2007-12-08
■[MIAU]「超流通」をやりたいだけ

昨日の続き。
MIAUの協力会員が集まってるSNSで、私にとって一番分かりやすい解説が出てきたので、紹介。
まず昨日の混乱状態。
MADムービーなど二次創作に関わる同一保持性違反、YouTube/ニコニコ動画などのネット配信による送信可能化権違反を、新たな補償制度設置と引き換えに容認すると言っている?
言ってる? 本当に言ってる?
じゃあ、なんで、DRMが関わるの?
キーワードはここだった。
「YouTubeは世界共通語」――角川会長の考える“次の著作権”(ITmedia/岡田有花)
「2次利用よりももっと軽い権利で、コンテンツを自由に楽しんでもらいながら、安価な閲覧料を徴収するなどし、著作者にも一定のお金が入るような仕組み」を想定しているといい、「超流通」の考え方に当たるという。「著作権法は著作権者やコンテンツ事業者を保護しすぎているという批判もあるが、こういう仕組みができて始めて、著作者・コンテンツ権利者・国民の3者間でwin-winの関係が築ける」
「超流通」。これがキー。
私は、これも角川氏の造語かと思って読み流してたから、理解が遅れた。
超流通(Ipross)
コンテンツ自体の所有ではなくコンテンツの利用によって課金すること
デジタル時代の置き薬商法 超流通ビジネスの仕組みと収益構造(JNEWS.com)
ソフトウエアなどのデジタルコンテンツを利用する際の課金方法として、置き薬をモデルにした概念を提唱した。商品自体は消費者の手元に常にあり、使いたい時だけ使い、後で使った分だけお金を払えばよい、という形だ。
ユカタンには常識の話で、改めての説明はしなかったんだろうなぁ……ここで、全て理解。
結局、データを利用した分だけ支払う従量課金制度なのよね。
なるほど。ファイルのデータのやりとりはフリーにして、利用したとき利用しただけ課金が発生するから……これを角川氏は「広く薄くあまねく徴収する」とか言ってたのか。
そして、超流通がやりたいから、完全なDRMにこだわってたのか。
って、閲覧権なんていらんやんっ!
ちょうど今、11/13のコメント欄で柴田氏が説明しているけど、まさに、上映権で扱える話じゃないか!
この人は、自分達の既得権益の範囲を分かっていない!
(後日注:この段落の記述は嘘。コメント欄での指摘を受け、まとめなおしました……まぁ、そっちも間違ってんですけど、よければ、もうしばらくお付き合いください)
あーもー、なんか疲れちゃったなー。
「超流通」自体の評価は別記とさせてください。
超流通:知的財産権処理のための電子技術(森亮一, 河原正治, 大瀧保広)
1996年2月号の情報処理学会誌に掲載された論文である
1996年では早すぎたけど、10年以上を過ぎた今、見直す価値があるような気がする。


誤解のないように補足させていただきます。
上映について定義する二条一項一七号は、かっこ書で「公衆送信されるものを除く」と規定します。
したがってこの問題は、上映権ではなくすべて公衆送信権で処理されることになります。
いまちょうど公衆送信について整理しています。まとまり次第、書かせていただきます。
それにしても「閲覧権」。二章三節三款に創設ということだと思うのですが、既に伝達権(二三条二項)が規定されているわけですから、権利の重複をどう解決するかという問題もあります。
そしてそもそも特許法などとは異なり、著作権法は、産業財産権法には含まれないということも角川氏は判っていないのでしょうね。
一条の法目的すら読んでないのでしょう。
ところで、法目的という点で補足すれば、著作権法では「著作物の利用」を図ることを目的として掲げていません。したがって、利用者がそもそも著作権法の恩恵を受けようとすること自体がおかしなものです(中村氏の「ネット著作権ハンドブック」は、そもそもこの点を誤解している)。
特許法などでは利用発明の扱いについて規定(七二条)しています。これは、先行発明の改良により技術の累積的進歩を促すものです。特許法の目的が「産業の発達」(特一条)としているのに対し著作権法のそれは「文化の発展」(著一条)としているのもこのためです。
仮に閲覧権というものを創設するなら、産業財産権法のように、利用も法目的の達成手段として掲げる必要が生じるでしょう。
つまり、閲覧権の対象となるものは、大幅に利用が認められる、こうした規定になるでしょう。
角川氏の視野の狭さ(リーガルマインドの欠如)がここでも現れています。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/
以下、仮として、映画著作物に限りますが。
角川氏の話の流れだと、Youtubeやニコニコ動画のようなストリーミングで配信するものについて課金するとしたら、それは公衆送信権に基づく課金になるとは思うのです。
しかし、「超流通」だと、権利者が著作物をネットワークに公衆送信して、利用者が自分のパソコンのHDDなり何なりに複製するまでは無料、それをいざ利用(再生)する時に課金しようというものなので……これは上映権に基づく課金になりませんか?
