題材不新鮮 SF作家 飛浩隆のweb録

2007/12/17 (月)

[]前日のつづき、

だからといって、もちろんこの〈解釈〉は『Self-Reference ENGINE』(以下『SRE』)のすべてを納得できるよう説明するものではないです。またエピソードの因果関係前後関係の見取り図を作ることも考えていません。その前段階、そもそものところのお話し。

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まず、円城塔、は理論理論とか、法則の法則の法則とかに興味があることは間違いなさそう。非常に複雑なふるまいを見せている現象も、ある視点から、あるいはある数式で表現するとシンプルに美しくなること。あるいは1段階上の論理階層から眺めると、小さな一点にまとまってしまうこと。そういう階層が上下にかぎりなく続いていること。そしてどの階層もなんだかやっぱり似ていること。そこに円城塔のツボがある。

それから『SRE』では〈無限〉について、ほんとうに多くの紙幅を割いている。冒頭の一文からしてそう。そして無限のなかから「有限を切り出す*1」ことや、「切り出す」ためには「無限のあちこちに「穴」を開ける」方法がある、ことについてくりかえし書いている。穴とは空白であり、たぶん(違うかもしれないけど)「無」と関係がある。つまり「書く」とは「書かない」ことを別の表現で言いあらわしたもの*2。そう。「書かない」ことや「消す」こと、によって「書く」ことができる。穴や空白を生み出す動的なシステム――ENGINE――があれば機械的に「書き」うる。これはシステムであるから、関与するプレーヤはひとりでなくていい。多数の、あるいは無数の主体の動作が互いに織りなしあって無をつくり、その無を重ね合わせて〈無限〉から有限を――意味ある文字列を切り出せる。ひとつひとつのプレーヤがなにを考えているのかとは無関係に「書く」ことができる。

とりあえず、以上ふたつの感覚が『SRE』の中には流れている。

長くなったけど、ここまでが前提。(というか、これが飛の読みとったほとんどすべて。)

さて、巨大知性体たちはとても真面目だ。大きな官庁の成員のように、あるいは象牙の塔研究者たちのように、それはもうみんな一所懸命に仕事をしている。どれくらい一所懸命かというと、きっと……

 “ジェイムズはジェイムズでいたい”――のと同じくらい。(159頁)

 “確率一で確からしかろうが。私は違ったものになろうと思います。あなたたちとも、誰とも”――と同じくらい。(256頁)

 ……には真面目でひたむきだ。

 そのようにして奮闘する巨大知性体たちだけれども、これも作中でくどいほど繰り返されるように、そして上で書いたように、プレーヤの思いとは関係なく、その巨大演算戦じたいが、さらに上位の者によってアセンブルされたひと組みのシンプルな計算なのである。

 この計算は自己を消滅させる。

 傾いた大会社の中で、社員ひとりひとりは夢中で頑張っていて最善の成果を上げつづけているのに、まさにその営為によってますます会社が傾いていくような、そんな計算。

 そうやって計算された空白、穴がどこか宇宙のうんと高いところであたらしい文章を切り出す。

 しかし思い出そう。階層は上下に続いているのだ。

 大会社の中で、官庁の中で、研究機関の中でもささやかに空白を穿ちつづけている誰かがいる。

 両腕をうしなった誰か。

 目の前にあるのではない箱をあけに行く誰か。

 金色に澄み透るエンドクレジットを立ち上げる誰か。

 バールのような仕込み杖をつかんで老婆を何度も助けに行く誰か。

 「書く」ことでは「書けない」ものもある。そのもどかしさの先にあるものにどうやったらふれられるだろうか。

 直接には「書かない」こと。

 小さな数式でも平面にプロットすればきれいな弧がのびていく。

 もう二次元足してやれば、いつまでも見とれていたい動きで踊り出す。

 どうかすると非周期的なパターンでどこまでもひろがりだしていく。

 作者は指一本触れないのに、そうやってなにかが動き出していく。

 動き出した〈無〉が、無限の中から、どうやってもじかには掴み出せなかったものを、やすやすと切り出していく。

 なんだかそんな感覚

 だれもが知っているけれど言葉にできないその感覚にせまっている。

 それがこの本だと思うのだ。

 ってことで。

*1微妙ニュアンスがちがうのだけどいい書き方が思い浮かばない。

*2:ただしここでの「書かない」は不作為ではない、もっと能動的なニュアンスがある。