【ひとり公論】([新庶民]論) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-02-11

[]平和ボケ? 22:01 平和ボケ?を含むブックマーク 平和ボケ?のブックマークコメント

平和ボケ?

平和な世の中で何が素晴らしいかといえば、「正々堂々と」生きられることです。

他人を妬む必要がない。他人の金品を盗む必要もない。必ずしも「ズル」したもん勝ちという世の中ではない。(このニッポン、まだカンペ キではないですが)

正々堂々と生きている人間が最終的には報われる、という世の中になってきつつあるということに、感謝しなければなりません。

これが、「戦後」ではそうはいかなかった。生きる(食べる)ので精一杯、では正々堂々と生きることはできない。

「平和」は、維持しなければならない。その手段を常に考えて、場合によってはアップデートしていきましょうよ、ということです。

2012-02-10

[]同時代性 22:10 同時代性を含むブックマーク 同時代性のブックマークコメント

同時代性

人は根源的に遺伝子の記憶から逃れることができないのと同じように、 大きな 「うねり」のようなものから逃れることはできない、ということはわかっています。「うねり」にはぜひ乗っていきたいです。ただし表層的な 「トレンド」「流 行」から逃れることはできるし、流行にからみ取られていては「うねり」に乗ることはできないと考えています。(【重要】マーク)

これらのことは結局、過去の同じ思いを別な言葉で言ってるにすぎない のですが。。でも、自分の思考が精度を上げていることは確かなのです。着実にそれを感じています。

2012-02-09

[]全体朝練 22:01 全体朝練を含むブックマーク 全体朝練のブックマークコメント

基本前倒し、ただしメリハリ必要

昔。。

部活で、1年のとき、朝練をしていたわけです。1年の有志で。その理由は、他の奴らよりもうまくなりたいから、というのもありますが、全然 まともな練習させてくれないからですよ。球拾いばっかで。そしたらそれが先輩に広まってしまって。。あっという間に、全体朝練になってしまって。。

先輩は、高評価だったんですよ。「おー、よくやってるな」と。それが「オレらもやらせろよ」となる。。

この体験は、重要な示唆を含んでいると思うんですけどね。

2012-02-08

[][]フランクリンの13徳目 22:02 フランクリンの13徳目を含むブックマーク フランクリンの13徳目のブックマークコメント

フランクリンの13徳目

1、節制 頭が鈍るほど食べないこと。酔って浮かれだすほど飲まない こと。

2、沈黙 他人または自分自身の利益にならないことは喋らないこと。 つまらぬ話は避けること。

3、規律 自分の持ちものはすべて置く場所を決めておくこと。自分の 仕事はそれぞれ時間を決めてやること。

4、決断 やるべきことを実行する決心をすること。決心したことは必 ず実行すること。

5、節約 他人または自分のためにならないことに金を使わないこと。 即ち無駄な金は使わないこと。

6、勤勉 時間を無駄にしないこと。有益な仕事に常に従事すること。 必要のない行為はすべて切り捨てること。

7、誠実 策略を用いて人を傷つけないこと。悪意を持たず、公正な判 断を下すこと。発言する際も同様。

8、正義 他人の利益を損なったり、与えるべきものを与えないで、他 人に損害を及ぼさないこと。

9、中庸 両極端を避けること。激怒するに値する屈辱をたとえ受けた にせよ、一歩その手前でこらえて激怒は抑えること。

10、清潔 身体、衣服、住居の不潔を黙認しないこと。

11、平静 小さなこと、つまり、日常茶飯事や、避けがたい出来事で 心を乱さないこと。

12、純潔 性の営みは健康、または子孫のためにのみこれを行って、 決してそれに耽って頭の働きを鈍らせたり、身体を衰弱させたり、自分自身、または他人の平和な生活や信用を損なわないこと。

13、謙譲 キリストとソクラテスに見習うこと。

2012-02-07

[]瞬間湯沸かし器にならなくともいいんです 22:01 瞬間湯沸かし器にならなくともいいんですを含むブックマーク 瞬間湯沸かし器にならなくともいいんですのブックマークコメント

瞬間湯沸かし器にならなくともいいんです

僕の場合、人から文句をいわれたり、電車の中で悪意をもった「ぶつか り」に遭遇したときなど、後からじわじわと、そしてかなり長く怒りが持続します。

今はだいぶよくなりましたが、昔はもっとひどかった。

瞬間湯沸かし器に憧れていました。なんでその場で言い返せないのだろ う? と、いつも負けた感じになっていましたね。

ですが、数年前でしたか、とあるひとつの文章を何かでみたのです。

詳しくはまったく忘れましたが、何かをされても即怒る前に一呼吸お け、深呼吸すべき、みたいな。即怒りはやめるべし、と。

それがひとつの成功哲学だということなんですね。

そこから、自分の短所⇒「もしかしたら長所なのかも?」という、自分 の中で劇的な転換が行われたような気がしています。

怒らない、寛容なほうが正しい。議論をふっかけるのは正しくない。

「我慢」というコトバを使うのが間違っているのだと思いますね。我慢 するって、なんとなく、負けのような気がしますから。。

寛容の精神が腹落ちするまでは、多少上から目線で「許容」していって もいいかもしれません。

相手に対して「余裕」をみせることです。そうすれば、だんだんナメら れなくなります。

2012-02-06

[]右傾化のたとえ 22:02 右傾化のたとえを含むブックマーク 右傾化のたとえのブックマークコメント

誇りと繁栄(5)

小林よしのりさんの「戦争論」

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

を読んだときは、やはり衝撃的でした。あれはもう、何年前なんだろう。

あの本により日本人が(特に若者)右傾化に舵をきった、とされる歴史的名著です。


第二次世界大戦で、たとえば特攻に出たヒトたちが残した文書、遺書があり、「国のために死んできます」と。。

その(あまりに)毅然とした文章に対して「ホンネはもっとぐだぐだだったはずだ!」と突っ込んでいたのが、戦後の庶民の左傾化思想。

まさに特攻というときに、天皇陛下万歳、なんていってないだろう、やっぱり「死にたくない!」だろう、と突っ込みをいれる、「戦争」そのものを知 らない世代。

コワくて仕方がなかったに違いない、未練たらたらだったに違いない、お国のためになんて、軍事国家に洗脳されて言わされていたことじゃないか、 と。


僕が考えるその後の右傾化(ゆりもどし)というのは。。(僕自身の)

左から右へ旋回する、というハナシじゃなく、日本人がもう一段上にのぼったんだと思っています。

つまり。。「お国のために死んできます」という若者が書いた文書に対して「それはホンネじゃない! 軍事国家に洗脳されていたんだ!」と突っ込み を入れていた段階から、「確かにホンネじゃなかったかもしれないけど。。だから何か?」といえるようになってきた、と。

お国のためだろうが、洗脳されていたのだろうが、20かそこらの若者が国家のために殉じることができる、そこまで諦観できるというのは、やっぱり すごいことなのではないか? 我々も見習わなければならないのではないか?

というところまで思想的に、きたと思うのです。

たとえば、戦国時代の若者は、16歳ぐらいでもう元服して戦場に出ていった、と。。

それに対して敬服する思いは、今の僕にはあります。

左傾化したヒトたちは、戦国時代は許容して、第二次世界大戦は許せないのでしょうか? だとしたらそれはなぜか?

