2011-02-06
佐々木俊尚著『キュレーションの時代』〜情報の海で溺れないために
雑記 | |
ITジャーナリスト・佐々木俊尚さんに、新著『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる(2/9発売)をご献本いただいた。
佐々木さん、ありがとうございました!
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
- 作者: 佐々木俊尚
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/02/09
- メディア: 新書
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本書では、情報の枠組みそのものが崩壊している今、情報のあり方が変わり、情報の流れが人を軸としたものに変化していることが、背景も含めてわかりやすく解説されている。
1.情報のあり方とその流れの変化がわかる
「ネットワークの価値は、それを利用する人々の数の二乗に比例して増大する。」
これは、ロバート・メトカーフが1995年、つまりインターネットが一般に普及しはじめる少し前に提唱した「メトカーフの法則」。1000人からなるネットワークは、100人のネットワークの100倍も便利であるという意味だ。
しかし最近は情報が増えすぎて、ひょっとしたら、「メトカーフの法則」は閾値を越えると逆に働くのではないか、と思うことがある。情報発信コストが下がったことで、ネット上には情報が溢れかえり、どこかにあるはずの必要な情報にたどり着くのが、ここ数年でどんどん難しくなったような気がする。そして価値観が多様化する中で、めぐり合った情報をどう位置づけ、どう解釈ればいいのか迷うこともある。
情報を発信する側にとっても、状況は困難になっている。広告業界もマスコミ業界も、どこにどうやって発信すると、ターゲットに届き、そこで行動が生まれるのか、見極めにくくなっている。
どちらも、マスメディアが崩壊した今、情報量が飛躍的に増大し、同時に細分化したことで、情報の流れが見えにくくなっていることが背景にある。
一方で、ブログやソーシャルメディアを通じて、思いがけない有益な情報に出会うことも少なくなくなった。またブログを書いたりツイッターをしたりしている人なら、突然爆発的にアクセスが殺到したという経験をもつ人は稀ではないだろう。何かが大きく変化していて、コントロールするのは難しいが、確実にソーシャルメディア等を通じて情報が伝播している。
この「今、ここでおきている変化」をうまく説明してくれるのが、『キュレーションの時代』だ。本書では、IT以外の音楽、アート、映画などのさまざまな分野の事例をとりあげて、この現象を解明している。
2.人を軸にした、新しい情報圏
情報の新しい枠組みの軸となるのは「人」であり、それを理解するための概念が、「キュレーション(curation)」だ。
本書によるとキュレーションとは、「無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること」。
そして、キュレーションを行う人を、「キュレーター」という。
従来、新聞、TV、雑誌というマスメディアによってパッケージされていた情報は、ネットによって一旦解体、断片化され、海外情報も含めた無数のニュースサイトやブログ等からなる情報の海に投げ込まれた。これらのネット上に漂う情報の断片は、キュレーターによって新たに意味を与えられ、ある意味では再びパッケージ化される。
しかし、キュレーションとマスメディアでは決定的に違う点がある。日本の新聞などをはじめとする報道機関は、公平中立をタテマエとしているが、キュレーションにおいては、個人の価値観や世界観が重要な要素となるからだ。この価値観や世界観を、佐々木さんは「視座」という言葉で表現する。
ではキュレーターの拾い上げた情報は、なぜ共有され、どのように伝播されていくのだろうか?
