2012/01/20 (金)
■[一般]御目出度うございました。
円城塔氏が芥川賞を受賞。なにがといってこんなめでたいことはない。というわけで、氏が〈ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション〉でデビューした『Self-Reference ENGINE』の、その帯に飛が書いた推薦文をここに載せます。(読みたいという人がいるようなので)
〈ソラリスの海〉がじつは単一の生命ではなく無数の個体からなっていて、しかもその境界線で海同士がわけのわからぬ会話を交わしていたとする。本書は、そんな波間から釣り上げた会話の断片集といってよい。いや、比喩ではなく、これはマジでそういう本なのであり、しかもその「会話」ときたら、SFファン同士の愚にもつかぬバカ話とうりふたつなのである。というわけで、謹んで「爆笑ソラリスジョーク集」の称号を進呈したい。そして、もちろん、この本の中身はそれだけではないのである。
以下自慢ですが(^^)、この推薦文(同書をとりあえず「複雑系+シンギュラリティもの」と見立てたもの)は結構評判が良かったです。
2011/09/12 (月)
■[一般]お断りとお詫び
長期にわたってだらだらと連載していた「零號琴」が完結したから、というわけでもないのでしょうが、ここ一月ほどのあいだに、短文や小説の依頼をいくつかいただきました。
大変申し訳ないのですが、そのすべてをお断りいたしました。
御存じの方もあられるでしょうが、飛は兼業作家です。この秋からその本業が多忙を極めており、また以前に書いたとある作品の改稿にもほどなく着手することになります。この改稿作業は(おそらく全面的な書き直しとなるため)どう少なく見積もっても、半年を要すると考えております。
そのようなわけで、現在、新規のご依頼はすべてお断りしている状況です。
さらに心苦しいのですが、個人的にはその改稿作業が終わり次第、えんえんと逃げ回りつづけている『空の園丁』の執筆に専念したいと念願しております。
以上をまとめて申しますと、今後、少なくとも2年ほどは、これ以外のいかなるご依頼も(発表済み短編の書籍化なども含め)お引き受けすることができないということであります。
2011/03/03 (木)
■[一般]日本SF大賞選評
1年前に書いたものです。
豊饒の年だった。最後まで順位を決めらぬまま、選考会に臨むこととなった。
上田早夕里は緊密な構成と文体、実在感ある世界の現出に長じ、それが暗めの情調とあいまって「くさびらの道」などたいそう魅力的だが、上出来な作品と仕上げるためにはどこかで守勢に回らざるをえず、捨て身で書かれた作品とならべれば、そこが不満となる。表題作は世評高いが、私を「そう、この小説はこうでしかあり得ない」と説得してくれなかった。ああもコスト高な生活環がなぜ採用されたのか、どうして人の側は「進化」しないのか、などの瑣末事はさておき、前半で布置された登場人物の喪失感が、壮大な進化の話に紛れて、正面から取っ組み合われていない、と感じる。「朋」はもっと「業の深い」アイディアであるはずだ。――さて「傷つき病んだ男特集」とも言うべき本書としては、白眉はやはり「小鳥の墓」だろうか。私としては「饗応」の、トリビュートの意地悪さ、ガードの程よい緩さが実は好きだ。
『アンブロークン・アロー』は「雪風で『猶予の月』をやる」という恐るべき試みである。小説を書く上で手がかりとなる前提をごっそり取り払ったうえで、作者は知力を振り絞り、ありとあらゆる手を試し、何度破れても立ちあがってついには素手で作品世界を再構築してみせる。地図もテントもザイルも捨てた、作者の命懸けの縦走そのものがこの作品となる。何たる蛮勇! 単体作品として評価が難しいこと、次なる展開が予想されることから贈賞は見送られたが、このベテランの怪物的なスタミナと闘争心には感服するほかない。神林長平がここに産み落とした「リアル」に震え上がらぬクリエーターなどひとりもいまいが、それこそが世界の実の姿であることを忘れてはならぬ。
