2007-09-02
■[理論]ノベルゲームの歴史、そして未来
■ノベルゲームの源流
ノベルゲームと呼ばれる種類のゲームがある。現在、ノベルゲームと呼ばれうるゲームたちの主流は恋愛アドベンチャーゲームとほぼイコールになる。その定義を厳密にすることは不可能に近いが、大体において、BGMや効果音が鳴らされる中、綺麗な背景をバックにしてかわいらしいアニメ調のキャラクターたちが配置され、その上に主人公の心情やキャラクター同士の会話が記されたテキストが表示される。プレイヤーは基本的にこのテキストを読み進めていくわけだが、ときに選択肢が現れ、それらを選んでいくことで物語が分岐し、様々なストーリーが展開する。そのストーリーはイコール各ヒロインのルートであることが多く、その最終目的はヒロインと結ばれることである。
ノベルゲームが現在のような形に落ち着くまでの間には、様々な源流が存在したことは言うまでもない。それらは大別して二つに分けることができ、ひとつは80年代後半から始まったナンパゲーム・恋愛シュミレーションゲームの流れであり、もう一つは90年代前半から始まったサウンドノベルの流れである。
80年代後半、普及し始めたパソコンを使った成年向けのゲーム作品がいくつか生まれ始めていた。まだ容量も小さかった頃であるため、複雑な物語やシステムなど当然実装されているわけなく、町を歩いて女の子を捕まえたりゲームをクリアすることによって成年向けのアニメ絵画像が手に入る、というような仕組みを持っていた。俗に言うナンパゲームと呼ばれるような作品たちがこの頃の主流であり、アリスソフトの『ランス』シリーズの第一作もこの頃に生まれ、それは簡単なRPGを進めていくうちにご褒美としての成年向け画像を手に入れていく、というものだった。
それが90年代前半において、少々変化していくことになる。1992年にエルフより発売されたゲーム『同級生』は、女の子をナンパしていくという点ではそれまでのゲームと違うところがなかったのだが、特徴的だったのはその女の子それぞれにストーリーがあったという点である。それまでは、あくまでも女の子たちのえっちな画像を手に入れることだけがゲームの目的であったのだが、この『同級生』においては、その女の子たちとの交流=恋愛が作品の中心に据えられていたのである。さらに1994年にはコナミから『ときめきメモリアル』というゲームが発売される。この作品は全年齢対象であるために成年向けの要素が失われ、本当に恋愛だけがゲームの目的となってしまったのだ。こうして、ゲームというメディアにおいて、徐々に「恋愛ゲーム」と呼ばれうるジャンルが確立されていくことになる。まだそれは物語とは言いがたい程度のテキストしか持ちえていなかったが*1、「恋愛ゲーム」という要素は明らかにこの流れの中で成立していった。
そして90年代前半にはもう一つ、別の流れが存在していた。それが、チュンソフトから発売された『弟切草』(1992)および『かまいたちの夜』(1994)といった作品たちである。いわゆる「サウンドノベル」と呼ばれる作品たちであり、その名の通り、実に「小説」的な手法によって作られた作品たちである。
いずれも館を舞台にした猟奇サスペンスストーリーであり、綿密な設定と描写によって恐ろしいホラーを展開する。作品の中心は大量に表示されるテキスト群と緊迫感を煽るサウンドであり、故にこれらは「サウンドノベル」という名前で呼ばれるようになった。ゲームにおいて「物語」を直接的な形で埋め込んだ作品であり、高い評価を受けると共に、ゲーム史において新しい需要が成立した確かな兆しとなった。
90年代半ばまでに、ゲームをめぐる歴史においては上記のような流れが存在していた。そしてこれらこそが、現在主流のノベルゲームの源流となっているのである。これらの流れを統一し、ノベルゲームの発祥となった作品こそが、かのLeafの『雫』である。
■ノベルゲームの今
1996年、Leafより発売されたゲーム『雫』は、パソコン用成人向け恋愛ゲームという、恋愛ゲームの流れの中に位置づけられる作品でありながら、その手法を『弟切草』などの「サウンドノベル」を参考にし、物語のベースを大槻ケンヂによる小説『新興宗教オモイデ教』に置いた作品であった。それまで物語という要素を基本的に持っていなかった恋愛ゲームの流れの中にはっきりとした形で物語というものを提示し、さらにそれに最も相応しい手法としてサウンドノベルの形式を取り込んだ本作品は、同年に発表された『痕』、翌年に発表された『To Heart』と共にLeafビジュアルノベルシリーズという名前を付けられることとなった。『To Heart』によってこのシリーズは大ヒットを記録する。ノベルゲームという新しい手法が恋愛ゲームにおいて認められた瞬間である。