それは、アメリカの占領政策が、第二次世界大戦に対する庶民の考えを「封印」(あるいは、「封殺」)してしまったからではないか?

戦後60年もたってやっと、その封印が解かれてきたのではないか? 


若くして「覚悟」をもてることのすばらしさ。いつまでもいつまでも、30になっても、ぐだぐだと人生に対して覚悟ができないこの時代に。。

過去にはなぜ若者はあれほどまでに「覚悟」ができたのだろうか? と考えてみるムーブメントが起こるのはなんら不思議ではないと思います。


そういえば小林よしのりさんは「それにしても当時の若者の達筆さはどうだ」と書いていたのですが、それはさもありなんと思います。

若者が、きれいな字をしたためることができる、というのは、けっこう象徴的だと思われます。

というのは、僕自身、日本人がこれ以上日本語の字を書くのがキタナくなっていったらマズいんじゃないか、という思いがありますし、そう思っている のは僕だけじゃないと思います。

字は心をあらわす、あるいは字は「心の鏡」というのはあながち迷信ではありません。左傾化したヒトたちはおそらく迷信であると言い切れるのでしょ うし、とあるヒトが左傾化しているか右傾化しているかを推し量るよきリトマス試験紙になることでしょう。

2012-02-05

[][]町田宗鳳さん(「こころの時代」) 22:01 町田宗鳳さん(「こころの時代」)を含むブックマーク 町田宗鳳さん(「こころの時代」)のブックマークコメント

法然を語る 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

法然を語る 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

イマジネーション(想像力)というものがどこからくるか、といえば、表面的な意識からこ

ないんです。表面的な意識からくる想像力は、先ほど言った「形式的想像力」ですよね。「チューリップを想像しましょう。子犬を想像しましょう」と、意識で

すから。そうじゃなしに自分の無意識から出てくる想像力、これがもっともパワフルなわけですね。で、その「無意識」というものは、これはフロイドという人

が最初に理論化したものですけれども、普通は非常に恐ろしいものと思われているわけです。人間のいろんな精神疾患は無意識からくる、と。そのように言われ

てきたわけですが、実は無意識を抑圧しなければ、無意識を解放するというか、意識と無意識の風通しをよくすれば非常にポジティブ(positive:積極

的な)でクリエーティブ(creative:創造的・独創的)な力を発揮するもんなんですね。

 

草柳:  「無意識を抑圧しなければ」とは、どういうことですか。

 

町田: 

以前に、「否定的記憶」という言葉を遣いましたけれども、我々は生まれてからこの方いろんなことを体験しています。良いことも悪いことも。特に悪いことというか、悲しい否定的な体験が黒い記憶となってヘドロのように私たちの心の底に溜まっている。

 

草柳:  無意識の底に溜まっているということですか。

 

町田: 

そうですね。言ってみれば、無意識が生ゴミのゴミ箱になるわけですよ。いろんな記憶を押し込めてしまっているから。

 

草柳: 

嫌なものはみんなそこに押し込めているという。

 

町田: 

そうです。意識から離して無意識に放り込んで忘れたいわけです。ところがそこから悪臭が出てくるわけです。その悪臭が私たちの日常の生活を邪魔するわけで

すね。私たちの意識を妨げるわけですね。私たちはみんな幸せで明るくて親切で、愛情豊かに生きたいんですけど、それができない。それは私たちが無意識を抑

圧しているからなんですね。その無意識をもっとも直接的に見つめた宗教家のお一人が親鸞さんじゃないか、と私は思っているんです。親鸞さんに有名なお言葉

がありますよね。「心は蛇蠍(じゃかち)のごとくなり」と。自分の心は蛇とか蠍(さそり)のようなものである、と。表面的にはいろいろ繕っているけれど

も、それはあくまでエゴの繕いであって、心の正体は蛇であり蠍である、というふうに言い切っておられるんですよね。

 

草柳:  それをこんなふうな言い方で言っているんですが、

 

悪性さらにやめがたし、こころは蛇蠍(じゃかち)のごとくなり、修善(しゅぜん)も雑毒(ぞうどく)なるゆへに虚仮(こけ)の行とぞなづけたる。

 

町田: 

そうですね。自分の悪い性格というのは止められない、と。蛇や蠍のようなものである、と。どんなにいいことをしても、エゴという毒が入っているから、それ

はもう見せかけにしか過ぎない、とおっしゃっているわけですよ。ここまで深い自己の内省というか、仏教的にいえば深い懺悔ですよね。それがあったからこ

そ、弥陀の本願に一心にすがる親鸞さん独特の念仏の世界が開けてきた、と思うんですよ。暗いものをご覧になったから、阿弥陀様の明るさが眩しいほど入って

きた。親鸞さんのお言葉には、「光」という言葉がたくさんございますけれども、それはまさに自分の中の蛇と蠍を見つめた人のお言葉じゃないかと思うんです

けども、前回取り上げた法然さんの「一枚起請文」もそういうことなんですよ。自分を本当に見つめて、自分の醜さとか小ささとか、そういうものに気が付いた

もののお念仏、それで私たちは救われていくというのが「一枚起請文」の精神だと思うんです。無意識の方に話を戻しますと、実は近代人だけじゃなくって、昔

の人もそういう心の深い層に気が付いていて、「無意識」という言葉は遣わなかったけれども、「見るなの座敷」という、神話とか民話のモチーフですけどね。

 

草柳:  見てはいけないという意味の「見るな」ですね。

 

町田: 

そうです。見てはいけませんよ、と。「鶴の恩返し」のお話がありますけれども、鶴が恩返しするために、これからこちらの部屋に入るので覗かないでくださ

い、と。鶴は自分の羽根を取って機を織っていくわけですが、世界中の「見るなの座敷」の物語を見ていくと、蛇になっていたり、恐ろしい何か幽霊のように

なっていたり、まあ美しい女性が動物になるというパターンが多いんですけれども、まさにこの見てはいけませんよという、「座敷」というのは人間の無意識の

ことなんですよ。ですから古代からそれに対する気付きはあったわけですが、それが近代になって、ユング心理学では、フロイトが言った無意識が、「個人無意

識」と「普遍無意識」というふうに分けられて、個人レベルでも非常に深い意識があり、さらに個人というレベルを超えて、民族とか国家とか、あるいは人類と

か、そういうレベルの共有する無意識がある、というのが「普遍無意識」という考えなんですけれども、これを見つめるというのは不可能に近いことなんですけ

ども、部分的に無意識と対話をするのが現代の心理療法ですよね。私たち「トラウマがある」とか言いますけれども、まさに「トラウマ」というのは無意識のレ

ベルに入って心の傷のことですよね。それを見つめましょう、というのがサイコセラピー(psychotherapy:心理療法)ですね。それでだんだん自

分の中の無意識と対話をすることによって、私たちは精神のバランスを取り戻すことができるわけですよ。

 

草柳: 

先ほどの親鸞の言葉に関連していえば、そうやって無意識の世界と向き合えば向き合うほど、親鸞の言葉のように、自分を責め苛んでしまう、ということに繋がっていきませんか。でもそれがないとダメなんですか。

 

町田: 

