元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

強い意志と、抜け道

本来の日記部分

  • 体調

昨日はだるさと頭痛で、このままお亡くなりになるのではないかと思ってしまいました。。(ホントに)
日中寝込んで、1日で復活。風邪を治すのもそうですが、このメリハリが大事なのでしょう。

これは単なる睡眠不足か? とも考えたのですが、このけダルさはちょっと違うのではないか、と。
で、ふと思い出したのですが、昨日、仕事帰りにコンビニで、久々にビールを買ってきたのです。もう深夜になろうかというときでした。で、何ヶ月かぶりに晩酌したのでした。(ビール500ml)
そしたら次の日こういう状況に。。 着々とお酒が飲めなくなってきているのはよいことですが、もし、ちょっと晩酌しただけで次の日こんなふうになってしまうのだとすれば、気をつけないといけないですね。

こうありたいまたは反面教師

  • 【重要】強い意志と、抜け道

まず、思いを継続する強い意志を持てるようになるまでに数年、いや、潜伏期間を含めれば10年ぐらいはかかっているわけです。その「意志力」がオッケーだ、と自身で思うことができたら(その瞬間は、あるとき突然やってきます)あとはもう、強い意志をもって「何をするか」を決めるだけですから、実現は容易になってきます。
不思議なものでその段階(ステージ)においては、自分の力量から外れたとんでもない「夢」のようなものは「何をするか」のターゲットからは外れています。そしてその意志の力には「弁」のような抜け道、つまり、ガス抜きの機能も組み込んでおくべきなんですね。それも自分がここ数年で学んだことです。
タバコだったら完全にはやめずに飲み会のときだけ付き合いで吸う。たまに吸うとタバコもおいしいものです。(なにせ「嗜好品」なのですから)
ですが、そこに強い意志がなければまた常習に戻っていってしまいます。嗜好品とは「闘う」期間が必要で、その期間を経た後に有効な関係を築いておかないと、相手は相当にツヨいので、ヤラれてしまいます。
(嗜好品もテレビも、似ていますね)
早起きもそうですね。でも、早起きにも「弁」は必要で、寝坊したときに自分を責めても仕方がないので、たとえば土日は、普段より30分遅くおきるとか(今はやっていませんが)、冬は寒いから15分遅らすとか(布団から出られない!)。。
日記も、365日連続を自らに課さないで、「年間350日ぐらいつけれれば恩の字でしょ」ぐらいな気持ちで、やっています。

この思想は、「ほぼ日刊イトイ新聞」の「ほぼ」思想に影響されているかもしれないですね。

再録

教養主義宣言
作者: 山形浩生
出版社/メーカー: 晶文社
発売日: 1999/12
メディア: 単行本(ソフトカバー)

(略)
子供からテレビを引き離さなければならない、というのは同意です。そして、言語化された情報の垂れ流し、という点ではインターネットも同じ、というのもわかります。でも、まだパソコンのほうがましだと考えます。情報を「取りにゆく」という点では。

言語化されない情報、イメージを感じ取り、咀嚼する能力は「外」での体験による、というもわかります。ですが、以前から書いているように自分は田舎出身なので自然は嫌いなのです。

「外」というのはコンクリートジャングルの中の「ストリート」でもいいのではないかと考えます。確かに、「ストリート」においてはネオンサインなど、「言語化された情報」が飛び込んでくることになりますが。。

21世紀を生きる子供たちには「人工的な自然」がお似合いであり、そこから差別化してゆくために、自然のないところで「感覚」のようなものを研ぎ澄ますのも大事なのではないか、ということです。

以前にも書いたように、自然の中で子供が育てば素直で、おおらかで、良い子に育つわけはないのです。
(略)
そういう素養があれば田舎だろうが都会だろうがそのように育ちますし、素養がなければ育ちません。不釣合いな自然の中で育つことによって21世紀の「現代」に適応できなくなってしまったらどうするのでしょうか。まあそれも個性といえなくもないですが。。

自然自然といっても結局は「ふもとに降りる」という最終目的のために子供を自然で育てようとするわけで、しばらく前に流行ったアウトドアライフの間違った精神と何ら変わりはありません。