さらに1999年、同じく成人向け恋愛ゲーム会社のKeyより『Kanon』が発売され、空前の大ヒットを記録する。いわゆる「泣きゲー」ブームの発祥とされた本作品は、ゲームにおいて「物語」というものがどれだけ機能するかという例を示すには最適の作品であった。恋愛ゲームユーザーは物語を需要することを求めている。恋愛ゲームとしてのノベルゲームは、この辺りから、一大ムーブメントを巻き起こすことになる。
そして、ゼロ年代以降、ノベルゲーム界において、一つのまた新しい流れが生み出され始める。それは「ループゲーム」とも呼ばれている手法である。東浩紀がオタク系作品論の中でたびたび触れている作品たちであり、代表作はKIDの『Infinity』(2000)およびそのシリーズ続編『Ever17』(2002)ほか、FlyingShineの『CROSS†CHANNEL』、極めつけは同人サークル07th Expansionによる『ひぐらしのなく頃に』(2002)である。
ループゲームの構造は、その名の通りループ構造にあるのだが、それが意味するところは、それまでのノベルゲームが当然のように持っていた「分岐」という存在の消滅である。それまでのノベルゲームは、どんなにテキストの量が増え、その価値も高まり、物語が求められるようになっても、やはり選択肢という存在だけは前提的に存在していて、それによる物語の分岐が当たり前のようにあった。『To Heart』も『Kanon』も選択肢による物語の分岐があり、それぞれのヒロインたちとの交流があり、そしてそれらの交流=分岐されたストーリーたちはいわゆるパラレルワールドとして並列状態で存在していた。そのような構造が守られている以上、ノベルゲームとはあくまでもゲームであり、基本的に一本道の小説などの物語とは一線を画すものであった。
しかしそのような前提を、ループゲームたちの存在はあっけなく覆す。
そもそもループ構造を持たないノベルゲームにおいても、従来のゲーム的構造から脱却し物語を志向していこうとする動きはあった。Keyの第二作である『AIR』はその代表で、物語前半こそ分岐による恋愛ゲーム的構造を持っていたものの後半は選択肢が存在しない・存在しても意味を持たないようになり、ほぼ一本道のストーリーが展開される。それでいて多くの支持を得ることに成功したというのは、それだけ、この時点ではもはやノベルゲームがゲームとしてではなく、ただ単に音楽やビジュアルの存在する小説であるかのように消費されていたことがうかがえる。
そしてループゲームとは、選択肢による物語分岐や各キャラクタールートの攻略という要素を維持しつつも、特殊な構造によって、最終的に各分岐は統合されすべては一つの物語であったのだ、というような結末へと至ることになる。プレイヤーが選択肢を選び、能動的にストーリーを選び取っていくのがそれまでのノベルゲームの基本であったのに、このループゲームにおいては、もはや選択肢を選べたとしてもプレイヤーは物語自体を選んでいくことができない。定められた物語をただ、本を読んでいるかのように受動的に受け取るだけなのである。ループゲームの最果て、『ひぐらしのなく頃に』においてはもはや選択肢の存在が完全に捨て去られた。そしてそれでいて問題なくゲームユーザーたちはそのような作品を受容し、支持し、さらに似たようなゲームが次々と生産されていく。
これが、ノベルゲームの今である。
■ノベルゲームの未来
かつてはゲームでしかなかったノベルゲームたちが、物語という要素をひたすら純粋に求めていった結果生まれたのがループゲームたちであった。しかし、物語を志向するあまり、彼らは、本来のゲームシステムを次第に捨て去っていくことになる。その結果が物語の一本道化であり、選択肢の喪失・無意味化である。
ゲームを物語の新しい可能性であると祭り上げるのは結構。しかし、その結果ゲームをゲームですらなくしてしまうことはそれはそれで勿体無いのではないか。ゲームでありながら物語であること、そして、ゲームだからこそできる物語の叙述方法。もしそのような方法があるとしたら。