そうです。そのプロセスでは返って心理療法なんか受ければ落ち込みます。プロセスとしては。そこから復活してこなければいかんわけですが、仏教の方でも

「唯識学」というものがありますが、これは仏教の心理学のことです。唯識ではユングが言った「個人無意識」は「末那識(まなしき)」と呼ばれています。こ

れは自我―人間の我の核心にある意識ですね。「末那識(まなしき)」と言います。そしてさらに深い人間のもっとも深刻な迷いというか、無明(むみょう)と

いうか、煩悩ですよね。これを「阿頼耶識(あらやしき)」と呼んでいます。人間の意識を八つに分けるものですから、「阿頼耶識(あらやしき)」は「第八

識」とも呼ばれているんですが、これがあるが故に我々はカルマ(業)から逃れられないし、同じ過ちを繰り返してしまうし、不幸な道を図らずも歩んでしま

う、と。この「阿頼耶識(あらやしき)」があるが故に人間は救われない、と。こういうふうに仏教の唯識では言うわけですが、ただそこには救いがありまし

て、ユングの場合は無意識と意識の統合(インテグレーション:integration)というんですね。その意識と無意識の対話を繰り返すことによって精

神のバランスが回復されて、人格がだんだん円熟してくる、というふうにいうんですけれども、仏教の方では、さっきの非常に厄介な煩悩の泉である「阿頼耶

識」が、あることを契機に「大円鏡智(だいえんきょうち)」に変わるというんですね。「大円鏡智」というのは大きな円い円かな鏡のような智慧という。お悟

りの意識ですよ。もっとも厄介などす黒い否定的記憶が光り輝く悟りの智慧になるというわけですよ。これが唯識の面白いところですね。法然さんの場合は、そ

れをお念仏でやってのけたわけですね。

2012-02-04

[][]岩崎輝明「食事道のすすめ」 22:01 岩崎輝明「食事道のすすめ」を含むブックマーク 岩崎輝明「食事道のすすめ」のブックマークコメント

岩崎輝明「食事道のすすめ」

食事道のすすめ

かつて京都大学の総長をされていた平澤興先生は、子供のころお母さんから人間の一生に食べる分量が決まっていて、食べすぎは早 く食い尽きて早死にを招くことから、腹八分にするようしつけられたと伺ったことがありま す。

第二次大戦終戦の折(略)軍医として戦地に赴き、栄養失調で弱った数千人の軍人を当時流行していたマラリア等から守り、無事に帰還させたのです。 沼田(勇)先生のとられた方法は食後三十分は湯茶を飲む ことを禁じたことです。こうすることで胃液を薄めることなく、マラリア等の菌が食べ物等と一緒に侵入しても、胃液の強 い酸で皆、死滅するという働きを生かし、兵士を無事全員、外地から引き揚げさせたのです。

精神的、肉体的、社会的に病んでいる現代は、七分づきや胚芽米、麦ご飯も姿を消し、大半の人々が白米食となっていて、今また、脚気が流行している と思えてなりません。(略)女性の色白は七難隠すと言われていますが、食べ物の色白、即ち白 米、白パン、白砂糖はビタミン、ミネラル等の欠乏から現代のように健康不安を招きやすく、七難つくると言われるので す。

2012-02-03

[][]祖母のハナシ(死) 22:00 祖母のハナシ(死)を含むブックマーク 祖母のハナシ(死)のブックマークコメント

祖母のハナシ(死)

* [想い出]祖母のハナシ(死)

私の祖母は、数年前に亡くなりましたが、病院に私がかけつけ、顔を見せて15分後ぐらいに息をひきとりました。

早朝に危篤の報を受け、朝の新幹線に飛び乗り、かけつけるまで数時間経過していたのですが、その間は「待っていてくれた」のです。

私の顔を見て安心して息をひきとった、のであれば最高の美談になったのでしょうが、その後15分ぐらい往生できなかったのはおそらく、私の 実姉を待っていたからだと思います。

実姉は、初孫でしたし。ホントにかわいがっていました。(私は2番目の孫)

私と実姉は、一緒にきたにちがいない、と最初は信じていたのだと思います。が、15分ぐらい待ってみて「なんだ、一緒じゃないのか、じゃあ もうムリ」と、世の中からサヨナラしたのでしょう。

姉は通夜にはもちろんかけつけましたが、頑なに死に顔は見ていませんでした。直接聞いてはいないのですが、ホントは急げば死に目にも間に 合ったのではないでしょうか。死に目を見たくなかっただけで。


ところで、祖父の死に目は誰も見ていません。とある日、ふと祖母が早朝に目を覚ますと、となりのふとんで動かなくなっていたそうです。

祖母いわく、なんの予兆もなかった、とのこと。

そういう死に方にあこがれますねえ。。

とある時期を指定して、だいたいその頃死ぬから、と周囲に宣言して、実現させればベストですけども。。

2012-02-02

[]曽野綾子さん「解放された人間」 22:01 曽野綾子さん「解放された人間」を含むブックマーク 曽野綾子さん「解放された人間」のブックマークコメント

本当に解放された人間であるためには富にも貧困にも強くなければいけません。もし大金があったらうまく使いたいですし、貧乏なら貧乏なりに上手に 遣り繰りするのを楽しみたいと思います。それが解放された人間というものだから。

2012-02-01

[]目的と手段のたとえ 22:01 目的と手段のたとえを含むブックマーク 目的と手段のたとえのブックマークコメント

目的と手段のたとえ

*


私は、578円の買い物のときにぱっと1133円出せます。これでお釣りは555円です。受け取る枚数が少なくなり、小銭入れが軽くなりま す。

常に500円、50円、5円玉ゲットを狙っています。

自分は、小銭入れがジャラジャラと重いのがとても不愉快なので、それを回避するという「目的」のために「手段」を磨いてきました。この場合 の手段とは、出す枚数よりも必ず釣銭として受け取る枚数を少なくするということ、そしてそれを徹底するということです。

それはよく飲み会のネタにしていますが、80%ぐらい「それってセコくない?」という反応が返ってきます。15%ぐらいは賛同してくれます が、私ぐらい徹底しているヒトには出会っていません。

確固たる目的の実現のための手段の精査、そしてそれを磨くこと、は何ら悪いことではありません。

事の大小ではありません。小さい事柄でも常に「目的と手段」の関係性と目的の実現について考えていれば、大きな事柄(ビジネスなど)でもす ぐ応用が効きます。

なかば滑稽にすらうつるかもしれない「徹底」を、小馬鹿にするヒトには進歩がありません。

何かを決めたら徹底、連続、継続が肝要です。

2012-01-31

[]アメリカ! 22:01 アメリカ!を含むブックマーク アメリカ!のブックマークコメント

アメリカ!