消費においては、マスが崩壊し「いつかはクラウン」のように社会全体で共有できる価値観をベースにした記号消費がなくなったかわりに、「共感したモノ」にお金を払う「つながり消費」の傾向が出てきている。それと同様に、情報を流す側と受け止める側も信頼関係でつながることが重要だ、と佐々木さんはいう。
そのためには、誰が発信している情報なのかわかることが最低限必要になる。さらに、お互いの顔がきちんと見えて、価値観が共有され、そこに継続的な関係性が持続しなければ、信頼関係は生まれない。そうした場を主に提供するのは、ツイッターやフェイスブック、フォースクエアのようなソーシャルメディアである。
ソーシャルメディアは自分が意識的にチェックインして利用するため、その情報を共有することを前提にできるからだ。
さらにソーシャルメディアでは、それまでの発言、活動のストックが可視化されている。そのため、情報発信者が信頼に値するかどうかは、過去ログを見ていけばある程度判断することができる。逆に言うと、発言の蓄積は自ら語り出すことになるのだ。
実はこの信頼関係についての章で、拙エントリーが引用されている。私は、日本文化が育んできた「主客一体」の相互コミュニケーションがネット上でも成立する可能性があると書いたのだが、これをマーケティング用語のエンゲージメントの概念につなげたのは、さすが一流ジャーナリストだと思う。
3.キュレーターに必要なこと
もともと「キュレーション」とは、美術館や博物館で展覧会を催すときに特定のテーマやメッセージに基づいて作品を選びとり、配置する学芸員の役割のことを指した。
特に佐々木さんの好きな現代アートの世界においては、プロではない人の作品が認められ、その作品を見出す人の存在が重要になりつつあるということが、本書では多数の事例で説明されている。現代アートは、作る人と見出す人(=キュレーター)の共同作業による世界なのだ。
モーツアルトの音楽を語るのに、その人自身の視座はかならずしも必要ではないが、誰も知らないアーティストについて語るときに、公平中立な立場は意味がない。何を評価するかはその人の価値観で決まり、それに共鳴するかどうかは受け手の価値観で決まる。
本書を読んで強く感じたのは、現代アートに理解のある佐々木さんだからこそ、「キュレーション」という概念の可能性にいち早く気がつき、その重要性を信じられたに違いないということだ。
ところでこれは、キュレーターに必要なことは何か、キュレーション能力を高めるにはどうしたらよいかという疑問に対する回答につながるように思える。
それは、独自の視座を持つこと。そしてその視座を確立するのは、仕事に限らない。趣味も含めて、何を見て聞いて、どう感じてきたのか、何を経験してきたのか、そうしたことが全てその人の視座につながりうる。
もう一つは、専門バカではなく、ある程度広い視野で情報を位置づけられることだ。
ではそもそもキュレーターとは誰がなのか? という疑問について、本書では今や「一億総キュレーション時代」だとしている。佐々木さんのような有名ジャーナリストだけではなく、ネットで情報を配信する人は、なんらかの意味でキュレーターである。ネットの記事を読んでいる人もまた、膨大な情報の海から特定の記事を読んでいるという意味で、キュレーターであり、ツイッターで誰かをフォローすることも、同様ということだ。
私見だが、それでもアートの世界と同様に、表現者とキュレーターの違いはあるように思える。自己の主張が強いのか、それとも受け手の存在を意識して分かりやすく情報を整理しているのかという違いだ。ただ、ネットのように常時つながっていて反応が可視化された世界では、誰でも多かれ少なかれ、他者の影響を受けるような気はする。また自分の行動が、インターネットの生態系のなかで、些細であっても何らかの影響を与える点では、意識していようといまいと、誰もがキュレーション行為に参加しているとはいえそうだ。
4.キュレーションの意義と限界
(1)意義1 情報を効率的にフィルタリングできる
情報単体の真偽を見極めることは難しい。ある程度知っていることなら、勘は働くが、全ての分野を知っているわけではないからだ。その点、それぞれの分野で信頼できるキュレーターを選ぶことで、情報のフィルタリングコストを低減できる。
(2)意義2 セレンビリティの確保
同じ情報であっても、解釈や意味づけは人によって異なるため、キュレーターを介して情報に接することで、思いがけない発見をしたり、自分の認識が再構築される可能性がある。また、自分の興味がない分野でも、キュレーターの発した情報を手がかりに、価値ある情報に接することができる
(3)キュレーションの限界
そうはいっても、キュレーションの限界はあると思われる。この点については、佐々木さんとは意見が異なるかもしれない。
キュレーターを介した情報が共感をベースに伝播する以上、共感されない情報、つまり全く新しいこと、理解できないことは伝わらないはずだ。
次に、良質なキュレーターをどのように発見するかという課題もある。もっともこの点は、自分でソーシャルメディアなどを通して積極的に見つけていくしかないのではないかと思う。
いずれにしても、情報化がますます進展する現代において、キュレーションのニーズは高まっていくに違いない。



