「相對主義」とは何なのか

價値相対主義
物事は人の數だけ樣々な見方があり、それぞれの見方は侵してはならないとする主義

私は斯樣に定義附けてゐるが、間違つてゐないだらうか?


相対主義とは、相対主義を絶対視するという意味では、絶対主義なんです。その水準では。だから絶対主義を100%完全に否定する相対主義はない。でも、前述のただ1点を除けば相対主義なんだから、ほとんどの問題については、絶対主義と対立することになります。

少し具體的に考へる――
相對主義者がAと云ふ説を唱へる。A説に對し私は「(理由を附して)A説は間違つてゐる。B説が正しい。」と異議を申立てる。すると相對主義者は「B説もありますが、私はA説です。」と言ふ。間違つてゐると言つてゐるにも拘らずA説を撤囘しない相對主義者に對し「ではあなたがA説を取り、B説を取らない理由は何か。」と私は尋ねる。この時相對主義者は何と答へるのだらう?

素朴に、「議論の前提が違う」というような言い方をすることが多いですかね、私は。

議論してゐる最中、互の議論の前提が違うため話が噛合はないことは屡々ある。ではその互の「前提」は果して正しいのか?「前提」自體に誤りはないのか?さう云ふ「前提」が論點になるのではなからうか?


目先のことに囚はれるばかりの私は「議論とは何か?」なんて考へることはあまりないのだが、「相對主義」に疑問を持つてゐる。
議論してゐる者にとつて「相對主義」はあり得るのか?他人の主張に贊同しないのは贊同できない何らかの理由があるからであり、主張が理解できてゐるのならば抑も議論にならない。「相對主義」とは何なのか、私にはさつぱり理解できない。