ドヤジのメモ帳

ドヤジのメモ帳

ゲームとコミュニティ

この記事を読んで思うところがあったので、滅多にしないトラックバックを飛ばしました。


ゲームの面白さの一つに、ゲームの体験を人と話すこと、話題を共有すること、にあったのは昔からあったと思います。
そのこと自体には全く問題はないのです。自分ひとりで感想をしまうよりは、他人に感想を言ったり、他人の感想を聞いたりするほうがより楽しいですから。


そこで問題になってくるのが、そこでゲームの良さを評価するポイントが、本来ゲームの面白さに全く関係ない、『ゲームのコミュニティ』という部分にもあるという現実です。


この現実は2つの意味で私を絶望させた。


一つ目は、他人の評価という自分がそのゲームを評価するにあたって全く関係ないはずの要素が、ゲームの面白さに加わってしまうことである。
自分がそのゲームに下した評価が、この人が大絶賛していたとか、あの人がくそみそに叩いていたとか
このコミュニティの雰囲気が気持ち悪いからとか、コミュニティから排斥された…などという理由で動くってオカシイって思うんだけど、実際はそんなことで、そのゲームに下す評価は変わってしまうのである。


二つ目は、一部のゲームについてまともな議論がしにくい状況が発生しているということである。
ある程度の数の人間が非常に面白いと評価したゲームや、理由がよくわからないけど流行っているものに対して
その場合、それに対する『コミュニティ』は、非常に熱狂的な『コミュニティ』となってしまい…
…実際のところは、個人レベルで全肯定もしくは全否定という感想を持っていることは、まれなことで、個人レベルでは多様な意見を持っていて良いところもあれば悪いところもあり、総合的に評価を下しているはずなのですが、
それらが集約されると、どういうわけか大抵どっちかにかたより、そこで、そっちよりでない評価を下した人間は、残念ながら結果的には排斥されてしまう。
そしてその動きに対抗するべく、それとは正反対側の意見が集約された別の『コミュニティ』ができあがります。
それで結果的に『コミュニティ』としては、信者側とアンチ側という、私には到底理解したくない概念で分かれ、両極端な陣営が対立する構図となり、こうなると、冷静な立場でそのゲームに対して評価することが出来なくなってしまいます。
某巨大掲示板でよく見られる現象です。


他にも、心無いプレイヤーの存在によって、そのゲームが非常につまらないものになってしまう。というものがありますが、
一応、ここでは触れないことにします。非常に重要なことですが。


私としては、『ゲームのコミュニティ』に左右されることなく、自分の感性のみで
面白いものは面白い。ここが、こうでこうでこうだから面白くておすすめ。でも、ここはこうなのは不満点かな。
と、良いところと悪いところを両方あげて冷静な評価をしつつ。
そのうえで面白いと思ったゲームに関しては、「ゲームの体験を人と話す楽しさ」を得るために他の人にもやって欲しい。
両立させるのは少し難しいですね。うーん?