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ある映画研究者の日記
大久保清朗(おおくぼ・きよあき)。自由学園卒。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論、博士課程満期退学。山形大学人文学部(人間文化学科)専任講師。映画研究者。日本映像学会員。表象文化論学会員。水木洋子市民サポーターの会会員、1978年東京生れ。
・観賞メーター
http://video.akahoshitakuya.com/u/10904
・ツイッター
http://twitter.com/kiyoakiokubo
Kiyoaki Okubo
Film scholar. Member of Japan Society of Image Arts and Sciences. Born in Tokyo in 1978.
写真(私の姿は小さくて分からないが)はニューヨークのリンカーンセンターの前(合成ではありません!)。
『成瀬巳喜男の世界へ』2005年3月刊行
「ニューヨークのキミコ」(183-198頁)、エドワード・ヤン「さりげない優しさという強靱で不可視のスタイル――成瀬巳喜男について」〔翻訳〕(253-258頁)、成瀬巳喜男フィルモグラフィ(264-277頁)
『映画監督 成瀬巳喜男 レトロスペクティヴ カタログ』2005年9月刊行
監修:山根貞男、編集:高崎俊夫・大久保清朗・岩崎ゆう子、デザイン:森大志郎、発行:コミュニティシネマ支援センター、印刷:三晃印刷株式会社
『映像表現の地平』2010年12月刊行
「クロード・シャブロル、あるいは逆説の日常――『ヴィオレット・ノジエール』をめぐって」(119-153頁)
『不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話』2011年2月刊行
「ニューヨークの成瀬巳喜男――『妻よ薔薇のやうに』からKimikoへ」2004年11月発表
『映像学』(日本映像学会、ISSN:0286-0279)第73号に掲載(23-42頁)。『成瀬巳喜男の世界へ』所収の「ニューヨークのキミコ」のもとになった論文。
「動揺と均衡のはざまで――成瀬巳喜男監督『秋立ちぬ』における一場面をめぐる考察」2006年3月発表
『表象文化論研究』(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論、ISSN:1348-5423)第5号に掲載(78-97頁)。2005年10月15日に東京大学(駒場キャンパス)で行われた「映画のモビリティー」の発表をまとめたもの。
「作劇と情熱――水木洋子の『浮雲』脚色」2008年4月発表
『表象02』(表象文化論学会)掲載(224-244頁)。
「予期せぬ追悼の物語――成瀬巳喜男論序説」2008年7月発表
『中央評論』第264号(2008年夏号)(中央大学出版部)掲載(51-65頁)。
「回帰と再生――成瀬巳喜男の『浮雲』演出」2008年11月発表
『超域文化科学紀要』第13号(2008年)(東京大学総合文化研究科・超域文化科学)掲載(85-104頁)。
「夕暮れのなかの子供たち――細田守論」2010年1月発表
『中央評論』第270号(2010年冬号)(中央大学出版部)掲載(104-123頁)。
「ソラリス・シンドローム――日本アニメの現在」2011年7月発表
『中央評論』第276号(2011年夏号)(中央大学出版部)掲載(57-73頁)。
"Kimiko in New York" 2007年1月発表
オーストラリアのオンライン映画雑誌 ROUGE に掲載された「ニューヨークのキミコ」英語版。
ジョナサン・M・ホール「ギャレット・スチュワート著『映画とスクリーンとのはざまで――モダニズムの光/合成』書評」2002年10月
山形国際ドキュメンタリー映画祭の会誌『Documentary Box』(山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会、ISSN:1340-9824)第20号(30-31頁)で、翻訳(英語)をしました。ウェブサイト版は、こちら。
「映画と作劇」2007年9月
表象文化論学会のニューズレター『REPRE』第4号の「研究ノート」として書きました。
「女たちの挨拶──エドワード・ヤンによる成瀬巳喜男論をめぐって」2007年10月
オンライン映画批評サイト『FLOWER WILD』に寄稿しました。
