2008-12-29 臨床研修医制度と学校選択制
臨床研修医制度と学校選択制
マッチング・メカニズムと「格差」
「学校選択制度の導入によって学校間の『格差』が生まれた」
「新臨床研修医制度の導入によって病院間の『格差』が生まれた」
マッチング理論にもとづくリソースの配分メカニズムが導入された二つの代表的な現場のいずれにおいてもいわゆる「格差」の拡大に対する懸念が生じている。メディアはどちらかといえばこうした「格差」の拡大を歓迎しない雰囲気である。
たとえば以下のような論調をよくみる。
政府もまた研修医の計画配置へと梶を切りかえそうと画策しているようである。
ところがここで「格差」というポリティカルなバイアスのかかった用語で呼ばれているものがなんなのかとよくみてみれば、なんのことはない、それは「人数の差」のことにすぎない。格差々々と騒ぎたてる前に、私たちはいちど冷静になって「マッチング・メカニズムの導入によって病院や学校間で『格差』『人数の差』が生まれる」ということの意味をかんがえてみるべきではないだろうか。
マッチングは当事者の意思と利益を尊重する
新臨床研修医制度ではじゃっかん修正された「デファード・アクセプタンス・アルゴリズム(DA)」が用いられている。これは、研修医にとって最適なマッチングが実現されるように構築されたメカニズムである。医局による強制配分にくらべ、DAのもとでは研修医の意思が尊重される仕組みになっているわけだ。
学校選択制度は依然としてプリミティブなメカニズムにとどまっていてDAのように理論的に洗練された仕組みにはなっていない。それでも、どの(小・中)学校に進学するかが居住地によって一意に決定されていた以前のメカニズムにくらべれば児童、両親の意思が反映されやすい仕組みになっている。
マッチング・メカニズムは基本的には研修医、児童・両親など、システムによって利害を被る当事者の自由な意思を尊重し、彼らの厚生を上昇させるためのシステムである。
「マッチング・メカニズムの導入によって病院、学校間に『格差』『人数の差』が生まれた」ことを懸念するひとびとは、この点をよく記憶にとどめておくべきだろう。
なぜか?
それは、「マッチング・メカニズムの導入によって病院、学校間に『格差』『人数の差』が生まれた」ということは、それ以前のメカニズムの下では、それだけの数の「当事者」が不満をもち、不利益をこうむっていた、ということを意味するからだ。
「マッチング・メカニズムの導入によって病院、学校間に『格差』『人数の差』が生まれた」、それゆえマッチング・メカニズムを廃止し、以前のシステムを復活させるべきだと主張するひとびとは、「われわれはこれらの当事者の人びとの犠牲をかえりみない。これら当事者の利益を害してまでもわれわれはわれわれ自身の意思と利益を尊重する」と主張しているに等しいのだということを、まずはよくよく自覚しておいたほうがいいだろう。
学校選択制度に反対しているのは誰か?
実際、マッチング・メカニズムの導入に反対し、その廃止を主張する声はおもに「当事者」外の人びとから発せられている。
たとえば、学校選択制度を導入した東京でおこなわれたアンケート調査では、児童、両親の大部分がこの制度を支持している。
この制度に反対しているのは学校の校長など管理職のひとびと、そして、教師たちである。教師が学校選択制度に反対する主な理由は事務関係の煩雑さが増すことだ。これは学校選択制度運営上の業務フローのみなおしで対応できることであるし、またすべきことである。
東京都の教育制度にくわしくないひとのなかには教師の雇用への影響するひともいるかもしれない。しかし、じつはその心配は無用である。教師は東京都によって雇用されており、学校選択制度の適用の結果生じた生徒の人数の差におうじて春休みのあいだに都内で適切な再配置をうけることになっている。
学校選択制度にもっとも強硬に反対するのは校長など管理職の人間だ。学校選択制度の結果が彼らの「成績」を大きく左右するからだ。学校に子供を進学させているわけではない地域のひとびとのなかにも学校選択制度に反対するひとたちがいるようだ。
彼らがこの制度に反対するときはたいてい「地域の一体性を破壊する」という理由を挙げる。また、「子供やその両親は風評によって学校の価値を判断するものが多く学校の実態とかけはなれている」というひとたちもいる。これらの主張を鵜呑みにはできない。
まず、「地域の一体性」とはいったいなんなのか。美辞麗句がなにかの理由として掲げられたときにはつねに注意を要する。たしかに「地域の一体性」とよばれるある種の価値はまもられるべきなのかもしれない。しかし、はたしてそうした価値は、当事者である児童やその両親の厚生を犠牲にしてまで達成されるべきものなのか。
誰の意思を尊重すべきか?
