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2008-06-06

[]どくしょのじかん Part 2 -その2-


公娼制の認識

わたしたちは、明治以降の日本の公娼制の実態や、廃娼運動、それに抵抗する勢力、議会や内閣の各省庁の動きについてよく知らない。学校で詳しく習うこともない。ただ『当時、公娼制は合法だった。』という言葉だけが拡散し、『だからしかたがない』とか『性奴隷ではなく売春婦だった。』とかいうトンデモない妄言が広まっていく。

最近、市川房枝解説『日本女性問題資料集成 第一巻 人権』、ドメス出版、1978年を読む機会があったので、そこから得た知識や資料、関連書籍などを参考に、吉見先生、秦先生、西岡先生の公娼制にたいする見方を比較してみた。


市川房枝の解説

 思わぬペルーの側の物的証拠をつきつけての反撃*1に、明治政府は一八七二年(明治五年)一〇月、有名な娼妓開放令*2を布告する。俗に牛馬切りほどきといわれたが、津田真道の建白書に出てくる「牛馬」と同じ語が使われているのは偶然の一致か、または影響なのか。太政官達は人身売買の禁止・年季奉公の制限をしており、司法省達では前借金無効を通達している。この二つの布告が完全に実施されれば日本は一八七二年に公娼制度廃止の“名誉”を勝ちえたのだがそれにそむいた


(強調は引用者)

市川房枝解説『日本女性問題資料集成 第一巻 人権』、ドメス出版、1978年、39ページ


吉見義明の見解

 公娼制度は、まさに人身売買、性の売買と自由拘束を内容とする事実上の性的奴隷制度だったのである。そして、日本は、この制度を台湾朝鮮や、関東租借地、委任統治領の南洋群島に移出していく。


吉見義明『従軍慰安婦』、岩波書店、1995年、227ページ


秦郁彦の見解

[公娼制度は]まさに、「前借金の名の下に人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない二〇世紀最大の人道問題」(廓清会の内相あて陳情書)にちがいなかった。


秦郁彦『慰安婦と戦場の性』、新潮社、1999年、36ページおよび38ページ

市川が指摘するように、市川が上げた二つの布告が字義通りに運用されれば、明治五年で日本の公娼制は終焉を告げていたはずである。実際、市川が上げた二つの布告はその後も取り消されていない。

にもかかわらず公娼制が温存されたかについて、ここでは詳細を述べないが、いずれにせよ、吉見や秦が述べるように、公娼制は娼妓の自由を束縛する奴隷制度であり、また、明治五年以降、人身売買は犯罪であること歴史学上の定説でもある。


これらを念頭に以下の西岡力先生の著述をお読みいただきたい。

西岡力の見解

 事実軽視の韓国マスコミ

(略)

 慰安婦はもともとそのような職であった人たち、貧しくて売られたりした人たちなのである。悲しいことではあるが、戦前の日本には公娼制度があって、売春は公認され管理されていた。全国各地に『女郎屋(じょろうや)』と俗称された売春宿があり、それが軍専属となったのが従軍慰安婦である。


西岡力『日韓誤解の深淵』、亜紀書房、1992年、193〜194ページ

さらに別書から引用する。


 いま問題となっている慰安婦は、まさに世界のどこにでもあったように、貧困が原因で「身売り」が行われ、戦争という当時の環境の中で、とりわけ慰安婦(ママ)が行ったということなのです。ですから、歴史的事実として「慰安婦」は存在したが、一部で論じられているような「従軍慰安婦問題」はなかったと言うべきなのです。


 ですから、私は、慰安婦には同情しても、どうして謝罪しなければいけないのか、まったく分からないのです。(以下略)


 もちろん、そういう貧困の中にあっても、貧困を原因としてではなく、日本国(ママ)が権力によって朝鮮人の女性であれば誰でも引っ張って行って――たとえば、道を歩いていた女性を引っ張って行ったとか――戦場で売春を強要した、というようなことがあったとすれば、それは当時の状況からしても問題でしょう


(強調は引用者)

西岡力『日韓「歴史問題」の真実』、PHP研究所、2005年、111ページ


西岡先生は、当時日本の公娼制では『人身売買』が合法だったと誤った認識を持っておられる。この認識と「キーセン(妓生)」=「娼婦」という間違った認識が重ねあわさったからこそ「キーセンに売られたから強制連行ではない」と主張されるのであろう。


