貧乏暇なし。

SAABを最初に修理に出してから10日近くたっているが未だにSAABは不調だ。経過を報告すると、入会したてのAAAに電話してTowingを依頼し、やけに乱暴で横暴な運転のレッカー車でSAABをAAA特約の修理工場に運んだ。AAA会員はTowing serviceは無料とばかり思い込んでいたが、僕が入会したBasic会員は5マイルしか無料では運んでくれないらしい。結局5マイル以上走った分の超過料金を約$40払い、工場まで運んでもらった。故障部分は予想通りクラッチの破損で$1700と4日間の入院でクラッチとワイヤーを交換し、一旦SAABは手元に帰ってきた。しかし、今度は妙に車体がぶれるようになってしまった。車体のぶれは2000rpm、40mphぐらいから始まり3000rpmで特にひどくなる。ハンドルにぶれは無く、車体のぶれである事とクラッチを切ったらぶれが収まることを考えると、やっぱりクラッチの異常のような気がしたので、同じ修理工場に再入院させた。しかし、工場のおっさんの言う事には、エンジンマウントの破損らしい。修理前には全く車体の振動は無かったので、そんなはずは無いと思ったが、結局おっさんはマウントを交換しただけだった。今日車を取りに工場に行くと、車体のぶれは良くなってないが、これ以上の修理はおっさんの手に終えないから、別の工場に持って行けと言う。それでもしっかりマウントの交換費用として$240を請求してきた。さすがに腹が立ったので少しだけ値切ったが、$220以上はまけてくれなかった。修理工場からの帰り道、車体の振動が全く変わってない事を感じながら運転してきたが、修理に持っていく時間も無いし、お金も無い。まさに貧乏暇なしである。
こんな思いをすると日本に帰りたくなる。日本でも暇は無かったが、少なくとも多少はリッチだったし、ストレスも少なかった。でもまあ、こんな経験が出来るのも修行のうちの一つである。

SAABついに寿命か?

今日は手術も無く、病棟も落ち着いていて、まだ明るい時間に病院を抜け出す事が出来た。これなら夕飯前に帰宅できると思っていたが、帰宅途中に故障車による渋滞に2度も巻き込まれ、「そんなボロ車乗り回すなよ」なんて心中思いながら自慢のSAABを運転していた。自慢のSAAB、1997年製ながらエンジンも快調でよく走る。ただ、最近、妙にギアが入りづらくなる事に気がついていた。
今日も、ギアが硬いなと思っていたが、突然ギアが入らなくなってしまった。無理やりギアを1速に入れようとしたらガチンという音と共に完全にいかれてしまった。幸いな事に、故障したのがアパートのゲート前だったので、そこから家の駐車場まで息子にハンドルを握らせ、妻と二人で必死に車を押して無事我が家にたどり着く事が出来た。
マイアミは都会の癖に交通手段が貧弱だ。明日からどうしよう。
ちなみに5人いる移植外科Fellowのうち、僕を含めて3人の車が故障中だ。そういえば今朝同僚Fellowの車を修理工場に運ぶときに「そんな車、さっさと売り払ってTOYOTAを買えよ」なんて冗談を言ってしまったが、明日は僕の車を工場に運ばないとならない。という訳でAAAのメンバーになってしまった。早速明日電話してみよう。

ストロング ベイダー卿

休暇を終えてダークサイドに戻ると、そこには地獄が待っていた。病棟を担当するAttendingは毎週替わるのだが、今週はベイダー卿のサービスと言う事で警戒はしていた。ベイダー卿の要求は非常に高い。さらに今週1週間で移植が10件もあり、非常に厳しい1週間となってしまった。
肝臓グループでは、徹夜明けの手術の後は仮眠をとって良い事になっているのだが、ベイダー卿は徹夜明けの僕らに「先生、ストロング?」と必ず聞いてくる。「ストロング?」と聞かれたら頭の弱い僕はすかさず「YES」と反射的に答えてしまう。するとベイダー卿は「じゃあ、病棟お願いね」と返してくるのだ。特に今週は4件の徹夜手術があったので悲惨だった。さらにベイダー卿は、たまたま日本から見学に来ていた先生と学生さんにも厳しい。徹夜手術を早朝まで見学して、仮眠を取るために帰宅した学生さんに、朝の8時に「今、回診してるんだけど、どこにいるの?待ってるから早くおいで」なんて電話している。ほとんどイタズラ電話のノリだ。さらに、フラフラになって現れた学生さんに「今晩も手術あるから見ていってね」なんて追い討ちをかけている。半分涙目になって助けを求めてる学生さんに「じゃあ今日も一緒に徹夜だね」と僕からもトドメをさしてあげた。
こんな感じで、復帰第1週目を楽しく終えることが出来た。今日は本当に久しぶりに家で家族と食事を摂っている。今の所、今晩は手術は無さそうだ。

