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『朝日新聞グローブ』(4月1日発売号)におきまして、映画『別離』の評を書きました。
『キネマ旬報』2012年4月下旬号(4月5日発売号)におきまして、映画『ビースト・ストーカー/証人』の評を書きました。
『巨匠たちのハリウッド 生誕百周年記念 映画は戦場だ サミュエル・フラー 傑作選 DVD-BOX 2』(4月6日発売)におきまして、フラーの解説、および『アリゾナのバロン』『パーク・ロウ』の解説を書きました。
今日は少し近況を書きます。
これまでのこと、そして、これからのこと。
今年の9月末日を持って、大学院博士課程を退学することになりました。そして翌10月から、山形大学人文学部の専任講師に着任します。
内定は6月末に頂いていたのだが、正式通知は7月20日であった。
そこからが大変であった。
大学院の退学届けの手続き(長い間休学していたので、まず復学届けを出し、その後、復学した月分の授業料を銀行振り込みし、またすぐに退学届けを出す、という二重三重の手続きに大学事務を往復すること数回)。さらに採用事務手続きのために書類一式(履歴、戸籍抄本、卒業証明、在職証明、学位記複写を揃えて)提出、さらに引っ越しのために職員宿舎の下見。引っ越し業者の手配。加えて家電一式、家具一式の購入。しばらくは自転車通勤だが、将来的には車が必要だろう、とのことで自動車教習ペーパードライバー・コースの申し込む(10年ぶりにハンドルを握るわけだ)。
そして博士論文である。
今年の一月にいったんは最終章までいったものの、まったく嬉しさも込み上がることなく、ああ、あっけないものだ。同じタイミングでえんえん2年もかかったシャブロルの翻訳が刊行、ついで映画上映がどかどかと決まり、何を血迷ったか自分もトークショーと講演に奔走し、調子にのってインタビューまで受けるが、忙しさにかまけて脱力感を紛らわす日々がしばらく続く。そうこうしているうちに3.11ショックが訪れ、立ちなおれずにぐずぐずしているうちに春はあっけなく終わった。
いつだすのか、出さないのか。出さないなんて選択肢はない。出さなければ、出さなければ、出すしかない、出すぞ。いや、まて、もう少し待て……。そんな強迫観念の綱引きが夏のはじめまで続く。
GWまでに出すはずが6月となり7月となり33歳の誕生日までに出すと決め、一気にスパート。仮提出用に初めてプリントアウト。キンコーズで打ち出したソレは片面印刷では製本できないという電話帳のような厚さとなり、審査する3人の先生方と自分用に4部もつくると、片腕で持つのもやっとのような重量。これが大学院生活の重さか。これをもういちど目を通すのかという思いに暗澹。膨大な調整作業(図版チェック、キャプション追加、膨大な誤字脱字の修正、さらに改稿、削除、追記などなどなど……)がえんえんと待っている。終わり、はあるのか?
七月下旬、指導教員の先生のゼミに参加し、その打ちあげに飛び入り参加。博士論文を出す。こんな書き殴りの代物を送りつけるとは嫌がらせだよな、という思いつつ、巨漢のK先生はニコニコとよかったよかったを連発。そしてひと言――
「就職と結婚は、最後まで何が起こるか分かりません」。
――はたしてこれが最後に大学で恩師から受けた訓えでよかったのだろうか?
『キネマ旬報』の星取りレビュー。山形行ってからどうするの? 編集長のAさんに急いで電話。えー!とAさん絶句。だが昨今ではマスコミ試写の他にサンプルDVDなるものが存在する。それを駆使して何とか切り抜けられないか。戦略を立てる。試写情報と原稿締切とゲラチェックが月二度のペースで襲来する。月で8本のレビュー(加えて『朝日新聞』でも不定期でレビュー)。とにかく11月下旬までは試写室分で何とかなるが、それ以降は、サンプルDVDで何とかするしかあるまい。さらにWOWOWでのニコラス・レイ特集への寄稿、今度出るジャック・ロジエDVD解説などなどいくつかの飛び込み依頼に追撃されつつ、部屋の一郭に放置したあった山積みDVDの整理、録画したものをすべて監督順に並べ替えて整頓。本の梱包をする。終わらない。
と思うまもなく、フランス語の教材(フランス語の授業が3コマ受けもつのである)が、山形からどしどしと届けられる。目を通し、先生から夏の宿題やこれまでの範囲をお伺い。さらに映像学演習のゼミのためにパートナーの先生とメールで打ち合わせ。どういう切り口で行くか。うーん、それじゃ、これこれで。やけくそで出したシラバス仮案をでっちあげ送信すると、よしそれで行きましょう、となる。え、本当? じゃあ、こんなスケジュールでいきますがどうですかと仮案を出すと、OKですとこれまたあっけなくパス。でも初日は山形国際ドキュメンタリー映画祭初日だから休講にしましょう、2月に補講です、はい了解しました。といった応酬のうちに、秋以降のスケジュールが確実に決まっていく。何の実感も湧かないままに。
お世話になった方々への挨拶回り。これだけは楽しい。呑んだり食べたりするのは好きだ。が、たまにふうと意識が飛んでしまう。「今、寝てましたね」と笑われること何度か。体重が増える。夏から早朝水泳を再開。と、家のまわりで野生のタヌキが出没し保健所に連絡。
……と、あと何があったか思い出せないような雑務をこなしているうちに7月下旬から8月まで飛ぶような速さで過ぎ、ふと気がつくと山形大学の事務から辞令交付の日程が舞いこんで来る。