これは価値観の問題だが、私はそうは思わない。ここはやはり、当事者の声こそが尊重されるべきであると考える。なぜなら、所詮校長や地域の非当事者は、児童の将来に生じるかもしれない損失を補償することができないからである。当事者の声を無視して校長や地域の非当事者の声を制度に反映させるという主張には正当性がないのではないか。
また、「子供やその両親は風評によって学校の価値を判断するものが多い」という主張にも私は疑問を感じる。もちろん、児童やその両親は人のうわさや他人から聞いた学校の評判にもとづいてどの学校に通うか・通わせるかという判断をおこなうだろう。そうした判断が「間違っている」という主張は、「わたしたちはよい学校とそうでない学校を適切にみわけることができるが、児童やその両親は、それをできるほどには賢くない」という主張を含意している。ここでも、私は、実際の利害をこうむる当事者の方がその種の判断能力には長けていると私は推定する。
もちろん、この議論は価値判断をさしはさんだ政治的なものである。したがって、私は自分の主張が完全に正しいものとは思わない。しかし、すくなくとも当事者の判断を尊重すべきという主張には一定の合理性があると考える。メディアを通じて聞こえてくる声が校長や地域の非当事者サイドのものに偏っている現状には疑問をおぼえている。
研修医制度のキャリア形成への影響
臨床研修医制度に目を転じてみよう。ここでは当事者の犠牲という問題にくわえ、別種の問題もある。旧来の医局による医師の配分システムの下では患者をふくむ社会厚生の損失がもたらされていた可能性があるのだ。
研修医が研修病院を選択する際にもっとも重視する判断基準は「症例数が多く経験がつめるかどうか」であるという。これは、裏をかえせば、旧来の配置システムの下ではこうしたキャリア形成、スキル蓄積の機会が阻害されていたということだ。
こうした状況が長期間つづくと、医療経済全体のスキルの蓄積が最適な水準にくらべて過小になる。じっさい、日本で市区町村別に心臓病、脳梗塞など高度な治療スキルを要する病気の死亡率を各市区町村内の病院のこれらの病気の手術件数で回帰すると、有意な負の相関を示すという報告もある(病院単位の死亡率を被説明変数にもちいれば相関はより明瞭にあらわれるだろう。しかし、病院はこうしたパフォーマンス指標を公表したがらない)。医療スキルの蓄積が過小となった地域では、事実として、患者の厚生上の損失が生じている。
ただでさえ日本の診療報酬制度では医師の報酬が「平等」に設定されており、最新の学術的水準にキャッチアップすべく日々研鑽をつむ外科医と、ほとんどスキル研鑽を要しない一部診療科であまり報酬の差がないなど、人的資本への投資効率が低くなっており、社会的にみて医療スキルの蓄積が過小になる傾向にある。旧来の医局による医師の強制配分システムは、こうした傾向を助長していた可能性がある。
想定される反論
こうした意見に対して二通りの反論が想定できる。
ひとつは、「研修医にはどの病院が経験を積むのに適しているのか判断する能力などない。経験と知識をもった医局などの先達が導いてあげたほうが彼らにとっても社会にとってもよい結果を生む」というパターナリスティックな立場である。
もうひとつは「仮に新臨床研修医制度は長期的にみれば社会全体の医療スキル向上に役立つのかもしれない。しかし、現に足元では臨床研修医制度の導入によって医師不足が引き起こされている」という短期的な混乱への懸念を示す立場だ。
パターナリスティックな立場
前者の立場に対する根本的な疑問は、「医局などの人間の方が当事者である研修医よりも最適な研修病院をえらぶ能力がある」という仮定は一体どこからやって来たのか、ということである。これは「人生の先輩面バイアス」というほかない。
もちろん実際に研修医の研修先病院に関しても適切な職場に関してもあまり多くのことを知らないのかもしれない。また、キャリアを選択するうえで先達のアドバイスが有用であることはいうまでもない。しかし、かといってそうしたアドバイスが制度によって強制的に実現されるべきかどうかとなると話は異なる。
第一、当事者以外の人間は研修医の将来に対して責任をとれない。20代をどこですごすかという選択はキャリア形成上非常に重要だ。その選択の結果にもっとも影響を受ける研修医当事者がいちばん情報収集には熱心だと考えるのが自然であるし、また、当事者である彼らに選択権をあたえるのが正当であろう。
自分が選択する進路先のことをよく知らないというのは、就職する学生でも結婚する男女でも同じことである。こうした場合に「誰かが就職先を強制的に配分すべき」であるとか「結婚相手は誰かが強制的に配分すべき」と主張するひとは滅多にいない。「適切な医師の配置のために医局の復活を」と主張するひとびとは、こうした例に関していったいどのような意見を述べるのだろうか?
