ならばこうむるものなのだろうかということ。それが冷笑まじりにこう独語するに至ろうとは――なんとまあ、いまこそ疑問解消の好機ではないか、食糧の欠乏がさのみ速やかにこの世との別れを齎らしはせぬとあらば。
 わが松明の消なば消ぬべき閃きもついに不分明なまでに衰えきれば、わたしは決意した、目ぼしい石は残らずひっくり返そう、脱出のため可能な手段はひとつも見すごすまいと、そこで肺活量一杯の空気をしぼり出してたて続けに声高の叫びを発した、この大声でもって、ガイドの注意を惹きつけようというあだな望みのもとに。さあれ呼ばわりつつも内心では、いくら喚いたとてなんの役にも立たぬと思いこんでおり、わが声が暗黒の迷路の数おびただしい塁壁に増幅され反響したところで、わが耳以外のどこへも落ちてきはしなかったのだ。突如としてところが、意識を集中せずにいられなくなったのは驚いたことに、洞窟の岩床を近づいてくる跫音の微かに聞こえたような気がしたゆえ。さては早くも救出とあいなるのか? わが一切のおどろおどろしい疑憂は杞憂に終わり、無断で一行から離れた人間のいることに心づいたガイドが、この石灰岩の迷宮のなか行路を辿ってきて、わたしを捜しあててくれたわけなのか? そうした喜ばしい疑問の数々を脳裡にうず巻かせつつ、早く見いだしてもらえるようまた新たに叫びをあげかけて、ふと耳を澄ますや一転喜悦から恐怖へと感情の変じたというのは、さなきだに敏感なわが聴覚が、時しも洞窟のまったき静謐により鋭さの度合いますます甚だしくなり、遅鈍化したわが脳に怖るべき情報のふい打ちをもたらしたからで、すなわちその跫音は、およそいかなる生身の人間のものでもなかった。この地下領域の非現世的な静謐のなか、ガイドの半長靴のあゆみだったら鋭くとがった音の連打のごとく耳にひびいたろう。しかるにそのひびきは柔らかくひそやかで、さながら猫科の動物の肉厚な蹠を思わせた。のみならず時々、わたしの注意ぶかく聴きとったところでは、二本足というよりは四本足の着地音のような気がするのだった。
 いまや確信に至った、わたしの叫び声に注意を喚起されてこちらへ誘いよせられたのだ、なにか野生の獣、たぶん俗に山獅子とも呼ばれるクーガの類いのうっかり洞窟内で迷うはめに陥ったようなやつが。按ずるところ全能の君は、速やかにして慈悲ぶかい死にかたなること餓死に勝るものをわがためにえらび給うたらしい。とはいえなおも眠りこんだわけではない自保的本能が胸中に湧きかえり、よしんば当来の危機を免れたところで、一層仮借なくして苦しみの長びく結末しか残されていないとしても、断じて犬死には遂げまいと心さだめた。これほどおかしな話もなかろうに、わたしは頭から、やって来る相手がこちらに敵意を抱いているものと決めてかかっていたのだ。ゆえに鳴りをひそめきって願望した、なんとか正体不明の獣が、音を頼りにできなくなってわたし同様方向を見うしない、気づかず脇を通りすぎていってはくれまいかと。しかし所詮かなわぬ望み、なぞめいた跫音は着実に迫ってくるので、けだし動物は瞭らかにわたしのにおいを、鼻に惑わしいあらゆる要素から完全に自由な洞窟という空間の大気中に嗅ぎとったらしく、なるほどそれで遠距離の追尾が可能なわけだった。
 かかる状況に鑑みて闇のなか、不可知にして不可視なる襲撃から身をまもる武器とすべく、洞窟内岩床の至るところ散らばった岩のかけらのうち、手ぢかにある最大級のものをめぐりに寄せあつめ、かつ両手にひとつずつ握りしめて即急の用にそなえ、運を天に任せつつ当来の不可避事を待ちうけた。そのあいだにも気味のわるいぺたつく跫音は距離をちぢめてくる。確かに極度に所作のなぞめいた獣だった。大半の時あゆみは四足動物のそれを思わせたものの、前後の肢はこびが妙に揃わず、しかも短間隔で繁茂に二足歩行をとっているような気がした。はて、全体いかなる種の動物と対面することになるのだろうか、いずれむらむらと探険心をおこした獣で、気うとげな暗穴道のひとつへと入りこんだのが運の尽き、はかり知れない奥処に終身禁固の身となったものに相違あるまい。露命をつなぐには疑いなく、洞窟の目なし魚や蝙蝠や鼠どもを糧としていたことだろう、時にグリーン・リヴァー氾濫のたび流されてくる普通の魚はむろんのこと、というのもこの河と洞窟内の水流とは、なにやら冥々として不可思議なぐあいに繋がっているからだ。