徴用船とかじいさんのこととか

僕のじいさんは戦争で死んだため一度もあったことがない。
ばあさんは、じいさんは戦艦大和にのって、日本のために戦って死んだ。と、
小さい僕に何回か説明してくれた。


そのばあさんも、もうこの世にはいないし、
うちの父はじいさんの話はしたがらない。
誰かが、じいさんの話を父にしようとすると、
機嫌を悪くしその場から去ってしまう。


ばあさんの葬式の時に、親戚や叔母に、じいさんの事をきいてみた。
結論から言えば、僕のじいさんは戦艦大和にのっていなかった。
それに、死んだときは兵隊でさえなかった。
一度兵隊にはなったらしいが、足を悪くして帰ってきたらしい。


その後、じいさんの実家の船が、南方への輸送船として徴用されることとなり、
その船に次男のじいさんが乗ることになった。
実家とどのような約束があったのかはわからないが、
国としては徴用した船を動かす人間が必要で、
実家としては徴用された船を管理する身内が必要だったんだろう。


結果、撃沈されて亡くなったらしい。たぶん。
船が沈んだという記録はあるらしい。
人が救助された・死んだという記録はない。
戦争中の輸送船の死亡者なんて誰も気にかけないのかもしれない。


徴用された船は、49トンの漁船だったらしい。
49トンというと、かなり小さい。
たまに芸能人が、TVで船に乗って釣りをしてるけど、あれくらいか、その想像よりも一回り小さいくらい。


最終的にその小さな漁船で、島伝いに南下し、ニューギニアまでいったらしい。
ただ、じいさんがいつまで生きていたか、今もどこかで生きているのかはわからない。


同じような境遇の方の本を読んだが、
戦時中、輸送船に護衛船はほぼつかなかったそうだ。
また、兵隊と違って徴用船に乗ったただの民間人なので、武器は持たない。
上陸して戦闘に巻き込まれたらただの足手まといにしかならなかったらしい。


ばあさんの死後、徴用後に、じいさんからばあさんに宛てた手紙が見つかった。
九州の佐世保から出された2通の手紙だった。
父はまだこの手紙を読めていない。


僕が小さいころにばあさんが、
じいさんが船にのっていくことを何度も止めたと涙ながらに語ってたことがある。
今思えば、戦艦大和じゃなくて徴用船の話だった。


じいさんが亡くなったとき、父はばあさんのおなかの中にいた。
今回の手紙に、ばあさんの体を気遣った記述があり、それはおそらく、
父がおなかにいることをしっていたことを意味していると思う。
父はまだこの事を知らない。たぶん。
何せばあさんは戦艦大和のような嘘をつく人だったから、
ばあさんから聞いた話でも100%は信じていないだろう。

いつか父が自分であの手紙を読んだ時に、
やっと信じられるんじゃないだろうか。




なんてことを考えてたことが最近あったんだけど、
本当かどうかわからない毎日新聞の記事で、
「民間船:有事の隊員輸送 船員を予備自衛官として戦地に」という記事があったので思い出した。
今度やるなら、いろいろちゃんとしろよな。
輸送船団に護衛艦つけろよ。
それと、勝てよ
あと、なんかいろいろごめん

美輪明宏と仮面ライダー

最近、息子と一緒に仮面ライダー鎧武というものを見ることがある。
たくさん仮面ライダーが出てくるんだけど、
仮面ライダー ブラーボ」というドリアンをモチーフにしたライダーがかなり異色だった。
おねえキャラでごつくて、なんかコメディリリーフ的なキャラクターでもあるんだけど、
恰好などが少し若いころの美輪さんににてる。(おねえキャラだからかもしれないけど)

そしてしゃべり方は普段の美輪さんというより、メケメケを唄ってる美輪さんに似てる。

仮面ライダー ブラーボ -> ブラーボ -> シャンソン -> メケメケ -> 美輪明宏

美輪さん似のおねえだから、「仮面ライダー ブラーボ」という名前なのか、
仮面ライダー ブラーボ」という名前だから美輪さん似のおねえのキャラクラーを作ったのか・・・
最終的には、劇場版 仮面ライダー鎧武で、
美輪明宏がブラーボの師匠「仮面ライダー メケメケ」として大活躍するような気がします。


