馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

ブルーコンコルド引退に思う。

▼結論から言うと、現役時代から引退に至るまでの、「ブルーコンコルドというサラブレッド」のトータルマネジメントは、彼の条件下においては大成功だったんじゃないかと思っています。ファンの感傷として「種牡馬入りではなく乗馬」という点に引っ掛かるものがある、という点に共感できるところにはあるにしても、クラブ馬としての彼の立場を考えれば、必然としか言いようがない結末だっただけに、文句のつけようがありません。
 ぶっちゃけた話、クラブ的にも会員的にも、ある程度の額の外部からの種牡馬オファーがない限り、あのレベルの馬を「引き際良く」引退させるメリットが一切ありません。これが自前の種馬場を持つような規模の牧場系クラブだったり、思い入れたっぷりの個人馬主だったらまた違った判断があるかもしれませんが。例えば同じダート路線ならタイムパラドックスとか、馬主の思い入れという文脈ならミラクルアドマイヤとか。
 ただまぁそれも血統の裏付けがあればこそという面もあり、同じクラブ馬で実績的には比べるべくもないカネツフルーヴなんかは、母ロジータという名前が効いたのかなという印象もあります。そういう意味ではヴァーミリアンあたりは、無意味な仮定ですがノーザンファーム絡みでなくても種牡馬入りするだろうな、とか。

<追記>
 単純に「クラブ馬だから」という話ではなく、あくまでブルーコンコルドの場合は、非牧場系零細クラブの所属馬だったということ(+血統面)がネックになった、ということです。
 ちなみに血統面の裏付けさえあれば、弱小クラブ馬だって(無償で)種牡馬になったケースが結構あります。旧サウスニアのリップカレントやスルーザワールド、ロードのロードアルティマなど(まぁロードは半分牧場系ですが)。ただしその場合は、「底を見せていないままの引退」というのが重要な前提条件になるでしょう。
</追記>


▼もちろん、「タダでもいいから」という形で種牡馬入りさせる手もあるにはあるでしょう。採算を考えなくてよければ、年10頭前後×数十万の日高種牡馬として生きていくという選択も、別に悪くはないと思います。
 しかしそうなったとしても、クラブとしては労多くして益少なし。それなら会員利益を考える意味でも、広告塔として走れるだけ走ってもらって、あとは素直に功労馬となってもらった方がベターなのは間違いありません。もし産駒が走って種付け料が跳ね上がろうものなら、元出資者に対する信用問題にもなりかねませんし。ハットトリックのように海外に譲るなら話はまた別でしょうけど。
 同じクラブ馬でも、タップダンスシチーなんかはクラブが引き続き所持して出資者に利益配当する形を採りました。もちろん諸経費(広告費等含む)は出資者から徴収する形です。出資者が多く、そのコンセンサスが得られるほどの活躍馬ならそういう道もあるでしょうけれど(ドメインパーキングあたりを読む限り、到底割に合う話とも思えませんが)、ブルーコンコルドにはそういう選択肢すら実質なかった、ということでしょう。


▼そもそも一般論として、現役時代から既に種牡馬入りのオファーがあったり、馬主が変わったりというクラスの馬ならともかく、そうでなければ種牡馬「入り」するかしないか、というのは非常に恣意的なものであって、あとはオーナーサイドの目論見次第という面が大きいわけです。
 となると、いざ引退という段になって、外部が「振り返ってみるとあの馬はあのレースでレイティング○○○だったから、冷静に考えれば種牡馬入りさせても……」なんてのは時すでに遅しにもほどがあるという話。もし本当にそれだけの価値があれば、そもそもこんなに走ってないよ、という。
 ファン心理という観点から考えても、さっさと引退されて産駒を待つか、それとも<その馬自身>を1レースでも多く目の当たりにするか。もしその二択だと考えれば、さてどちらを採るのか? というのは訊いてみたいところではあり。


▼なのでブルコン騒動に関しては、「もうとっくに終わってしまっていたこと」がなんだか蒸し返されている、ぐらいの感覚でしかありません。もし部外者が騒ぐのであれば、2007年の暮れに問題提起して、2008年のフェブ2着で引退……とかならまた違った展開もあったかもしれません。まぁなかった可能性の方が圧倒的に高いですけれど。
 もしどうしても<種牡馬入りを前提に>考えるのであれば、「種牡馬としての価値」が付くようなキャリアマネジメントをし、首尾よく「値が付いた」時点で残りの出走レースと引退時期をきっちりプランニングして、粛々とそれを消化するのが本道なわけです。そういう意味で、例えば先般物議をかもしたSea the Stars陣営の選択は、種牡馬ビジネスの観点からは圧倒的に正しい。
 そしてそれを是とするならば、対偶として、現役にこだわりつづけたブルーコンコルド陣営の判断もまた、圧倒的に正しいものだと言うしかありません。たとえ結果的に「婚期を逃した」印象を与えたとしても、この年齢まで現役を全うし、無事に引退して(おそらく)功労金付きで「ただの馬」に戻れるなら上々では、と。


▼もちろん私的な感情を言えば、種牡馬なんてやってみないと分からない、という気持ちも当然ありますし、著名馬の産駒を見てみたいというのも理解できます。しかしだからといって、オーナーや生産者にそのリスクを取れ、と要求するほどの厚顔さは持てない、というのが正直なところです。
 以前岩手競馬存続問題に触れた時に、「第二のメイセイオペラの母体(揺り籠)」としての可能性を、地方競馬の存続意義のひとつに上げるコメントをどこかで読んだ気がしますが、通底するものは同じなのかな、と。それに答えるとすれば、「それはコストとリターンの問題だ」となります。そのコストを支えるだけの余裕が、果たしてこの業界のどこにあるのか。


▼また、ダート路線の価値云々、という文脈から大上段に物事を考えてみる手もあるかとは思いますが、個人的には競走馬の引退後の価値を市場が決めるのと同様に、レースの価値も馬券を買うファンがまた決めるものじゃないかと考えています。
 試しに、今年のクラシック競走の売得金を並べてみるとこうなります。

単純に「レースの売上で価値が決まる」と言いたいわけではありません。ただ、なんというか、ファンは案外正直だな、というのが個人的な観測結果でもあります。例えば菊花賞の価値低下って、評論家が煽り過ぎなんじゃないの? とか。ダービーが別格なのは認めても、あとは紛れが大きい皐月賞あたりと比べても、競走体系内の立ち位置としてはそう劇的に変わらんのでは、とか思ったり。
 ちなみに去年の数字ですが、

というのもついでに挙げておきます。さて、仮に東京大賞典あたりがPATで買えるようになったとすれば、有馬記念と比べてどれだけの「価値」が付くでしょうか?
 オーナーブリーダーでもない限り、日本の馬主は基本的にファンの延長であり、ファンが評価するようなレースに勝ちたい、と思うのが当然です。そして、そういう馬主が競走馬市場を形成するわけですから、どんな馬が求められるかもまた自明と言えるでしょう。


▼最後に、先日触れた余生問題と絡めるのであれば、「行き先がないけれどとりあえず種牡馬入りさせてみるか」ではなく、きちんとその馬の種牡馬市場価値を判断した上で、乗馬(競技用ではなく、功労馬として)入りという選択を素直に採れるようになった現在は、実績馬にとっては以前よりもずっと生きやすい世界になったのではないか、と思います。命の価値は、その命そのものにこそある……とか言ってしまうのは、逆にロマンチシズムに酔いすぎかもしれませんが。