剣呑な警戒のあいだわが脳裡を占めていたのは、闇のグロット内の生活が、その獣の身体構造にいかなる変化をおよぼし得ていようかという病んでグロテスクな臆測で、わたしは憶いだした、地元の語りつたえでは見るもおぞましいありさまになり果てたとされる肺病患者たち、洞窟にながく棲みつづけたあげく死をむかえたかれらのことを。つい忘れていて愕然としたが、たとえ首尾よく相手を殺しおおせたにせよ、いかなるすがたの何を殺したのか絶えて目視しようがなく、なぜなら松明はとうの昔に燃えつきており、燐寸一本とて調達できないのだ。思惟の緊張はいまいらひどく高まっていた。無秩序な妄想が凶なす暗闇より喚びおこした、総毛だつばかりのおぞましい幻像の数々にとり巻かれ、実際にからだの圧しへされるような心地がした。こちらへ、さらにこちらへと近づいてくる跫音のひびきのそら怖ろしさ。ここはどうしても空気をつんざく絶叫を口から迸らせねば、とは思われたけれど、ろくに胆の据わらぬ状態でそのような真似をためしても声がまともに出てはくれまい。わたしは石のごとくに硬直し、根が生えたようにその場からうごけなかった。果たして右手がいうことを聞いてくれて、いざそいつに襲いかかられた受難の瞬間、あやまたず飛び道具を投げつけてやれるものやら怪しかった。いまやぺたり、ぺたりと踏みしめる跫音のまぢか、手をのばせば触れられそうなほどまぢかに迫り、動物の疲らしげな息づかいまで聴くことができ、恐懼にこそ打たれながらもはたと感づいた、定めてこいつはかなりの距離をやって来たに相違ないのだから、疲労もかなりのものになっているはずだと。ふいに呪縛が解けた。右手でもって、つねに頼りになるわが聴覚のみちびきにより全力で、掌中の角がとがった石灰岩のかけらを闇のなか、息づかいと跫音の発生源へむけて投げたところ、語るも驚異、辛くもねらった相手まで届いたらしく、そいつの跳びしりぞいて距離をおいた場に着地する音が聞こえ、うごきが止まったようだった。
 狙いを定めなおしてかけら第二弾を放つと、こんどは相当な手ごたえがあって、あふれる喜びのうちに耳で確かめられた、その生きものが全きむくろのごとく倒れ、うち臥したきりぴくりともうごく気配のないのを。押しよせる安堵の強さによろめいて背中を岩壁にぶつけた。なおも息づかいが聞こえやまず、ぜいぜいと低おもい調子で呼気と吸気をくり返すので、ほんの手傷を負わせたに過ぎなかったのだと悟った。かくてはもはや、この怪生物を検分してやりたい気もすっかり失せてしまった。あげくなにやら無根拠の迷信めいた恐怖に結びつく考えにとり憑かれたわたしは、そいつへ近づくことと、完全に息の根をとめるまで投石を続けることのいずれもしなかった。それどころか全速力で逃げだしたのだ、錯乱状態で辛うじてつくかぎりの見当をつけて、自分がやって来たとおぼしいかたへと。にわかに物音が聞こえた、いや、規則ただしい連続音というべきか。次の刹那合点がいった、あの戛・戛・戛と続けざまに鋭くひびくのは靴鋲の鳴らす音。こんどはまちがいなかった。正真正銘、ガイドだ。それでわたしは叫んだ、わめいた、喉をふり絞った、金切り声をあげさえした、覆いかぶさる丸天井に微かでちらちらする耀いを目撃したとき、それが近づいてくる松明の火の反射光だと知った喜びのあまり。ほむらへ向かって走り、なにがどうなったのやら皆目わからぬうちに、ガイドの脚下へ身を投げだして半長靴をかき抱き、べらべらべらべらとまあ、日ごろ無口で慎みぶかいこのわたしが、たいがい埒もなく莫迦みたいな調子で恐怖の体験談をまくし立て、同時に怒濤の勢いでもって謝辞を聴き手に浴びせかけたのだった。ようやくにしてどうにか人ごこちがついた。ガイドはわたしのいないのに洞窟口へ一行と戻ってきた時点で気づき、持ちまえの方向勘を働かせ、自分が最後にわたしに話しかけた辺りからさきの枝道を調べに調べ、居場所を割りだしてくれるまで約四時間におよぶ捜索行だったとのこと。
