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夏の黙示録 このページをアンテナに追加 RSSフィード



1953ColdSummer
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20091218

 夜に抱かれた果実 (初出 20070322 改訂 20091218)

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 夜は引力。夜は愛。夜の解放。

 愛でるべき夜に抱擁され、今宵私は漆黒の天鵞絨(びろうど)にどのような夢を描くのでしょうか?


※ ※ ※


 濃い霧の中を歩いていた。湿ったブーツの感触が不快だった。不快なままに、私は濡れた道路を踏みしめ歩く。アスファルトが所々ひび割れている。

 傷痕みたいだ。

 痛々しいことに、その傷痕の上に白いセンターラインがまっすぐに走っている。白線は濃霧と交わり白く溶けゆく。白く、白く。夢の中で踊っている白面の敦盛さまのように。

 ああ、この道は、私が昔、泣きながら歩いた道だ。

 そうだ。あのポストも、あのぼろぼろになった電飾看板も、自動販売機も、すべてに見覚えがあった。無意識の内に頭に溜め込んでいた風景の一角。無意識が意識上に認知されたとき、それはもう無意識ではなくなる。意識していよう。意識することで私が変わる。夢のうちに変わる。

 気がつけば、私の頬を涙が伝って落ちていた。

 意識することを意識したせいで、涙腺を刺激してしまったのだ。

 夜は永遠に続くものではないということを、改めて意識してしまったのだ。

 私は足早に濃霧の中を進んだ。

 前へ。

 前へ。

 前へ。

 朝がきて、現実にむりやり引き戻されてしまうまで前進していよう。

 現在の自分を思い出してしまうまで。夜のとばりに抱かれる心地よさを忘れてしまうまで。

 歩け。歩け。もっと早く歩け。朝の世界が夜の世界を漂白して、夢うつつの私を壊してしまわないうちに。歩け、私。

 誰かが私を呼んでいる気がする。続いて悪寒が背中を撫ぜた。自分の顔から血の気が引くのが分かる。この呼びかけに応じた途端、私の夜の夢は壊される……!!

 耳にキィンとした金属音が響く。ザワザワとした潮騒が聞こえる。甲高い声で、誰かが私を呼んでいる。

 頭の中に灼けた鉛を詰められた気分だ。思考力が失われていく。何か、重大なことを認識していたはずなのに、真剣にそのことを考える力が失せていく。

 悪寒がいちだんと酷くなった。背中に蟲の大群が這っているような感触だ。そして、今にも泣きそうな顔をしているであろう自分に気付く。自分が白痴になってしまったような喪失感で胸が満たされてしまう。

 濃霧は確実に私の体温を奪っている。疲れ果てた私の身体の中からあらゆる熱が吸い取られていく。胸中の、何かしら大事な意識までもが、濃霧に拡散していく。

 ポツンと、灯りが見えた。

 霧の中、闇の中、おぼろげな光を放つ灯りは、見慣れた玄関から漏れる光。

 私がその玄関に飛び込むのと入れ違いに、霧の中から伸びてきた無数の手が空を切った。

 部屋の中に男が居た。

「どこ行ってたの?」

 その声は、霧の中、私に呼びかけてきた声。

 その手は、闇の中、私を捕獲しようとした手。

 私の夢の世界を壊そうとした声。

 私の夜の世界を消そうとした手。

「玲奈? どうしたんだ……?」

 喋るな。

 喋るな。

 私の名前をその声で呼ぶな!

 私の頭の中の濃霧が消えた。そして、大事なことを思い出した。

 私は包丁を懐から取り出すと、身体ごと男にぶつかった。掌に肉を貫いた感触。生暖かいものが手を染める感触。

 目を見開いたまま、男は斃れた。

 私の夢の世界と、夜の魔法を消そうとした男は斃れた。そして私は夜にこう告げる。

「ずっと消えなくていいからね」

 何かが甲高く笑った気がした。声の主は死んだはずなのに、何かが霧の中を徘徊して、私を笑った。

 何時間経ったのだろう。霧は晴れ、陽光が窓から燦々と注がれている。雀が鳴いている。

 私は、血まみれの包丁と男の死体を交互に眺めては一つのことを確信していた。


 ああ、これは夢じゃなかったんだ。


 夜が明けて、もう朝だものね。

 覚めない夢は無いものね。ほら、死体も血痕も消えないし。私を金ヅルとしか思ってなくて、平気で他の女と寝る男の死体でも、長い間見ていると気が滅入る。

 死体が目を開いた。

「ようこそ。夜の揺籃へ」

 たちまち周囲が暗転し、闇の中、いくつもの笑い声が木霊する。私は「夢ならもう覚めないで」と呟いて、闇に一歩を踏み出す。少しずつ何かが消えていく。変わりに濃霧が私の中に詰まっていく。

 何故だか、無性に嬉しくなってカラカラと笑ってみた。或いは私が笑われているのかも知れない。

 見上げた空はやはり真っ暗だった。

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