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鬱と躁の日々 RSSフィード

2010年09月09日

不當な行爲を排除して何が惡い

私はアンチを「ある者に對して、不當な行爲をする者」と定義附けてゐる。


勝間さんの行動は變だらうか。

  1. 自分のアンチがゐる。
  2. アンチがゐる「場」の管理者に、「アンチに場を提供するな。」と訴へる。

至極眞つ當な行動でせう。

多重アカウントを作ってのアンチ活動が全体のレビューのどれぐらいの割合で、勝間さんのレビューでどのぐらいの割合があるのかは分かりませんが、そんだけアンチがいるのってなんでか、考えたことないのでしょうか?著者の知名度が広がってるからアンチが増えるって?自分に原因はなし?じゃあ知名度下げればいいんじゃないの?「自分はいろんなところに露出して知名度を上げます!でもアンチは作りたくありません!そういう世の中にして!」って、そんなことは無理でしょう。

茶李さんはアンチ活動を認めてゐるのだらうが、それが私には理解できない。何故なら、アンチの行爲と知名度に關聯性はなく、不當な行爲は排除されて然るべきだからだ。だが茶李さんは、「アンチの存在の原因は著者にある。」「有名ならばアンチの存在は當り前だから有名人は不滿を言ふな。」とでも言ひたいのだらう。何で不當な行爲をされた側が責められなければならないのだらうか。

また、このレビューシステムって別に著者が読者の意見を参考にするためのシステムじゃないと思うのですが・・・

設置者の意向がどうであれ、著者が讀者の意見を參考にすることもできるシステムでせう。

Amazonがレビューシステムをどのようにするかは、購入するユーザの意見に耳を傾けるべきであって、著者がどうこういうのは・・・

自分の作品に不當なレヴューを書かれては著者は堪らない。システムで對應できることをシステムの管理者にお願するのは當然だ。

しかし一つ前の引用部もだが、何で「・・・」で最後を省略するのだ。言ひたいことははつきり……


最初に「アンチ」の定義附をしてゐるのは、「不當な行爲をする者」と「正當な行爲をする者」をはつきりさせたかつたから。「誹謗中傷」と「批判」は違ふ。そして勝間さんは、アマゾンで買った人でなくともレビューが書ける*等と書かれてゐることから、「不當な行爲をする者」を問題としてゐる――と讀める。

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