アメリカこそが世界の、地球のガンなのであります。

「自由と民主主義」という綺麗事を携え、世界を侵食しようとする様は、がん細胞の爆発的な増殖とまったく同じなのです。

これに対して抗がん剤で対抗しようとするほうが間違っているのです。

自然に、治す方法があるはずなのです。

2012-01-30

[]給料に見合う仕事 22:01 給料に見合う仕事を含むブックマーク 給料に見合う仕事のブックマークコメント

給料に見合う仕事

良い仕事(というのは、ほぼイコールで「カネの良い仕事」ということになるのでしょうか)に巡り合うためには自分がその良い仕事にあり つけるだけのレベルに達していなければならない、というのは自明なわけで。。

良い仕事と巡り合うためには運が必要なのはわかるのですが、運というのは誰にでも平等に用意されているわけではありません。

我々がただ漫然と原宿を歩いていても芸能界のスカウトには巡り合いません。(すれ違ってはいるはずですが)

それはアタリマエのことです。

運を引き寄せるためには「準備と努力」が必要。


たとえば年収1千万の仕事にありつきたい、と思うのであれば、その時点でそれにふさわしい実力があればベストですが、そこに至るであろ うポテンシャルを感じさせることができれば、道は開けてきます。

ポテンシャルがあれば、あとは、仕事で磨いてゆけばよいのです。

要は、そのゴールに向かうレールに乗せてもらえるかどうか。


あるいは。

年収1千万の仕事を欲しているにも関わらず、今は年収400万だとします。

その時点で、希望通りの転職を考えるのは無謀というものです。

ではどうするか? といえば、その、今働いているフィールドで、年収1千万の人間のようにふるまってみることです。

いきなりそれが無理であれば、年収に「ふさわしい」仕事ぶりでなく、その現場で、ひとつ上のレベルの仕事をし、その仕事ぶりを周囲に見 せつけることです。

それを継続できれば、年収1千万の「レール」には乗ることができます。

仕事ぶりを他人に見せつけるのも大事です。仕事というのは、誰かに見てもらわなければ縁はできません。

2012-01-29

[][]町田宗鳳さん 04:59 町田宗鳳さんを含むブックマーク 町田宗鳳さんのブックマークコメント

法然を語る 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

法然を語る 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

仏教のみならず世界の宗教にはさまざまな大変意志力のいる禁欲主義的な行があるんですが、それをすること自体は素晴らしいことなんですけれども、 かえってそういう世界に入っていくことによって、エゴが膨らんでしまうというか、自我意識が膨張してしまう。それは心理学で「自我膨張」というん ですが、インフレーション―経済でも「インフレ」という言葉を遣いますが、神学にも「インフレ」という言葉がございまして、それは本当は自分を消 すため、自己を消していくための行なのに、反対に厳しい行をすることによってプライドが出てくる。自慢が出てくるというのは、これはまさに心理学 でいう自我膨張なんですね。ですから、私も長年臨済宗の雲水として道場で坐禅を組んでいた人間ですけれども、本来は行をすればするほど謙虚になら なければいかんのに、反対に俺は特殊な修行をしたんだ、と。普通の人がしないような行をしたんだ、という自慢が出てくる。そこにやはり宗教の恐さ というものがあります。

 

本当は無心になって、自分を消して、神・仏に近づいていかなければいかんのだけれども、反対に自分が大きく出てしまう、と。幻想のエゴが膨らんで しまう、という面があるんですよ。ですから、先ほどの法然さんのお言葉、「いたずら事はする必要はない」というのは、とってもいいメッセージを現 代の我々にも送ってくださっている、と思いますよ。

2012-01-28

[]2点 22:01 2点を含むブックマーク 2点のブックマークコメント

自分を知るものは賢者である。しかし、真に自分を信じうるものは立派な哲人である。真にすぐれし人たらんには、ただ理性のみを崇拝していたのでは だめである。理性はけっして下等な本能にはかなわない。本能に勝つものは、ただ霊性のみである。


熊沢蕃山という人の「憂きことのなおこの上に積もれかし、限りある身の力試さん」といった言葉、だれでも知ってますでしょう。ああいう尊い自覚を もった人には、おそらく一生を通じて、憂きことというものはなかったでしょう。

2012-01-27

[]今年の目標(抱負) 過去の抱負のたな卸し 22:02 今年の目標(抱負) 過去の抱負のたな卸しを含むブックマーク 今年の目標(抱負) 過去の抱負のたな卸しのブックマークコメント

今年の目標(抱負) 過去の抱負のたな卸し

今年の目標(抱負)の一部を書き出しておきます。

・姿勢をよくする

・朝、意識して深呼吸する

・夜寝る前、意識して「今日のふりかえり」をする

・朝夕の太陽をみる

・メガネを外す時間を長く

1/6の日記では以下のように書いています。

・「嗜好品」からの自由

・「カネ」からの自由

・「画面」からの自由

1/5の日記では以下のようにキザに書いています。

「誰よりも自由でいたい 誰よりも個性的に」

これが、コンセプトでしょうか。

1/1

・どうでもいいことを切り捨ててどんどんスリムになっていきましょ う。

・「自分が 自分が」はやめましょう。

2009年は抱負っぽくないですが下記のように書いています。

・都心に生きてすごく幸せ、ということをもっと自覚的にならなければ ならない

・様々な矛盾していると思われる概念たちが、実は両立できるのだとい うことを自分なりに証明してゆく

・このタイヘンな世の中を、すいすいと生き抜く(ように他人にみせか ける)

・人生の途中でへたってしまわないよう、健康に留意する

ちなみに2008年

コンセプト

o 今年は「僕」

o 「だからナニ」

基本方針

o あえて損をとる

o 自身の「2.0化」

カネ関係

o 貯蓄、投資の目標額を設定して、それを実現させる

o 後悔しない支出をする

o 近しい他人のためにカネを使う

o 自身の健康のためにカネを使う

健康関連

o 晩酌の廃止

o 脂っこいものを食べない、おなかいっぱいにならない

o お茶、水なしで食事する

o 土日、それほど食べない

o 「つきあい」飲みの(ほぼ)廃止

2012-01-26

[]過剰な「安かろう悪かろう」 22:01 過剰な「安かろう悪かろう」を含むブックマーク 過剰な「安かろう悪かろう」のブックマークコメント

この文章はけっこう好きなので再々録ぐらいでしょうか

過剰な「安かろう悪かろう」

例の肉屋の問題がトリガとなったのか、安かろう悪かろうという考えがクローズアップされているように思います。

あまり安いものを追うな、安いものは悪いもの、と。


世論が「そっち」寄りになっているのは、とても違和感を感じます。

「豊かな国ですなあ」とイヤミのひとつも言いたくなりますね。

なぜなら、「世の中で売られている商品のほとんどは、不当に高い」という事実が隠蔽されつつあるからです。


とあるメルマガで、「安いなあ」と思ったらそれを疑ったほうがいい、といったようなことが書かれていました。(だから、それに違和感を感じ て、こうやって取り上げているのですが。。)

疑うのは、正しい。でも、疑い方を、間違っているのです。

ムカシから、我々は、不当に高い買い物を市場からさせられてきたのだ、ということを忘れてはならないのですよ。

あの、闇市の時代から。(私は生きてませんが。。)

「安かろう悪かろう」つまり、品質が劣悪なものだから、安く売られている、とは限らないのです。

(そういうこともあるので、完全否定はしません)


ムカシは、そして今も、品質が「ふつう」のものが、不当に高く売られている。

そういう商売をしているヒトたちはほくそえんでいることでしょう。

今現在、「安いものはうかつに買うもんじゃない」という大々的なキャンペーンが張られているから。。

このキャンペーンを仕掛けたのは、いったい誰なんだろう?

