2006年01月22日(日)
■[おすすめ][コラム]「いただきます・ごちそうさま」こそ日本文化そのもの

「いただきます」「ごちそうさま」は日本文化の根幹であり心髄だ。これをおろそかにするやつは毛唐(ATOK NGワード)だ。何故なら英語には「いただきます」「ごちそうさま」の表現が存在しない。「Let's eat」なんて「さー、食うぞー」だし、「I'm finished」なんて「食った」って言ってるだけじゃないか。
ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と。
「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」
…死ね
いただきます・ごちそうさまは、料理を作ってくれた人に感謝し、食材を生産した人に感謝し、食材そのものに感謝する、人が人として生きていく上で、全てのものに感謝するという、日本古来の美しい伝統で文化だ。礼儀がどうの躾がどうの言う前に、日本人として最低限の挨拶くらいしろ。
ちなみに英語には「行ってきます・行ってらっしゃい」「ただいま・お帰りなさい」もない。こういった日常への感謝や思いやりといった豊かな表現を持つ日本語を使っていることに、誇りを持つべきであり、大切にすべきだ。
逆に日本語には「I love you」が無いという。ここまで読んでくれたあなたにはわかっているはずだ。我々は直接的でなく、もっと豊かな表現で「I love you」と言っているのだ。
おべんと おべんと うれしいな
おてても きれいに なりました
みんな そろって ごあいさつ
(いただきます)おべんと おべんと うれしいな
なんでも たべましょ よくかんで
みんな すんだら ごあいさつ
(ごちそうさま)
おまけ:日本のアニメの「いただきます」は英語でどう表現されているか
海外で評価の高い日本文化といえば「アニメ」。「名作アニメは食事もウマそう」と言われたりもするが、その中で「いただきます」といった日本語特有の表現はどのように置き換えられているのだろうか。手元のファイルから抜粋してみる。

『未来少年コナン』から、ハイハーバーにラナを連れ帰ったコナンとジムシーの歓迎会。
「いただきまーす!」と言っているのだが、字幕は「Thank you!」

『赤毛のアン』から、クイーン学園から久しぶりに帰ったアン。
「わぁ、おいしそう。いただきまーす!」と言っているが、「I'm eating.」に

『機動警察パトレイバー』より、待機中に抜け出してデート。
サボっているのを気にする野明に、「当然って顔してりゃ問題ない」と言う遊馬。「そうだね。じゃ、いっただっきまーす」

『新世紀エヴァンゲリオン』から、ギスギスした食卓。
「ごちそうさま」が「I'm finished.」に。これは正しい翻訳。お腹いっぱいになっての「ごちそうさま」ではなく、楽しくない食事を強制終了する「ごちそうさま」だからだ。んー、ニポンゴむずかしネ。


