【短篇】泣く日々。

幼い頃。

悲しい悲しい悲しいと

泣いて泣いて、泣いていた自分が居たよ。



母親はよしよしと慰めてくれた。

父親は泣いても何も変わらないぞと叱咤激励した。



泣いて泣いて、泣いてばかり居たら

いざ母親が亡くなった時に

泣けなくなってしまった自分が居たよ。



泣けることは幸せだから

泣かないで済む人は

泣くべきじゃない。




一番に泣きたいときに

泣けなくなってしまうから。

【日常】めんどくさいコメントが来たので。

丁寧に言及してみることにする。

復興に関して、政府は予算を組むけれど、経済活動を自粛自粛と停滞させてしまったら、現在、ただでさえ、消費が低迷して税収が減り、国債に頼る日本なのに、政府は復興の予算を国債として無理矢理捻出しなければならなくなる。実際、そうなる予定です。

日本は支援大国、であるのと同時に借金大国です。バブル崩壊後、発行していた国債の利子を払えない政府は、返済目的で国債を発行するようになった。借金で借金の返済をしてきた。

そんな消えない借金背負ってるのに、戦後処理として、経済大国として、他国に様々な支援をしてきた。だからこそ、今、沢山の国が助け船を出してくれています。


じゃあ、その国債を買うのは誰でしょうか?

みんなが自粛、自粛と支出を減らしていけば、結果、経済は停滞して収入も減るし、税収も減る。税収が減れば、また国債を発行するしかなくなるけれど、経済が停滞・低迷し、収入などが減れば、国債を買う国民が居なくなる。国債国債の利子を返済しているような部分すら補えなくなる。


今回の震災で税収は確実に減る。

しわ寄せは被災者に向くのではなくて、現在、経済を動かしている自分達にその矛先が向く、と言っていい。

このまま経済活動を自粛、自粛と停滞させていけば、それこそ国民が総倒れになる事態にも成りかねない。

少なくとも、自分は平和ボケしているつもりは全くない。

平和ボケしている人間は何か起こると、それしか見えなくなる。結果、自分さえも無駄にマイナスに追い込んで、さも痛みを共感したような素振りをして、不幸な顔をする。正直、卑怯者のすることだと思う。

自分は生き残りたいからこそ、こうして言葉を放つわけであり、そんな卑怯な立場に自分を置くことはないし、自分は亡き肉親の為にも、幸せにならなきゃならないんだ。


今、を見る人間は今を。
先をみれる人間は先を。


丁寧に見ていかなければ、日本は震災をきっかけに崩壊する。

被災者の救援すら、出来なくなってしまう。



自粛、という平和ボケに流されるな、と言いたい。

やるべきことをやりながら、自分の限界値を今一度、確認して行動すべき世の中になったんだよ。

【震災】義援金と支援金と復興国債の違いと効果について。

最近、勉強していたことについて書いておく。


義援金とは、主に被災者、各家庭や企業に配分されるお金のことを言う。

配分には被害状況の把握や保険の適応状況とか、遺族が居るか、居ないかとか状況と条件を選定することになるため、分配には数年を要する。

復興途中の被災者を支えるお金には違いないが、タイムラグがでか過ぎて、あまり現状は効果の薄いお金とも言える。

義援金がそれだけ集まってるのに、なんで物資が来ないんだ、との疑問の答えはここにある。



支援金とは、主に被災者の避難生活を支える物資の購入にあてられるお金のことを言う。

確かに身近な「生」には直結するが、避難生活を早く終結させることが復興の最重要課題なので、そればかりを優先すればいいということでもない。

実際、阪神では仮設住宅での高齢者の孤独死が問題になった。全国的には知名度の低い震災の問題点だと思うが、報道が鎮静化してから起きた一番避けたかった二次三次災害が起きてしまった。
すべてが後手に回ると、その流れはなかなか変えられない。



現状、一番ダイレクトに被災地復興に活かせるお金の使い道は「歳入」を増やすこと。

復興指揮を取るのは政府の公共事業がまず第一であり、何をどう復興させるのか?の手順は政府が決めていく、と言って間違いないでしょう。

復興予算調達に復興国債、税金=歳入。

政府にお金がない、となれば、復興は進まない。復興が進まなければ、高齢者の孤独死を含めた、二次、三次災害が本格化するのは間違いない。

せっかく生き延びたのに、震災と直接関係ないところで、人が亡くなることはあってはならないことなんだ。


保険に関しても、各保険会社は地震保険に歳出が増えるから、今後、保険に加入する人にとっては、保険料の値上がりも懸念される。

みんなが自分の価値観もしっかりと投影しながら、個人個人で丁寧に選定をしなければならない。


義援金で満足してはいけないし、支援金で安心してもいけない。


まず、歳入からの歳出での復興。

自分はこれが最重要課題だと考えますが、電力の問題でそれが難しくなっています故、電力消費の少ないものは優先されて良い、と考えます。

前にも書いたけど、仮設住宅が建ったから、って安心なんてまったくできないんです。



とにかく。


「傷に傷を擦っても、傷は治らない」

良薬は口に苦いもので、良薬とは何か?

をみんな考えなければならない。

【日常】前を向く。

母親が亡くなったと知らされた瞬間。

帰る新幹線の道中。

おじさんが迎えに来てくれて車で自宅に着き、自分が使っていたベッドに眠る、起きることない母親を見るまで。


ひたすらに祈り続けたさ。

「これが夢であってくれ」って。



眠る顔を見て、しわくちゃな手を見て、そんな冷たい手に触れた。


悲しんだり、苦しんだり、泣いたりすることを否定はしない。


否定はしないけど。


泣いていて生き返るのか?


悲しんで何もしないで、何か変わるのか?


答えはひとつしか見えなかったよ。



前を向かなきゃ、前を向いて必死に生きてやらなきゃ、何もつなげないって。



母親を笑顔で見送ることを自分に課した。



肉親や友達や、自分と深い関わりを持つ人が亡くなる苦悩なんてものは、今までそれなりに経験してきた。


他人がそうなるのも見てきたけれど、何が分かる?

人それぞれの悲しみの尺度なんて分からないし、分かってあげたくても分からない。



正直、笑ってる奴が居たくらいだよ。



自分は薄情モノと呼ばれても構わないから、分からない他人の悲しみ以上に、分かる進むべき未来を見てやりたいんだ。


それこそ一緒に。



そして今は沢山の人が、人の死を悲しんでくれるでしょ。


だったら、そこはその沢山の人に任せればいい。



役割分担は必要だ。


自分が笑顔で母を見送り、父や兄が泣き崩れたように。


自分はそれでいい。