 ひと通り説明されおわったころには、火あかりで照らしてくれる随伴者の存在に心づよくなり、さて顧みだしたのがすぐそこの暗闇のなか手負いで残してきた未知の獣のこと、全体いかなる容子をした生きものなのか、燈心草蝋燭のたすけを借りてともに確かめにゆこうと提案した。かるがゆえに自らの遁走路を逆に辿っていったのだった、こんどはひとりならざればこその勇ましさで、わたしが怖ろしい体験を味わった現場へと。ほどなく岩床のうえに見いだした遠目にも白いもののすがた、その白さたるや、ほの光る石灰岩自体の白さよりもなおきわだっていた。注意ぶかくあゆみを進めながらも、口をついて出た驚奇の叫びはふたり同時、いやわれわれとて双方生まれて以来、自然界にあるべからざる奇獣どもの数々を目撃してはきたのだけれど、それら全てを凌駕する最上級の怪生物がそこにいたのだ。見たところ大型のアントロポイドすなわち類人猿とおぼしく、あるいは巡業の曲馬団からでも逃げのびたものであろうか。体毛は雪のま白さで、インク壷のような洞窟内に幽閉長きがゆえの脱色作用であることは疑いを容れなかったが、そのうえ驚くほどうすく生えていないところも広範囲にわたり、頭の毛ばかりが長くゆたかで、両肩にかかるくらいまで伸びてかなりふさふさとしていた。顔はこちら側から見えない、怪生物がほとんどうつ臥せの恰好だからだ。四肢の折れ曲がりかたが尋常一般の獣のそれとは著しく異なるも、けだしかくあればこそ交互に切り替えできるのだとまえに気づいていた、すなわち歩行に際して、あるときは前後の肢をともに使い、また別のときは後ろ肢のみを使って進みゆくというふうに。手指足指のさきからは獣ばなれした平爪が長く伸びている。手や足は把まったり把んだりに適したかたちでなく、この一事実をわたしは洞窟ずまいの長さに帰因せしめたのだが、先述したごとく、そのはだか身をあげてひたすら非現世的な白一色である、という特徴からも瞭らかなことと思われた。尾はあるように見えなかった。
 いまや息ざしも苦しげになりまさったその怪生物を、ガイドは始末する気満々で拳銃を抜いたが、時しもふいに相手が音声を発したものだから、引き金絞るひまもなくとり落としてしまった。なんとも形容しがたいたちの音声だった。既知のいかなる類人猿のつねの啼き声にも似ておらず、わたしは自問した、かかる音質の不自然は、ひさしく通してきたまったき緘黙を破らざるを得なくなった動揺の結果であるまいか、すなわち、この獣が洞窟に入りこんでよりついぞ見るべくもなかった光の到来ゆえに。その音声は、苦しまぎれに呼んでみれば啾々として低おもいかがめきの類いで、弱々しく発せられつづけた。突如、獣の全身に痙攣の走るごとく、刹那的なちからが走りぬけたと見えた。前肢が攣きつけめいた動きを完了し、後ろ肢とともに縮こまった。反射運動で白い躯体が反りかえって、ためにわれわれのかたへ顔面が向いた。その一瞬、わたしを打ちのめしたのはかくて顕わになった双眸の怖ろしさ、それ以外なにも目に留まらなかった。黒さも黒い、うば玉の闇の黒さの双眸は、頭の毛やからだの雪のようなま白さとおぞましい対照をなしていた。洞窟に棲まう他の生きものらがそうであるごとく奥目がちで、虹彩をまったく欠いていた。よりつぶさに見れば、双眸のおさまった顔は平均的な尾なし猿にくらべ下顎が突出しておらず、さらに甚だ毛ぶかい。鼻はまことに秀でていた。
 眼前の不気味なすがたを瞶めていると、ひらいたぶ厚い唇がいくつかの音声をつむぎ出し、それの終わるや怪物は崩折れきって絶命した。
 ガイドはわたしの外套の袖をつかんで震えることあまりに激しく、ために定まらぬ松明の光が、周囲の岩壁に妖かしく揺れうごく影をつくった。
 わたしは身じろぎもならず凝然と立ちつくし、恐懼のまなざしを前方の岩床から反らせずにいた。
 やがて怖れがしりぞくと、こんどは驚き、畏み、憫れみそして敬いの念が次々と去来することになった、というのもわれわれは、石灰岩のうえ臥しよこたわる被傷のむくろが、その断末魔に発した音声の連なりより得さとってしまったからだ、さてもゆゆしき真実をこそ。わたしが殺した生きもの、底なしの洞窟にひそむ奇獣と思ったものは実は変わり果てたすがたに他ならなかった、ああ、経てはまさしくひとりの人間だった存在の!!!


The Beast in the Cave by H. P. Lovecraft
http://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/bc.asp

                                • -

sent from W-ZERO3