ここ10年弱続いているデフレの反動がついにきた、とみればよいのでしょうか。


しつこいようですが、「安くて品質が劣悪」(「安かろう悪かろう」)なものよりも「安くないのに品質はふつう」(質の割には不当に高い)の モノのほうが何万倍もたくさんあるんです。

こういう、キャンペーンを張られているときこそ、そういう、不当に高いモノを監視しないといけません。

相手は、別に品質は「ふつう」のくせに値を吊り上げてくるかもしれませんよ。

そして庶民は、それを一種の高級品だと思い、まんまと高値をつかまされます。


こういうときは逆張りのほうがいい、と確信しています。

かたくなに逆張り(つまり、こういうときこそ安いものを買う)するというよりは、自分の買い物の感覚を信じるということ。

そしてもし可能であれば、値段を比較するということ。独占の状態ではどうしても値はつりあがります。

スーパーで買えるものをコンビニで買わない(正札で買わない)努力をするとか。

それをセコいといいますか?


もうひとつ気になるのは、「食品はやっぱり品質が大事で。。」という「風潮」ですね。

そんなことは、誰もがわかっていることです。これが強調されているということは、何か違和感を感じなければなりません。

確かに、プロフェッショナリズムが一部崩壊している、というのはあるでしょう。「どうせバレないだろう」と賞味期限切れの生クリームを使う とか、そういうところで「モラル」が崩壊しているのは否めません。

でもそれと同じように、品質改善の努力はいたるところで繰り広げられてきたのです。


ハナシはちょっとそれますが、戦後は、ヒロ ポン <http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D2%A5%ED%A5%DD%A5%F3>を皆で回し打ちしても法的に咎められなかったり、問答無用でDDTを身体にかけられたり、絨毯爆撃で空から農薬をまかれたり (民家を避けることなく)したんですよ。

私は戦後は知りませんが、私が駄菓子屋で食べたお菓子たちは添加物バリバリでした。缶コーヒーも缶紅茶もむちゃくちゃ甘かった。ポテトチッ プは健康のことなどこれっぽっちも考えていなかった。

ドブ川は皆が洗剤を流すのでキタナく、クサかった。

農薬についてはホントに「爆撃」されたんです。「空襲警報」が鳴るんですよ。「今から農薬をまきます、避難してください」と。でもコドモた ち は外で遊ぶのが楽しいから、避難しない。そうすると、空から霧雨みたいのが降ってくるんです。顔を上げると、何か「苦い」モノが口に入ってく る。。


それでも、私は今でもある程度頑丈ですし、食べ物の品質について過保護に守られている今の若い世代のほうが、なぜか身体が弱いといわれてい ます。

それは、なぜですか? ということを考えてほしい。


結局何が言いたいのかというと、いつもと似たような結論ですが、「身の程を知り、身の丈にあった生活をする」ということ。

アナタは本当に、大枚をはたいて有機野菜を宅配で購入するほどの「豊かな生活」を送る資格があるのでしょうか?

結局、今も「庶民」というのは、スーパーで夕方、生鮮食料品が安くなる頃を狙って買いに行く、ぐらいが「身の丈にあった生活」なのではない ですか。

エコロジーに関心を持ち、自分の口に入る食品に過剰に気をつかって、それにかまけているうちに、あなたの部屋は汚れていませんか?

アナタは「庶民」ですか、否ですか?

アナタは何をすれば「豊かな生活」を送っているという実感が持てますか?


たぶん、そういうことです。

2012-01-25

[]メイドを雇う必要があるか? 06:40 メイドを雇う必要があるか?を含むブックマーク メイドを雇う必要があるか?のブックマークコメント

メイドを雇う必要があるか?

欧米発の、ビジネス指南書(たとえば、「成功の法則!」といった類 の)を読むと、自分の時間を確保するためにメイドを雇い、身の回りのことはやってもらうべし、といったことが書かれています。

僕は日本人なので若干反発があります。ですが、この風潮に賛同する日 本人は増えてきているようです。

メイドを雇う、という考え方には欧米人の、有色人種に対する差別意識 が根強く残っています。だから僕はキライなのですが。。

賛同する日本人が増えてきた、ということは。。僕らは誰を差別し、誰 をメイドとして雇うべきなのでしょうか。

僕は、自分の身の回りのことぐらいは自分でやりたいと思います。自分 のことは 自分でやらないと、人間としてのレベルが下がってゆくような気がします。カネが手に入ったらカネを払って身の回りのことをやらす、という のは、せっかくそ の、カネを手に入れるまでに研鑽を積んでレベルを高めてきているのに、またそのレベルを落としてしまうような気がしてなりません。

たとえば欧米には、トイレ掃除をすると金運がつく、といったような格 言はないのでしょう。

そういう格言は日本(あるいはアジア)の神秘として、合理主義者に対抗する手段 としてとっておきたいものですね。

2012-01-24

愛情 22:01 愛情を含むブックマーク 愛情のブックマークコメント

子供が大人になるにあたっての幸福度の尺度は、ただただ「親の愛情をどれだけ受けて育ったか」に尽きます。

で、金銭的、物質的豊かさは「かんけーない」と豪語したいところなのですが。。そうもいかず。

カネがないと生活がすさんでしまい、親は子に愛情をかけられないのです。

子供が幸せに育つかどうかはただただ、親の心がけ次第である、ともいえるわけです。

「清貧」はかなり難しい。清貧というのは、おそらく、「生活必需品と最低限の食料は確実に確保できるだけの収入がある」という保証がないと実現で きないライフスタイルなのではないでしょうか。

米すらまともに買えないとか、せっけんすら欠けることがあるとか、そんな家庭というのは今の日本ではちょっと。。そういう家庭というのは実は今の 日本で、増えているらしいのですが、それは親の収入というよりは親自身に問題があるということですよね。

米すらまともに「買わない」、せっけんすら「買わない」(面倒くさいから)、と。。


さて、

子供が大人になるにあたって、金銭的、物質的豊かさは、直接的には子供を「不幸」にします。

これをわかっていない親世代は多いですよね。。

ありていにいえば我慢ができない子供に育つ可能性を高める、ということですよね。

親が愛情をかけるというのはたくさんのモノを買い与えるということではありません。ですが、一切贅沢品を買い与えない!ということでもありませ ん。そのへんの「頃合い」というのは時代とともに変わるのでしょうね。。僕ももちろん、自身の子育てにおいて暗中模索のままです。

2012-01-23

勉強したほうが 22:01 勉強したほうがを含むブックマーク 勉強したほうがのブックマークコメント

オトナになってからは、たとえば年をとった後自分を振り返ったとき に、

「いや〜ムカシは遊んだよな〜」じゃなくて、

「いや〜オトナになってからホント勉強したよな〜」のほうがカッコい いような気がしてるんですよね。

まず、前者は、「(自分は)遊んだよな〜」って自己申告している人 99%はぜんぜん遊んでないですからね。。

そういう過去にしたいだけです。(「自分履歴書の捏造」)

(一般)サラリーマンの「遊び」などたかがしれています。なぜならそもそも、遊ぶほどのカネを持っていないのだから。


ハンパに遊んでも何も残りませんが勉強したら教養(とそれに付随するもろもろ)が残りますよ。それは間違いないです。

さらに、ハンパに遊ぶよりも「成功」がついてくる可能性が高いので は?と思いますが。


サラリーマンの世界では、一般的な考え方における「ハンパに遊ぶ」が「遊ぶ」なんですよねえ。

2012-01-22

[]町田宗鳳さん 05:34 町田宗鳳さんを含むブックマーク 町田宗鳳さんのブックマークコメント

法然を語る 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

法然を語る 上 (NHKシリーズ NHKこころの時代)

