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Strugglemirrorの日記

2012-05-21

00:19

いま、なかしましほさんの「ブラウニー」をつくらんと、

 材料と道具を揃えたところで、いったん休憩し、

 この文を書きはじめました。

 おかしをつくるというだけのことでも、

 思うこと、考えること、やることはいっぱいあります。

 買いものをしているときに、もういろいろ思っています。

 料理とか、おかしづくりとかって、

 すでに買いものが「つくりはじめ」ですよね。

 なにを買おうか、ということは一種のプロデュースです。

 的確な材料を漏らさずに揃えるだけでなく、

 よりよいものを揃えるには、つくる過程や、

 食べるところまでも想像しなくてはいけません。

 ひょっとしたら、買いものの最中に、

 レシピの変更などもあるかもしれませんものね。

 これは、料理だけでなく趣味でなにかつくるときにでも、

 仕事をやりはじめるときでも、そっくりですよね。

 ぼくは「ブラウニー」に関しては、

 はじめに、最近流行のカカオ85%みたいな

 おしゃれなチョコレートを使わない、と決めました。

 ジャムづくりの場合、後先考えずに砂糖を減らすことを

 決めてしまう人がよくいます。

 でも、砂糖の量にも深い「意味」があるのです。

 それと同じで、ふつうのチョコを使うのが、

 きっと大事なことなのです。

 しかし、今回は高級スーパーに行っちゃったもんで、

 「おかし材料」として販売してるチョコチップ

 なんてものを知ってしまったのです。

 これはふつうじゃないです、混乱の元です。

 でもおかしづくりをする人間には魅力的な商品。

 こいつと、『六花亭』のミルクチョコを混ぜるか?

 まだ、判断は保留中です。

 先生のレシピにはないけれど、レーズンが好きなので、

 ラム酒に漬けておいて乗せちゃおうかなとか、

 少々の生意気なことも考えてもみたりして‥‥。

 まだ買いものだけの段階で、こんなに忙しいんです。

 人間のやることって、なんでもおもしろいなぁ。

2012-05-19

01:18

予想したとおりかもしれないけれど、

 「気仙沼ほぼ日」でのミーティングは、

 たいへんにすごいことになりました。

 10時間を超えていたのにも驚きましたが。

 あれもあった、これもあった、濃厚な時間でした。

 

 しかし、この「気仙沼一座」には、

 どれだけの役者が隠れていたのでしょうか。

 腕のいいキャスティングに感心するとともに、

 新しい登場人物のすごみに度肝を抜かれたりもしてます。

 オブザーバーくらいの気持ちで同行している

 ヒグチカナコさん(気仙沼椿会特別顧問)も、

 「来るたびに、人生のなかで初ということがある」と、

 頭をぐるぐるさせつつ感激していました。

 三國万里子先生も、

 「パーフェクトです」ということばを発してました。

 このプロジェクトは、なんだかストロングです。

 まだまだ、東京のほうでも隠しキャラがありますから、

 おもしろくなること必至です、おたのしみに。

・<未知の世界に無知なオレが行く。>

 『ボールのようなことば。』のなかで見つけたことば。

 そんなことばっかりだよなぁと思います。

 これを、いつ書いたんだったか忘れていますが、

 ほんとにいつでも、こんな感じです。

 そして、どこがわからないかをわかるようになって、

 ちょっと解決でき、できるそばからわからなくなり、

 少し前に進み、捨てる神の横から拾う神が現われ、

 やがてはおもしろいことになっていく‥‥。

 たいていは、こんなです。

 犬も歩いて、棒に当たるのをたのしみにしてます。

 拾う神は、捨てる神がいなくなるのを待ってて、

 やがて「遊んでくれ」と近づいてくるものです。

 ゆらゆら動きながら、

 じぶんが変えられるのを覚悟しながら、

 歩いていることが大事です。

 気仙沼にいるときのぼくらは、

 からだが動くのを、頭が追いかけていくという感じ。

 今日も今日とて、なにかにばったり会いそうです。

2012-05-16

23:31

「風媒花」って、なんともいいことばです。

 風が種子を遠くに飛ばしてくれる。

 飛んだ種子が発芽して、そこにまたその植物が育つ。

 風に乗って遠くに旅するために、

 ふわふわしていたり、プロペラのようになっていたり。

 

 他にも、種子を遠くに運ぶやり方はいろいろあるわけで、

 虫に花粉を運ばせて受粉をする「虫媒花」や、

 動物の毛にくっついて移動する「動物媒花」、

 そして鳥に食べられることによって運ばれ、

 種子を糞といっしょに出される「鳥媒花」もあります。

 あ、鳥が昆虫のように受粉の手伝いをする場合もあるか。

 

 それぞれにおもしろいなぁ、と、思うのですが、

 もうちょっと考えると、気が遠くなるのです。

 「風媒花」は風とどこで知り合ったのでしょう。

 「虫媒花」は、虫のことをどうして知ったのでしょう。

 「動物媒花」は、どの目で動物を見ているのでしょう。

 「鳥媒花」は、鳥の好みをなぜ知っているのでしょう。

 

