日本SF大賞選評

1年前に書いたものです。

 豊饒の年だった。最後まで順位を決めらぬまま、選考会に臨むこととなった。

 上田早夕里は緊密な構成と文体、実在感ある世界の現出に長じ、それが暗めの情調とあいまって「くさびらの道」などたいそう魅力的だが、上出来な作品と仕上げるためにはどこかで守勢に回らざるをえず、捨て身で書かれた作品とならべれば、そこが不満となる。表題作は世評高いが、私を「そう、この小説はこうでしかあり得ない」と説得してくれなかった。ああもコスト高な生活環がなぜ採用されたのか、どうして人の側は「進化」しないのか、などの瑣末事はさておき、前半で布置された登場人物の喪失感が、壮大な進化の話に紛れて、正面から取っ組み合われていない、と感じる。「朋」はもっと「業の深い」アイディアであるはずだ。――さて「傷つき病んだ男特集」とも言うべき本書としては、白眉はやはり「小鳥の墓」だろうか。私としては「饗応」の、トリビュートの意地悪さ、ガードの程よい緩さが実は好きだ。

『アンブロークン・アロー』は「雪風で『猶予の月』をやる」という恐るべき試みである。小説を書く上で手がかりとなる前提をごっそり取り払ったうえで、作者は知力を振り絞り、ありとあらゆる手を試し、何度破れても立ちあがってついには素手で作品世界を再構築してみせる。地図もテントもザイルも捨てた、作者の命懸けの縦走そのものがこの作品となる。何たる蛮勇! 単体作品として評価が難しいこと、次なる展開が予想されることから贈賞は見送られたが、このベテランの怪物的なスタミナと闘争心には感服するほかない。神林長平がここに産み落とした「リアル」に震え上がらぬクリエーターなどひとりもいまいが、それこそが世界の実の姿であることを忘れてはならぬ。

 佐藤哲也は読み手に尻尾をつかませない、なんだかいつもけむに巻かれてしまう気がするのだが、ことコアSFにちかい場所ではきわめてシリアスな顔を見せてくれる。思えば『妻の帝国』もそうであった。あの作品に対しては後半の展開に不満を述べる声が多かったが、『下りの船』はそれがただの不見識だったことを見せつける。ここでは『妻の帝国』の後半が、世界総体――すなわち理不尽の巨大な堂々巡りとなって、立ち上がってくる。この作品世界は現実の悲惨の知的戯画都も見えるが、私には、むしろ作者の気質と生理にふかく根ざした――村上春樹の“世界の終わり“にも似た――内面そのものなのではないか、と感じられた。作者は誠実に、忍耐強く、呪文のごとき文体を駆使して、この世界を生動したままずるずると掴み出し、私の前に広げる。魚たちの吐息、後頭部を殴られた衝撃、そして船の煙突が立ちのぼらせる黒々とした煙りは、もう私の中にも植えられてある。いまもまだ動いている。

 長谷敏司の『あなたのための物語』を読んで、最初に連想したのは、奇しくも〈雪風〉であった。小説家がみずからの危機と立ち向かうために書かれた書物であること、そして〈記述を目的とする人工知性〉が主題となっていること、の故である。あちらにあってこちらにないのは〈ジャム〉であり、代わりに迫ってくるのは現実の死だ。これを綴る文体は作者自身の闘病記のごとき即物性記録性にみち、読者に極度の緊張を強いる。知性と意識を扱うSFの多くはパズルの遊戯性に安住し、物語の意義を問うお話しなら臆面もない自賛となりはてる。しかし本書は、SFについに死を超えさせないことで、数少ない例外となった。未読の方に告げておく。世評と異なり、本書にダウナーな文は一行もない。ここにあるのは厳粛さと廉潔さで磨かれ研ぎ澄まされた文章である。主人公の傲岸さ、醜悪ささえもが長谷のペンの下ではいとしく美しい。居ずまいを正して読み給え。

 〇八年の暮れに『ハーモニー』を読み終えたとき、首を傾げた。etmlの種明かしが腑に落ちなかったのだ。これは本当に、結末で示されたとおりの記号なのだろうか。
 読書中、むしろ私はそこに語り手トァンの声を聴いていた。生きてあることがすなわち多様な(医療を含む)システムと接続され情報をやりとりすることと同義であるような、つまりいまの私の生きる実感、速度感がそこにそのまま打刻されていると思ったし、もっと言えば、私はそこに、作者伊藤計劃のぱちぱちいうキータッチを聞いていたのである。
 そのリズムは、作品のトーンとはまた別に、たしかな歓び、どうだいま俺の書いているケッサクを読んでくれ! というご機嫌なグルーヴに満ちていた。ゴタクと思索、ゴミと宝石をひとつの山に積んで、ジョーカーのように笑う伊藤の声、呼吸が聴こえたのだ。
 世界が自縄自縛のすえ千々に引き裂かれるさまが、このように巨大で哀切で、そうして犀利で厨臭い一大ジョークとなりおおせたことはない。あらゆる方向に引き裂かれ、なおその空無の地点にふみとどまりつづけたこと、それはひとえに作者の聡明さと精神の健やかさ、そしてなにより彼がこの作品を真の喜びとともに生み出したゆえであろう。
 迷った末、最終的に私は『ハーモニー』を大賞に推した。作者には心からの感謝を捧げる。 

 銓衡委員の任期は3年間でしたから、これで最後です。選評は候補となった作者本人が読むことを意識して、というより作者に向かって書いていたつもりです。(喧嘩売ってんのかといわれても申し開きできません。)しかし、この年だけはそうもいかず、だれに向かって書けばいいのか少し迷ったものです。(少し、でした。)