Felicity Fey(フェリシティ・フェイ)引退


【出典】…人物 ネット Felicity Fey(1987-)
 
【説明】…ラテン・アメリカを中心にウェブサイトでの活動を中心として行っていたヌードモデル
本名はスヴィトラーナ・パシェンコ。ウクライナ人。
キエフの大学で数学を専攻するかたわら、ファッションデザイナーとしての勉強もしていた。ヌードモデルは学費を稼ぐために行っていたと言われる(本人は「これも一つのチャンスと思いモデルをやっている」と語っている)。現在はヌードの仕事は引退している。
 
【独断】…忘れるな、この痛み
ネットってのは不思議なもんで、ネット上ではもの凄い認知度を誇りながらも、公に語られることがほとんどない存在というのがしばしば生まれる。誰もが見知っているはずなのに、誰も語る事がない。口に出しさえすれば相手だってそれが何か解るかも知れないのに、だ。
今では信じられないことだが、昔は「2ちゃんねる」がそれに近かった。1990年代末においてはアングラサイト的な扱いで、BUBKAあたりが紹介記事を書いたのが“公”としてのスタートであったと思う。当時はネットをやっている者同士でも「2ちゃん」の名を出すのは憚られたものである。「あんな(ヒドイ)ところに行き来しているの?」と思われるのは常識を疑われるようで怖かったのだ。その後、様々な事件やネタがあり、メディアでも当たり前のように話題にされるようになって、完全に“公”の一部と化してしまった。
 
いきなり出した例が大きすぎたが、他には単なる「画像」もそういったことになりがちである。誰もが見たことのある“有名”な名も無き画像が、ネットには無数に存在する。所謂「既出画像」というやつだ。特にエロ系に多い。
各々嗜好の違いこそあれ、良いエロ画像というのは大体誰しも認めるところ「良い」のである。だから発見次第みんなが保存する。で、みんながあちこちにその画像を貼っていく。すると拡散に拡散を重ねていった挙げ句、その画像は気が付くと「男なら誰しも知っている画像」になっているのだ。
変な話、被写体の顔が映っていないおっぱい画像でも“有名”なものは沢山ある。有名なおっぱい、有名なおしり、有名なパンツ、有名な○○○…、どうだろう、男性諸兄ならいくつかパッと思い浮かぶのではないか? このスケベ。
で、そこに来てのフェリシティである。「洋物はダメ」、「三次元はちょっと…」、という人以外は大体見たことがあるのではないだろうか。
 
その類い希なる可愛らしいルックスと、あり得ないボデーのギャップ。もう堪りません。海外サイトではあちこちで見かけるし、日本でもおそらく潜在的なファンは数十万人はいると思うのだが、日常、決して話題にされることはない。
職場で「フェリシティの新作見た!?」「見た見た!もう辛抱たまらねぇな!」なんて会話が行われていたら、ステキな会社ではあると思うのだが、取引したくはないだろう。学校で「村娘の格好してるやつがサイコー!」「あんな村行きてー!」なんて会話が行われていたら、その学校の偏差値は推して知るべしだろう。(というか、なんでこいつらこんなにテンション高いの?)
本来、男のオカズというのは、同じ男同士でも簡単に言い合えるものではないのだ。それは自身の金玉を相手に握らせる行為にも等しい。「こいつになら俺の金玉を預けても大丈夫だ」と思える相手でないと、そうそう腹を割って話すことはできない。そうしてみんながムッツリしている間にも、フェリシティのファンは世界中で雪だるま式に増えていったのだ。
 
フェリシティのファンはおそらく世界に数百万、あるいはそれ以上いるのであろう。名も知らぬ兄弟たちの心の支えとして、フェリシティは輝き続けた。(我ながら言うことキモいなぁ)
このように、“公”にほとんど語られることがない偉大な存在を、我々は忘れてはならないと思うのだ。
エロに限らずそういうのは結構あるだろう。キチンとメディア露出しているモノは適度に飼われているから死に絶えることはなかなかない。しかし、野生のモノはちょっとした気候変動で簡単に絶滅してしまう。それらの存在が、「確かにいたのだ!」と語り継いでいくのは、我々みんなの仕事なのである。