佐藤哲也は読み手に尻尾をつかませない、なんだかいつもけむに巻かれてしまう気がするのだが、ことコアSFにちかい場所ではきわめてシリアスな顔を見せてくれる。思えば『妻の帝国』もそうであった。あの作品に対しては後半の展開に不満を述べる声が多かったが、『下りの船』はそれがただの不見識だったことを見せつける。ここでは『妻の帝国』の後半が、世界総体――すなわち理不尽の巨大な堂々巡りとなって、立ち上がってくる。この作品世界は現実の悲惨の知的戯画都も見えるが、私には、むしろ作者の気質と生理にふかく根ざした――村上春樹の“世界の終わり“にも似た――内面そのものなのではないか、と感じられた。作者は誠実に、忍耐強く、呪文のごとき文体を駆使して、この世界を生動したままずるずると掴み出し、私の前に広げる。魚たちの吐息、後頭部を殴られた衝撃、そして船の煙突が立ちのぼらせる黒々とした煙りは、もう私の中にも植えられてある。いまもまだ動いている。
長谷敏司の『あなたのための物語』を読んで、最初に連想したのは、奇しくも〈雪風〉であった。小説家がみずからの危機と立ち向かうために書かれた書物であること、そして〈記述を目的とする人工知性〉が主題となっていること、の故である。あちらにあってこちらにないのは〈ジャム〉であり、代わりに迫ってくるのは現実の死だ。これを綴る文体は作者自身の闘病記のごとき即物性記録性にみち、読者に極度の緊張を強いる。知性と意識を扱うSFの多くはパズルの遊戯性に安住し、物語の意義を問うお話しなら臆面もない自賛となりはてる。しかし本書は、SFについに死を超えさせないことで、数少ない例外となった。未読の方に告げておく。世評と異なり、本書にダウナーな文は一行もない。ここにあるのは厳粛さと廉潔さで磨かれ研ぎ澄まされた文章である。主人公の傲岸さ、醜悪ささえもが長谷のペンの下ではいとしく美しい。居ずまいを正して読み給え。
〇八年の暮れに『ハーモニー』を読み終えたとき、首を傾げた。etmlの種明かしが腑に落ちなかったのだ。これは本当に、結末で示されたとおりの記号なのだろうか。
読書中、むしろ私はそこに語り手トァンの声を聴いていた。生きてあることがすなわち多様な(医療を含む)システムと接続され情報をやりとりすることと同義であるような、つまりいまの私の生きる実感、速度感がそこにそのまま打刻されていると思ったし、もっと言えば、私はそこに、作者伊藤計劃のぱちぱちいうキータッチを聞いていたのである。
そのリズムは、作品のトーンとはまた別に、たしかな歓び、どうだいま俺の書いているケッサクを読んでくれ! というご機嫌なグルーヴに満ちていた。ゴタクと思索、ゴミと宝石をひとつの山に積んで、ジョーカーのように笑う伊藤の声、呼吸が聴こえたのだ。
世界が自縄自縛のすえ千々に引き裂かれるさまが、このように巨大で哀切で、そうして犀利で厨臭い一大ジョークとなりおおせたことはない。あらゆる方向に引き裂かれ、なおその空無の地点にふみとどまりつづけたこと、それはひとえに作者の聡明さと精神の健やかさ、そしてなにより彼がこの作品を真の喜びとともに生み出したゆえであろう。
銓衡委員の任期は3年間でしたから、これで最後です。選評は候補となった作者本人が読むことを意識して、というより作者に向かって書いていたつもりです。(喧嘩売ってんのかといわれても申し開きできません。)しかし、この年だけはそうもいかず、だれに向かって書けばいいのか少し迷ったものです。(少し、でした。)
2010/07/28 (水)
■[一般]日本SF大会 TOKON10
ところで2007年のNIPPONCONでセンス・オブ・ジェンダー大賞を戴いたときに、スピーチをしたのです。
それは、ハヤカワ文庫JA版『ラギッド・ガール』で巽孝之氏が紹介された「受賞のことば」とは別なもので、そういえばあんとき喋ったきりでしたが、探してみたら原稿が出てきたのでアップしときます。
飛浩隆です。あいさつがヘタなので、失礼ながらメモを読むこととします。
私のかわいい娘である『ラギッド・ガール』に大きな賞を授けていただき、ありがとうございます。当の娘の感想はまだ聞いておりませんが、たいそう喜んでいるに違いありません。