久し振りの更新が、心底どうでもいい内容だった。

うそだけど

人生についていろいろと考えることがある。
TVをぼんやりと眺めながら、
車の運転をしながら、
晩御飯を食べながらなど。


ある日、晩御飯を食べながら考えをめぐらせていると、
食卓の鮭が目に入った。
いろいろと考えた結果、たどり着いた結論は、

「朝定食で鮭が安く食べられる理由、
早起きはサーモンの得」

というものだった。
僕は長生きがしたい。
とにかく長生きがしたい。
長生きをしていればそのうち
もっとおもしろい事を思いつくことができるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら 100歳くらいになって
「早起きはサーモンの得 を超える朝ごはんダジャレはできなかった。」
そうつぶやいて最後の時を迎えたい。
あとかわいい女の子と何回か浮気したい。

うそだけど

いいともとタモリの使命

いいともが3月で終わるそうで。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131022-1207699.html


あの頃から少しずついろんなものが変化してきたけど、
友達の輪だけは変わらなかった。
毎日12時になると、タモリが歌いながら登場する。
タモリは少しだけ踊って、きれいにお辞儀をする。
踊り疲れたタモリは友達の輪を覗き込む。

少ない例外はあるものの、タモリはほとんどの場合友達の輪の外側に立っていた。
友達の輪をみつめるタモリは、どのような目をしてそれを見つめていたのだろうか。


既に友達の輪は失われてしまった。
いつ失ってしまったんだろう。
誰もが大人になるにつれて、友達の輪というものを信じる力が弱くなってしまう。
それでもタモリは友達の輪に寄り添う。
いつしか覚めてしまうであろう子供たちのために、タモリはそこに立っていた。
まるでパントマイムのように、子供たちに存在しない友達の輪を見せ続けていたのかもしれない。


それが一変したのが今年の友達の輪の廃止だった。
次代の子供たちに友達の輪というものの存在を認識させ、それを確信させること。
そしていつか彼らが世の中に本物の友達の輪を作り上げること。
それこそが国民的番組となったいいとも、そしてタモリの使命だった。
友達の輪がなければ、いいともを存続させる意味はない。
他のくだらないバラエティ番組と何もかわらなくなってしまう。
どのような経緯で番組の終了が決定したのかはわからないが、
友達の輪の廃止がその大きな原因となっているのではないだろうか。


いつか僕が肉体を失った時、
僕の意識と友達の輪はあの頃のタモリの待つスタジオに飛ぶだろう。
その時のために、自分なりの友達の輪を少しずつでも良いものにしていければと考えている。


うそだけど

並盛を2つ

たまに吉野家に行く
最近ブクブクと太りだした僕は
吉野家で特盛を頼む時、並盛を2つ頼んだ方がいいんじゃね?と思うことが多くなってきた。
もちろんそういう場合は、特盛を頼んでるんだけど、いつか並盛を2つ頼んでしまうような気がする。


そんな僕をみて僕のまわりの人はなんていうだろうか。
しかし、その言葉を受けるべき僕は今の僕ではない。
並盛を2つ頼んでしまう未来のぼくだ。


並盛を2つ頼むようになった僕は、果たして僕という存在なのだろうか。
自分でも気づかないうちに、外見はそのままで、
中身だけが理性をもたないおそろしい存在にすりかわってしまっているんじゃないだろうか。
ふがふがと音をたてながら並盛をかきこむだけのそんざいになってるのかもしれない
そんなそんざいは嫌だな

じょじょに理性をなくしていく僕をみてまわりはなんていうかな
しかし、そのことばをきくのはぼくじゃない
なみもりを2こたのんじゃうみらいのぼくだ
だからきにしないでいい
ぼくはとくもりをちゅうもんします

ついしん
もしぼくがなみもりを2つたのんだとしたら
アルジャーンのおはかにはなたばをそなえてあげてください

回転寿司と思い出

先日家族で回転寿司に行きました。
一般的なチェーン店で、
注文した商品がテーブルごとの色のついた台に乗って運ばれてくるタイプです。
うちのテーブルは銀色でした。
途中までは問題なく食事が進んでいたのですが、
子供用の鉄火巻を注文した際に問題が起きました。
タッチパネルから商品到着のアナウンスが流れるのですが、
目の前を流れていく銀色の台の上には何も載っていないのです。
まあ、たまにはこういうことあるよね。と、
再度鉄火巻をタッチパネルで注文しました。
次に僕が頼んでいたマグロが届いたのですが、
また銀色の台の上には何もありません。
ううむと唸ってから再度マグロを注文です。


