梅雨の間の怪談

ええええっとかなり驚き、メモを書いておかねばという気になった。


玄倉川さんのところを見たら、この記事が。

http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/bde59eab9547e7b23a811723ab47e4c5



立花隆氏が、私が前にも、いい加減この人に書いてもらう必要はないんじゃないの、わざわざ、と書いたことがあったその日経の欄で、

 さて、昭和天皇の明々白々なA級戦犯合祀に対する不快感表明によって、一言でいうなら、靖国問題は、決着がついたといっていいと思う。


こんなことを書いていた。


この一週間ぐらい、ぱらぱらとニュースは見ていたがじっくり「なりゆき」を見ていなくて、頭の中にあった情報は、昭和の天皇陛下がクラスAの戦犯が合祀されている靖国には行かないといったとかなんとかいう話。咄嗟に思ったのは、それって前から言われてないか?というもの。メモなんかあってもなくてもいいぐらい。

でもって、その理由として私が理解していたのは、彼の天皇陛下は開戦から敗戦をしきった天皇陛下であり、それはつまり負けた側の代表という側面を構造的に持つわけであり、さらに時代的にもまだまだ今よりホットな部分があるわけだから自ら進んで、AもBもCありませんとは到底言えそうもない時代に生きた方だ、だから、他のどの理由にもましてこの理由を以って、できるだけ欧米が取り仕切った敗戦処理ラインを超えないでおこうと思われたであろう、それが陛下なりの国の元首としての姿勢だった、それが国民が世界中で肩身の狭い思いをしないでいられる一番の道だと考えていらしたのじゃないのかな、私はそれを有難く思う、というものだった。

で、こういったことを考えたのはもうずいぶん前の話だ。さらに、ここから松岡氏は仮に生前どう思っていようとも(私の個人の感想としては、昭和天皇と松岡さんは考え方、思考のタイプとして合わないだろうな、とは思う)、なんであれぼやけた言い方しかしたくはなかっただろう。なぜなら、なんといっても三国同盟国際連盟脱退というある種の「離れ業」、いや、世界的に見て負の業績としか理解されない出来事を引っさげた人だから。(もちろん、こんなことしやがって、と思っていた可能性だってあるだろうが、それはそれで今度は立憲君主としての発言制御系になるからなかなかよー言わんかっただろう。が、結構言ってるところが近年になって発掘されているにしても、それはオフレコの話だ)


と、そういう考えをずっと前に持った私は、このニュースを見て(とてもいい加減に流し見して)、次に日本の友達が電話で話していたら偶然これに言及したので私が考えていたのより騒ぎではあるらしいんだな、と思った。で、そこで私は友達に、これって誰が出してきたのか知らないけど、なんか日本人が考え付いた話なの?と言った。なぜなら、天皇という存在と日本人の関係って、死後の言葉をも引き継ごう、みたいな関係じゃないんじゃないの?と思ったから。著しく日本的でない、とも思った。良い悪いじゃなくて。


それは天皇と国民が「関係がない」というのではなくて、むしろもっと関係があって、言うなれば、「紐帯」などと言いたいものがあるぐらいなわけで、紐帯は言を通して約する必要がないから紐帯なわけで、言をそのままに取れなどという関係とは正反対な関係かもしれないじゃない、といった意味だった。


だから、構造上日本の一番上にいるらしい人が言った言葉を出せば、人はそのように流れると考えた人、誤解した人、すなわち、日本人または日本の中で一般的に育ってない人が考え出して、ネタとして使ってる事件なのかな、と思ったのだった。友達にはこの考えを説明しながら、「一木一草天皇陛下でないものはないのだよ、がはは」などとも言って笑った。


適当な私の「心象」ではあるにせよ、日本の大多数とは、一木一草式か、でなければ完全な立憲君主マイナス宗教色なし、で天皇陛下を受け取っている人々ではないのか、と思う。前者は、天皇の「心」を汲もうというのが大事なわけで、言はたいして大事でもなく1)、後者は構造上の元首であることが本義なのだからそれ以上は俺は知らん、になる。どちらに転んでも、天皇がこう言ったからお前は従わねばならないという形式が入り込む余地は小さい。これは、私は戦前でもそうだっただろうと思っているぐらいだ。
1)言でつながらないから皇道派が存在しえたとも言えるだろう。これが真というのがとても恣意的、と。


と、ところがこれが立花隆氏がまじめに言を編んでいる始末。
なんなのだこの、心根が貧しくて落ちこぼれた皇道派みたいな言い草は、など思うのだった(補足:つまり上の1)から考えて、恣意性に乗じて自説に都合のいいように天皇の言を使ってこっちが「心」だなどと言う。)。なんでしょう、この人。


何度でも引用してしまうが、

さて、昭和天皇の明々白々なA級戦犯合祀に対する不快感表明によって、一言でいうなら、靖国問題は、決着がついたといっていいと思う。

なんだこれは!