そしてその可能性を期待させてくれるのが、TYPE-MOONの『Fate/stay night』(2004)である。この作品は選択肢を持ち、ルートも3つに分かれるものの、実際にはそのルートの攻略順は決められていてプレイヤーが選択することはできない。ゲームの構造としては実質一本道であり、選択肢も大して意味を持たないのではあるが、一応、ループゲームと違って、物語としてはそれぞれのルートがパラレルワールド的に分離している、従来型のノベルゲームに近いものがある。また、恋愛ゲームの流れの中で生まれてきた作品でありながら恋愛要素はその最たる目的ではないという点も実に最近のノベルゲームの流れの中に位置づけられうる作品ではあるが、しかし、この作品はそういう点とは別の点で、新しいノベルゲームの可能性を期待させてくれる。
『Fate』は選択肢によって3つのルートに分岐するわけではあるが、これらのルートのいずれにおいても、重要なのはヒロインというよりも主人公である。それまでの恋愛ノベルゲームではひたすらヒロインの物語が重要視され主人公の存在は可能な限り希薄化されていった事態とは実に対照的なのだが、いずれのルートにおいても、一人の衛宮士郎という主人公が持つ「正義の味方になりたい」という願いを中心として物語は展開していく。「正義の味方になりたい」という願いを抱いた主人公・衛宮士郎。彼が聖杯戦争と呼ばれる壮大な戦いの中に巻き込まれ、様々な選択と経験を積んでいくうちに、やがて彼は、彼の思想を様々に変化させていくこととなる。その、思想の最終的な形というのが、各分岐ルートにおいて表現されていく。「正義」というテーマを抱いた一人の少年の思想の結末を、分岐によって3通りに表現することに成功した作品、それこそが『Fate』なのである。
正義や愛といった、物語における最も「善」的であった要素は、ときに肯定され、ときに否定されつつも、その「善」としての権威は失われずにここまでやってきた。「善」を貫くことはもちろん正しいし、そんな善の正しさが保証されているからこそそれに対する反発としての「悪」も重要で在り続けた。善の徹底と反発としての悪、物語の2大テーゼはそのようにして受け継がれてきた。
しかし近年、そのような状況は必ずしもそのまま受け入れられるわけではない。人びとが物語が必ずしも必要としなくなっていくうちに、物語における善や悪といった要素は常に物語の外側から様々な視線を持って受け入れられることとなった。多くの価値観が情報化進む社会において流通する中、善は果たして本当に肯定/否定されるだけの絶対性を持っているのか。むしろ善も悪も結局は同じものでしかないのではないか。そのような考え方が段々と一般的に受け入れられるようになってきて、物語において善を主張すること、あるいは反発して悪を主張することの価値が薄らいできた、というのが近頃強く感じる点である。それをそのまま放っておいては、物語そのものが価値を失うことにつながってしまう。物語において正しい何かを人びとに伝えることができなければ、果たして物語にどれほどの必要性があるのか。
だから、新しく語られる物語とは、そのように相対化し同価値化してしまった善と悪とを常に俯瞰する形で見据えるようなものでなくてはいけない。まずはそこからスタートし、物語として、何か正しいものを目指す下地を作らなくてはいけない。いつまでも善か悪かと論争している場合ではないのだ。物語のステージは既に新しい段階に移っている。
その、小説やアニメ漫画などの物語における状況を綴ったのが、前回のエントリ「相対化する倫理的価値観の果てで我々は何を選び取るべきか」というものである。現状を物語として映し出すにはまず群像劇という方法が必要となるし、そうでなければ『虐殺器官』や『アサッテの人』のように善悪の特殊性を解体するしかない。すべてはそこから始まるのである。
だが、小説やアニメ漫画など、旧来の物語メディアにおいては一つの限界がある。相対化する様々な倫理的意見すべてを俯瞰するには、一本道の物語ではどうしても群像劇化するしかないということだ。ただ一人の人間が様々な意見をどれも同価値と主張するのは困難を極める。