……と、ここまで質問を書いているうちに分からなくなったのですが、「超流通」の論文は複製されたメディアからの再生に対するプロテクト技術の話しかしてないような気がします。
この時点ではストリーミング配信は想定していなかったんじゃないかな……もう少し、「超流通」について調べてみます。
ただ、それらは瑣末な話で、「角川氏 分かってない」という見解は変わらないと思います。
整理していきたいと思います。
ただその前に、私の場合、パソコンは、特許出願が原則として電子出願となった十数年前からはじめたわけで、ネットショッピングすら利用したことがありません。ということで、Youtubeもニコニコ動画もどのようなものかわかりません。
その辺りの説明お願いします。「ストリーミング」というのも「ストリーム」から発生した文言と思いますが、これについても具体的に教えてください。
加えれば「超流通」、これも定義お願いします。
さて、公衆送信権に基づく課金、法的な表現に直せば利用料(ロイヤリティ)ということになると思います。
つぎに、HDDに複製するまでは無料、これは、角川氏がいっていることでしょうか?
HDDであろうが、現行法の複製の定義からすれば、複製に該当しますし、判例でHDDへの複製が複製に該当しないというのを私は知りません。
また、複製権については、他の支分権と異なり、「公に」という用件が課せられていません。
つまり、利用目的を問わず、複製には複製権が及ぶということです。私的使用のための複製等を規定したのは、いわば法技術上からと解されています。
このように考えると、わざわざ利用権を新たに創設するという必要はないように思います。
プログラムの著作物に話が飛びますが、これについても使用権は、規定されていません。この場合、特許されていれば、実施(特二条一項三号)に該当し、これで問うことになります。なお、公衆送信からプログラムが除かれている(二条一項七号の二)は、プログラムの提供(譲渡又は貸与)として侵害を追求できるからです。
著作権法でなぜ「利用権」という支分権を認めていないか?これは、上述のように利用を法目的の達成手段としていないからです。
ここまでリーガルマインドが欠如しているとすれば江戸時代の版元以下の意識しかないのでしょうか?