『彼氏彼女の事情』より、妹たちの帰宅と迎える姉。
「雪野ねぇちゃん、ただいまー!」「あっ、おっかえりー、月ちゃん花野ちゃーん。」
「いただきます」派閥樹形図
ボケないための覚書。 - 「いただきます」についてで、わかりやすく分類されていたので、某うんこスレ風にしてみた。
言うよ派 ─┬─ 常識的に考えて(習慣で)いただきますくらい言うよ派(常識派) │ ├─ 感謝するよ派(感謝派) │ │ │ ├─ 作ってくれた人に対する感謝をするよ派(お母さん、板前さん、お百姓さんありがとう派) │ │ │ └─ 自然の恩恵や殺された生き物に対して感謝するよ派(命に感謝派) │ ├─ 由来とか関係なく教育しろ派(躾派) │ ├─ 「いただきますは宗教」に違和感を感じるよ派(宗教嫌い疑問派) │ ├─ 各自が自由に言えばいいよ派(自由派) │ └─ 金払ってるから云々ってどうよ派(アンチ拝金主義派)
元記事の全文は↓こちら
考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争
TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。【文・遠藤和行、写真・米田堅持】
◇「私の場合」を募集
手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、次のように紹介した。
《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》
番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、支払いの時は『ごちそうさま』と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せた。
一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。
また、申し入れを支持する手紙も数通あった。学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいるという。
永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介した。その友人は「いただきます」と聞くとうれしいから、お客さんの「いただきます」の声が聞こえたら、デザートを無料で出すサービスをした。後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ「大丈夫です。そんなにいませんから」と言われたという。
◇
ライフスタイルの変化で、家族がいても一人で食事をしたり、外食や市販弁当を食べる機会も増えています。その時「いただきます」と言っていますか。あなたやあなたの周囲の「いただきます」は変わりましたか。その理由は何でしょう。ラジオで紹介された申し入れへの是非でなく、皆さんの「いただきます考」をお寄せ下さい。後日、紙面で紹介します。
郵便は〒100−8051(住所不要)毎日新聞生活家庭部「いただきます」係。メールは表題を「いただきます」とし、t.seikatsu@mbx.mainichi.co.jpへ。採用分には図書カードを差し上げます。
==============
◇「大切なのは食べ物を大事にできているか」−−永六輔さんに聞く
番組のリスナーと共に考えた、永さんの「いただきます考」を聞いた。
−−「給食費を払っている」という理由について、どう感じましたか。
◆学校給食で「いただきます」を言うことへの抵抗は、以前からありました。それは、両手を合わせる姿が特定の宗教行為、つまり仏教に結びつかないか、という懸念です。宗教的なことを押し付けるのは僕も良くないと思います。でも「いただきます」という言葉は、宗教に関係していません。自然の世界と人間のお付き合いの問題です。
「お金を払っているから、いただきますと言わせないで」というのは、最近の話です。命でなく、お金に手を合わせちゃう。会社を売り買いするIT企業や投資ファンドにも共通点があると思います。話の発端になった母親は「いただきます」を言うかどうかを、物事を売る、買うという観点で決めているのでしょうね。売り買いはビジネスですから、そこに「ありがとう」という言葉は入ってきません。「ありがとう」に準ずる「いただきます」も入ってこない。ただ、そういう母親がいることも、認めないといけないと思います。
−−永さんは、どういう意味合いで「いただきます」を。
◆「あなたの命を私の命にさせていただきます」の、いただきます。でも僕は普段、家では言ったり言わなかったり。ましてや、他人には強制しません。絶対言わなきゃいけないとは思いません。きちんと残さないで食べれば、「いただきます」と言って残すより、いいと思うんです。
貧しい国には飢えて死んでいる人がいる。日本で残して捨てているご飯があれば、助かる子供たちがいっぱいいるわけでしょう。食べ物を大事にできているかどうか。言わないのが「ひどい」と反対することではない、と思います。
−−言っても、言わなくてもいいと。
◆普通に会って「こんにちは」、別れるときに「さようなら」。何かの時に「ありがとうございます」「すみません」「ごめんなさい」という、普通の会話の中に「いただきます」は当然入ってくると思うんです。特別に「みんなで言おう」というのはおかしい気がします。言っても言わなくても、大声でも小声でつぶやくだけでも、思うだけでも、いいことにしましょう。
==============
◇「食を見直す問題提起に」−−宮崎では推進運動
宮崎県では昨年11月から、食事の際に「いただきます」を言うことなどを呼びかける運動が展開されている。
市町村やJAなど142団体でつくる「みやざきの食と農を考える県民会議」(会長・安藤忠恕知事)が、農産物の恵みに感謝するのに最も分かりやすい活動として取り上げた。「いただきますからはじめよう宣言」をし、「県民が食事の時にいただきますの言葉に乗せ、命の恵みを感謝する」などの方針を掲げた。
事務局の同県営農支援課は「子どもが朝食を抜いたり、家族全員の食事の機会が減っている中、食を見直そうという問題提起の意味もあります」と説明する。県内の公立小学校では給食時に「いただきます」「ごちそうさま」を唱えている。
毎日新聞 2006年1月21日 東京朝刊
- http://d.hatena.ne.jp/Ougino/20060123
- http://d.hatena.ne.jp/syujisumeragi/20060123
- http://d.hatena.ne.jp/Ougino/20060121
- http://d.hatena.ne.jp/mdk/20060125
- http://d.hatena.ne.jp/sadn/20060125
- http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20060125
- http://d.hatena.ne.jp/caprin/20060125
- http://d.hatena.ne.jp/solaxin/20060126
- 「いただきます・ごちそうさま」
- http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20060128
- 「いただきます」言いません
- http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20060212
- [文化人を気取れ]いただきますで得しよう
- 経済オタクが「食育」を嫌う理由
- http://d.hatena.ne.jp/tiltir/20060722
- おかしな親にならないように
- http://d.hatena.ne.jp/utaq-999/20070926
1945 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
1998 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
1999 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2000 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2001 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2002 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2003 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
コメント入り全文