短期的な混乱への懸念
短期的な混乱を懸念する後者の意見には同意できる。たしかに新臨床研修医制度の導入は過去十数年で最大の制度的な変化であったし、それによって医師不足などリソース配分上の混乱が生じたことはまちがいない。
しかし、医局による配分がそれ自体、上に述べたような研修医、患者の厚生上の損失をもたらしていた可能性が高い以上、その復活はバッドプラクティス以外の何者でもないだろう。
医局の復活によって達成できるのはあくまで研修医と高度治療を要する患者を犠牲にしたセカンド・ベストな結果にすぎない。新臨床研修医制度は維持したうえで医師不足問題には独立した政策を割り当てることによってファースト・ベストな結果の実現を目指すべきだろう。
労働条件の悪い一部診療科、地域、病院で医師が不足しているというのであれば、そうした労働条件をいかに改善していくかとまず考えてみるべきだろう。労働条件の悪さを放置したまま再び研修医を強制的に配置する、というのは倫理的にみて正当性がないと思われる。
そもそも、たかだか二年間の研修期間の医師の配分メカニズムが変化しただけで「医療崩壊」が起こったのだとすれば、それは何を意味するのか。
第一に考えられることは、臨床研修医制度の導入以前に、すでに既存の医療制度は限界に達していた、ということ、第二に考えられることは、よっぽど大きな制度上の負荷が研修医たちにのしかかっていた、ということである。前者の場合、臨床研修医制度をどうこうしたところで解決できる問題ではないし、後者の場合、そのように大きな負荷を一部の人々に強いるような制度を施行する正当性はないと考えるべきであろう。
医師不足問題を解決するための「別の政策」は最適な医療保険、診療報酬制度のデザインを含む。適切な医療保険、診療報酬制度のデザインによる補完がない現状で医療制度に重大な問題が発生しているという指摘に関しては、強く否定するつもりはない。これはここで同時に論じるにはあまりに大きな課題である。ここではContract Theoryを利用した理論的な論文をひとつ紹介するだけにとどめておこう。
当事者の意思を尊重し、副次的な問題には独立の政策を割り当てる
結論を繰り返そう。マッチング・メカニズムは学校に通う児童、病院を選択する研修医など、当事者の利害が最大限尊重される仕組みになっている。
もちろん誰の意思を社会的にくみとるかという判断は最終的には政治的なものとならざるをえない。しかし、すくなくとも自覚しておくべきは、マッチング・メカニズムの導入によって学校間、病院間で人数の差が生まれたという事実は、かつての制度の下ではそうした当事者の利益が阻害されていた可能性を強く示唆している、ということだ。
旧来の制度の復活によって目下の問題を解決しようと主張する人々は、当事者を犠牲にしてまでもそうしたいということを含意しているのだ、ということを忘れてはならない。
当事者の自由を尊重する学校選択制度と臨床研修医制度は存続されるべきだ。そして、関連して生じた問題には独立した別の政策を割り当てるのが筋である。
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