時代はちょっと違うんですけども、法然さんは十三世紀の人で、織田信長は十六世紀の方ですけれども、やはり二人に共通するものは合理主義という か、迷信を信じないというか、そして個人の実力で物事の決着を付けていく、という生きる姿勢が非常に似ているように思うんですよ。私は自分の本の 中に『野生の哲学』というのがあるんですが、そこで、「日本の近代を最初に開いたのは信長である」というようなことを書いたことがあるんですが、 それは中世というのはヨーロッパでも日本でもそうなんですけれども、宗教的な権威が圧倒的な力を持っている。その背景には神への畏れというものが あるんですけれども、ヨーロッパなら教会、日本なら南都北嶺の大寺院、こういうものはちょっと挑戦不可能なぐらい大きな政治力と経済力を持ってい る。そして人心を信仰のほうから牛耳っていく、というようなところがあるんですよ。中世というのは、「中世の蒙昧」という言葉がありますけれど も、宗教が圧倒的な力を持っている時代ですけれども、信長というのは無神論者とは言えませんけれども、かなり反宗教的な考えを持っていたわけ? $G$9 からね。例えば安土城を造る時に、京

都の石仏を石垣に使ったと言われている。実際に使ったわけですけれども、全然神・仏を畏れないという面があり ましたね。ちょっと極端な面があるんですけれども、信長というような強いリーダーシップを持った合理主義者が出てくることによって、やっと日本と いうのは中世にピリオドを打つことができた。それから近世が始まって明治までいって欧米の列強と競うことになるわけですけれども、あれが少しでも 遅れていたら、日本というのは欧米、先進国の植民地になっていた可能性もある、と、私は考えているんです。ですから法然さんは「思想の革命家」と したら、信長は「政治の革命家」、日本の政治のあり方を根本的に変えてしまった。そういう意味で時間的な誤差はあるわけですけれども、私は法然さ んと織田信長というのは何か一脈通じるものを持っている。しかも二人ともあまり都の中心的なところから出てきた人じゃなしに、法然さんは岡山の山 深い里から出て来られた武士の出身である。信長の方も尾張の、どちらかといえば弱小の小さな大名のお家から出てきた。そういうところでも似通って いまして、やはり時臓

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いる人は、何かそういう生まれた境遇というものが大きく影響しているんじゃな いかなと、私は考えています。どちらも一種の危機的状況ですね。一つ間違ったら自分の家が潰されるかも知れない。周りにいっぱい力を持つ敵がいる わけですから、常に危機的な状況の中で生まれ育った。そういう危機感が彼らの新しいメンタリティ(精神性)を育てたんじゃないかな、と、私は考え ています。

2012-01-21

[]抱負(2008) 04:20 抱負(2008)を含むブックマーク 抱負(2008)のブックマークコメント

抱 負(2008)

自分の健康のためにカネをかける

今年はカネ関係の抱負をたくさん書き出していますが。。

(今まで(対外的に)具体化することを怠ってきたので)

要は、他己実現ということです。近しい他人のためにカネを使うという のは。

そして、その次の優先順位は自分の健康。そのための投資はケチらな い。

それは、自分が「健康」と考えるものであればなんでもよいのです。

具体的な、病院で検査するでもよいし、ジムで身体を鍛えるでもよい。 ヘルシーな食事に傾倒する、でも。

自分が「心身ともに健康」であると実感できるための作業であれば。

なぜ自分の健康がその次の順位にくるか、というと、自分が健康でなけ れば他己実現も何もないわけですから。

特にここ数年は、自身の「精神的健康」は完全に犠牲にして仕事をせざ るを得なかったわけです。

そして、精神的不健康は身体を蝕んでいきます。それは自身で実証済な のです。

抱負としてはこれでいいけれど、も少し具体的に何をするか、考えなけ ればなりません。

2012-01-20

[]山田博士さん 22:01 山田博士さんを含むブックマーク 山田博士さんのブックマークコメント

ぼくたちの習った歴史は、「勝者の歴史」だったことを、皆さん、ご存 じでしょうか。

けっして真実とは言えない部分が多くあるんですね。

これは、古今東西を問わず、外国でもみなそうですから、歴史を見ると きは、その情報が誰が書いたものかどうか、いつも頭に入れておく必要があるのかもしれません。

とくに江戸時代に築きあげた先人たちの素晴らしさが、明治に入って、 ことごとく壊(こわ)されてしまった事実。

それらを知るにつけ、ぼくは愕然(がくぜん)としています。

いつもお話ししているように、日本人本来の伝統料理が消えてしまい、 パン食、肉食、乳食が広がったのも事実なんですが、そればかりじゃないんですね。

日本人が生きる知恵など、いつの世にも通用する素敵な財産すべてが破 壊されました。

江戸に乗り込んで来た官軍が、先祖たちが血と汗で築き上げて来た素晴 らしい慣習や技術を根こそぎ破壊してしまったんですね。

いや、慣習や食べものなどだけじゃなく、江戸の人たちの言葉やしぐさ までも、すべて潰(つぶ)してしまいました。

そのための弾圧も、凄(すさ)まじかったと言います。

それまで住んでいた江戸っ子たちは、難を逃れるため、大挙して地方へ 逃げたのですが、そのような「隠れ江戸っ子」さえも、官軍た

ちは全国各地を執拗に探し歩いて、すさまじい弾圧を加えていたようですね。

昭和の始めごろまでは、そのような記憶を持っている古老がかなり各地 におられたようです。

でも、そのような事実も、時とともに、失(う)せてしまいました。

これらのことは、ぼくたちが学校教育で習った歴史教科書にはただの1 行も載ってはおりません。

2012-01-19

[]あわせ技による幸せ 22:01 あわせ技による幸せを含むブックマーク あわせ技による幸せのブックマークコメント

あわせ技による幸せ

幸せを呼び込むのは「あわせ技」です。(というフレーズを思いついたので、メモっています)

たとえば玄関をきれいにしておけば福を呼び込むことができる、といわれますが、確かに、家に福は入ってくるかもしれませんが、その家でグチばっか りいっている人間には近づかない。「福」を家に呼び込んだところで、その福を与える対象がいないとわかったら「福」は出ていってしまうでしょう?

で、「玄関をきれいにしても福がこないじゃないか!」と一人で勝手に怒って、その習慣をやめてしまう。。

そもそも福を呼び込むために玄関の掃除をしていた、というのが判明した時点でアヤしいですけども。。(そんなヒトに福はこないのがふつうでしょ う)

幸せというのは「あわせ技」つまり連関だということをわかっていないというのも致命的ですし、せっかくやっていた善行を、幸せがこないからという 理由でやめてしまうのが追い討ちをかけてダメですね。

そのひとつを続けていさえすれば、後日別な善行とのあわせ技で幸せがやってくるかもしれないのです。

でも、玄関を掃除する、とか、そういうことは、幸せを呼び込むとかそういうヨコシマな目的のためにやるものではないですよね。それは自然に継続す る「課」であって、それにより幸せになろうがなるまいが続けなければならないことです。

ですが、いいじゃないですか。それによりまず、玄関がきれいになるという「結果」が、すぐついてくるのですから。。

2012-01-18

[]仕事、という存在に対してもっと謙虚に 22:01 仕事、という存在に対してもっと謙虚にを含むブックマーク 仕事、という存在に対してもっと謙虚にのブックマークコメント

