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2004-12-25 最良のウソ、最低のウソ

夕べというかすでに朝方になる頃低い音でつけっぱなしにしてあったラジオが、North Koreaがどうしたこうしたと話し出し、Japan、Koizumiという音が混じってきた。何かあったのかとギクッとしたものの眠いので寝た。眠りに落ちるすぐ前に、もの凄い事件が起きていたらどうしようかと思いもし、なんと遠いのだ私のいる位置はと思いもしたが、すぐに、しかし東京にいてもニュースとはこのように私の身に降ってくるのだよなと考え、結論として、ニュースへのアクセスの遠近は物理的な距離よりも通信手段の有無に大きく依存するのだと頭の中でまとめた。


朝チェックしたところでは、このニュースだったらしい。

Japan to File Protest With North Korea

By THE ASSOCIATED PRESS

Published: December 24, 2004

http://www.nytimes.com/aponline/international/AP-Japan-NKorea.html?oref=login


「8人死亡2人未入国」裏付けは皆無 政府、強く抗議へ

http://news.goo.ne.jp/news/asahi/seiji/20041225/K2004122402270.html


内容的には日本ではすでによく知られているわけだが、

細田長官によると、▽政府の対処方針▽情報や物証の精査結果と日本政府の評価▽横田めぐみさんのものとして北朝鮮側が提供した遺骨の鑑定結果??の三つの文書を、25日にも北京日本大使館を通じて北朝鮮側に渡す。


このようにして北朝鮮に対して東京が公式に抗議をすることがニュース価値があったということだろう。そしてこれを伝えることで北朝鮮がにせの遺骨鑑定をしてきたという話が北米にてメジャーラインに乗る(常によくわかってない人は多い)。


で、それを受け取る日本としては、このようにして北米ニュースになっていることがニュース価値がある。だからそこまで伝えてみるのもいいのではないかと思ったりはするが、そんな記事はないようだ。例えば、「〜とNYが23日付けで伝えた」みたいなやつ。

まんざらウソでもないから良しとする 05:14   まんざらウソでもないから良しとするを含むブックマーク


むなぐるまさんが、私のブログを紹介してくださったようで、とてもうれしく読みました。どうも御世話さまです。私の方は何度も[追加:書いた通り]むなぐるまさんのところを見に行けなくなる不幸は避けたいので、エキサイティングなリアルライフを持ち込んでどしどし書いてくださいね、と、大きいスマイル&ハグ(←ええ!)を送りたいと思います。社会的習慣と思って受け取ってください(あはは)。

http://munaguruma.air-nifty.com/blog/2004/12/post_3.html


さてそこで、「R30::マーケティング社会時評」さんというブログを知る。大変興味深い話題を丁寧に読み説いていらっしゃった。


しかしながら、これはちょっと、う〜んと考えさせられるものがありましたです。批判をしたいという意図ではないのですが別の見解として書いてみたいと思う。


映画評:ニュースの天才

http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2004/12/shattered_glass.html#more


タイトルノンフィクション映画の内容から、日米の校閲体制あるいは記者が取材した後どうなってメディア上に記事としてあがるのかの仕組みを説明されている。アメリカでは、記者が書いた原稿を、リーガルとか、その他関係者のチェックが入るのはすでにシステム化されているが、それにひきかえ日本は・・・。

日本新聞雑誌で、上のような校閲体制を敷いているところは、恐らくどこにもない。米国では、ある程度まともなメディアは、少なくとも法務チェックは当然のように仕組みとして持っているし、大手の雑誌ではそれに加えて記者からあらゆる取材メモテープ写真等を提出させて記事との整合性をチェックする体制を持っている。「記者の出す生原稿に対する信頼の置き方」は、日本の方がはるかに高い。


一応、ありましたしあるんですよ、と私は申し上げたい。ついでにいえば私もその校閲の経験がある。各種法令などの社内学習を積んだ校閲者又はグループが生原稿を読んで、現場に戻して内容的に問題がないところまで落とし込んでからでないと次のステップには乗せない、で、問題があった場合にはいわゆるマネージャーレベルというのかデスクレベル、社とクライアントの「政治」マターになる、でもって、校閲組としては、そんなのおかしーじゃねーか、ということもあるんだが、政治という名の営業行為になると仕方がないこともある、さてどこで妥協できるだろうか、となって、その妥協が是々非々では大きな組織は動けないのでルール化するために会議するする、ってな具合。