しばらくして、遠くの方から
銀色の台に乗った鉄火巻がこちらに向かって流れてくるのが見えました。
かつて、神戸まつりで、ヴィッセル神戸の選手たちが軽トラの荷台に乗せられ、
通行人の少ない商店街を運ばれていった姿に似ています。


J加盟間もない時代、僕にできたことは遠くから手を振るだけでした。
そして、選手をこんな気持ちにさせてはいけない、来年はもっと応援しよう。
そんな気持ちにもなりました。
(そんな僕の思いも、結局は数年後の三浦アツの退団で消え果てしまいましたが・・・)


そんなわけで、無事に鉄火巻が運ばれてきていることを確認して、
日本酒をくいっと飲みました。
いい思い出や悪夢のような思い出が一瞬頭をよぎりました。


そして再び鉄火巻に目を向けると、僕らの鉄火巻は姿を消していたのです。
まるであの時のアツの退団事件の様に。
あまりのショックに声も出ません。
J2におちても神戸に残ってくれたアツ。
J1昇格に最大限貢献してくれたアツ。
昇格後に「神戸で引退したい」と言ってくれたアツ。
「トモニイコウ」
あの頃の思い出がよみがえります。
そして、あの頃の(今どうなってるか全然知らねえけど)ヴィッセル神戸
クラブとしての未熟さが情けなく、
そしてアツに対しての神戸市民としての申し訳なさ。
そんな思いを再度かみしめました。


ふと見ると僕らの2つ向こうのカウンターのおじいさんが
鉄火巻を食べています。
あの鉄火巻なんだと思います。
さっきまでそこにいたあの鉄火巻です。
多分このおじいさんが僕らの鉄火巻(2皿)とマグロ(1皿)を食べてしまったんでしょう。
でも、しあわせそうに鉄火巻を食べるじいさんをみてると、
これでよかったのかもしれないという気持ちになりました。
鉄火巻2皿とマグロを一人で、短時間で食べるほどのマグロ好きです。
そんなマグロ好きに食べられるなら、鉄火巻たちも本望なのかもしれません。
最後にプロ入団した横浜の地に戻ったアツを見守ったあの時のように、
じじいがかみしめる鉄火巻を見つめました。


最終的に店員呼んで、今のところ、鉄火巻が必ず横取りされちゃうんで、
鉄火巻だけ持ってきてもらっていいですか?とお願いして解決しました。


そして鉄火巻を食べる息子に、
銀色が目印だと老人がシルバー向けだと思ってとっちゃうよね。と話しかけてみましたが、
特に反応はありませんでした。


なんであのとき、イルハンじゃなくて前園とらなかったの?と神戸の友達に話しかけた時も
こんな反応だったことを思い出しました。

反省して坊主になるとかそういうの

AKB48のあれがあれで坊主になってるけど坊主ってなんなの。


僕も髪の毛が旅立った結果、坊主にしたことあるけどさ、
坊主って、ハゲはじめてから最終的に坊主にたどり着くまでが問題なのよ。

愛する髪の毛たちとの別れの終着駅なのよ。
何も出来ないで、別れを見ていた俺は、まるで無力な俺は、まるでまるで高木ブーのようじゃないか
そんな歌を聴きながら髪の毛との別れを繰り返す日々。


サッカーにたとえるなら、新しい選手が入ってこないのに選手がどんどん離脱していく状態。
特に中盤の選手を失うと目指していたスタイルで試合ができない。
センターバックの選手とサイドの選手でカバーしようとするけど、
負担が多きすぎて全体のバランスも悪くなる。
帽子をかぶることで後ろから攻撃の形を作ろうとするも、
いつのまにかフォワードの選手も離脱しはじめていて、
気がつくと守備一辺倒になっている。
これじゃまともな試合ができない。
客なんか入らないし経営もできない。
チームは解散、スタジアムは取り壊されて駐車場に。


この駐車場の状態が僕の坊主頭。
だからなんだっていわれてもこまるけど、
反省とかで坊主にされても、
また髪の毛伸ばせばいいですやん。
選手が入団してくるうちはチームは存続できますさかいに。
としか言いようがない。


http://d.hatena.ne.jp/StickOut/20120418
この気持ちを忘れないで生きていくしかない。


あとこの気持ちも