2010-02-28
馬好きにもオススメの『乙嫁語り』(森薫)
▼『シャーリー』『エマ』で本朝最高峰メイド作家としての地位(単独峰という説もあり)を絶対不動のものとした森薫の新作は、中央アジアを舞台とした嫁マンガでした。エゲレス趣味の次をなんとか探し出してきたのかと思いきや、彼女のシルクロード文化萌えは中高生時代がルーツだそうで(1巻あとがき参照)、その引き出しの多さと深さに驚かされます。
ページを開くと画面の隅々まで(あるいは装丁全体を見ても)神経が行き届いており、持ち味の詳細かつ丁寧で、なおかつ繊細すぎずダイナミズムを失わない描き込み力は健在。むしろモチーフが英国物に比べてプリミティブあるいはエキゾチックな分、より読み手の心を惹きつけるようにも思えます。神は細部に宿る、とはよく言ったもので、単なる画力というレベルではなく、ペンを通じて対象物に込められた情念みたいなものが画面から立ち上ってくるかのようです。
ストーリー自体は、まだ導入部ということもあってか大きな動きはひとつしかありませんが、単なる日常描写……例えば家事・狩り・工芸作業・兄弟げんか・お使い・看病……だけでも鑑賞に耐えうる(どころかどんな大作と比べても読み応えに遜色ない)ものに仕上がっているあたり、妥協の無い描き込みが創り出す世界観の確かさが裏打ちしているんだろうな、と感心します。
そうした筆力に支えられたこの作品、とにかく登場する人・動物・モノ全てがチャーミング。特に「乙嫁」アミルの萌えキャラぶりは特筆もので、言動の端々にニヤニヤさせられっぱなしです。しっかりもので活動的な姉さん女房なのに、弁えていて乙女で献身的で、その上天然だなんて詰め込みすぎですよ森先生! だが、それがいい……というかキャラとしての統一感が保たれているのが単純に凄い。これだけ「説得力」のある作家というのもなかなかいないと思います。*1文句なくおすすめできる1冊。自分は男なのでアレですが、衣装や装飾品の素敵さ加減が尋常ではないので、女性が読むと更に色々楽しめるかもしれません。ショタ趣味があれば尚更。
<関連>
この世界観を支える描き込みの実際がこちらで見られます。本当に、気の遠くなるような作業の果てに出来上がってくるんだなぁと、改めて脱帽。
▼余談ですが、競馬者としては、騎乗シーンの描写が多いのもまた魅力的。
──なるほどー。一方、馬は写真や解剖図を見て描かれてましたね。
森 馬はまだ(資料を)見ないとダメですね。昔からずっと好きなんですけど、描いても下手だから嫌になっちゃった時期もありました。今回は念願叶ってとうとう馬だらけのマンガなので、気合い入れて練習しましたよ(笑)。
コミックナタリー - [Power Push] 森薫「乙嫁語り」 (2/4)
なんていう発言がありますし、森先生のブログの
あたりを見ても、馬に対して一方ならぬ関心がうかがえますが、それはこの作品世界にも十分反映されています。
わたしの馬は
金の馬
おまえに乗せよう
こがねの鞍を
おまえにかけるは
銀のはみ
鳥が空をとぶように
青い草野を駆けめぐる
作品内(第3話『騎行』)でアミルが歌った曲の一節。うーん、良い。
ちなみにアミルが騎射でウサギやキツネを仕留めているシーンがありますが、(一応)元アーチャーとして尊敬します。動物型の的なんてものも射ったことがあるんですが、動かなくても2〜30m離れたら結構当てるの難しいですから……。いや、正確に言うと、アーチェリー用のしっかりした現代弓だと照準もついてますしサイト合わせのために何本か射てばあとは比較的簡単なんですが、照準もスタビライザーも何もついてないベアボウでやれとなると……しかも動く的となると……。まぁ、どっちにしろ僕は下手っぴいだったのでアレですが、それでも久々にちょっと射ちたくなりました。気軽に射てるものではないのが残念ですが……。
▼さらに余談ですが、最近出された東京都青少年保護条例改正案が話題になってますね。
二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を資格(ママ)により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
番外その22:東京都青少年保護条例改正案全文の転載: 無名の一知財政策ウォッチャーの独言
例えばの話ですが、この作品では20歳の嫁さんが12歳の旦那さんと接吻&全裸で同衾するシーンがあったりします。もちろんこの話は現代日本を舞台にしているわけではなくちゃんとした歴史的・文化的な背景がありますし、内容を見ても“みだりに性的対象として肯定的に描写”しているわけでないのは明らかなんですが、その「明らか」というのも考えてみたら主観なわけで、そういう意味ではちょっと怖いな、と。
「行き過ぎた表現」というものが存在しないとは言いませんが、それを取り締まるために恣意的な運用が許容されかねない規則を設定することは、過剰反応と言われようがやはり危惧を覚えます。特定実在個人・団体の権利を侵害するような内容を除いて、創作物は基本的にその表現自体を妨げるべきではなく、また流通過程における制限については、年齢によるゾーニング・フィルタリング以外は拘束力を持たせるべきではない、というのが個人的な考えです……と、最後にちょっと脱線。