ただ、それがマスメディアの中の政治関係、経済記事等々を専業にしている媒体にあるのかどうか、常に機能していたかどうかは・・・、多分問題の切り口は別のところにあったりするのではなかろうか。それは多分過剰に政治的だったことじゃないの?隼篌?箸蝋佑┐襦


で、氏のお話は、結局のところ、

僕も以前は「日本マスコミも、米国並みに記事内容に対するチェック体制を厳しくすべきだ」と思ったりしたこともあったが、これっていうのは製造業において「品質を上げるために、生産ラインの一番後ろの品質チェック係のさらに後ろに品質チェック係の品質チェック係をつけました」といって胸を張るのと同じぐらい意味のない議論だと思い直した。

というわけで、チェック体制の有無にこだわっても仕方がないということになっていたのだが、とりあえず、日本にチェック体制がないわけではないことを私としては言っておきたい。ほんとにないと言いきれるのはネット世界だけじゃなかろうか。


また、チェック体制が一見して体制らしく整っているように見える(ここもかなり疑問だが)アメリカでも「誤報」というものは発生するし、ほとんど限りなく「やらせ」の天下じゃないのかという感じは日々する。したがってこの光景日本のでもあり私にはアメリカのとも見える。


そこで「もっと面白い社会ネタを出せ」と会社に言われれば、これはもうネタをでっち上げて出すしかない。ま、今の日本では幸か不幸か、新聞記者に部数のノルマとか「売り」の圧力が全然かかってないので、そこまで「面白い社会ネタ」が上から要請されることいのだけれど、毎号売れ?匹Δ??笋錣譴觧堡了┿錣覆匹任蓮⊆尊櫃砲發Δ任辰曽紊欧離優燭世蕕韻寮こΔ???辰討い襦


メディアが主導でファッションから意見から見解からの流行を作るってのはここの殆どデフォルト体制なんだろと思う。北米クリスマスなどはまさにそうやって出来たもののうちで、最良のものの1つだろう。それにもかかわらずこれでいいかと人びとが苦情を言わないのは、まんざらウソでもないから良しとする、いいところもあるからこれでいいことにしておこう、といった漠とした諦観があるからではなかろうか。これは北米で生き延びるために必要な1つの精神安定剤ではないかとさえ思う。実際たいていのことは、「まんざらウソでもない」のだ(e. g. 小さいグループでも熱心に好んでいる人がいれば、爆発的人気と書いて悪いとも言えない、苦しんでいる人がいる、も同様。感謝されている、大きな憤激を呼んでいるも同様。大きな話題だと言わせるためにはとりあえず記者会見をやっておく、当社比当社比です、等々)。


そして、この間っからボソボソ言っているが、日本における「事実」とか「ファクト」という語が持つ意味は、もしかしたらちょっと独特なのかもしれないなどとも思える。これは来年こそ真剣に考えよう。ずっと棚上げしてるな。


あと、媒体が厳しいチェック体制を敷くことは、ファクト関係の堅さを保証する一方で、ポリティカル・コレクトネスを頑丈にすること、つまり、社会的なメインストリームを刷り込むためにも強力に訳に立つ。別の見方を事前にチェックして排除していく便利なツールではある。チェック体制とはおけるメインストリーム形成方法と表裏ではある。


で、そのことがよくよく知られてしまったからこそのブログの隆盛だろうと思う。ということはそれにもかかわらずこういう映画が来るということは、チェック体制さえきちんとしていればなんとかなる、といったなんだか朝日新聞社説のような結論を人びとに持たせたいのかと言ってみたい気もする。