長期休暇2 ビーチ編

結局2日間にわたって航空ショーを堪能した後、ステートパークでのキャンプがあまりにも快適だったので、今度はビーチにキャンプに行く事に急遽決定した。計画性の無さは相変わらずである。当然キャンプ場の事前予約は一杯で、一部の予約の要らない早い者勝ちのキャンプサイトを当てにして、また今回も早朝5時起床でフロリダ南部Keysのステートパークに向かった。
キャンプ場のオフィスに朝一番で乗り込むと運良くキャンセルがあったようで、すんなり2泊分のスポットを確保する事が出来た。このキャンプ場がまた最高で、ビーチのすぐ脇にテントサイトがある。まさにプライベートビーチの感覚だ。

ビーチはかなり遠浅で干潮時には干潟が現れる。干潟ではこんな生き物も。

レンタルカヌーもある。(1日$10)

こんな素晴らしい環境で2泊3日間をビール三昧、BBQ三昧で過ごした。一日中ビールを飲みまくり、恐らく2日間でのビール消費量は5リットルぐらいは飲んだろう。釣りにもトライしたが、あまりに遠浅すぎて不発。
こんな素晴らしい休暇を過ごした後のダークサイドでの修行は更に辛い。早速今日からいつものように早朝5時起床で道場に向かった。

長期休暇1 航空ショー編

先月末のドナー手術とそれに続く23時間に及ぶ移植手術を何とか乗り切った後には、1週間の長期休暇が待っていた。日本では1週間なんて長期休暇はまず取れない。いつも寝不足だったので、休みが取れたら思いっきり寝るぞと心に決めていたが、結局休みが始まるとぎゅうぎゅうずめのスケジュールが待っていた。
まずは友人御家族と一緒に空軍基地の航空ショーへ。
結局いつもと変わらない早朝5時起床で、フロリダ中部の空軍基地へ向かった。医学部入学直前まで本気で航空自衛隊パイロットになるつもりでいたので、アメリカでの航空ショーは決して見逃せない。会場では、日本ではまずお目にかかることの出来ないA10がまず出迎えてくれた。A10を直になでなでして記念写真をとった後には、最新鋭のF22が待っていた。さすがに最新鋭の機体だけあって、機体周囲にはロープが張り巡らされ、銃を構えた兵士が物々しく警備していた。
今まで写真やTVで見たことはあった。その斬新なデザインはあまり好きになれなかったが、実物は非常に洗練されていて、並びのF16やF18が古臭く見える。

他にも一通りの機体が展示されていたが、興味が無いのとあまりの暑さに子供たちがぐずぐず言い始めたので、足早に展示をやり過ごし、日陰を求めて輸送機の主翼の下に潜り込んだ。次はBlue Angelsの曲芸飛行、メインイベントだ。

やっぱり超かっこいい。きっと息子も感動してるだろうと思ったら、息子は友達とポケモンゲームに夢中だった。
その日の夜は空軍基地近隣のState Parkのキャンプ場に宿泊した。State ParkといってもフロリダのState Parkの設備は只者じゃない。各テントサイトには電気水道が完備され、トイレもシャワールームも非常に快適だ。さらにプールまである。そこでいつものようにBBQ。深夜まで飲み明かし長期休暇1日目を終えた。

ダークサイドの1週間

成人肝移植グループに来てから1週間がたった。この一週間は意外にもスローペースで、移植は4件だけだった。おかげで徹夜は1晩だけで済み、比較的平穏なスタートだった。まだ皇帝に拝謁する機会は無いが、ベーダー卿からは手術場では「如何に糸を操るか」とか「如何に持針器を操るか」とかの基本的なダークフォースの使い方から、比較的応用編のピギーバック(肝背側を下大静脈から剥離する手技)でのフォースの通り道まで伝授していただき、病棟でも超音波のダークサイドを教えてもらったりと、かなり濃密な修行を積む事が出来たと思っている。これからの修行が楽しみだ。
今日から帝国軍の軍曹とも言うべき同僚のシニアフェローが休暇をとっている。何事も無く軍曹不在の数日間を過ごせると良いが。

モートル

以前研修させていただいていた歴史の古い病院では、モートルという古い外科の習慣が今も残っていた。モートルというのは、研修医が初めての手術を経験させてもらったときに指導医の先生や同僚にお礼の意味を含めて一席設けると言うものだ。その病院では研修医が常に10人以上いたので、研修医がエルステ(初めての手術)をやるたびにモートルをやっていたら毎日が宴会になってしまうので月に1度、大抵が市内の肉屋ですき焼きとしゃぶしゃぶを食べながらその月に執刀させてもらった症例を皆に披露するという方式をとっていた。今でもその病院ではモートルをやってるんだろうか?
先月をもって膵腎移植チームでの研修を終えたので、ここでちょこっとモートルをやってみたい。
昨年11月から今年2月末までの4ヶ月で膵腎移植7例(第1助手を含む)、腎移植40例(4例の両側腎移植、6例の腎摘出術(1例の両側腎摘を含む)、1例の右半結腸切除を経験させてもらった。付き合って下さったAttendingの先生方、ありがとうございました。