このメモを書いた時点では、選考委員の皆様が、わが娘のどこを気に入っていただけたのかまだ教えていただいていません。この娘は、私にとってはかわいいことはもちろんなのですが、正直に白状すれば、なにを考えているかよく分からない上に、ひとをいらだたせる言動と、醜い姿を持って、ときに怪物のように私を悩ませます。
『ラギッド・ガール』は短編集であり、さまざまなキャラクターが登場いたしますが、私にとりましては、娘といってまず頭に浮かぶのは、表題作の主人公のひとりである阿形渓であります。
阿形渓をひとことで言いあらわすことは難しいのですが、たとえば「接続された女」ならぬ「接続させる女」であると言えるかもしれません。彼女のラギッドなテクスチャを見た者は、どうしてもその膚に触れたくなる。触れることで、自分に決定的な変質がもたらされることが予感できるからです。
このテクスチャの危険性は私にとって、SFというジャンルの魅力とぴったり重なります。なにを考えているかよく分からない上に、ひとをいらだたせる言動と、醜い姿を持って、ときに怪物のように私を悩ませる、そんな圧倒的で魅惑的なテクスチャが、SFというジャンルいちめんに敷きつめてあること、みなさんもとっくに知っておいででしょう。
人はSFというジャンルに触れずにはいられません。なぜなら触れることによって、みずからが変質すると知っているからです。一刻の停滞もなく変質を余儀なくされること、それがSFを生きるということにほかなりません。
Wikipediaの日本語版によりますと、「ジャンル」ということばは「ジェンダー」と同じ語源を持つのだそうです。生まれ落ちたときに持った性質、といえば共通しているようにも思えます。
私は、物心ついてからというもの、SFというジャンルを、そうしてSFというジェンダーを生きてきました。このジェンダーはその中に安住することを許しません。SFはわれわれに求めます。つねにその蠱惑的な膚ざわりとこすれあえと、絶え間なく変質してゆけと。
SFを生きるとは、このようにセクシュアルな体験であると考える私にとって、娘が〈センス・オブ・ジェンダー賞〉をいただいたこのはこの上ない喜びです。
娘に代わり、もういちど、心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。
2007.9.2 ワールドコンNippon2007にて
2010/07/27 (火)
■[一般]日本SF大会 TOKON10
参加します。夜行で往復するし、たぶん暑いし、もともと体力もないので初日(8月7日)は{あまり/ぜんぜん}会場にはいません。ホテルでぐうぐう寝ていようと思います。
その分、ふつかめ(8月8日)は休みなく企画に。
2606 サイバーパンクパネル 8/8 9:30-11:00
http://www.tokon10.net/programs/2606.html
2730 TIP&SOG賞パネル 8/8 11:30-13:00
http://tokon10.net/programs/2730.html
サイバーパンクもジェンダーもよく分かんないので司会のひとに頼ろうと思います。
このあと、サイン会(13:05〜)てのがあるので、早朝から13時半頃までは休みなしですね。あと、もしかしたら15時30分からも何か{します/しません}。(未確定)
ここで何もなければゆっくり会場を見て回ろうかな、というところ。
めんどくさがりなので、シールは作りません。初日夜の懇親会もおそらく欠席いたします。島根のSFイベント「雲魂」のチラシを持参するのでほしい人はお申し付け下さい。
つねに座れる場所を探していると思います。血圧低いです。耳が遠いです。よろしくお願いいたします。
2010/03/05 (金) 日本SF大賞贈賞式
■[一般]第30回日本SF大賞贈賞式に行ってきました。
たいへんご無沙汰でありましたが、なんせ連載小説などという無謀なことをやっておりまして、その上twitterもばりばり書いておるような次第ですので、どうかお許しあれ。で、3月5日に東京會舘でありました日本SF大賞贈賞式に出掛けてきました。