また、別の見方では、こういう映画の日本における受容のされ方というのは、前にむなぐるまさんがおっしゃっていた、日本民主主義が遅れているとかいうのやめませんか、といったアイデアと同じ文脈で考察されるべきなのではないかとも見える。つまり、アメリカ(または「欧米」;そんなものは欧米にはない)を明るいサイトにおいて、自分を見て、違う違うと言ってみたくなる殆どテンプレートと化しているいるかのような「コンテクスト」だ。おかしな言い方だが、これがテンプレートとして認識されているからこそ、物書きは安心してこの線で書く。それは読み易く、人びとは簡単にそれを納得できる。一方で、見知らぬコンテクストを読み込める人は常に社会的にそう多くはない。それでは売れない。

ニュースは15分かそこらなんですよ、そこにもし聞いたことがない言辞があふれていたらどうなりますか? もしあなたがニュースを聞いてすぐによくわかったと思ったのなら、それはあなたが既に知っていたことなのです…。これは言ったのはチョムスキーだったと思う(多分、『マニュファクチュアリングコンセント』で)。


彼ぐらいそれを知っている人はいないからこそ、自分でそれをわかっているからこそ、毎度同じことを言っているのかと皮肉なことを言いたいものはある。


なんて皮肉な?螢好泪垢澄

 『マニュファクチュアリングコンセント05:45  『マニュファクチュアリング・コンセント』を含むブックマーク


で、上であげた本はこれ。でもこれは映画として有名。去年あたりもトロントで見た。世界中で断続的に上映されているらしい。日本でも上映グループがあるようだ。

しかしながら、なんつーか、チョムスキーの最良の部分ってか最も現代にとって役に立つ、有用な部分とはメディアを読む行為を人びとに訴えたことだったのじゃないのかと私は考えるのだが(その結果チョムスキーが好むような路線で人びとが語らなくなるという意図と結果の乖離があることも含めて;カナダは部分的にはそうなのじゃないかとしばしば思う)、なぜだか日本での受容は、「チョムスキーがそう言っている」だったりするように見える。これではチョムはオーソリティーになってしまう(そうしたいかもしれないが)。これは読み手の側の問題だ。


Manufacturing Consent: Noam Chomsky and the Media

Manufacturing Consent: Noam Chomsky and the Media

 やる気があればできる国際協調 17:58  やる気があればできる国際協調を含むブックマーク


冒頭で書いた、私がそう来たか北米の露出、と思ったそのニュースに対しての翌朝の朝日新聞社説。25日付け。


拉致再調査??圧力は国際協調で

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

本社世論調査でも、経済制裁への賛成が63%で反対は25%だ。北朝鮮の不誠実な姿勢に、いても立ってもいられない被害者家族に対する共感でもあろう。


ってことで社説がある、と勿論言えるんだが、流れ的には、結局のところメジャーフォースであるアメリカの出方が「圧力」をかける方向に出ていることを朝日も無視できないのだろうなと考えても悪くはないだろう。


でもって、これからは国際的な圧力が重要になってくる。だけどその中で日本の立場に支持を得るのは大変だ、大変だが、

だが、たとえば疲弊した北朝鮮経済を支える中国を、拉致問題で影響力を行使するよう、首相みずからが説得する。米国にもそのための協力を求める。それらはやる気があればできるはずだ。


やる気があればできるはずだ、っていう文はなかなかこう、リアル社会でもこの頃あんまらい言われない、このなんというかこう、無責任語の筆頭のような気もするけど、そう言うのかぁと結構口あんぐり。やる気があればできるはずだ、という時、この文は誰に向けられているのだろうか?というのも疑問ではある。日本政府ってことなのかな。また、この妙な切れ切れの文も気になる。動詞意味が確定できない。ちょっと、このパラグラフ意味を整理してみる。


「たとえば疲弊した北朝鮮経済を支える中国拉致問題で影響力を行使するよう首相自らが説得することが求められる。その際には米国の協力を取り付けることも欠かせないだろう。厳しい仕事だがやり遂げなければならない。」


こんな感じか。で、こうやってみてわかるのは、中国に頑張ってもらうからアメリカにもそれに協力しろって日本が言えってこと・・・がさり気に示唆されてるのかしらね。で、しかし、中国アメリカの調整をするは大変そうだぞ、と思ったりもする。