金学順さんは、養女になって妓生券番学校に入れてもらい、そこで修行をしたが、年齢が達していなくて妓生になれず、養父に連れられて中国に行き、そこで旧日本軍に拉致された。

文玉珠さんは、拉致されて慰安所に入れられた。そこを逃げ出して帰国した後に、自分の意思で、自分でお金を払い、妓生券番学校に入り、芸を身につけ卒業し、妓生になった。その後、友人の誘いに乗って、騙されて再び旧日本軍の「性奴隷」にされた。


妓生券番学校で修行したことや、妓生になったことが書いてあるかどうかが重要な問題ではない。書いてなかったからと言って、証言の信憑性が損なわれるわけではない。拉致されたり騙されて慰安所に入れられ性奴隷の生活を強いられたことが重要な問題なのである。

その経緯の中では、朝鮮人の重大な関与があるが、彼らは自国の娘を売った人間として罰せられて当然だろう。しかし、少なくとも、慰安所に入れられるときには、その経緯はわかっていたはずだから、それなりの措置を現地軍がするべきであったのに、それが成された形跡はない。何より、当時は朝鮮も日本の領土であり、朝鮮出身の人々は日本人であった。「内鮮一体」を謳いながら、このザマとは情けない限りだろう。


また、『貧困』が原因と何度も強調されるが、軍の意向を受けた業者(日本人や朝鮮人)が『貧困』に喘ぐ未成人の朝鮮人女性をターゲットにし、お金で釣ったり、いい仕事があると騙したり、ときに拉致して、慰安婦にしたのであり、貧困が原因などではない。朝鮮半島を圧倒的な貧困に貶めたのは、1910年の朝鮮合併後の日本帝国の政策が主要な原因であることを熟知している西岡先生がこのような妄言を書く原因について直感することがよくあり、わたしなりの考えも持つようになったが、それはおいおい明らかにしていく。


最後に、『戦場で売春を強要した』から問題になっているのであり、さらに言うなら、強要したのは売春ではなくてセックスであるから、『強姦』である。また、日本軍の兵士たちは、軍票を支払ったのである。軍票は兌換紙幣ではなく、いわば領収書である*3

yamaki622yamaki622 2008/06/08 23:53 歴史修正主義者はよく「現代の価値観で考えるな」と言って公娼の話を持ち出しますが、慰安所が広まった当時すでに廃娼運動が盛んで、当時の価値観としても当たり前ではなかったことを無視してますね。

StiffmuscleStiffmuscle 2008/06/09 16:49 >yamaki622さん
彼らの頭に浮かぶ当時の「公娼(制)」は宮尾登美子の著作や、それをもとにした映画の世界なんでしょうね。彼女の著作は文学であり、公娼制へのアンチテーゼでもあるのですが、映画はその性の局面だけを誇張したエンターテインメントでしょう。しかし、彼らは両者の本質の違いをきちんと読み取ることができないわけです。
公娼制廃止運動や関連国際法の批准などによって、内務省は「公娼制」の廃止をめざし、「公娼制」を廃止した県もいくつか出てくるなど確実に廃止運動の成果が上がっていたのですが、国際連盟からの脱退や軍部の台頭、侵略戦争への突入によって、超法規的に『慰安所』システムが日本帝国軍に蔓延していったようですね。内務省と軍の間の認識の違いと両者の力関係は、有名な『支那渡航婦女に関する件』にも見て取れると思います。
一方で、買春行為が悪いことであるという意識がなかった一般市民も多く、オンナを買うのは一種の甲斐性であるというような考えが男性のみならず女性の間にあったこと(今でもあると思います)を見逃すと、「慰安婦」問題が、現代の問題であるという意識をもてないわけで、実際に「慰安婦は売春婦」という類の発言は彼らの人権意識の欠如を自ら吐露するものです(しかも恥ずかしげもなしに)。