「正典とアナーキズム」2008年1月
『artscape』の新春企画「アート・ヴュー 2008」に寄稿しました。
「ジャン・ルノワールからジャック・リヴェットへ」2008年3月
『artscape』の3月17日号の巻頭コラム「Focus」として書きました。
「沈黙の一瞬に込められたもの」2008年11月
『シネミライ』(『映画館主義』)のコラム「マイ・フェイバリット・カット」として書きました。
「ワイラー、並行の悲劇――『L・B・ジョーンズの解放』」2011年6月
『Talkin'シネマニア!』に書きました。
「魔法少女のいるところ」2011年6月-
映画情報サイト「INTRO」にて連載中。
「彷徨のさなかで」2009年7月
『映画芸術』第428号(74-75頁)で『ポー川のひかり』評を書きました。
「どこへ行こうとアヴァンチュールはある――「ジャック・ロジエのヴァカンス」によせて」2010年1月
『キネマ旬報』2010年2月上旬号でジャック・ロジエ論を書きました。
「あわいの官能」2010年8月
『キネマ旬報』2010年8月下旬号で『シルビアのいる街で』評を書きました。
「シャブロル追悼 シャブロルをつかまえるために――『刑事ベラミー』とポラール映画」2010年11月
『キネマ旬報』2010年12月上旬号でクロード・シャブロルの追悼文を書きました。
「「秘密」の秀子、「秀子」の秘密」2011年3月
『キネマ旬報』2011年4月上旬号の高峰秀子追悼特集で、高峰さんと成瀬巳喜男監督について書きました。
「ダウン・ザ・ナイトメア――『アリスまたは最後の家出』のシルヴィア・クリステル」2011年6月
『TRUSH-UP!!』Vol.9(298-299頁)で、『アリスまたは最後の家出』について書きました。
「彼女たちにもういちど制服を着てもらいたかった──山田尚子監督『映画けいおん!』を語る」2011年11月
『キネマ旬報』2011年12月上旬号で、山田尚子監督に取材しました。
「疵と鏡」2012年4月
『キネマ旬報』2012年月下旬号で、ダンテ・ラム監督『ビースト・ストーカー/証人』について書きました。
「第1回『わたしを離さないで』 悲しい運命、若さのきらめき」2011年4月
「第5回『愛の勝利を』 ムソリーニの愛人。存在をかけた愛と悲劇」2011年6月
「第9回『ツリー・オブ・ライフ』 家族?つながり続ける生命の連鎖 マリック映像の恍惚感。理解より体で感じて」2011年8月
「第15回『ゴモラ』 イタリアの犯罪組織「カモッラ」の闇」2011年11月
「第19回『テトロ 過去を殺した男』 コッポラが描く家族の物語」2012年1月
「第24回『別離』 愛し合う家族が導いた結論とは」2012年4月
『はじめての溝口健二』2006年8月刊行
特別協力:東京国立近代美術館フィルムセンター、監修:山根貞男、編集:郷雅之・岩崎ゆう子、デザイン:鈴木一誌・武井貴行、発行:角川ヘラルド映画株式会社、コミュニティシネマ支援センター、印刷・製本:株式会社フクイン
溝口健二の映画8作品(『マリヤのお雪』『宮本武蔵』『夜の女たち』『我が恋は燃えぬ』『武蔵野夫人』『雨月物語』『噂の女』『近松物語』)の解説を書きました。
『京都に咲いた花 女優特集』2006年10月刊行
作品解説:磯田勉、板倉史明、大久保清朗、佐伯知紀、藤井仁子、森脇清隆、山根貞男、編集:山根貞男、田中範子、デザイン:鈴木一誌、仁川範子、印刷・製本:株式会社フクイン
3作品(『緋牡丹博徒』『刺青』『ハリヨの夏』)の解説を書きました。
『ダグラス・サーク コレクション DVD-BOX 1』2007年10月発売
『ぼくの彼女はどこ?』『心のともしび』『天が許し給うすべて』の解説を書きました。
『ダグラス・サーク コレクション DVD-BOX 2』2007年12月発売
『自由の旗風』『翼に賭ける命』『愛する時と死する時』『悲しみは空の彼方に』の解説を書きました。
『ユリイカ』3月臨時増刊号「総特集 ジャン・ルノワール」2008年3月発売
出版社:青土社
『のらくら兵』『大いなる幻影』『スワンプ・ウォーター』『浜辺の女』の解説を書きました。
『第30回PFF公式カタログ』2008年7月発売
出版社:ぴあ株式会社PFF事務局
『第九交響楽』『思ひ出の曲』『南の誘惑』『アパッチの怒り』『心のともしび』『天が許し給うすべて』『いつも明日がある』『風と共に散る』『翼に賭ける命』『愛する時と死する時』『悲しみは空の彼方に』の解説を書きました。