あ、あとね、カロリーメイト状の物を食べる後先もそういうのは言わないのに気付いて笑っちゃった。
同じような習慣で廃れて嬉しいのはご馳走様をいったあとでどこからか飛んでくる「お粗末さま」の声カナ。
そもそも宗教と文化は切っても切り離せない関係で、むやみやたらと否定するべきモノではないです。
日本の文化の中でも、日本人の思考のし方、物事の想像のしかたは儒教、仏教、神道に大きく影響されたモノです。
命を頂く。というコメントがありますが、この考えも宗教的で、日本人ならではです。
欧米では、食用肉は命として扱いません。しかし、鯨を食うことは人を食うのと同じ、命を食っているという捉え方なのです。
欧米では、牛や豚が犬や鯨と同じ命であるという捕らえ方は宗教的にしていないのです。
私は今回の問題を別の捉え方をしまして、『教育の中で、宗教を全否定するのは悪い事だろう。』と思っています。
日本の昔からの教育の仕方は欧米人からは、放任主義で、全くしつけがなされていないと指摘されます。
これは日本の宗教観に基づいた教育であり、欧米での宗教に基づいた教育とはハッキリ異なるのが原因です。
下記等も参考にしてみてください。
アメリカの”日本アニメ”オタク、JOHNに寄せられる質問と回答を日本語訳した話です。
つまり、この質問者も回答者も英語圏の人です。
http://www4.ocn.ne.jp/~tmf00a/08082005.html
手をあわせる行為についてはクリスチャンの食前の祈りを何度も見ていたので、段々気になって来ました。
いただきますの言葉に伴って行う意味を考え続けてみます。
(おにいちゃん、勝手にレスコメントをしてごめんなさい)
「宗教と文化は切っても切り離せない関係」と言うのは同感です。ただ、現代日本に於いては「宗教的な文化」まで昇華しないと受け入れられないのではないでしょうか。宗教には神や教祖が存在しますが、多くの日本人にとってそれが特定の人間だと受け入れがたく、自然物だと受け入れるようです。これは欧米諸国にとって自然とは厳しいもの、克服するものという感覚があり、逆に日本人はありがたいものと考えているからでしょう。
『教育の中で、宗教を全否定するのは悪い事』については、上のような事情と、織田信長など時の権力者の都合により否定されてきたのだと思います。「政教分離」の原則についても、本来は特定の宗教団体と政治が関わり過ぎてはいけない、ということなのに、宗教全体を分離すべきという風潮になっています。
「欧米での宗教に基づいた教育」がどのようなものかわからないのですが、「神様はいつもあなたを見てらっしゃいます」が基本でしょうか。だから恥ずかしいことはするなと。もしそうならば、日本ではそれが、お天道様だったりご先祖様だったりしたのでしょう。あるいは怖い親父がいて「お父さんに叱ってもらうよ」だった。ところが最近は「ほら、あそこのおじちゃんに怒られるよ?笑われるよ?」なわけです。
宗教というのは、弱い自分ダメな自分の代わりに、叱ったり励ましてくれる存在なのだと思います。私は無宗教で、どちらかというと宗教否定派です。無宗教でいると何でも自分でやらねばならないわけで、意外としんどいことです。ですが幸いなことに私のような者でもつきあってくれる神様のような人たちが周りにいるおかげで、なんとかなっています。それに今ではネットを覗けばそれこそ八百万の神様だらけです。私は「教育」という言葉にもアレルギー反応をするのですが、これらの神様たちの言葉は不思議と聞きたくなるものです。イエス様や孔子様は私に語りかけてくれませんが、彼等は直接語りかけてくれるからでしょう。
つーか、話脱線しすぎですねw すみません。
tuzukiさんは、死ねという大文字ゴシックが入っているだけで読む気が失せましたか?
この人の不快感を表す言葉は時折過激なことがありますし、私もこの日の日記では「死ね」と言う文字を見た時はギョッとしました。
それで、そのような嫌悪感を持つような事なのかなあと不思議に思いつつも、一語で全部を判断する危険性も考えてそのまま読み進めました。
tuzukiさんのお考えがもう少し知りたいです。よければレスを下さい。
TERRAZIさんが「死ね」という表現を真に適切であると考えるなら、恐らくこの点において私が言えることはもうありません。
ただ、「いただきます」という言葉は語源においては「神仏に供えた食事を賜ったことから」とあります。一方、永六輔さんが調べたものには「あなたの命を私の命としていただきます」という意味があるそうです。(記事全文にもありましたが)