こうした人物が出版に関わっているうちは文化の発展は期待できませんね。
「角川書店」も問題になっている「新風舎」や「文芸社」と五十歩百歩ということですね。
複製権について「公に」という要件が課せられていない理由
たとえば、上演、演奏、上映、こういった行為については、著作物の「公表」ということも関わってきますが、提供あるいは提示という概念に属するものです。
一方、複製というのは、こうした提示あるいは提供がされた後に行われるものです。
通常は著作物が公表(上演、演奏、上映、展示等)されて、はじめて著作者以外が複製することが出来るわけです。
通常は公表され、それ以降に複製は行われるわけで、「公に複製する」という行為も想定できません。
ここからその複製したものをどう利用するかという問題が生じるわけですが、利用が「公に」に該当しないような行為については、複製権を制限した、これが私的使用のための複製ということになります。
そして「実施行為独立の原則」と同様に支分権ごとに使用収益ができるから、四七条の四や49条の規定を設けた、流れとしてはこういうことになります。
ストリーミングとは動画・音声の再生方法の一種です。一括ダウンロードするにはデータ量が巨大なデータを、ダウンロードした部分から再生していくことで利用者を待たせない……というものです。
ストリーミングの動画データは即時再生・再生後廃棄(あるいは流用利用不可能な状態に保たれる)が期待されている為、「複写」ではないと解釈されています。ここは、議論の余地があって、端末となるPCでデータを復号・展開する関係上、データのダウンロードが行われていることは間違いないのですが、法制問題小委員会でも、このダウンロードは、いわゆる「複写」とは扱わない、という解釈が優勢です。(まだ、逆転解釈で「複写とみなす」に定まる目はあります)
「Youtube」、「ニコニコ動画」は、動画共有サービスと呼ばれるサイトの一種で、ユーザーが投稿した動画をサーバーに蓄積し、ユーザー要求で閲覧できるようになってるシステムです。どちらも、ストリーミングによって、動画を配信します。
「超流通」は、元々はソフトウェアの流通方式の一種です。ユーザー間のデータ自体は無料配布・転載を認める代わり、
コンテンツの利用時に課金するというものです。
具体的な実現方法の例としては、「権利者はデータをライセンス登録済の端末でしか利用できない形式にしておく」+「利用者は、利用したい端末ごと・利用したいデータごとに権利者からライセンスを購入する」……売買するのは、データ自体ではなく、データを利用する為のライセンスである、というのが特筆すべきところです。
「HDDに複製するまでは無料」というのは、私の「超流通」の理解が正しければそうだと思います。角川氏は、そこまで分かって「超流通」を持ち出してるのか、分かりません。
データ自体は、CD-ROMで受け渡そうが、インターネットで配信されようが構わない、ただライセンスを購入した装置でしかデータを利用できない……ということから、これが映画であれば、複製権・公衆送信権はフリー、上映権に基づいて課金を行う、と考えた次第です。
だから、先ほどは、YouTubeで配信したら公衆送信権が云々、と言っていましたが、これは解釈的に間違いで。YouTubeから配信されたものでも、ストリーミング方式でも、データの再生時に上映権に対して課金を支払うのだ、と意見を変えます。
「ストリーミングの動画データは即時再生・再生後廃棄」、これだけみると、テレビなどの「生放送」のようなものを想像します。テレビの「生放送」については、複製(録画)には該当しません。
ただ「『Youtube』、『ニコニコ動画』は、動画共有サービスと呼ばれるサイトの一種で、ユーザーが投稿した動画をサーバーに蓄積し、どちらも、ストリーミングによって、動画を配信します」、これをみると、「ストリーミング」は、サーバーに蓄積(つまり複製)していることになりますから、生放送とは異なるように思います。
そうなると「このダウンロードは、いわゆる「複写」とは扱わない、という解釈が優勢です」という法制委員会の見解の根拠がなんなのか?私には、首を傾げるほかありません。いわゆる保守派の憲法九条の拡大解釈?
いずれにしても条文からは導き出せない解釈を現状の照らしてというような感じですね。
ところで、複製ということになれば、複製について定義する二条一項一五号の「写真」。
この「写真」は、ネガも含まれるか?写真について法上定義されていないことから、以前から疑問に思っていました。判例などでは銀板写真が「写真」がここにいう写真に該当するということです。
私は二条四項の規定によってもデジカメによる「写真」については、一〇条一項八号の写真の著作物には該当しないが、二五条の展示権については、デジカメによる「写真」も含まれるとの解釈が解説書などから妥当だと考えていますが、そうなるとネガに当たる「メモリー」については、どうなるのか?
なんとなく、この問題と近いような気がするも「ストリーミング」は複製に該当しないという見解は、やはり疑問があります。
先の述べたように複製には該当するが、法技術上、この複製には、複製権が及ばないというのであれば、納得できますが・・・
これは重要な問題です。法制委員会はどのように言っているのでしょうか?