伊藤さんが亡くなったことを、このブログではこれまで書いていなかった筈。当時ご遺族はそのことをあまり広く知らせようとされなかったので、そのまま、ここでもなんとなく書く機会がありませんでした(ちょっとほのめかしたことは数度)。無論理由はそれだけでなく、伊藤さんの死について、いったい何をどう書けばいいのか、途方に暮れるような思いだったということの方がむしろ大きいでしょう。SFマガジンの追悼特集に飛も短文を寄稿したのですが、このときも同様でした。あの時点ではとても追悼文を書くことはできず、ただ「伊藤さんが生前、自作について飛に語ったこと」をきちんと記録しておくだけ(そして伊藤さんの読者に読んだいただくだけ)のために、あれを書いたものでした。じゃあ追悼文は結局書けなかったかというと……その話はまた別の機会に。
さて、SF大賞贈賞式、です。
■[一般]控え室
徳間文芸三賞(大藪春彦賞、日本SF大賞、日本SF新人賞)の贈賞式は、例年、この時期に東京會舘エメラルドホールで開かれます。同時期に日本SF作家クラブの総会も開かれるのですが、今年はこちらは参加せず(年会費だけ払って)、直接控え室へ。伊藤さんのご両親とご挨拶します。お母様とは一度病院で一度お目にかかってからほぼ一年ぶり、お父様とは初対面です。おふたりともやさしい面差しで、伊藤さんとよく似ておいでです。
贈賞式では受賞者の言葉と選評をまとめた小冊子が配られるのですが、伊藤さんに「なり代わって」お父様がお言葉を書いておられました。この文章はSFジャパンにも掲載されていますが、これはやはり(こういう言葉が適切なのかどうかわかりませんが)必読というべきでしょう。同じSFジャパンには、伊藤さんがストーリーを書き、新間大悟氏が絵を描いたコミックも再録されています。このコミックとお父様の文章を読み合わせて、軽い衝撃を覚えました。
伊藤さんの『虐殺器官』と『ハーモニー』を読んでいてふと気づいたことがあります。前者は母と息子、後者は父と娘、についての物語なのですが、そのことを改めて思い出しました……。
今年は、SF大賞特別賞が栗本薫氏の『グイン・サーガ』に贈られています。こちらは夫君であられる今岡清氏が来ておられました。飛がデビューし「象られた力」頃までSFマガジンの編集長をなさっていた方です。恩人というべきでしょう。
「飛さんぜんぜん変わりませんねえ」
「いえもう髪が真っ白です」などなど。
■[一般]贈賞式
今回は、飛が選考経過を話すことに。ほんとうは東浩紀氏に押しつけようと思っていたのですが*1、かれは自分が主催する大きなイベントとぶつかっていたので、飛が島根県から出てくるはめに。
登壇したとき、やはり緊張していたのか、受賞者席にお辞儀をするのを忘れました。だめだなあ。
いちおう手元にメモを用意していて(じっさいにはだいぶ変えて話しましたけど)転記しておきます。長いですよ?
それでは、このたびの選考経過をご報告いたします。
選考会は昨年12月6日、都内で開かれ、5人の選考委員、豊田有恒氏、萩尾望都氏、太田忠司氏、東浩紀氏、そして私飛浩隆が選考をつとめました。
日本SF大賞は、コミック、メディア作品、ノンフィクションもひとしく候補となるのですが、今回はすべての候補作が小説でありました。近年のSF小説の充実ぶりの反映であり、それだけに1作を択びだすのが非常に難しい年であったと思います。
選考は長時間に及びましたが、ここでは、それぞれの作品ごとに、交わされた意見のいくつかをご紹介してまいります。
神林長平さんの「アンブロークン アロー」は、〈戦闘妖精・雪風〉のシリーズ最新作です。この巻では、まさに神林さんの本領発揮といいますか、考え、会話することがそのままエイリアンとの激闘となるような世界が描き出され、作者のラジカルな表現意欲、強靭な意志に圧倒される思いでした。しかし、シリーズ中からこの一巻のみを取り出したとき、前提となる世界像や人物設定が分かりにくく、作者の意図が十全には伝わらないのでは、という指摘がされ、今回の贈賞とはなりませんでした。
佐藤哲也さんの「下りの船」は、どこともしれぬ惑星への強制移住させられた人々とその世界を描いた作品です。悲惨な労働生活、陰鬱な戦争を通し、人間世界の理不尽さが、淡々と、恐るべき密度で描き出されていきます。文章の驚異的な品質、文芸としての出来栄えを称えた声がある一方、もっとダイナミックな物語やSFとしてのワンダーを求めたいとする声もあり、強く支持されるには至りませんでした。
