2010-01-06
詳しすぎる詳細設計書
「詳細設計書」と呼ばれるドキュメントがあります。各処理の入出力や処理概要を記載した文章です。
入力:
- 「性別と身長のペア」のリスト
出力:
- 男性の平均身長」と「女性の平均身長」の差
処理概要:
イメージとしては、こんな感じ。各社それぞれ、どんな詳細設計書を書いているかはバラバラだけど、ときどきこんな風にやたらと詳細な処理概要を書いている会社もいたりする。
これを Java で実装すると、こうなる。
class Calculator { public double process(List<Person> input) { int danseiSintyo = 0, zyoseiSintyo = 0, danseiNinzu = 0, zyoseiNinzu = 0; for (Person p: list) { if (p.getSex() == Sex.MAN) { danseiSintyo += p.getHeight(); danseiNinzu++; } if (p.getSex() == Sex.WOMAN) { zyoseiSintyo += p.getHeight(); zyoseiNinzu++; } } return danseiSintyo / (double)danseiNinzu - zyoseiSintyo / (double)zyoseiNinzu; } }
色々な意味でとても残念です。けど実際はこんなもんです。
実際書いてみて異様なほど書き直したい気持ちに満ちあふれているんですが、そのためには詳細設計書が異様なほどに邪魔になります。詳しすぎるんです。
この例ならばまだ救いようがありますが、詳細設計書はしばしばハードウェア的な実現方式にまで言及していたり、しかもその実現方式が実現不可能方式だったりして大いに悩むことになったりすることもありえたりするのです。
得てして、詳細設計書は詳細であるがゆえに邪魔者扱いされます。なぜ邪魔者扱いされるかといえば、システムのことを中途半端にしか指図しないからです。システムを見ているようで、実は目を瞑りながら口だけ出しているという感覚ですね。実装するには物足りず、基本仕様としては詳しすぎる、そんな役回りです。
ちなみに上記の処理概要は COBOL ならばすんなりと記述できたり。COBOL 最強説ここに爆誕。こういう詳細設計書の存在が、SIer が COBOL から離れられない一因になっていると私は考えています。
上の処理概要は COBOL で書くと一対一です。Java で書くと不恰好になります。Haskell では記述することもできません。
Haskell 向けの詳細設計書を書くならば、こんな感じかもしれません。
入力:
- 「性別と身長のペア」のリスト
出力:
- 男性の平均身長」と「女性の平均身長」の差
処理概要:
関数型っぽいパラダイムに近づいたと思います。これなら Haskell でも書きやすいはず。
すなわち『詳細設計書が処理の中身を詳しく記述するものならば、それを実現するための方式が定めるパラダイムとのミスマッチを避ける』必要があると思っています。それらが COBOL の頃からあまり変わっていないため、SIer が未だに成長できない理由になっているのかも、しれません。
あ、ゼロ除算とかどうするんだよ、という話はもちろん枝葉末節ですよ。
追記
続きを書いてみた。