『われとともに老いよ、楽しみはこの先にあり――リング・ラードナー・ジュニア自伝』書評2008年6月発表(2875号)
『ジェローム・ロビンスが死んだ――ミュージカルと赤狩り』書評2008年8月発表(2883号)
『B級ノワール論――ハリウッド転換期の巨匠たち』書評2009年1月発表(2901号)
『ヒッチコックに進路を取れ』書評2009年9月発表(2933号)
『血の玉座』書評2010年7月発表(2974号)
『ヒッチコックに進路を取れ』書評2009年10月発表(11月上旬/1544号)
『再履修 とっても恥ずかしゼミナール』書評2009年12月発表(1月上旬/1548号)
『シネマとジェンダー』書評2010年6月発表(6月上旬/1559号)
『水木洋子 大いなる映画遺産とその生涯』書評2010年9月発表(10月上旬/1566号)
『映画 幻想の季節』書評2010年10月発表(10月下旬/1567号)
『英国コメディ映画の黄金時代』書評2010年12月発表(1月上旬/1572号)
「反時代的な生真面目さ――映画祭〈ドイツ時代のラングとムルナウ〉レポート」2005年10月
『映画芸術』2005年秋号(58-61頁)で映画祭レポートを書きました。
「シャブロル映画の醍醐味」2011年6月
『nobody』第35号(104-110頁)にてシャブロルと、拙訳『不完全さの醍醐味』についてインタヴューを受けました。
「赤狩り時代というワームホールへ」2006年9月
『nobody』第23号(89-99頁)で上島春彦さんにインタヴューをしました。
「いかに説得力を持って「世界」を肯定できるかが試されている」2009年7月
『映画芸術』第428号(4-9頁)で細田守監督にインタヴューをしました。
「わたしは見る者を誤導したいと思っています」2009年9月
『映画館主義』でイエジー・スコリモフスキ監督にインタヴューをしました。
藤原帰一『映画のなかのアメリカ』2006年3月刊行
原稿チェックなどのお手伝いをしました。
長塚京三『破顔』2007年2月刊行
編集協力しました。
『荻窪物語』2004年製作(2005年発表)
時間:15分。カラー、スタンダード(1.33:1)。出演:木下陽輔、相澤隼斗、金井学。監督:大久保清朗。脚本:大久保清朗、亀井辰彦。撮影:山本啓介。録音:小松美央。編集:塩谷文隆、加勢俊雄。記録:金森弘樹。補佐:高井君貴。大学の「表象文化論特殊研究演習IV」(講師:青山真治)で製作した自主製作映画。
以下、松浦寿輝先生からいただいたコメントです。
距離とよるべなさの映画
──大久保清朗『荻窪物語』
松浦寿輝
映画には、画面に一人の人物だけ出てくるすばらしいショットというものがある。また画面に二人の人物が出てくるすばらしいショットというものもある。ところで大久保清朗の初監督作品『荻窪物語』には、その二つがともども存在するのだ。これは大したことではあるまいか。
二人のショットとは、たとえば次のようなものだ。彼方に建設中のマンションが遠望される広い空き地を、弟が先に立ち、兄が遅れるかたちで二人の兄弟が歩いてゆく。すぐ続いて、これはゴルフ練習所の裏手か何かだろうか、空に突き出すように張られたネットが映り、キャメラがゆるやかなティルトで下を向くと、今度はその同じ兄弟がを横に並んで画面を横切ってゆくさまが捉えられることになる。この距離の伸び縮みがすばらしい。
他方、一人のショットとは次のようなものだ。川の流れの脇をふてくされたように歩いてゆく少年の行く手に、頭にフードを被った黒っぽい人影が立ちはだかり、こちらに向かってゆっくりと歩み寄ってくる。画面が切り替わると立ち竦む少年のバストショットになり、その背後には濁った光のたゆたう暮れかかった空が広がっている。少年役の相澤隼斗の演技によって深いニュアンスが賦与されたこの怯えとよるべなさもまた、すばらしいと言うほかない。
一篇は成瀬巳喜男に捧げられている。成瀬のあの「道のショット」のすばらしさ。成瀬研究家の若き俊秀大久保清朗はそれと等価のものを「川のショット」によって作り出そうと試み、それにほとんど成功しおおせている。
映画にはむろんさらに「すばらしい無人のショット」も、「すばらしい三人のショット」も存在する。そのどちらもここには登場させないという選択によって、『荻窪物語』はきわめて完成度の高い小佳品となっている。しかし、すでに「一人」の孤独、「二人」の距離を見事に映画化しおおせている大久保清朗の手になる「無人」の絶対を、また「三人」の葛藤をぜひスクリーン上に見てみたいと思うのは、はたしてわたしだけだろうか。