「出すという目的があると入るものが違ってくる」

情報考学の書評

マインドマップ読書術―自分ブランドを高め、人生の可能性を広げるノウハウ

という本の紹介。今日のタイトルの「出すという目的があると入るものが違ってくる」は、そこからの孫引用だが、名言だ。今、学生同士で勉強会をやっている。はじめは学生同士だから勉強のペースメーカーにはなるかなと思ってはいたものの、たいした効果を期待していなかった。しかし、この名言の言う通り、皆の前で発表するという目的があると勉強の方向も変わってくる。そして後々記憶にも残る。


情報は単なる消費対象や貯蔵対象ではない、ということかもしれない。自分に入ってきた情報をその場限りの知識欲の充足でよしとするのはもったいない。また、入ってきた情報を単に覚えこんで知識の多さを自慢に思うだけではもったいない。もちろんそれはそれで楽しいことだが、一歩踏み込んで、自分に入力した情報は自分なりに処理したり変形したりまとめたり・・・して、また新しい情報として出力する、というのが情報の有効な使い方ではないだろうか。その方が楽しいし、記憶に残るし、うまくすれば他人や未来の自分の役に立つかもしれない。


書籍やブログ、美術や音楽といった著作物は、それを鑑賞する人々の事や、それが社会に及ぼす影響といったものが注目されがちだけれど、最も重要で確実な影響は、著作物が著作者本人に及ぼす影響なのかもしれない。

うさんくさい…とフタをしてしまわずに

回答しようと思っていたら、ぎりぎり機を逃してしまった質問(→こちら)がある

次の質問に答えてください。

1、宗教の本質とは何か?

2、生命の正体は何か?

3、真の幸福とは何か?

この三つの質問への回答には、条件をつけます。(説明できない・人それぞれである)といった回答は無しとします。それから、回答にはそれが正しいとする確かな証拠を必ず示して回答してください。曖昧な回答は不要です。URLはダミーでも結構です。

「本質」「正体」「幸福」いかにも唯物論者が鼻をつまみそうな単語が並んでいる(^^
事実このような問いかけをすること自体を疑問視する人もいたようだが、これらの問いは、それを問うことを禁止する必要があるほど有害な問いでもないのではないか。頭のトレーニングというか、休憩というか、それは自由だが、この人間らしい問いは僕たちに必要だと思う。ただし、ずばりな答えが見つけるはずはないし、どこにもない答えを求めて白昼夢に彷徨うのは、人生百年に延長されつつある現代とはいえ時間の無駄というものだ。

しかし、時折その問いを考えてみることは有益だ。その問いを機会に今までの経験やら考えやら価値観やら…云々をほぐすことができるからだ。例えば頑張って一日仕事をして疲れた後に肩のコリをもみほぐしてもらったら気持ちいいじゃないですか、あれと一緒です笑。


僕が考えた回答は……、(後日へつづく)