おそらく私に何らかの「変化」があったとしたら、不安の質が変わったということかも知れない。独居の不安、就職の不安、論文最終審査の不安。現在の私は三重の不安のなかにいる。だがそれはいずれも明確な輪郭を持ち、克服するための具体的な手順がある。自分の将来、経済的見通し、といった曖昧で茫漠な不安に比べるならものの数ではないだろう。それでも多くの研究者は日々の生活に追われていることで、かろうじて理性を維持しているのではないか。立ち止まることへの恐れにとらわれているのだ。
大学院生は多かれ少なかれ大学の教員公募に書類を提出し、不採用通知をもらうという辛酸の日々を嘗めている。その中で、博士論文の最終提出の前に、就職先が決まった私は恵まれているというべきだ。端から見れば「順調」とも映じるだろう。私は、時間給で使役される非常勤講師にも、期限付きで免職となる助教にもなったことはない。それがごく稀な事態であることも十分自覚している。
しかし私にとって研究生活は決して平坦ではなかった。学振を含めいわゆる学術奨励金といったものを獲得することができなかった。そのことは私にかぎったことではないが、それでも周囲の同輩たちが、助成の恩恵を受けていることは、ことさらに私を不安にさせた。自分の研究を支えるのは、最終的に自分自身の信念にほかならないのだが、金銭によって保証されるか否かは生活として支配する。その確証さえとりつけられなかったことは、劣等感として想像以上に私の意識を支配した。
こんな意識に囚われるとは研究者として恥ずべきことであろう。だが膠のごとき日常のなかで、たとえばクラス会や同輩の結婚式祝いなどに招待されたとき、「お前、まだ学生やってるの?」「それで食ってけるの?」といった軽い侮蔑をこめた興味本位の目を向けられるとき、屈辱感にとらわれなかったか? 「十年後の自分を想像して研究しなければいけません」と人から説教されて、明日どうなるかも分からない俺の気持ちも分からないでなにをほざくかとやり場のない怒りにかられなかったか? 自分が情熱をかたむけて行った映画の取材や批評について不当な言辞が寄せられるとき、傷つかなかったか? 不採用通知に印字された「今回のことにめげず、今後とも研究に励んでください」といういかにも社交辞令の偽善的同情に口惜しさを感じなかったか? 残念ながらすべて然りである。そう。ただ苦しかった。そして自分がそんな「ちっぽけなこと」で苦しんでいるという事実が恥ずかしかった。
だが精神の谷底にいるときに、自分の研究している映画人たちの強靱さが今までになくリアルなものとして迫ってきたことも事実だ。私は人よりも映画を理解しているがゆえに映画の研究を志したのだろうか。むしろ逆である。映画の方がこの私を理解してくれたがゆえに、私は研究の道を選んだのではないか。これがいかにも一方的な妄想であるあることは承知している。だがそのような異常な心理に至らしめるほどに、私は多くのものによって存在を拒まれてきたのである。
『浮雲』で、ゆき子が富岡に「こうして歩いていると、私たち肉親みたいね。そう思うのは私の勝手ね」と何気なくつぶやく場面がある。愛がいかに一方的な思い込みにすぎないものであるかを物語る科白である。言っている本人もその思い込みを自覚している。だが、それが単なる科白としてではなく確かなリアリティとして生々しく迫ってきたのは、多くの拒絶感からくる屈折を経て以降であった。ゆき子の科白は厳密にいって富岡とのダイアローグを形づくるのではなく、まさに「そう思うのは私の勝手」だと自覚した上での一人の女性のモノローグであり、いってみれば『浮雲』という作品全体が、「祈り」として立ち現れたとき、『浮雲』が共振していくことになる。畢竟、研究者が救われる道は研究しかないのだ。
それにしても成瀬にせよ、シャブロルにせよ、また数多のすぐれた映画監督たちが、決して恵まれていたとはいえない三十代をなんと寡黙にたえてみせたことか。そしてその苦しみをいかに見事に秘めたことだろうか。こうした一方的な思い込みは、自分の尺度に合わせて対象を切り取っているだけとも思える。苦しみを背負うに値するものとして引き受けることができるのは、やはりこの種の不安をくぐり抜ける或る絶対的な強さへの憧れゆえであったのではないだろうか。
ここであまり愚痴めいたあれやこれやを書くことで、万が一、映画研究あるいは人文学への研究一般を目指そうとする方々の関心や希望の芽を摘んでしまわないか心配だ。私は自慢よりも恥多き思い出を書きとどめておきたい。私以上に忍耐づよい多くの優れた研究者たち、批評家たちにとって、私が書いてきたような懊悩など、ごくごく凡庸な類のものであろうし、だからこそ多くの人は黙って耐えている。一ヵ月もしないうちに「教師」のはしくれとなる私は、研究の素晴らしさをアピールするべきかも知れない。だがおそらく、今、目まぐるしく変容する不安のなかで、私は今ある自分の在り方を忘れてしまうだろう。それこそ、自分が思っている以上に速やかに。そしてそれは望ましいことなのだ。だが敢えて、通過しようとする自分の位置を明確にしておきたいと思う。
そして就職もおめでとう。
誰が言ったか、「博士号は足裏の米粒。取らないと気持ち悪いし、取っても食えない」。そんな「ちっぽけな」ものを取得することに端を発するあれこれに頭を悩ませ気を揉むことは、それを真険に追い求めた人にしか分からないものだよな。博士号取得の最大の利点は、それについてもう考えなくて良いということかもしれない。
今度そのタウンページ、読ましてくれよな。
俺のハローページも見る?
博士号は足裏の米粒! なるほど。こんなもののために、10年棒に振ったのか(笑)。タウンページ、読むのは辛いと思う。自分でも読むのが辛いから(苦笑)。もう少し叩いてマシになったら読んでほしい。もう少し待ってくださいませ〜。