 たぶん、植物たちは、考えたわけじゃないのです。

 そして、風の側からじぶんを見ているわけでもない。

 風と花は、いっしょに育ったのでしょうか。

 いままでどおりの、ぼくの考え方の枠組みでは、

 まったくわからないことなのです。

 植物が単独で存在しているはずはない。

 それはよくわかるのですが、

 風も、虫も、鳥も、動物も、植物とは別のものです。

 別のものの存在やら行動やらを、

 植物はどうして知っているかのように生きているのか。

 もう少し考えると、人間の知り方生き方のほうが、

 ずいぶん特別だという気もしてきます。

 

 見たり、知ったり、考えたりをするわけじゃないのに、

 花は風や虫や鳥たちとうまくつきあっている。

 すべては、ほんとうは別々のものでなく、

 ひとつのものなんじゃないかとも思えてくる。

 このへんのことを考えはじめると、脳がしびれるようで、

 けっこう気持ちのわるい快感があるんです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。

金環日食、準備はオッケー? 路線図のさらなる改良も。

2012-05-14

21:53

ちいさなことのように思われるかもしれないけれど、

 じぶんっていうやつの変化について、

 つくづく感じるのは、食べものの好みのことです。

 

 小学生のころに、しょうがを好きになるなんて、

 想像もできませんでした。

 同じく、「煮魚が好きになるよ」なんて、

 予言してやったら、

 「そんなことは、ぜっっったいにないっ!」と、

 口をとがらせて反論したことでしょう。

 チーズだって好きじゃなかったし、

 わさびは苦手だったし、ネギも食べるのイヤだった。

 そのときには、ずっとそのままだと思っていたのです。

 

 でも、変わったんですよね。

 苦手なものが好きになったり、

 大嫌いなものが大好きになったり、

 じぶんの食べものの好みさえ、

 じぶんじゃわかってなかったわけです。

 

 食べることって、論理でも倫理でもないですからね。

 ただただ、好きだ嫌いだで決まっているはずなのに、

 その好き嫌いが変わってしまうって、

 おもしろいことだなぁと思います。

 

 たぶん、この先も、さらにまだ変わるんでしょう。

 じぶんのことはじぶんが一番よく知っている‥‥なんて、

 なかなか言えるもんじゃないですよねぇ。

 

・とても根本的な、食べものの好き嫌いでさえも

 こうなんだから、他のことはもっとでしょう。

 好きだ嫌いだ、仲間だ敵だ、いい人だわるい人だ、

 どこかでくるっとひっくり返る可能性だってある。

 そう言うと怒られるかもしれないけど、

 「信じすぎない」でていねいにつきあうって姿勢が、

 大事なんじゃないかと、ぼくなんかは思うんですよね。

 「信じることを決めた」という場所から

 びくとも動かないっていう頑なな姿勢は、

 あんまりいいことないんじゃないかなー。

 じぶんって、柔らかくとらえたいものだよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。

究極に変化をしないことを「死」っていうんじゃないかね。

2012-05-11

23:25

ちょっとちょっと、みんな思い出してくれないか。

 2011年、つまり去年の1月や2月は、明るかったか?

 世の中が、希望に満ちていたんだっけ?

 そんなことなかったよ。

 不景気だ、行き詰まりだ、袋小路だ、緊縮だ、覚悟しろ、

 そんなことばかり言ってたよ。

 「リーマンショック」だったっけ?

 この先の日本は衰退の一途をたどるって、縮こまってた。

 ああすればいい、こうすればいいって、

 学者やら評論家やらが、言い争ってもいたよ。

 

 3月11日は、そういうときに起こったわけです。

 どんどんダメになる、希望なんかない‥‥と、

 メディアはそんなことばっかり言ってたでしょう。

 そこに大震災があったし、原発の事故があったわけです。

 あの日が、なかったら、おそらく、

 いまも不景気と行き詰まりについて、

 新聞もテレビも週刊誌も語っていたにちがいないです。

 

 2011年3月10日までの日本が、

 決して明るくなかったということを、

 ぼくはよく思い出すんです。

 だから、「戻ろうとしちゃダメだ」ということが、

 ものすごく重要なんだと考えています。

 みんなが、ことば遊びのように、

 「復旧」じゃなくて「復興」が大事なんだと言います。

 でもねー、復興の「興」の文字になにを当てはめるのか?

 「興」と言えるようなことを、はじめているのかなぁ。

 だいたい、東北にしても、日本全体にしても、

 あの日までだって、うまく行ってなかったんですから。

 つまり、ほんとうは、全然ちがった目玉で見て、

 「これを機会に」くらいの気持ちで、

 「いい考え」を実行していくはずだったんですよね。

 でも、そんなふうに進んでいるとは思えない。

 「できること」をしよう、の「できること」って、

 ほんとうは過去の例にとらわれないことが、

 いっぱいあるはずなのに、見つけられてないよなぁ。

 ぼく自身も、まだまだ全然ダメだと思ってます。

 「復超」くらいの気持ちが必要なんだよなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。

「BEGINNING」は、じぶんへの励ましで、おまじないです。