仕事、という存在に対してもっと謙 虚に

僕らは「仕事」に対してもっと謙虚にならなければいけない、と思いました。

「敬意を持つ」でもよいです。

仕事、というのは「会社」ではありません。

高度経済成長を経て、「仕事人間」が悪のレッテルを貼られてしまいましたので、これを取り戻してゆかなければなりません。

日本が停滞してしまったのは、「仕事人間」が減ったからです。


レッテルを貼られるべきは「会社人間」なのですね。

僕の偏見では「会社人間」は仕事に対して謙虚ではない。すくなくとも、仕事は所与のものと思っています。「会社」という存在にとりい り、口を開けてまっていれば仕事は与えられた。

そしてその「仕事」に対して全力で取り組むことをしない。なぜならば、逆に全力で取り組むと出世が妨げられたり、数十年「勤め上げる」 というスパンだと日々全力で仕事に取り組むと、途中で息切れしてしまう、と考えられていたりしたからです。


会社人間の方々に、実は非はあまりないのかもしれません。なぜならば彼らは自分たちが「仕事人間」であるとまったく疑っていないからで す。

「会社」に対して仕事するか、「仕事の神」(? てきとうに書いてみました)に対して仕事するか、の違いでしょうか。。


この日記では何度も「天職」論を書いていると思います。

ヒトは、天職を得たと感じたのであればその仕事に邁進すべきである、と。少なくとも年に350日ぐらいは働くべきだと思います。

それは、とても幸せな状態です。これこそが「仕事人間」です。

「天職」というのは会社組織を媒介にすることもありますしそうでないこともあります。

そして、「天職」を与えられない(僕含む)99%以上の凡人はいっそのこと定時であがりましょう、と。

天職を与えられないのに、だらだらと会社に居残りつづけ、精神的にも会社にカンゼンに依存してしまうのが「会社人間」です。

ですから僕は住宅ローンというものに懐疑的です。(仕事人間になれないヒトが)ローンを組むというのは会社にカンゼンに依存してしまっ ている証左ではないかと思うからです。

2012-01-17

[]飯村匡博さん 22:01 飯村匡博さんを含むブックマーク 飯村匡博さんのブックマークコメント

成功者達を見ていると、一つの共通点があります。

それは、行動力が半端ない、ということです。

あれこれ考えても、結局行動しない、なんて言う人は、いつまで経っても絶対に成功できないのです。

で、成功する人は、どんどん行動していくわけですが、ほとんどの人が最初からうまくいきません。

しかし、それでも目標に向かって行動し続けることによって、

・たまたま良い人に巡り合えたり

・たまたま良いアイテムが手に入ったり

・たまたま制度が変わったり

・たまたま状況がよくなる出来事がおこったり

するのです。

驚くべきことにこれには、例外がないようです。

そういった人たちの話を聴いていると、皆、あるピンチを向かえています。

そして、その時にあきらめずに行動することにより、ギリギリのところでラッキーなことが起きて、それを切り抜けるというパターンが非常に多いのです。

つまり、行動することにより、質量が増えるので、引力が増し、自分にとって必要なモノを引きつけることができるようになるのです。

夢を叶えることに必要なことは、

いや、ちょっと言い方を変えますと、夢を引き寄せるために必要なことは、行動し続けることです。

成功するための知識を学ぶことは、本当に大切ですが、どれだけ成功のノウハウを吸収しても行動しなければ、夢を引き寄せることができない、という事ですね。

学習の目的は知識を積み上げるためではなく、それを行動に生かすためにするもの。

本を読んだり、セミナーに行くだけで、実際に、夢の実現のための行動をしなければ、夢を引き寄せる引力が小さくなってしまいます。

これは、物理的な話です。

実際に、一歩を踏み出すには勇気がいるかもしれません。

だけど、安心して下さい。

目的に向かって、試行錯誤して行動していると、あなたの夢の実現に必要なものは、必要な時に引き寄せられるのです。

現代最高の天才と言われる、アインシュタインもそう言っているのですから・・・

2012-01-16

[]生き延びた。。(感無量) 22:01 生き延びた。。(感無量)を含むブックマーク 生き延びた。。(感無量)のブックマークコメント

生き延びた。。(感無量)

僕はジョン・レノンと同じ誕生日で、不惑を迎えました。

そして、無事(?)12/8を「通過」しました。

ジョン・レノンは、1940年生まれで1980年12月8日、40歳 と2ヶ月で射殺されました。

僕は、(あたりまえですが)40歳2ヶ月で射殺されませんでしたし、 あと30年ぐらいは生きるのではないかとたかをくくっています。

それにしても、僕とジョン・レノンの人生の差、深みの差は、なんなの だろう。。

僕は僕なりに、一生懸命生きているつもりなのですが。。

他人や周りに対し「自分は大器晩成型」と吹聴しているのもありますし、これから でしょう!(超・楽観的ですね)

2012-01-15

才能論(6) 22:01 才能論(6)を含むブックマーク 才能論(6)のブックマークコメント

(たぶん)最終回。。?

以前、こういうことを書いたのです。

「ものすごく上手な子」の場合

「努力期間*努力の質」だけでなく

「努力期間*努力の質*天賦の才能」なのではないの?

と考える人が多い。(後述します)


「後述」してませんでした(笑

脱線しないように結論を先に書くと「天賦の才能」は「潜在意識の中にある(のでしょう)」ということです。

一般論でいえば潜在意識というのは全人類つながっているところがある(らしい)、ということであれば「天賦の才能」は全員にあるということがいえ るでしょう。(あえて、ちょっとまわりくどい言い方をしました)

人間の行動というのが潜在意識に非常にコントロールされやすいのであれば、

努力期間*努力の質

を越えたもっと別なもの(潜在意識?)にコントロールされていることは自明です。

その「別なもの」を「(天賦の)才能」と言い換えているだけなのだと思います。

でも、イメージですが「天」という存在が、あいつにはサッカーの才を与えよう、あいつにはスケートを、とか、そういう考え方は200%間違ってい ます。「天」というのは70億人だかの人間の一人ひとりのことを考えてはいられないはずです。

ですので、最後にここで「潜在能力」という言葉を使ってみたいと思います。

潜在能力というのは「意識下」にあります。(あると思います)すなわち、全人類共通の潜在「意識」よりも「上」のところでかつ「意識」の下です。

人間というのはおそらくそこにいろいろな「もの」をプールしておけるのでしょうね。ただ、最初から意識の下にあるので、「意識下」と潜在意識の間 の交流をコントロールすることはできません。

わかりやすいたとえを出します。

かたや、旦那さんが元Jリーガー、奥さんもスポーツ万能。かたや、旦那さんはスポーツは大好きだが実力はそんなでもない。奥さんもふつう。この2 家族から、同じ時期に男の子が生まれました、と。

前者は、おそらく自然に、よちよち歩きの頃からサッカーボールで遊ばせると思います。そして後者も、旦那さんがスカパーでサッカーを見るのが大好 きで、子供をJリーガーにさせたい!ゆくゆくは日本代表へ!という思いが非常に強い場合、前者と同じようによちよち歩きの頃からサッカーボールで 遊ばせたとすると。。

もちろん、ただ遊ばせるわけじゃなくて親もどんどん介入してサッカーを好きにさせようとします。前者はあくまで自然に、後者はだいぶ鼻息荒く。。

さて、小学校1年のときにふたりは同じクラブで出会いました。どちらが上手なのでしょう?