長谷敏司さんの「あなたのための物語」は、文学の永遠のテーマである「物語を書くとはどういうことか」を、現代SFの最新の道具立てで描き出し、それを人の死というテーマと対置させた大変な力作です。淡々かつ冷徹と書き抜く持久力、その緊張の持続が高く評価されました。ただ、物語の舞台が限定されストーリィが大きく広がっていかない点、そのためこの分量がやや長く感じられる点、人工知性をめぐるさまざまなアイディアが、ひとつながりになって感興を高めていかない点が指摘され、いま一歩及びませんでした。
もっとも多くの支持を集めたのは上田早夕里さんの「魚舟・獣舟」、そして伊藤計劃さんの「ハーモニー」であります。
上田さんの作品は短編集でありますが、短い枚数でアイディアを存分に発展させる手腕がすばらしく、凝集された文体、ほの暗いトーンがお互いに引き立てあって、読みごたえたっぷりとなっています。今回の候補作は非常に先鋭であったり、渋かったりという中で、上田作品では明快なストーリーと鮮やかな思考実験が両立している点が評価を集めました。とりわけて、壮大なスケールを誇る表題作、それに「くさびらの道」の心憎いまでの巧みさを称える声がありました。
しかし短編という制約のせいか、手堅さ、まとまりが前に出ている印象もあり、SF大賞を贈るならばいま一段の冒険、革新性を求めたいとする意見が勝ち、このたびの贈賞とはなりませんでした。
伊藤計劃さんの「ハーモニー」は、アイディア、ストーリー、文体、そして透徹した思索が高度に絡みあい、エンタテインメントの形をいささかも崩さず、その上で現代SFの最前線をさらに一歩進めようとする作品です。ここで描き出された高度保健福祉社会は、安全と健康を願ってやまない私たちの姿絵であり、三人の主人公たちの痛ましさはまさにこの世界が抱える痛ましさでもあって、読み手をたじろがせ、強く動揺させる作品であったと思います。作中で提示されたアイディアに納得がいかないという意見が出され、ここで相当の意見交換も行われましたが、最終的には、2009年を代表し得る作品として、選考委員は「ハーモニー」に大賞を贈ることを決定いたしました。
選考経過は以上でありますが、最後に、受賞者である伊藤計劃さんについて、少しだけお話をすることをお許し下さい。
皆さんご存じのとおり、伊藤計劃さんは、昨年の3月20日夜、34歳の若さで亡くなられました。実はほぼ1年前、昨年のこの贈賞式の日、この会場に来る前に私は入院中の伊藤さんにお目にかかりました。SF作家クラブ入会のお話をするためでした。ひどい雨振りの日でありました。「ハーモニー」について、お話ができたこと、病室の空気など昨日のように思い出されます。
私たちはもっともっと、伊藤さんの本を読ませてもらえる筈でした。それに、伊藤さんのことですから、きっとコミックを書かれたことでしょう。映画のメガホンも取ったに違いありません。読みたかったなあ、観たかったなあ、と思うたび心にわいてくるこの感情を、まだ私はうまく言葉にできずにいます。
どうかみなさん、「ハーモニー」を始めとする伊藤さんの作品を、お読みください。これから明日を生きていく若い人たちの、心に突き刺さり長く記憶されるような、そんな小説であると思います。
以上で、私からの報告を終わります。
三村美衣とかには「まじめすぎ」と不評だったそうですが、まあ、そうだね。そのとおりです。反論はありません。
あと、以上は、選考経過をできるだけに公平に伝えようとしたものであって、飛個人の意見とはかなり異なっています。そのへんはSFジャパンに掲載された選評と読み比べていただければと思います。
パーティーから後の話は、いずれ、また。

才能がないことに気づき断念しました。
小さい時から本を読むのが好きだったため、大きくなったら
小説など書きたいなと思っていたのです。
でもこれって才能がないとだめですね。
こちらの方もお休み中のようですね
気が向いたらまた、更新してください。