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2009-03-12

[]吉田修一『悪人』




 吉田修一朝日新聞連載小説。福岡市佐賀市とを結ぶ国道263号線、三瀬峠(みつせとうげ)で起きた殺人事件を主題とする。

 主人公の清水祐一は、若くして日雇いの土木作業員として勤める青年。コミュニケーション能力に乏しく、数少ない趣味は車とドライブと出会い系サイトで知り合った女性とのメールのやり取りくらい。

 ただ不器用なだけの青年だったといえるかもしれない。彼のことを好いてくれる人間もまた少なくない。しかし彼は、彼に与えられる優しさに、実は気づいていなかったのではないか。内向的になるあまり、彼は彼だけの世界を創り、その中に自己愛を肥大化させすぎてしまったのではないだろうか。


 彼はなぜ罪を犯してしまったのか。

 彼が罪を犯すその場面は、物語の後半、彼の告白という形をとって叙述される。物語の中でも特に盛り上がる場面で、読者の多くは彼に感情移入し、同情的な視線でもって読み進めていくのかもしれない。

 実際、彼は不幸だったと言える。彼は彼なりの優しさを相手の女性に向けようとしたのだ。しかし、彼女は自分自身のプライドの高さによって彼を拒絶し、あろうことか身に覚えのない罪を彼になすりつけようとした。

「……俺は何もしとらん」

 佳乃の両肩を強く押さえた。痛みに声を漏らす佳乃が、それでも噛みつくように、「誰があんたのことなんか信じるとよ!」と叫ぶ。

「人殺し! 助けて! 人殺し!」

 佳乃の悲鳴が峠の樹々を揺らす。佳乃が声を上げるたび、祐一は恐ろしさに身が震えた。こんな嘘を誰かに聞かれたら……。

「……俺は何もしとらん。俺は何もしとらん」

 祐一は目を閉じていた。佳乃の喉を必死に押さえつけていた。恐ろしくて仕方なかった。佳乃の嘘を誰にも聞かせるわけにはいかなかった。早く嘘を殺さないと、真実のほうが殺されそうで怖かった*1

 彼は、彼女のことを嫌っていたわけではなかった。大好きだったから、彼女と一緒にいたかった。しかし、彼は自らを陥れる「嘘」を殺すため、彼女の首に手をかけた。彼は、大好きだった彼女以上に、自分自身を愛していたのだ。それゆえに彼は、罪を犯した。

 彼はどうするべきだったのか。彼は、少なくともこの場では、彼女の言い分を受け入れて、それでも、無理やりでも彼女を送り届けるべきだったのかもしれない。その結果彼女に訴えられ不利な立場に立たされたとしても、彼は決して怒らず、寛容な立場を崩すべきではなかっただろう。それが彼が罪を犯さないための唯一の方法だ。

 しかしそんなことができるのか。おそらく、できまい。彼だけでなく、多くの人間にとって。彼のように彼女を殺してしまうという暴走をすることはできなくとも、彼女を置いてその場を逃げるくらいのことはしてしまうだろう。そしてそれが自然なのだと思う。誰もが、自然に、理不尽な他者よりも自分を優先させてしまう。ゆえにいくら人間が理性的でも、この世から悪はなくならない。

 だからこの作品は、ある犯罪者を描き彼を糾弾する作品でも、彼に同情する作品でもない。

 ただ、いかにして「悪人」が生まれるのか、その事実を描いた作品である。


 物語終盤で、被害者の家族が語る言葉がある。クライマックスでもっとも重要な台詞だ。

「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うものがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ*2

 文脈的には、被害者が事件に巻き込まれる原因となったある男性に向けて語られた言葉である。しかし、このメッセージは、それだけでなく、清水祐一にこそ向けられている。彼は、本当に大切な人がいなかった。彼はただ、自分の車と自分自身のプライドのみを大切にしていた(そのことは、彼を裏切った女性とそれを促した男性とに対する怒りよりも彼自身の車を優先させる300ページの描写にも表れている)。だから彼は罪を犯した。

 対照的に、物語後半で、彼はもう一人の女性と付き合うことになる。そして彼は、この女性のことを本当に好きになることができた。それゆえに彼はようやく、自分を犠牲にすることができた。その結果、彼は社会的な大きな罪を背負うことになるが、その罪は、かつて彼が犯した罪とはまた別種のものであったに違いない(彼はそれ以前に一度、母親に対しても同様の自己犠牲行為を行っている)。


 罪を生み出すのは自己愛である。自己愛は誰も逃れられないがゆえに、罪からもまた逃れられない。罪から逃れる唯一の方法は、他者に対する愛のみである。この一般論を通過したとき、先の被害者の家族の台詞は、すべての人間に対して向けられた言葉であることがわかる。

 誰もが悪人となりうる。悪人から逃れるためには、誰か、大切な人がいなくてはならない。大切な人がいない人間は確かに「強い人」かもしれない。けれど彼は、決して罪から逃れられないだろう。


悪人

悪人

*1吉田修一、『悪人』、朝日新聞社、306ページ。

*2吉田修一、『悪人』、朝日新聞社、397ページ。

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