という問い自体が愚問であって、一概に答えが出るはずもなく、どちらが上手かというのはケースバイケースなのです。あるいは言い方を変えれば、さ まざまな環境要素に影響されます。

前者の子が後者の子よりも飛び抜けてうまい場合も、真逆の場合も、同じぐらい上手な場合も、ありえます。どちらかがきわめて上手になっている場 合、何が違ったのでしょうか?

ひとつ重要なポイントは、「何かが違ったのは間違いない」ということです。何か、片方の子が突出してうまくなってしまった理由は、あったはずなの です。

もうひとつは、そのふたりの「潜在能力」にほぼ差はないということです。潜在能力というのは可変であって、Jリーガーの子供だからといってサッ カーの潜在能力がきわめて高いとは限りません。もちろん、平均以上ではあるのでしょうが。。

ふつうの親が、子供のモチベーションをコントロールすることにより、その子の潜在能力をJリーガーの息子並にアゲてゆくことは、可能なのです。

とある時点で、意識上で他人からみえるふたりの「実力」に差があるのだとすると。。先ほども書いたように、その子の人生の数年間のうちにいくつか トリガとなるできごとがあり、潜在能力の一部が上(意識上)にひゅっと上がってきたといことです。

ですので、その時点で意識上の「実力」に差があったとしても、後塵を拝している子も何かのトリガで自分の潜在能力を意識上に「ひゅっと」もってく ることができれば、すぐ追いつきますし、追い越せます。

ただし潜在能力を子供が自分でコントロールすることはできません。ふつうの親もできません。コーチならばできるかもしれません。

潜在能力をコントロールすることは、おそらくスポーツ界ではかなりマニュアル化が進められているのでしょうが、素人の僕がいうのもなんですがそれ をマニュアル化することは不可能に近いでしょう。

たとえばスポーツのマニュアル本や、子供の才能を伸ばすためには、というHowTo本がありますがあれで日本の子供の潜在能力がすべて開放される のであれば。。日本はもっと変わるでしょうけども、HowTo本では何も変わらない。


ただし、ひとついえることは。。

さきほど挙げた例のふたりというのは、小学校1年生のレベルではかなり「うまいほう」に違いありません。

この玉虫色の結論は、実はかなり重要です。

2012-01-14

才能論(5) 22:01 才能論(5)を含むブックマーク 才能論(5)のブックマークコメント

さて、思ったより長くなってまいりましたが。。

「物心ついてから」は「才能」の関与するところは皆無になるといってよいでしょう。

すべてはほぼ定量的に説明できそうです。すなわち

それに携わった時間*携わった質(たとえば良質なコーチにつくとか)*「楽しさ」

です。子供の場合「楽しさ」というのはとても大事で、どれだけ長い時間トレーニングしても、良質なコーチに高いお金を払ってレッスンしてもらった としても、その時間が楽しいと思っていなければ「無」に等しいという。。

もちろん、「質」も大事です。どれだけ長い時間トレーニングしたとしても、たとえばそれが独りよがりの自己流であった場合、その方法論が間違って いたらまったく伸びていないということになりかねません。

そして、どれだけ親がフォローしてあげられるか、というのも「質」を上げてゆく要素になります。

でも、同じぐらい大事なのは、やはり「それに携わった時間」なのですね。「時間」をいかに確保するか。いかにゲームやテレビから子供を守ってあげ られるか。

時間は皆に平等に与えられているので、言い訳はききません。子供をジーニアスレベルに近いところまで持っていきたいのであれば、結果を出している 子供は、100%はかなりな時間をそれに割いているのは事実です。

(結局みんな大事!)

2012-01-13

才能論(4) 22:01 才能論(4)を含むブックマーク 才能論(4)のブックマークコメント

「才能論」も長くなってきたのでちょっと脱線してみますが。。

子供らの「体格」っていうのも実はほとんど後天的ですよね。(すべてが、とはいいません)

親が意識していないのかもしれませんが、「体格が良い」子供の場合は親がその子を体格を良くするために「エリート教育」を施しているわけです。。 まぁ具体的にいえばカロリーの高いものを継続的に食べさせたりとか。

親が、子供の時分からカロリーの高いものを食べていれば自然と、子供にもそういうものを食べさせますので、意識的ではないことが多い。意識してい ないところに関して「遺伝」と決め付けることが多いのですがそれが間違っているのです。

体格に関しては先天的なもの(遺伝子?)があることは否定しませんがほぼ後天的なのではないでしょうか。

たとえば親がアトピーや喘息のけがあって子供もそうなった場合に、親はすぐに「悪いところが遺伝して。。」と考えますがそれは果たしてそうでしょ うか? 親が、子供の時分から続けている生活習慣に欠陥があってそれが理由でアトピーや喘息になったのだとしたら。。まず、親自身がそれを認めた がりませんが、親が「欠陥」を意識していないのですから子供も同じ生活習慣になるわけで、そのまま子供が親と同じ症状を発症する可能性は、きわめ て高まるわけです。

親がなんでもかんでも「遺伝」と考えてしまって自分の生活習慣を見なおさないこと自体が間違っているのです。親がそうであれば子供もそうなりま す。親の代でそれを断ち切らなければならないと思います。


さて。。(本題に戻る)

前回まで、たとえばよちよち歩きの時点からスポーツなりを始めさせて、スタートラインを早めておく話を書いてきましたが。。そこに「才能」の話を 絡めるとすれば、その子の性格的肉体的特性にぴったりあったスポーツなりを、親が与えてあげるかどうかは、「運」です。

「運」と才能というのはきわめて類似した概念だと思います。

ほとんどの親は、それを「押し付ける」わけで、また、自分の子供とはいえ子供は一個の独立した存在なのですから、それぞれに「性格」を持っていま す。たとえば元Jリーガーが子供に1歳からサッカーをさせる、のはとても自然ですが、その子が奥さんの気質を引き継いでとても優しい子であった ら、サッカーのテクニックは上達するかもしれませんが小学校に上がってから果たして伸びるでしょうか? ガツガツと削り合ったりするゲーム形式を 続けていったら、途中でイヤになるのではないでしょうか。

この例でいえば、たとえば元Jリーガーと、音楽的才能を持つ方が結婚したとして男の子が生まれた場合親はサッカーをさせようと思うのは自然なのか もしれませんが、もしかしたら母親がリードしてその子に楽器をやらせたほうが大成するかもしれませんよね。そこが、「運」に左右されるところなの です。そして、それが「才能」でもあるのです。(まったく子供自身が意識していないところ)

2012-01-12

[]抱負(シリーズ化?) 22:01 抱負(シリーズ化?)を含むブックマーク 抱負(シリーズ化?)のブックマークコメント

抱負(シリーズ化?)


結局。。「画面」から自由になることです。

テレビ、パソコン、ケータイ、などなど。。

僕が、何を見ようと僕の勝手であって「画面」に指図されたくはないの です。

自由といえば。。

「誰よりも自由に 誰よりも個性的に」とぶちあげてしまったからに は。。

この時代、「画面」から自由になることができれば相当自由人であり、 個性的だとは思います。

・「嗜好品」からの自由

・「カネ」からの自由

・「画面」からの自由

この3つでしょうかね、当面の抱負は。