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1999年12月27日(月)

[]悲しみのための装置 悲しみのための装置を含むブックマーク 悲しみのための装置のブックマークコメント

「あなたさ、ああいう事はあまり書かない方がいいよ」と、この間、知りあいから言われた。「ああいう事」というのは「どういう事」だかすぐにはわからなかった。最近、そんなヤバい事を書いたつもりはないのだが。

「ほら、平和イベントが嫌いだって書いていたじゃない。みんなで平和を祈るなんてアホらしいって。あれはまずいよ、印象よくないんじゃない?」ああ、確かにあるサイトでそのような事を書いた。

「印象って、私の印象?」「そうだよ。あんまり悪いイメージを与える事は書かない方がいいんじゃないの?人気商売なんだから」そう言われて、ものすごくびっくりした。そんな事を考えながら何かを書いた事は一度もなかった。印象を気にして書いていたら、たぶん私は一字も書けなくなってしまうかもしれない。

誰が自分をどう思うか。それについて悩み出したら、不特定多数の人に向けて意見を発表するのが本当に辛くなるように思う。だから私は適当に鈍感なのかもしれない。

正直に言おう。私は「平和の祭典」とか「愛と平和の集い」とか、そういう「不特定多数の人といっしょに祈る」というイベントがとてもとても苦手である。そのイベント自体をアホらしいと思っているのでは決してない。そういう場所に参加した時の自分がすごく偽善的で自分で自分にアホらしさを感じてしまうのだ。

本当は、他の人といっしょに心から平和を祈ったり、愛のために祈ったりしたいのである。だけど私にはそれができない。居心地が悪くてたまらない。そういう自分に対して小さな罪悪感を感じた時期もあった。

なんで私は素直に平和のために人といっしょに協力して祈れないんだろう。なんでこんなに居心地が悪くひねくれているのだろう……と。素直な心になれないのは私の育ちが悪くて、人に心を閉ざしているからだろうか……などなど。

そして「なぜ平和イベントが苦手なのか」について、ずっと自分なりに悩んで来たように思う。

■悲惨な出来事に感応する人

「アウシュビッツの映像や、戦争の悲惨な映像を見てしまうとショックを受けて食欲不振になったり寝込んだりしてしまうことがあった」

私の知りあいの女性の何人かは、こういう事を言う。どうも稀にそのような人がいるらしい。彼女たちは思春期の頃から、虐殺などの悲惨な映像を見るとパニック状態になるという。そして、被災者の気持ちに自分の身体が共鳴するように反応してしまって、抑鬱状態になるというのだ。

つい先日も知人と電話で話していてこの話題になった。彼女は中学生の時に「夜と霧」に掲載されていたアウシュビッツの写真を観て三日ほど熱を出して寝込んだと言っていた。ずいぶんと大人になるまで、大惨事、戦争、虐殺、殺人などの映像、ニュースを観るだけで、精神状態が不安定になり具合が悪くなっていたそうだ。

もちろん、そのような映像は誰にとっても辛いものだ。だが、彼女の場合、その辛さの度合いが人よりも大きい。映像が何日も自分の気分を支配し、体調が悪くなり、ざわざわとした黒い圧迫感が胸から去らない。言い知れぬ恐怖と、嫌悪と、憎しみが、暗い穴から飛び立つこうもりみたいにわき上がって来るんだそうだ。

「今はどうなんですか?今でも気分が悪くなるんですか?」「今は、悲しめるようになった」と彼女は答えた。「それまでも悲しんだから辛くなってたわけでしょう?」そう尋ねると彼女はちょっと悩んでからこう言った。「以前は、その悲惨を自分という個人で引き受けようとしていたの。だから具合が悪くなってしまったんだと思うのね」

あまりにも悲惨な事件、大量虐殺、残虐な犯罪、戦争、災害、そのような悲惨な出来事の被害者に対して、「私」という個人がその意味を全部引き受けようとしたなら、発病するしかないだろう、と彼女は言うのだ。それは個人が引き受けるには重すぎる事実である、と。

なぜこんなひどい事が起こってしまうのか。その意味を問うとき、自分に問うてしまったらもう人間を愛せなくなってしまう。それは自分の存在を否定し、人間を憎むことになる。でも、幼い頃は世界を自分の器で引き受けようとしてしまったから、だから自分に刃が向いたので具合が悪くなってしまったのだ、と。

■個を越えて悲惨を受け止める

「じゃあ、今はどうやって悲惨を受け止めているんですか?」私がしつこく質問すると、彼女はちょっと困ったみたいだった。「これはとてもナイーブな話だから説明するのが難しいのだけど、私はある時、悲しみと愛は同じ波動をもっている、と感じたの。突然に悲しみと愛は全く表裏一体だ、と感じたのね」