で、最後が、

北朝鮮という非人道的な体制をいかに変えていくか。「拉致も核もミサイルも」という日本の立場を貫くには、国際的な態勢のなかで事を進めるしかない。


体制を変更することはいつの間にか「是」で、すでに与件らしいのね。韓国は迷っている様子がずっとあるわけだが(彼らの大統領はそれさえイヤみたいな感じをずっと表明しているし)。

拉致も核もミサイルも」は、拉致事件は解決し、北朝鮮核兵器は排除され、ミサイル開発または「誤射」騒ぎのようなことはもっての他だ、ってことだ。で、これって、「日本の立場を貫くには、国際的な態勢のなかで事を進めるしかない」というほどの事か???


拉致事件はすみやかに解決されるべきに決まってるし、核兵器偽善に満ちた言い方ではNPTの体制があるのだし、そもそも明らかな「脅し」で誤爆の可能性を持ったところからそれを排除してくれ、使うなと要求することにどんな困難があるだろう??? 少なくとも道義的にはなんにもないし、多分外交慣習、法的、といったところからもないだろう。


朝日はこの問題をもう一回ちゃんと考え直すべきだ。少なくとも、頭を整理する必要がある。日本政府に努力目標を課すことは結構だが、伝えようとしている内容がワヤでは話にはならない。


北朝鮮に関して難しいという点は、実際にはもうテクニカルな面、どうやって体制変更が可能になるか、それに伴う混乱を収拾する枠組みはどうか、実効性は、誰が金だすんだ、といった点にしかない。


朝日にとっては、そう決定してしまうことが難しいのだろう。しかしもう、自分で言っているのだが・・・。この混乱はつまり、社説を書く朝日にとってのこれまでとの整合性の問題なんだろうなとは、まぁ思うわけだが。



ああ、そう。この一年でしみじみ思うのは、日本のあらゆる業界の中で一番混乱しているのは、朝日などの新聞論説媒体業界だと思う。

munagurumamunaguruma 2004/12/25 12:27 Big smile and hug ありがとうございます。確かに受け取りました(笑)。自宅の方のブロードバンドが開通したらもう少し事情が変わるかもしれません。ま、でも、この冬休みから2月ごろまでは年末・年始進行でして更新が停滞するかもしれませんし、その後はブログを書いているか想像もつきません。とはいえいつも応援をいただいて励みになっていることは確かです。またネタを見つけて、本業にも差し障りのない方向で書いていきたいとは思います。今回いくつかのブログを紹介させて頂いたちょっとした理由(言い訳?)については近日中に書くつもりです。

SoredaSoreda 2004/12/25 14:05 こんばんは。受け取っていただけて幸いです。本業に差し障りのない範囲でどうぞステキで画期的なブログをお続けくださいましね(とおばさんの泣きが入る(^.^;;)。なにはともあれ、すべての人に、今夜集うことができた人にも集えなかった人にも等しく平穏が訪れますように。

R30R30 2004/12/26 01:45 「ニュースの天才」でTBありがとうございます。大手メディアに載ったこの映画の批評はざっと見て回りましたが、その内容は「並はずれた功名心を持つグラスという記者云々」的な話ばかりで、システムとしてのジャーナリズムの問題に言及したものはほとんどなかったですね。川上さんご指摘のような、チェック体制云々のレベルにさえたどり着かない(笑)。要はシステム思考の有無の問題という気がします。それと蛇足ですが、リーガルチェックをやっているメディアは日本にも大手ならあるのでしょうが、記者の取材メモと録音テープを校閲に提出させるメディアというのは流石にないのでは?と思いました。

SoredaSoreda 2004/12/26 04:04 こんにちは。言いたい放大のTBになってしまって恐縮してます。様々な映画を見られることは日本の生活の中で最もご機嫌なものの1つだと思うのですが、アメリカものの映画評の無惨さというのはなんなのだろうかとしばしば思います。問題の件はシステム思考・・・なのかどうかちょっと迷うものはあります。メディアに関する問題を考える際の分類(e.g. 大手メディアとは何を意味するのか)なども含めてゆるゆると考えさせていただいてまたそのうちコメントさせていただくことにします。今後ともどうぞよろしくお願いします。

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