二条九項は「動詞の語幹として用いる場合を含む」と規定するも「複製」と「複製権」、「公衆送信」と「公衆送信権」、「上演」と「上演権」、これらは、一致するものではなく、微妙に異なるものです。
細かいことのように思いますが、法律の条文というのは、こうした細微なところが、いうところの論点となるわけです。
その意味で「サーバーに蓄積する」というストリーミングが複製には該当しないというのは、これもまたリーガルマインドという観点から問題なのです。
「複製」と「複製権の効力が及ぶ範囲」、これは異なる、これを認識することが、リーガルマインドの第一歩です。
これなしに法律(当然、著作権法も)を語れば「ネット著作権ハンドブック」のようになりますし、角川氏の発言になってしまいます。
パブリックコメントというのも少なくともリーガルマインドを理解して、これが前提になっていると思います。
採用されないのは、これが欠如している、これを理解してパブリックコメントというのはすべきでしょう。
親記事の「岡田有花」さん、この方がどのような人物かわかりませんが、親記事の引用を見る限り角川氏と同様にリーガルマインドを持ち合わせていないように思います。
ストリーミングによるデータ送受信が複写に相当しない、というのは、(薄々勘付いているようですが)送信側ではなく受信側の話です。
送信元となるサーバーへの蓄積は、間違いなく「複製」です。ここは異論がないです。
ここから、端末PCにストリーミングによってデータ送信される訳ですが、問題は受信側。TVと違い厳密な意味でデータ複写ナシで、端末PCで再生することははありえない……一度、端末PC側のメモリなりハードディスクなりにデータを複製しない限り、端末PCでデータを複合・再生することは出来ない + 複製した以上は意図的に廃棄しない限り、データはPC内に残り続けます。
この端末PCへのデータ複写を、ストリーミングに関しては「複写」とは扱わないと言っているのです。
ただ、今更付け足しますが「再生後廃棄」といっておきながら、インターネット技術としては「キャッシュ」という形でPCのハードディスクに蓄えられ、再読み出し時に、インターネットから受信するのではなく、キャッシュから読み出すので……間違いなく端末PCに「複写」されているのは事実です。これを私は、再生以外には使えない、という意味で「流用利用不可能な状態に保たれる」と注釈しました。
この辺、受信側の「複製」なのに「複製」とみなさない、という話を法制問題小委員会で検討しています。
写真であれば、メモリーは「ネガ」という概念に置き換えることが出来ますが、ストリーミングにおけるメモリーに相当する既存概念はないと考えます……写真におけるネガかぁ。ちょっと考えのとっかかりになるような気がします。
確認です。
受信側ということですから、これは、二三条一項の公衆送信権ではなく二項の伝達権の範疇ということですね。
さて、この伝達権、「公衆送信されるその著作物を」と規定しますから、著作物が放送や有線放送、それに自動公衆送信される場合は、適用されますが、送信可能化されただけでは、適用されないということになります。
そして、この権利は、「受信装置を用いて公に伝達する」ものですから、「伝達」しなければ要件を満たしません。法制問題小委員会は、「受信装置を用いて複製する行為」について論じているわけですね。
先にも書きましたが、複製権については、「公に」という要件はそもそもなじむものではなく課せられていません。したがって、条文に即して考えれば、「流用利用不可能な状態に保たれ」ていても複製権の効力は及ます。そして、使用目的が「公に」に該当しない場合を私的使用として権利を制限しています。
つまり、法制問題小委員会は「複製」とはみなさない(条文上「みなす」という言葉が使われる場合は反証不能を意味し、めったに「みなす」という文言は使われない)ではなく、複製権の効力が及ばないということを検討しているのではないでしょうか?