元貸し座敷業元貸し座敷業 2008/06/10 01:23 >慰安所が広まった当時すでに廃娼運動が盛んで、当時の価値観としても当たり前ではなかったことを無視してますね。<
廃娼運動自体が極限られた一部の方の間で盛んであったというべきではないでしょうか?昭和30年代に到るまでなぜ東京の吉原を始め、京都の五番町、橋本、神戸の福原、大阪の飛田、松島、他全国各地に赤線と戦後呼ばれる地域がなぜ隆盛を極めたのでしょうか。皆様お忘れかもしれませんが、あのおとなしそうな関西テレビのお天気おじさんの福井さんでさえ、自身放送中若い頃は遊郭があったのでそちらには(性的なこと)には自信があると述べておられましたが。又、祇園を始めとする花街でも現在はわかりませんが、ほんの何年か前まで衿替のとき水揚というのがあり、処女(?)と引き換えに面倒を見てもらったわけですが‘価値観として当たり前‘でなかったらとてもではありませんが大々的にできないことなのではないでしょうか。とくに、「人身売買の禁止・年季奉公の制限をしており」ここからいえる事は、それ以外の売買春の禁止を通達しているというわけではないということである。そして当時の雇用主と被雇用者の間にどのような契約が結ばれていたか契約書を確認する必要があるのでは?ちなみに、終戦時までは警察の鑑札が必要でした。

yamaki622yamaki622 2008/06/10 10:39 元貸し座敷業さん
>廃娼運動自体が極限られた一部の方の間で盛んであったというべきではないでしょうか?

それについては、歴史学者の藤永壮教授の意見が参考になると思います。以下引用。
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第一に「戦前の日本では売春は合法的な商売として認められていた」という見方について。確かに戦前の日本政府は公娼を認めていた。しかし廃娼運動の主張がしだいに世論の支持を獲得し、また国際連盟が日本の公娼制度を批判するなか、日中戦争が全面化する以前の1934年の時点で、すでに群馬・埼玉・秋田・長崎・青森の5県で公娼制度は廃止されていた。そしてこのような動きが、さまざまな問題点をはらみながらも、戦後の売春防止法制定(1956年)へとつながっていくのである。時代は明らかに「売春」を不法化する方向へと進んでいたのであり、「慰安婦」制度はこのような流れに逆行するものであった。
(『日本の植民地支配―肯定・賛美論を検証する』p42)
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StiffmuscleStiffmuscle 2008/06/10 21:29 >元貸し座敷業さん
>当時の雇用主と被雇用者の間にどのような契約が結ばれていたか契約書を確認する
雇用関係にはないというのが戦前の貸し座敷業者たちの主張でした。
廃娼運動と公娼賛成派のせめぎ合いは、国会議員をも巻き込む形で進んでいきましたし、内務省が公娼廃止の方針を打ち出したときにも賛成派は公娼制は日本の伝統だと強弁し、社会の安寧をもたらし、公娼廃止は私娼や性の紊乱を招き、国益に背くなど反発したわけです。
確かに、あなたが指摘されるように、日本は売買春には極めて寛容な社会であり続けています。しかし、それが何に由来するのかを見極め、女性の人権の側からのアプローチをしていくべきだと思いますし、国際社会からもそれを求められています。そのひとつのメルクマークとなるのが「慰安婦」問題の解決だと思います。

yamaki622yamaki622 2008/06/12 10:36 今更ですが、追記です。

>元貸し座敷業さん
元貸し座敷業さんのご意見はあくまで買春する側の論理で、たとえどんな時代(娘の身売りが認められていた江戸時代など)でも、売春させられた被害者の女性にとって”当たり前”ということは絶対にないと思います。

>Stiffmuscleさん
西岡氏は金学順さんの証言を歪めて伝えていますが、一般読者はわざわざ調べたりしないとタカを括っているからここまで平然とウソが書けるんでしょうね。この問題は私も繰り返し伝えていく必要性を感じていたので取り上げていただいて助かりました。それから最近、ウェブ上で「南京事件問題」の資料は充実しているのに比較して、「従軍慰安婦」資料がまだまだ少ないことを痛感しています。

StiffmuscleStiffmuscle 2008/06/12 23:18 >yamaki622さん
河野談話以来、彼らは同じデタラメしか繰り返してないんですよね。クマラスワミ報告、教科書への記述、下院の決議・・・その度に同じトンデモを撒き散らして、ある程度経つとブームが消えたように消えていく。
政府や国会がきっちりと事実を認めて、それを広く国民に伝えていけば、この状況は比較的早く正常になるでしょう。認めない勢力は暴力を使ってでも反撃するかもしれませんが、それに屈するような「弱腰」な日本人はいないでしょう(希望的観測)。

あだちあだち 2008/06/13 12:45   失礼します。
   
    「困難に打ち勝つメッセージ」のご案内
       ご笑覧ください。
     http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/

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