つまり、「いただきます」という言葉の根底には日本人の持つ「生命への畏敬の念」があるのだといえます。ならば、「死ね」と命を奪う言葉を軽々しく言うことと、「いただきます」と言わせないということは、結局同じ誤りを犯しているのだと私には思えます。
あとEcoさんへ、私も別に読む気が失せたわけではありません。ただ、「いただきます」を文化として尊重すると述べるならば、そもそも日本人は相手に対し「死ね」と言い放つような文化であったのかということもまた、考えなければならないと思います。
とても納得しました。
自分ではもやもやしたままだった違和感がはっきり見え、共感しました。
考えつづける間口が広がった気がします。
ありがとうございました(*^-^)
大体神道ってのはもう宗教じゃなくて、日本人の習慣の根本になってるものなんだからそれを否定し始めたら、生活できなくなる
確かに始めは、なんだこの自己矛盾は思いました。
がしかし、別にほんとに殺したいと思っているわけでもないんだろうからこれは一種の呪詛と考えられます。文化人類学のとっかかりとなったらしいインターナショナルな概念です。まあそこまでめんどくさいことを考えなくても、陰口くらいの言葉で十分でしょう。
日本的な考えかたでいけば、これらを本人の前で言うことは憚られますが、そうでないところで言う分には別にいいんじゃねーの、といった感じです。
このように本音と建前を使い分けるのが伝統的な日本人です。ということは陰で死ねということは、毛唐といい放つのと同様に別に日本の分化にミスマッチしているわけでもないと思われます。
もともと此処は人徳の如何を説いているわけではなく日本の文化としてどうかということを説いているのですから、これは矛盾ではないのです。と自己解決してみたり。
後congさんにですが、これは一般的な日本人には(というのは宗教的な意味で)理解しにくいかも知れませんが、真に自分の行うべき事を信条としてもっている人間はそーゆーこと(その信条に反すること)はやりません。例えば俺は遺族のために、また死者の記念のために仏式の葬式に出席はしますが、焼香したり献花したりはしません。「冥福」を祈ることもしません。遺族がそれを嫌がるのなら、謹んでお詫びし、立ち去ります。まあこういった人間も居るっちゅーことを覚えてもらえればうれしいかなと。
まああれです。縦ヨミなので気にしないで。
hitoさんに同じく。「死んでくれ(希望)」ではなくて、「どうかと思う」という一種の嫌悪感でしょう。
いただきますの語源云々ではなく、これは一つの”挨拶”としてとらえて良いと思います。
”おはよう””こんにちわ””こんばんわ”に一々意味を考えながら言う人は少ないと思いますし。
作っていただいた事に関しての感謝の念だって感じたっていいはずです。
そういう意味で「金を払ってるから例をしなくて良い」なんてのは正直、間違っても子供には伝えたくない物事です…。
手を合わす云々については、宗教云々の話で嫌がるなら拒否してもいいんじゃないかなって思いますが。
http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20060125
いいとか悪いとか、優れてるとか劣ってるとかではなく、「カトリックなら食前にお祈りするんじゃね?」とか「欧米人はコンビニやエレベーターで知らない人にも挨拶するよ。」とか「中国四千年のこの言葉を知らないアルか?」とか「韓国にだってこんな文化があるニダ」とか「外国にだって、こんないいとこあるぞっ!」ってのを期待するわけです。
「誇りを持つべきだ」「大切に思うべきだ」そんなの君の価値観でしょ。
いただきますごちそうさまの形式に囚われるのはごご自由だし、
言わずとも、個人が何にどれほど深い理解を示して感謝の気持ちを抱くかなんぞ誰にも分かるまい。
だのに、死ねだなんて。残虐非道な。別に言葉の揚げ足を取っているわけではなく。
自分の価値観にずれた人間を見て、咄嗟に嫌悪感を抱くのはよくないよ。
まして自らの価値観を保護するために文化を盾にしているのは気持ちが悪いです。
食物の尊さを本質的に訴えようとか子供達に知って欲しいから書かれた記事ではないよね。
そして子供たちには食物の尊さを「いただきます。ごちそうさま」を言う言わないとか、
そういった大人のつまらない小競り合いの時限を超えて学んでいってもらいたい。