この件、私の調べがつく限りでは、法制問題小委員会・デジタル対応ワーキングチーム が今年初めに報告を出して、棚上げになっているのだと思います。
報告は下記になります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/010/06011809/007/005.htm
「(4) 複製権を及ぼすべきではない範囲」として、検討が為されています。
ありがとうございます。
ざっと読んでみました。現行著作権法四四条の「放送事業者による一時的固定」、これを放送事業者等(二条一項九号及び九号の三)だけでなく、公衆送信全般に適用するというような感じがしました。
四四条三項では、「六月」という保存期間が規定されていますが、これは放送法との絡みですから、「流用利用不可能な状態」で、保存するというような規定を想定しているのでしょうね。
ところで、新設された四七条の三、まだ精査していませんが、保守又は修理の際に「内蔵記録媒体」に記録された記録を修理後に記録できるという規定、これなんかもなんとなく意図するところは近いような
ということは、「機器利用時・通信過程における一時的固定」も改正法に盛り込まれているかと思い、改正部分を見てみましたが、これは、まだ反映されていないようですね。
最初の「閲覧権」の話からだいぶ離れてしまいました。
今までの流れを整理すると、角川氏がいう「閲覧権」というのは、媒体への固定(複製)を前提とし、かつその複製に複製権の効力が及ばない場合に、その複製物の再生については効力が及ぶとするような感じかと思います。
たとえば複製権の制限により作成された複製物の譲渡(四七条の四)や複製物の目的外使用等(四九条)のようなものということになるかと思います。
そのように考えて改めて改正箇所を見ますと一一九条一項かっこ書で「三〇条一項に定める私的使用の目的をもつて自ら著作物若しくは実演等の複製を行った者」というのが加えられていました。この改正は、「映画の盗撮の防止に関する法律」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/013/07071010/006.htm)に伴うものです。「映画の盗撮の防止に関する法律」は、「映画館内での映画の盗撮」を防止するためのものですが、角川氏はこれを「映画館内」のみならず、「公衆送信」等される場合にまで適用範囲を広げるということをいっているのではないでしょうか?
さて、私的私用のための複製の特則ということになれば、すでに四七条の二という規定がありますが、三〇条一項の条文に「プログラムの著作物を除く」というかっこ書を設けるべきであったと思います。これは立法過程での単純ミスだと思うのですが、そのほかにも問題があります。
三〇条一項は、冒頭で「著作権の目的となっている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)」と規定するわけですが、ここに上述の「プログラムの著作物を除く」を入れてもまだ言葉が足らないからです。
二章三節五款には三〇条一項のように公衆に頒布又は提示されることを目的としない規定もあれば、通常公衆に頒布又は提示されることを目的として著作物を利用する場合もあり、かかる場合には、原則として出所明示が課せられています(四八条)。これは、複製等された複製物に接した公衆がその出典に当たれるようにしたものであり、これにより公衆は、先行文献に容易に接し、法目的たる「文化の発展に寄与」することになることから規定されてものと考えられます。そして、出所明示義務に違反した場合、非親告罪とされている(一二二条.一二三条一項)ことを考慮すれば、四八条の規定に関しては、著作権の存続期間が消滅しているか否かの別なく、二条一項一号の「著作物」に該当すれば出所明示が課せられると解するのが妥当と思われます。そのように考えれば、四八条を除くというのもかっこ書に明記すべきだったように思われます。
付け加えておけば、角川氏の話を紹介している岡田有花という方。この方がリーガルマインドどころかまったく法律というのがどういうものかわかっていない、これが話を見えにくくしたように思います。
>媒体への固定(複製)を前提とし、かつその複製に複製権の効力が及ばない場合に、その複製物の再生については効力が及ぶとする
いや、そんなこと言ってる気配がしないのです。
角川氏は、単に、公衆送信化した著作物の「利用権」について話をしていると思うのです。
また、ストリーミングの過程で一時的にメモリに蓄積された「複製」については複製権が及ばないとしても、それを何らかの形でストリーミング配信物の再生以外に流用したら(たとえばCD-Rなどに焼きなおすとか)複製権の効力が及ぶ、というのは、割と多くの人が納得している解釈で、改めて角川氏が言うことでもないと思うのです。
