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夏の黙示録 このページをアンテナに追加 RSSフィード



1953ColdSummer
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20091220

 死美人の百年と二百年 (初出 20070511 改訂 20091220『百年儀式』改題)

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 それは、非常に奇妙な出来事であった。

 のちに貝原が振り返ってみるたび、その出来事は、灰色の日常に一点の朱を垂らしたかの如く鮮明に思い出される……否、頭から追い出そうとしても脳髄がいうことを聞かぬ。「忘れられぬ」、奇態で非日常的な出来事であったのだ。


※ ※ ※


 家業の寫眞屋を継いで十と九年、もうすぐ二十の年を越えようかという時節、春の訪れよりもやや早く、その婦人は貝原の寫眞屋を訪れた。

 長マフラーで喉元から口にかけてを覆い、人目を避ける様にして、静かに引き戸を開けて入ってきたその婦人の出で立ち……特に目元をちらと見た貝原は、これは華族様の御落胤であろうかと、思わず口を強張らせた。

 すっとした切れ長の、湖面が如き透き通った瞳。其に視るものは薔薇か桜かといった気品を湛えた眼。貝原の如き一市井とは到底釣り合わぬ、高貴なる血統の人間であることはすぐに判った。

 名画の中から、つと現世に出でたるが如き異界染みた美貌。

 その美貌の主は、開口するや一番、貝原にこう告げた。

「出張撮影、お願い出来ますかしら」

 一瞬、白けた空気が流れ、我に戻った貝原は、それが自分への問いかけだと理解するに数秒を要した。

 あたふたと、強張ったままの口調で「はい、大丈夫です」と言う。

 しばしの沈黙。

「では、早速、今夜にでも……場所は、あとで使いの者から説明させましょう」

 一も二も無く頷いた貝原であるが、その注文が非常に奇妙なものである事を咄嗟に理解出来る余裕は無かった。

 撮影場所を告げる事をせず、時間は今日の夜だという。しかも使いの者をこちらに遣すともいう。

 不思議に思い何故と問うて当然の場合ではあるが、この婦人が持つ気高さ、気品や、一種異様なあまりにも日常離れした空気……妖気の如きものが、貝原から正常な判断力を奪っていた。

 この日、貝原の寫眞屋には他の客は無かった。そして貝原は、夢かまことかの判別も出来ぬまま、夜を待つ事になったのである。


※ ※ ※


 伸び放題の髭を蓄えた労働者風の男が。

 その男が、似合わぬ西洋スーツに身を包み、貝原を車内へと招いた。

 謂われるまま、高級車へと身を乗り入れた貝原であるが、撮影器具のかさ張り具合や、慣れぬ高級車のシートの柔らかさと相まって、とても落ち着ける状態では無かった。

 髭の西洋スーツの他には運転手が一人居るだけであったが、これは全く喋らず、こちらを見る事もせず、黙って車を運転するのみであり、横に座った髭の沈黙も、車が夜風を切る音も、全てが重苦しく貝原には感じられた。

 ひゅう。

 ひゅう。

 裏路地を曲がり、草が伸び放題に茂った空き地に車を乗り入れ、気付けば辺りは閑静な街外れ。たった一軒の古びた洋館――否、廃屋が、夜を背負ってぼうと立ちはだかるのみである。

 車を降りた髭が何やら門を叩くと、玄関に鈍色の瓦斯灯が燈る。

 不吉な黄色の瞬きに、貝原は何故か背筋が冷えた。

 髭が、手招きで屋内へと誘っている。飽くまで口はきかぬらしい。

 撮影器具を車内から持ち出した貝原は、両手に抱えるや小急ぎに廃屋へと向かった。

 足元を、何かが横切った。

 鼠。

 真っ赤な目をした鼠であった。こちらを振り返り、じっとこちらを視ている。

 ――薄気味悪い。

 この頃にはもう、貝原の頭の半分程は、さっさと撮影を済ませて帰ろうという念に囚われていた。もっとも、残り半分は、この陰鬱な気味の悪い廃屋で何を撮影しようというのかという好奇心が占めていたのだが。

 やがて、貝原はだだっ広いホールへと通された。髭は、手で貝原を制する様にして暗がりの方へと行き、何やらご大層な装飾を施された、石棺の様な物を鎖で引き摺ってきた。

 途端、貝原の全身を怖気が襲った。晩冬の、冷気の所為だけではなく、もっと根本的な部分に関する怖気――。

 ――恐怖。

 そうだ。この震えは、紛う事の無い恐怖から生じたものだ。

 その恐怖は。

 恐怖は、髭が引き摺ってきた石棺から発せられていた。

 止めてくれ。

 その禍々しい匣の蓋を開けるのは、止めてくれ。

 貝原の戦慄を知ってか知らずか、髭はがちゃりと鎖を放ると無造作に石棺の蓋に手を掛けた。

 貝原が息を呑み、ごとりと蓋が浮いたその刹那。

 無数の魔が、石棺から這い出てきた。うねうねと這いずり、きりきりと鳴き声を発し。

 ――蛇と、鼠の大群である。暗闇の中、紅い目をしたそれらの忌まわしい生き物は、魔風が奔る様に部屋の方々へと散って行った。

 生臭さと黴臭さの蔓延する空間。石棺を中心とし、左右に貝原と髭が立ち尽くす空間。


 石棺の蓋は、完全に開かれた。


 その中身を見るや、貝原の脚はがくがくと震え、阿呆の様に口をぱくぱくとしながら髭の方を見た。

 髭はただ静かに立ち、頬には一筋の涙を伝わせていた。石棺の中身に厳かに一例し、「寫眞屋を連れて参りました」と告げる。

 石棺の中身――。

 気高き死美人の――。

 蝋面の如き、青白い死に顔――。

 貝原の寫眞屋を訪れた、あの高貴なる令嬢。

 それが、一人の若者の死体を、優しく抱く様にして――。

「こちらに眠っておられるお嬢様と、男の姿を撮影して貰いたい」

 髭が、二つの絡まった死体を見たまま、そう言った。

 死んで間も無いのだろう。明らかに死んでいるとは判るが、その顔は綺麗なものだった。

 手足や服は、鼠や蛇に喰われたのであろうが、所々に無残な噛み跡が見受けられる。

 然し、その顔は――。

 ――無念も悔いも無い、真に、綺麗な死に顔であった。

「身分違いの慕情だったのです」

 髭が、ぽつりと言う。

「お嬢様も、この男も、家柄の所為で結ばれる事は叶いませんでした」

 だから。

「お嬢様は、百年と二百年後に、生まれ変わり結ばれようと――」

 聡明な方だったのです。と、髭は呟いた。

 生まれ変わりを果たした時、この慕情を忘れぬ様にと。

 生まれ変わって後、修羅の恋を達成しようと。

 その時の為に、現世での末路を寫眞に焼き付けておこうと。

 貝原は何も言わず三脚を広げ、撮影の用意を始めた。恐怖は――もう無かった。

 ただ、愛と哀がそこに在るだけであった。

 涙が滲むのを感じつつ合唱し、貝原は撮影を始めた。

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