だが、『Fate』は、そのような限界を軽やかに超えてみせる。同作品は、分岐によって、一人の衛宮士郎という人物に、3通りの思想を語らせてみせるのだ。そしてそのそれぞれに優劣関係は存在しない。どの思想に共感するかはプレイヤーの自由なのだ。そのような構造は、一本道ではないノベルゲームだからこそできる。そして、一本道であるループゲームではできないことだし、ノベルゲームでありながら物語と同列に扱えるだけの価値を持つことにも成功している。
『Fate』は、以上のような、ノベルゲームの持つ新しい可能性の一端を見せてくれる作品であるのだ。
しかし以上のような、思想の分岐という方向以外にも、ノベルゲームに新しい可能性を私は見ることができる。それは、『Fate』のような恋愛をあまり重要視しない作品とは対照的な恋愛ゲームとしてのノベルゲームに見る可能性だ。
具体的な作品を挙げるのであれば、Leafビジュアルノベルシリーズの最新作『ToHeart2』(2004)やkeyの最新作『リトルバスターズ!』といった作品なのかもしれない。しかし、それら以上に私が興味を持ったのは、ゲームではなく、アニメ作品である『sola』である。
『sola』はアニメ作品ではあるが、その脚本に元keyのシナリオライター久弥直樹を迎え、キャラクターデザインに『D.C. 〜ダ・カーポ〜』などいくつものゲーム作品の原画を担当する人気イラストレーター七尾奈留を迎えた作品であり、物語の設定やヒロインの配置的にも実に恋愛ノベルゲーム的な要素が意図的に組み込まれている。アニメ原作のアニメ作品でありながら、多くの視聴者がゲームが原作であると誤解したほど、このアニメ作品は恋愛ゲームという存在を意識した作品になっている。それでいて、これはあくまでも一本道の物語なのだ。
その中で、主人公は様々なヒロインたちとの交流を築いていく。視聴者は原作を持たないがゆえに先の読めないストーリーを追いつつ、主人公が最終的に誰と結ばれるかという事態をドキドキしながら見つめている。それでいて、視聴者たちは、どのヒロインと結ばれてほしいか、ということを、まるでゲームのプレイヤーであるかのように存在する。実際にこれがゲームであれば選択肢が出てきて、いずれのヒロインも攻略できる可能性があるはずだからだ。
最終的に、一本道であるこの作品は、とあるヒロインと結ばれることで幕を下ろす。そのヒロインが自分が求めていたヒロインと違っていた場合は、視聴者は実に残念な思いを感じることとなる。そして、もしもゲーム化するのであれば、今度こそそのヒロインを攻略してやると意気込むわけである。
一本道のアニメ作品でありながら、まるで多分岐のノベルゲーム作品をプレイしていたかのように受容するという事態が、この『sola』においては、各感想サイトなどを見ている限り、生じていたように思われる。そしてそのことは反転すると、多くの分岐を持つノベルゲームでありながら、まるで一本道の物語と同等の密度を持った物語を体験することができるのではないか、という可能性に行き着くことになる。そして、多くの分岐を持つノベルゲームであれば、そのような一本道の物語を、プレイヤーの好みによって選び取ることができる、という事態に到達する。
元々、恋愛ノベルゲームとはそのような理念を持っていたはずだ。しかし実際に見られるノベルゲームは、「恋愛をするためのノベル的ゲーム」であって、「ノベルの中で恋愛ができるゲーム」ではなかった。物語世界の中で選び取ったヒロインとの交流を深める、というようなものではなく、用意されたヒロインを攻略するためのゲームでしかなかったというのがこれまでのゲームに対する不満であり、そして、そのような事態は物語への志向とゲーム性の排斥を突き進めたループゲームにおいてピークに達したと感じた。もはや、恋愛ノベルゲームとは、ただのゲームであってはいけないし、ただの物語であってもいけない。ノベルゲームという、ゲームでありながら物語であるのだという自身の特性を充分に自覚したうえで、物語の新しいステージを担う作品を作っていかなくてはいけない。その一つは思想を提示するものであっていいと思うし、あるいは、恋愛ゲームというものの発展形として、「恋愛」という一つの物語を充分に楽しむためのツールとしての恋愛ノベルゲームであっていいと思う。それが、ノベルゲームに対して私が期待する未来の形だ。
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