そもそも同じ靖国括りだとしても、事象AとBはまったく個別に発生している以上同断できない。


いや、いや、いいもう。なんだっていい。この人の人生こそ私にはなんの関係もなく、多くの日本人にとってもまったく関係も感心もないことだろう。だから、問題はこれを平気で載せてしまう日経のクォリティがまず問題だ。お願いだから、がんばってください、日経さん。朝日は別系統に行くんだし、毎日は記者ごとに売り渡しとなるであろう日々が近づく今、へんなもの切った方が伸びますよ。是非、ふんばってください。

汚いのと馬鹿がどちらがいいのかはよくわからない


腹の虫がおさまらないのだが、

しかし、このニュースに接したときの政府当局者たちのうろたえようといったらなかった。

みっともないの一語につきた。一応何でもないようなふりをしてみせたが、内心の狼狽ぶりは隠しようがなかった。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060721_ketsudan/index.html



政策当局者が「うろたえた」のは、よもやここまで汚いことをしてでも、あるいはインテリジェンスをかなぐり捨てでも靖国参拝を問題視したい勢力にびっくりしたのだろう。



でもってここ。

とまるで人ごとのように答えて、いつもの「心の問題」のレトリックに逃げ込もうとした。それに対して、では、心の問題として、それは小泉首相自身の心にどう影響するのか?、今度の8月15日にまた参拝するつもりなのか?などなど、二の矢、三の矢をはなって、小泉首相をしばらく会見場に釘づけにした。

だからといって、彼女が小泉首相から何らかの特別の答えが引きだせたというわけではない。


このあたりはもう、インテリジェンスとか知性とかいう問題じゃなくて、言質を取って勝手に筋を組み立てようとする卑しいジャーナリズムそのものだ。



ただ、個人的には、実のところ氏の著作で感心したことはないので、ま、こういう人だったんだろうなとは思う。つまり、記事自体に憤ってはいるけれども、氏に対しての驚きは私にはない。だから、くどいけど、こういう人を使わなくてももっと他に100万人ぐらいずっとましな人々がいるでしょ、<大メディア、という点をどうにかできないものかとしみじみ思うし、こうした「ひっかけ」に対して、効果的に反論できる対抗または異論メディアが日本では枯渇している点がやっぱりずっと問題だろうなぁと思う。


結局、今の状況は、大メディアの「仕掛け主義」vs個人メディアの「解読主義」みたいな様相か。解読は大事なんだけど、主張が立っていかないからなぁ。やっぱり対抗は必要だと思う。

 理由はだいたいいつも複合的だ

朝日は朝日でいやらしい記事を書いている。


昭和天皇靖国へ行かなくなった』

昭和の最後の2年間、私は宮内庁を担当していました。昭和天皇について知りたいことはたくさんありましたが、その一つは、なぜ1975年11月を最後に靖国神社へ行かなくなったのか、ということです。

清水建宇
http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html



なぜって、あんたらが騒ぎ出す気配が見えたから、だった可能性も当然考慮に入れて書いているものと信じてるよ、朝日新聞


もちろん、どれだかわからないわけだし理由は常に複合的だろう。しかし、80年代に朝日新聞を購読していた私としては、朝日が靖国について何も書かなかったとは言わせないし、なにか今から考えればずいぶん思わせぶりな記事もあったような印象は少なくとも私はある。だからこそ、なにかとても大変なことらしいと感じたからこそ、私は結構に興味を持っていろいろ本など買いに走った。その点は感謝してる。


それはともかく、朝日を読むと俄然この話が胡散臭くなるのはやはり日ごろの行いというものだろうとは思うが、ともあれやっぱりこれを今持ち出して、純ちゃん他の参拝に水をつぶさそうとするのは手段としてどうかしているだろう。


そもそも、昭和天皇の側からすれば、自分も含めて戦争の指導者グループをその他一般の国民と一緒にするのは責任上おかしいかもしれないという見解を持つことは当然ありえるわけだ。だから、身を以って指針としたとしても不思議ではないだろう。


それを最初からできなかったのは誰でも知っている通りに最初は占領下だし、その後は国民的にはクラスAの分類も別に意味はなくなっていたからでもあろうだろうし、いろんな意味で70年までは混乱していたこともあるだろう。


が、小泉純一郎は戦争指導者ではない。故人との約束を守ろうとする国民の一人であり、同時に、もし分けたいのであれば、国民の代表者だ。


そこに昭和天皇の言葉を持ってきて何か意味を持たせようとする、一体どういう理屈を構えている??? 
天皇の言葉は今も重い、だけ?? 


日本国の国民の非常に多くは、このトリックにひっかかるのか? 



まじめに思う。


自分の祖父の代にあたるような近くて少し遠くなった人々に対して、ある男、ある女が、

On behalf of the citizens of Japan, I am here to speak to you ALL, who sacrificed your lives, we never forget you....とかなんとか語りかけることが何がそんなにイケナイことなのか、私にはもはや皆目検討見当もつかない。私はこれに関して動じる必要さえ認められない。


つくのは、生きてる側の誰かの都合だけだ。