彼女はある時期、身体を壊し、病気から回復する過程で「人間の力の及ばないもうひとつの存在」つまり、私たちが普段「神」と呼んでいるような存在を実感するに至ったのだと言う。ただ、彼女は信仰を持っていない。だからそれがどんな「神」なのかは彼女しか知らない。

もちろんそれを、妄想とも思い込みとも言うこともできる。でもとにかく彼女は「個を越えた存在」を実感し、それによって「深い悲しみは深い愛と同じ波動をもっている」ということを知ったのだと言う。

「深い悲しみは深い愛と同じ」という言葉は、宗教的な人たちから聞くことがある。だけれども、信仰をもたない私には、この言葉の凄さが実感としてまだよくわからない。言おうとしている意味はなんとなくわかる。だがそれは理解であって実感や納得ではないのだ。

「遠藤周作さんの小説に『沈黙』というのがあって、主人公が、神よなぜあなたはこんなひどい事をするのだ、そしてなぜ沈黙するのだ、と神に問いかけるのね。でも私は、悲しみと愛が同じ波動であることがその答えなのだと思った」

彼女は「憎しみは人を壊すけど、悲しみは人を壊さない」と断言する。彼女は世界の悲惨の意味を自分の内に求めることを止めた。それは個人が背負うには荷が重すぎるからだ。そして、個を越えたところにある、もうひとつの価値に自分を委ねた時に、悲しみは愛だと知るのである。

「だから私はただ悲しむ。透明に悲しむようになった。悲しみを胸に抱いたまま、すうっと時を通過できるようになった。悲しみは私を壊さない。悲しみは憎しみを祈りに変える」

■失われたもうひとつの価値

アイヌのアシリ・レラさんにお会いした時に、彼女から、表現は全く違うけれど同じ意味だと感じられることを教わった。

アシリ・レラさんは生まれた時から「自分と神は対等に存在する」という、アイヌの教えの中で育ち、その教えを受け継いだまま現代教育を受けた。彼女は法律知識も科学知識も持っており、本を書く言語能力もある。そして、それらの知識と「カムイ」は彼女の脳の中で共存できるのだ。

アシリ・レラさんもまた「個を越えたもうひとつの価値」を持っており、そこに自分を投げ出し委ねる術を知っている。なぜ彼女が今もなお残るアイヌ民族迫害の現実を乗り越えて、この日本の、そして世界のすべての人の自由と平和のために行動できるのか、その理由はたぶん「悲惨な歴史を個人で引き受けない」からなのかもしれない。

それは責任転嫁とか放棄とは全く違う。人間的な感情という器には限りがある。悲惨をリアルに受け止めてしまったら、人は発狂するしかないだろう。だから彼女たちは、器を捨てて、別の価値観、世界観に自分を委ねるのだ。もしかしたら、神や宗教は、そのように人を解放する装置なのかもしれない。

とはいえ、私はいまだにその「装置」の使い方がわからない。わからないので右往左往しながらそれを探しているとも言える。

私は悲惨な事件についてときどきコメントするが、そういう時、読者から「あなたも自分が被害者だったらそんなエラそうな事を言えないでしょう」という厳しいご意見をもらう。それはたぶん、私が「悲惨」から距離を置きながら、でもアシリ・レラさん達のように「悲しみとして受け止める」には至っていないので、エラそうに見えるのだと思う。

いまだ、現世的価値観を生きる私は、どこかで「もうひとつの世界」の存在を感じながらそれを拒否している。悲惨な事件に遭遇すると、それを個として引き受けてしまい、被害者の方に過剰共鳴して復讐心に燃えたりしてしまう。

そうならないために、一歩引くので、表現が中途半端になるのだ。それが自分の限界である。事件から距離を置くことで冷静にはなれるが、うまく悲しめない。のめり込むと、悲しまずに怒ってしまう。この堂々めぐりだ。

「平和イベント」が苦手なのも、この宙ぶらりんな自分を嫌でも見てしまうからだと思う。自分のことを悲しむのすら苦手なのだ。ましてや人類の過去を悲しみ、未来を祈ることのなんという難しさ。残虐の歴史は確かに私が個の感情で担うには凄すぎる。だから私は自分の感情に合わせて事実をわい小化してしまうのだ。

個を越える装置をずっと探しているけれど、宗教はなんだか怖い。すでにアレルギーがあるのだ。探して探して、今年は神社や、森や、アイヌコタンに行ったのだ。古い自然のなかに何かがあるような気がして。だが、私は知識を持ちすぎた分だけ何かを見落としている。きっとまた、、来年も、探索の旅が続くんだろう。

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