『著作権に縛られない著作権法』と言ってるのは、著作権の法目的に「利用権」は則さないため、著作権法以外で法的根拠を作ろう、と言っているのかもしれません。
余談ですが、今頃になって、このエントリのコメント群の最初に指摘されていた、「上演の規定は、公衆送信に該当するものを除くとある」という意味が理解できましたので、「ストリーミング配信の閲覧についても上映権というのではないか」と言っていた意見は撤回します……意見がふらふらしてるので、整理の意味でエントリ起こすことにします。
また、岡田記者は、閲覧権に関しては、角川氏の話を紹介しているだけですので、それをリーガルマインドの欠如と責めるのは少し酷だと思います。
まず確認です。
「媒体への固定(複製)を前提とし、かつその複製に複製権の効力が及ばない場合に、その複製物の再生については効力が及ぶとする」というのは、「閲覧権」の意味づけで、門川さんがいわんとしているのは「映画の盗撮の防止に関する法律」の適用範囲の拡大ではないのかということです。
そして、岡田氏の紹介が話を見えにくくしたというのは、「閲覧権」という法上定義されていない造語をなんら説明なしに使ったことです。
これまでも「複製」と「複製権の効力の及ぶ範囲」の違いなどを書いてきましたが、法律の解釈というのは「定義」が重要な位置を占めます。
法上定義されていない新造語を使うのであれば、造語の定義を明確にするというのが、著作権法という話をするなら、当然の前提になります。法律の話がなければこれはこれでいいのですが、岡田氏も「著作権法が萎縮効果を生んでいる」という著作権法について言及しています。ソツのない文章ですが、法律の話をするのであれば、その前提となる定義は少なくとも、書く必要があるし、書く能力がなくても、意味づけ程度は触れる必要があります。
これが法律の話をせずインターネットの現在と今後というようなものであれば合格点でしょうが・・・
いずれにしても、この「閲覧権」という話については、角川さん以上に岡田氏の責任が重いように思います。
全般的にいえばこの岡田氏、ソツのない文章は書けるし、ITについては専門家かもしれませんが、こと著作権法の知識としては幼稚園児程度ということになるのではないでしょうか。
>岡田氏の紹介が話を見えにくくした
この辺は、当人不在・講演の出席者不在で議論しても仕方ないので、一旦、棚上げにしましょう。
私は、角川氏は「映画の盗撮の防止に関する法律」までは思いが回っていないと考えますし、「閲覧権」を説明足らずにしたのは角川氏本人と思います。
ただ、「映画の盗撮の防止に関する法律」に関しては、確認しなければならない視点だと思いますので、角川氏の話と独立して、考えていこうと思います。
岡田氏も書いているように角川さんは、「文化庁文化審議会著作権分科会の委員」を務めています。当然、「映画の盗撮の防止に関する法律」については、知っているでしょうし、映画の著作物の著作権の帰属について規定する二九条の二項及び三項についても知っているでしょう。そうなれば、閲覧権の話についても「映画の盗撮の防止に関する法律」としているでしょう。もっとも早稲田大学知的財産本部が主催した「知的財産セミナー」での聴衆がそこまで話してもわからないと判断し、言及しなかったのかもしれませんが
一方の岡田氏、「著作権法が萎縮効果を生んでいる」の中で「知財戦略――中でも著作権法の違いが、革命的な企業の誕生を左右する」と米国の著作権法を高く評価しているようですが、米国の産業財産権法については、パリ条約(一九〇〇年一二月一四日にブラッセルで、一九一一年六月二日にワシントンで、一九二五年一一月六日にヘーグで、一九三四年六月二日にロンドンで、一九五八年一〇月三一日にリスボンで及び一九六七年七月一四日にストックホルムで改正された工業所有権の保護に関する一八八三年三月二〇日のパリ条約)ストックホルム改正条約二条の内国民待遇の原則に違反する旨が以前から指摘されていますし、特許権の存続期間の起算日の問題(いわゆるサブマリン)についても漸く改めたという点で世界の中で孤立したものであることは、知財法を少しでも齧ったことがあれば、周知の事実です。
やはりこうした知財の常識的な知識もないとなれば、角川氏の口から「閲覧権」の説明がされても岡田氏には理解できなかったと考えるのが、妥当なように思えます。
岡田有花という名、ここではじめて目にしましたが、そこそこ有名な方のようですね。有名であるだけに法律の知識もなく、法律問題について言及するのは問題が大きいように思いました。